マーク・ソーマ 「『民営化』なる語の意外な起源」(2006年9月11日)

「民営化」という語の生みの親は、ピーター・ドラッカー(Peter Drucker)・・・ではなく、ナチス――あるいは、マキシン・イェープル・スウィージー(Maxine Yaple Sweezy)――というのが真相のようだ。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/2734403

マイケル・ペレルマン(Michael Perelman)が「民営化」(“privatization”)という語の起源について詳らか(つまびらか)にしている――ちなみに、ペレルマンと初めて出会ったのは、私がカリフォルニア州立大学チコ校で学部生として学んでいた時だから、もう何十年も前になる。ペレルマンから教えを受けたのだ――。

The Nazi Heritage of Privatization” by Michael Perelman:

自由放任(レッセ・フェール)を是とする陣営において大人気なのが「民営化」だが、Journal of Economic Perspectives誌に掲載されたばかりの論文で、「民営化」という語の起源が探られている。「民営化」という語の生みの親は、ピーター・ドラッカー(Peter Drucker)・・・ではなく、ナチスというのが真相のようだ。ナチスが「民営化」に乗り出したのは、富裕層の取り分を増やして――富裕層を利する方向に所得の分布を歪めて――、国内の消費を抑えるためだったとのこと。お金持ちほど限界消費性向(新たに得られた所得のうち消費に回す割合)が低いというのがその理屈のようだ。

「民営化」という語を学界(社会科学の世界)に初めて持ち込んだのは誰だったかと言うと、マキシン・イェープル・スウィージー(Maxine Yaple Sweezy)――著名なマルクス経済学者であるポール・スウィージー(Paul Sweezy)の細君――らしい。

「Journal of Economic Perspectives誌に掲載されたばかりの論文」というのは以下。何箇所か抜粋しておこう。

●Germá Bel (2006), ““The Coining of “Privatization” and Germany’s National Socialist Party”(Journal of Economic Perspectives, vol. 20: 3 (Summer): pp. 187-94)

pp. 187-8:「『民営化』という語の生みの親はピーター・ドラッカーというのが定説になっている。ドラッカーが1969年に『再民営化(再民間化)』(“reprivatization”) という語を編み出していて、現代の経済学者が『民営化』という語で把握しているのと同じ意味で使っているというのである。1969年に出版された『The Age of Discontinuity』(邦訳『断絶の時代』) の中で、ドラッカーは公共部門(政府)の経営能力にネガティブな評価を下している。「政府というのは、お粗末な経営者である。・・・(略) ・・・政府というのは、『官僚的』でしかあり得ないのだ」(pp. 229)。政府の働きぶりを分析した末に、ドラッカーは「過去50年の経験から得られる主たる教訓 」を導き出している。すなわち、「政府は、実行者(doer)の任にあらず」(pp. 233) 。それゆえ、「実施、操業、執行といった『実行』の任を政府とは別の機関(社会における政府以外の組織)に委ねる体系的な政策、『再民営化』とでも呼べる政策」(pp. 234)を採用すべきだとドラッカーは提案している。ドラッカーが『“再”民営化』という言い回しを選んだのはなぜかというと、もともとは民間部門が担っていた事業を――19世紀の終盤になって国有化ないしは公有化によって民間部門から公共部門へと移譲され出したあれやこれやの事業を――実行する責務を民間部門に再び譲り渡すべしというのが彼なりの提案の内容だったからである」。

pp. 189-90:「1930年代後半および1940年代初頭の段階で、国家社会主義党(ナチス)が政権を握ったドイツの経済政策に分析を加えている著作がいくつか公にされた。その中でも代表的なのが、1941年に出版されたマキシン・イェープル・スウィージーの 『The Structure of the Nazi Economy』(『ナチス経済の構造』)である。スウィージーによると、ドイツの実業家たちは、ヒトラーが権力を握るのを助けただけでなく、ヒトラーが繰り出す経済政策にも支持を寄せたという。「実業界から寄せられた支持(支援)への見返りとして、ナチスはすぐさま友情の証を示した。いくつかの独占企業ないしは国家によって支配・統制される私的資本主義(私企業主体の資本主義)への復帰に乗り出したのである」(pp. 27)。その一環として、「政府が担っていた事業の権利を民間の手に譲り渡す」大規模なプログラムが試みられた(pp. 28)。スウィージーによると、そのプログラムの主たる目的の一つは、国内の貯蓄を促すことにあったという。戦争に備えるために、国内の消費を抑えつける必要があったというのである。国内の貯蓄を高い水準に保つためには、所得の格差を生む(富裕層を富ませる)必要があると考えられていた。スウィージーによると、そのためにまさしく採用されたのが「『再民営化』(“reprivatization”)という手段だった。・・・(略)・・・政府が担っていた事業を民間の手に譲り渡すことの意義が奈辺にあったかというと、資本家階級が所得をひたすら溜め込む装置として機能し続けるのを支えることにあったのだ。それに加えて、儲けられる機会を作り出して、政府が握っていた財産(権利)を民間の手に戻したおかげで、ナチスが党として権力を固めるのにも役立ったのである」(pp. 28)。スウィージーは、政府が担っていた事業の権利が民間の手に譲り渡された具体的な例を挙げているが、その中で『再民営化』という語を再び使っている。 「合同製鋼のケース〔政府が保有する株式の大量売却〕は、再民営化の顕著な例である」(pp. 30)。英語圏における学術的な文献――少なくとも、社会科学の文献――で『再民営化』という語が初めて登場したのは、おそらくここ(スウィージーの『ナチス経済の構造』)においてだろう」。

