マーク・ソーマ 「ナチスによる民営化」(2006年9月12日)

国家社会主義党(ナチス)が政権を握ったドイツでは、1930年代の半ばにいくつもの国有企業の株式が売却された。売却対象となった国有企業の範囲は、幅広い業界に及んだ。それに加えて、1930年代を迎えるまでは行政機関によって担われていた公共サービスのいくつかを提供する役目が民間部門――主に、ナチスと関わりのある組織――によって肩代わりされるようにもなった。
画像の出典:https://www.ac-illust.com/main/detail.php?id=158057

Journal of Economic Perspectives誌に掲載されたジェルマ・ベル(Germà Bel)の論文――題して、“The Coining of “Privatization” and Germany’s National Socialist Party”(「『民営化』の由来とドイツの国家社会主義党」) ――を踏まえて「民営化」という語の起源を辿ったこちらのエントリー〔拙訳はこちら〕に対して、ジェーン・ガルト(Jane Galt)をはじめとして方々から数多(あまた)の意見が寄せられた(ガルトが自分のサイトで開陳している意見はこちら。本ブログのコメント欄に寄せられた数々の意見はこちら)。

ベルの論文についてああだこうだと意見が交わされているうちに、ナチスによる民営化の具体的な内容(特徴)はどんなだったのかという点へと議論の焦点が移っていった。そんな中、ベル本人がコメント欄に登場して、次のようなコメントを残している。

どうも。Journal of Economic Perspectives誌に掲載された件(くだん)の論文の著者です。件の論文では、ナチスによる民営化の実態については分析を加えていません。目的はそこにはなかったからです。

ナチスによる民営化の実態に興味がおありなら、経済史の方面の学術誌に提出して査読を受けている最中の拙論文 [1] 訳注;The Economic History Review誌の2010年2月号(Volume 63, Issue 1)に掲載 ――Journal of Economic Perspectives誌に掲載された論文よりも長いです――で分析を加えているので目を通していただけたら幸いです。URLは以下です。

http://www.ub.es/graap/nazi.pdf

どんなコメントでも大歓迎です(gbel@ub.edu)。
私の研究に関心を持っていただいて、ありがとうございます。

ジェルマ・ベル

査読を受けている最中というベルの論文の序論と結論を引用しておこう。私見では、「『民営化』という語の起源に関心を持つべき理由って何なの?」というガルトの問いに対する答えになってるんじゃないかと思う。

Against the Mainstream: Nazi Privatization in 1930s Germany”(「潮流に抗して:1930年代のドイツでナチスによって試みられた民営化」)by Germà Bel:

I. 序論

20世紀の最後の25年(四半世紀)を彩った政策の一つと言えば、公共部門の民営化である。公共部門のあれもこれもが民営化されたのだ。現代史における民営化の初の試みとしてよく挙げられるのは、1970年代ないしは1980年代にチリや英国で断行された民営化である(例えば、Yergin&Stanislaw, 1998, pp. 115)。もっと古い(民営化の)事例を見つけ出している研究者もいる。民営化に経済学的な観点から分析を加えている研究者の中には、1950年代後半から1960年代初頭にかけてアデナウアー政権下のドイツで国有企業の株式の一部が売却された事例を大規模な民営化の初の試みとして挙げている者もいれば(例えば、Megginson, 2005, pp. 15)、1950年代初頭の英国における鉄鋼・石炭業の非国有化を――対象となったのは一つの業界に限られてはいたものの――民営化の初の試みと見なすべきという意見の者もいる(例えば、Burk, 1988; Megginson&Netter, 2003, pp. 31)。

さらに古くて重要なエピソードなのにもかかわらず、民営化に経済学的な観点からメスを入れている昨今の分析においてすっかり無視されてしまっている事例がある。1930年代にドイツの国家社会主義党(ナチス)によって試みられた民営化がそれである。ナチスによって試みられた民営化は、民営化に経済学的な観点から分析を加えている文献だけでなく、20世紀のドイツ経済を対象にした近年の文献でも(例えば、Braun, 2003)、ドイツの公有企業の歴史がテーマの文献でも(例えば、Wengenroth, 2000)、素通りされて無視されてしまっている。ナチス政権下における銀行の「再民営化」に言及されることも時にあるが、単に言及されるだけで詳しいコメントや分析が加えられることはない(例えば、Barkai, 1990, pp. 216; James, 1995, pp. 291)。ナチス政権下における国有企業の株式の売却について言及されるにしても、ナチスは私企業の広範な国有化に反対していたと語られるだけで、それ以上の分析は加えられずにいる(例えば、Hardach, 1980, pp. 66; Buchheim&Scherner, 2005, pp. 17)。

