クラウディア・ゴールディンはいかにしていろんな糸をひとつに紡ぎ合わせたか
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2023年のノーベル経済学賞は,クラウディア・ゴールディンにおくられた.労働市場で女性に生じた変化に関する研究が受賞理由だ.彼女が受賞してすごくびっくり,ということはない.経済学者たちのあいだでは,ゴールディンは実証経済学で進んだ「信頼性革命」(“credibility revolution”) の主要な先駆者の一人と広く認められているからだ.
ノーベル経済学賞(お好みなら「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」と呼んでもいい)についてぜひ理解しておいた方がいいのは,これが典型的に研究手法の賞だってことだ.化学や医学みたいに特定の発見を称えるのではなく,ノーベル経済学賞では,いろんな発見をするための新しい方法を開発した研究者たちが称えられる.近年は,純粋な理論ではなく実証分析に主な関心をしぼった研究者たちがますますこれを受賞するようになっている.
この大半は,経済学っていう分野全体の方向を反映したものだ.過去30年で,経済学は明確に実証的な方向へと転換してきた.70年代から80年代に主流だった理論偏重の研究から大きく変わっている.この転換で大きな部分を占めているのが,「信頼性革命」ってやつだ――ややこしい理論にデータを合わせようとするかわりに自然実験を活用して単純な仮説を検証する方向に変えていく運動だ.つまり,経済学はますます科学的になってきている.しかも,これによって科学全体ができることを拡大するかたちになっている.というのも,実験室で処置群と統制群を比較するわけにいかない物事について科学をやる新しい方法をあれこれと見つけ出していってるからだ.これは最高にすばらしい.
ともあれ,2021年にノーベル経済学賞を受賞したカードとアングリストとインベンスの3人は,信頼性革命の先駆者たちだった.同様に受賞する候補として,ゴールディンは当然の選択だった.彼女が発表した主要な論文は多数ある.そのひとつは,ローレンス・カッツとの共著による2002年の有名な論文だ.これは,避妊テクノロジーが女性のキャリアにおよぼす影響に関する研究だった.
その仕組みを理解するために,同論文をみてみよう.題名は,「ピルの力:経口避妊薬と女性のキャリアおよび婚姻意思決定」だ.一般に,(A) 避妊手段の利用が増加していて,(B) 教育を受け結婚を遅らせる女性が増えているとき,この2つが相関しているとき,いったい因果関係がどっち向きにはたらいているのか,疑問が浮かぶ.「もしかすると,フェミニスト的な文化的価値観ゆえに避妊手段を女性たちが利用し始めて,同じ理由から教育を受け結婚を後回しにし始めたのかも?」「いや,教育を受けることで女性は避妊手段を利用したいと思うようになったのかも?」 新たなテクノロジーを利用し始めたから社会に変化が起きたのか,その逆なのか,どうしたらわかる?
ゴールディンとカッツは,因果関係がどっち向きにはたらいているのかを突き止める方法を考案した.避妊薬が開発されたあと,これを入手する難易度は州ごとの法律によってちがっていた.ゴールディンとカッツはこれに着目した.これによって,避妊薬という新テクノロジーが決定的に重要だということを経済学者たちは明らかにできた.ぼくはよく冗談で自分のことを「テクノロジー決定論者」と称してるんだけど,その理由はまさにこういうことが起こるからだ.もちろん,社会運動や文化的要因が重要だってことは認識してる.ただ,ぼくらの社会ではなにかにつけて文化や変革運動によって変化が起きたと言われがちで,そういう文化や運動が達成できることの範囲はテクノロジーによって設定されることが無視されやすい.避妊薬に関するゴールディンとカッツの論文は,テクノロジーの発明が発揮する必須の力をあらためて思い出させてくれる.
ともあれ,ゴールディンのノーベル経済学賞に話をもどそう.今回の授賞が,純粋に2021年の続きだと思ったらまちがいだ.なぜって,ゴールディンはたんに自然実験の分析をやっただけにとどまらず,他に多くのことを成し遂げたからだ.彼女の本当の強みは,多岐にわたる理論と事実を総合して,重大な現象について首尾一貫した物語をつくりだすところにある――その物語とは,職場における女性の役割の変化だ.
いかにもバラバラな糸をゴールディンがどんな風に紡ぎ合わせたのかあらましを知りたければ,アリス・エヴァンズによるこの記事がおすすめだ.また,Danielle Kurtzlebe によるゴールディンのインタビューもおすすめしたい.タイラー・コーエンが自分のポッドキャストでやったインタビューも聞いてみるといい.
ここでとびきり際立つのが,ゴールディンがとった手法がいかに広範で折衷的かって点だ.女性の労働者たちは合理的な意思決定主体で市場の需要に反応して動いているという理論を彼女は考えた.でも,それと同時に,文化的規範や政治事情やいろんな考えの普及も考慮してる.ゴールディンは,自然実験も調査研究も経済史も活用している.まるっきり新しいデータセットをつくりだし,19世紀にまでさかのぼる女性の雇用のいろんな傾向を明るみに出した.これによって,女性は近年になって仕事に就くようになったのではなくて,いったん仕事に就かなくなった時代を挟んで,また仕事に就くようになったことを,ゴールディンは突き止めることができた.ノーベル経済学賞の人たちがつくったインフォグラフィックを見るとわかりやすい:
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