pp. 192-3:「『民営化は、エリート層(ビジネスエリート、政治エリート)を富ませるだけだ。エリート層の地位を固めるだけだ。消費者や納税者のためになんかなりはしないのだ』というのが、民営化に対して真っ先に寄せられる昨今の反論である。本稿でこれまでに跡付けてきた史実は、歴史の皮肉をまざまざと物語っている。というのも、民営化に対して寄せられる昨今の反論は、1930年代のドイツで民営化を是とした論と驚くほどそっくりだからだ。スウィージーやマーリン(Sidney Merlin)が明確に指摘しているように、1930年代のドイツで試みられた民営化の狙いは、富裕層を利することにあった。エリート層の経済的な立場を強化して、エリート層からナチスへの支持を集めることが狙いだったのだ。言うまでもないが、歴史的なつながりが見出せるからといって、民営化はいつだって健全な(結構な)政策というわけでもなければ、いつだって不健全な(不味い)政策というわけでもない。何か言えるとしたら、民営化の効果は、その時々の政治的・社会的・経済的な状況によって大いに左右される可能性があるということくらいだ。1930年代にドイツで試みられた民営化と、1950年代に踏み切られたフォルクスワーゲンの民営化とを一緒くたにすることはできない。どちらのケースにしても、1980年代にイギリスで試みられた民営化とも、1990年代にロシアで試みられた民営化とも、過去20年の間にラテンアメリカのあちこちの国で試みられた民営化とも、置かれた状況が違っているのだ」。

(追記)

本ブログのコメント欄に「つまりは、保守派はナチスの仲間って言いたいんでしょうか?」との意見が寄せられている。

ええっと、答えはノーだ。ペレルマンが言及している論文を紹介したかっただけで、それ以外に何かを仄(ほの)めかそうとしたつもりは一切ない。ペレルマンが言及している論文を掲載する判断を下した(Journal of Economic Perspectives誌の)編集陣と同じように、「民営化」という語の由来を興味深く思っただけに過ぎないのだ。

ところで、ナチスによる民営化は、格差をめぐってバチバチに繰り広げられている昨今の論争とも関わりがある。公共政策は所得や富の分配に影響を及ぼせるかどうかというのがそれだが、ナチスによる民営化は、公共政策を用いて狙った方向へと格差を拡大させようと意図したあまりに明らかな試みの一つなのだ。

ジェーン・ガルト(Jane Galt)が勘(かん)ぐっているところによると、「ほれ! ナチスは民営化が好きだったらしいよ。ってことは、民営化は悪ってことだ!」というのが私の言いたかったことらしいが(「」内の発言は、ガルトが拵えた架空の人物の発言で、ガルトはそれに反論を加えている)、そんなつもりはさらさらない。ペレルマンが言及している論文でも指摘されているように、民営化というのはケースごとに違いがあって、明確な結論なんて下せないのだ。「民営化の効果は、その時々の政治的・社会的・経済的な状況によって大いに左右される可能性がある」のだ。政治的・社会的・経済的な制度次第では、民営化が「善」(良い結果)をもたらす可能性だって考えられるのだ。ちょっと前に、短期の資金を融通し合う市場への政府介入に異を唱えたばかりだが、あそこでもこの発想(政治的・社会的・経済的な制度次第では、民営化が「善」をもたらす可能性がある)が踏まえられているのだ。


〔原文:“The Origins of the Term “Privatization””(Economist’s View, September 11, 2006)

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