国家社会主義政党(ナチス)が政権を握ったドイツでは、1930年代の半ばにいくつもの国有企業の株式が売却された。売却対象となった国有企業の範囲は、幅広い業界に及んだ。鉄鋼、採掘、銀行、地方の公益事業体、造船、海運、鉄道などなどである。それに加えて、1930年代を迎えるまでは行政機関によって担われていた公共サービスのいくつか――とりわけ、福祉ないしは労働者の処遇改善に関わる公共サービス――を提供する役目が民間部門――主に、ナチスと関わりのある組織――によって肩代わりされるようにもなった。1930年代ないしは1940年代にナチスの経済政策に分析を加えている同時代の学術的な文献の多くでは、ナチスによる民営化が俎上(そじょう)に載せられている(例えば、Poole, 1939; Guillebaud, 1939; Stolper, 1940; Sweezy, 1941; Merlin, 1943; Neumann, 1942, 1944; Nathan, 1944a; Schweitzer, 1946; Lurie, 1947)[2]原注;学術的な研究というよりはエッセイ色が強い同時代の著作でも、ナチスによる民営化にコメントが加えられている。例えば、Reimann (1939) … Continue reading

ナチスによって民間部門に譲り渡された国有企業の大半がそもそも国有化されるに至ったのは、大恐慌の猛威の影響によるものだった。大恐慌の影響で西洋の資本主義諸国のあちこちで私企業の国有化に弾みがついたと指摘している学術的な文献の数は多いが(例えば、Aharoni, 1986, pp. 72~; Clifton&Comín&Díaz Fuentes, 2003, pp. 16; Megginson, 2005, pp. 9-10)、ドイツも例外ではなかった。しかしながら、1930年代に民営化に乗り出したのは、ドイツだけだった。ここで、重大な問いが持ち上がる。ドイツで政権を握ったナチスが私企業の国有化という当時の潮流から離反する道を選んだのは、なぜなのだろうか?[3] … Continue reading ナチスは国有企業なり公共サービスを提供する役目なりを民間の手に譲り渡したのに、他の西洋諸国はそうしなかったのはなぜなのだろうか?

これらの問いに答えるためには、ナチスによる民営化が一体何を目的にしていたのかを分析して浮かび上がらせる必要がある。1930年代ないしは1940年代にナチスの経済政策に分析を加えている同時代の文献の中には貴重な洞察が含まれているものもあるが、満足のいく分析を可能にするために必要な理論なり概念なりツール(分析道具)なりが当時は欠けていた。経済学の分野における近年の研究によると、民営化の目的は一つだけではなく複数あるのが通例なだけでなく(Vickers&Yarrow, 1988, 1991)、複数の目的が併存している中でも(財政収支の改善などの)「金銭的な目的」が最優先されがちであること(Yarrow, 1999)が明らかにされている。さらには、近年における理論の発展に伴って、「国有企業をそのままにするか、それとも民営化するか」という選択の機会に直面している政治家を突き動かす動機についてだけでなく(Shleifer&Vishny, 1994)、国有のままの場合と民営化する場合とでレント・シーキング活動――過剰な雇用(働き口)の創出、汚職、金銭的な利益の供与など――にそれぞれいかなる影響が及ぶか(Hart&Shleifer&Vishny, 1997)についても貴重な洞察が得られるに至っている。それに加えて、政治家が人気(票)を集めるために民営化という手段に訴える可能性について興味深い理論的な結果を得ている研究もある(例えば、Perotti, 1995; Biais&Perotti, 2002)。

ナチスによる民営化の分析を通じて、先行研究の穴を埋めるのが本稿の狙いである。そこで、まず第一に、ナチスが政権を奪取してから1937年まで [4]原注;分析の対象期間を1937年までにとどめておけば、「民営化」と「(ユダヤ人資産の)アーリア化」の混同を避けるためにも大いに役立つ。James … Continue readingの期間を対象に、ナチスによる民営化の実態について網羅的に跡付けることにする。これといった民営化の試みは1937年の終わりを迎えるまでの段階でやり尽くされているので、対象とする期間を1937年までに区切っても問題ないであろう。これまでの先行研究で一切触れられたことがない事例もいくつか取り上げる。第二に、近年になって発展を遂げた理論や概念の助けを借りてナチスによる民営化に分析を加え、ナチスは民営化という手段を通じて複数の目的を追求していた可能性を示す。とりわけ、「党・政権への支持集め」および「財政収支の改善」(歳入の増加+歳出の削減)というのが肝心な目的だったと言えそうだ。近年においてEU諸国の多くで試みられた民営化の背後にあった目的とそっくりなのだ[5] … Continue reading

本稿の構成は、以下の通りである。まずはじめに、ナチスによる民営化の実態を跡付けて、近年における民営化の事例との数量的な比較を行う。次いで、ナチスによる民営化について1930年代後半ないしは1940年代の同時代の学術的な文献の中でどんな分析が加えられているかを取り上げた後に、ナチスによる民営化が何を目的にしていたかを分析する。最後に、結論を述べて締め括る。

・・・(中略)・・・

VII. 結論

現代の研究では見過ごされがちになってしまっているが、ナチスが政権を握ったドイツでは1930年代に大規模な民営化が試みられた。あちこちの業界に跨がる(またがる)いくつもの国有企業の株式が売却されたし、それまで行政機関によって担われていた公共サービスのいくつかを提供する役目が民間部門――主に、ナチスと関わりのある組織――によって肩代わりされもした。

「ナチスが民営化に乗り出したのは、イデオロギーのゆえだった」という説明は成り立たないようだ。どうやら「政治的な思惑」が重要な役目を果たしたようだ。民営化というのは、大資本家(大企業を切り盛りしている実業家)との間に懇ろな(ねんごろな)関係を築いて、彼らからナチスの政策に対する支持を取り付けるための手段だった可能性があるのだ。政策に対してだけでなく、党(ナチス)に対する支持を強化するための手段でもあった可能性があるのだ。それに加えて、「金銭的な思惑」も肝心な役目を果たしたようだ。1934年から1937年までの間に民営化を通じて得られた収入は、国家の財政にとって決して無視できない意義を持った。国有企業の株式の売却を通じて国庫に入った収入が国家の歳入総額に占めた割合は、1.37%近くに上ったのである。さらには、ナチスと関わりのある組織に公共サービスのいくつかを提供する役目を委ねたおかげで、国家の出費(歳出)をいくらか節約することができたのである。

1930年代半ばにおけるナチスの経済政策は、当時の潮流からいくつかの面で外れていた。軍備の増強や公共事業の実施などに伴って国家の歳出が例を見ないほど膨れ上がり、そのせいで難しい財政運営を迫られることになった。異例の支出を賄う(まかなう)ために、異例の措置が講じられた。そのうちの一つが民営化だった。西洋の資本主義諸国の中でナチスだけが民営化に本格的に乗り出して、当時の潮流から外れたのである。20世紀の最後の25年を迎えるまでは、国有企業なり公共サービスを提供する役目なりを民営化するというのは、世の潮流ではなかったのだ。

(追記)ベル本人がコメント欄に再び登場している

またまたどうもです。

拙論文のためにわざわざ時間を割いてコメントしていただいて、幸甚(こうじん)に存じます。

同時代の学者らがナチスのやっていることを「民営化」と見なしていた――どう評価していたにせよ――ことを明らかにする。それが査読を受けている最中の拙論文の目的の一つです。そのためには、「二次」資料に頼るしか方法はありません。

ナチスによる民営化の実態についてできるだけ多くの情報を集めるというのが件(くだん)の拙論文の別の目的です。そのために私が利用した主たる資料は、以下です。

・『Der Deustche Volkswirt』; ライヒ(ドイツ連邦)経済省の声を代弁している週刊誌として広く知られていました。

・ライヒ信用銀行(Reichs-Kredit-Gesellschaft) が発行していた報告書;ライヒ信用銀行は国有銀行の一つで、当時のドイツ経済について最も詳細な公式の調査結果をまとめた報告書を発行していました。

ナチス・ドイツの経済に関心のある学究であれば、どちらも「一次」資料と見なすだろうと思います。生のデータが乏しいですからね。

『Der Deustche Volkswirt』を紐解いていて見つけた民営化の二つの事例は、これまでの先行研究で一切触れられていません。拙論文では、1930年代のドイツで試みられた民営化が国家にどれだけの収入をもたらしたかを推計しているわけですが――完璧とは言えないでしょうけれど――、私が知る限りでは他に誰もやっていない成果と言えると思います。

拙論文では、近年になって発展を遂げた理論なり概念なりツールなりの助けを借りて、ナチスによる民営化が何を目的にしていたかを分析していますが、この件も私が一番乗りだと思います。他に誰もやってませんからね。

結論として言いたいことは論文の中で述べていますので、ここでは繰り返しません。ただし、一つだけ言っておきたいことは、市場を統制するのは、「国有化」によっても可能だし、「規制(の強化)」によっても可能だということです。「国有化」と「規制(の強化)」とは代替的な手段なのです。ナチスは、「民営化」に乗り出した一方で「規制」を相当強化したので、依然として市場を統制することができたのです。過去20年を振り返ると、欧州諸国もまったく同じ路線を辿っています。

それでは、また。

ジェルマ・ベル


〔原文:“Nazi Privatization in the 1930s”(Economist’s View, September 12, 2006)〕

References

References
1 訳注;The Economic History Review誌の2010年2月号(Volume 63, Issue 1)に掲載
2 原注;学術的な研究というよりはエッセイ色が強い同時代の著作でも、ナチスによる民営化にコメントが加えられている。例えば、Reimann (1939) 、Heiden (1944)。
3 原注;ナチスが私企業の広範な国有化に乗り出さなかったのはなぜなのかというのは、ナチスの経済政策をめぐって絶えず問題になる問いの一つになっている(例えば、Buchheim&Scherner, 2005)。私企業の広範な国有化というのは、ナチスが掲げた公式の経済プログラムにも、ナチスが選挙で掲げた公約にも含まれていた案だったことを踏まえると、先の問いは興味深くはあるが、本稿ではこの問いに真正面からぶつかることはしない。あえて指摘しておくべきなのは、ナチスは私企業の広範な国有化には乗り出さなかったものの、やはり当時の潮流に乗っていたと言えるかもしれないことだ。1930年代の西洋の資本主義諸国においては、私企業の国有化を通じてよりも、規制なり財政政策なりを通じて政府が経済に介入する傾向が強かったからだ。Megginson (2005, pp. 10) も論じているように、大恐慌の最悪の局面が過ぎ去ると、私企業の国有化という政策は西洋の資本主義諸国において陰りを見せたのだった。
4 原注;分析の対象期間を1937年までにとどめておけば、「民営化」と「(ユダヤ人資産の)アーリア化」の混同を避けるためにも大いに役立つ。James (2001, pp. 38-51) も論じているように、1936~37年以降になると、アーリア化が加速して「国家主導のアーリア化」が進んだが、ユダヤ人が所有する企業の中でも上位の規模の企業の多くは1938年まで(非ユダヤ人に)売却されずにいた。反ユダヤ主義が頂点に達したのは、1938年11月のいわゆる「水晶の夜」だ。反ユダヤ主義の暴動が起きたのである。ナチス・ドイツは、1938年に併合したオーストリアをはじめとして占領した先々で数々のビジネス上の措置を講じたが、ナチスによって試みられた民営化の分析の対象期間を1937年までにとどめておけば、同じく両者を混同しないで済むだろう。
5 原注;指摘しておかねばならないのは、ナチスの経済政策が目指していた大まかな方向性と、1990年代後半のEU諸国が目指していたそれとは真逆だったということだ。1990年代後半のEU諸国で試みられた民営化は自由化という方向性に沿ったものだったが、ナチスによる民営化はそうじゃなかった。規制なり干渉なりを介して国家による経済統制を強化するというのがナチスが目指した大まかな方向性だったのである。
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