ノア・スミス「現金給付は貧しい人たちの問題をなにもかも解決するわけじゃない」(2025年9月4日)

もう何年も,ぼくは福祉国家の「とにかくみんなにお金あげろ」説を大きく掲げてきた.このアイディアを支持する記事もたくさん書いてる.この説を支持する理由は次のとおり:

  • 現金給付の方が他の種類の給付よりもずっと管理・実施しやすい.
  • 無条件の現金給付は労働市場に大して打撃を与えないのを見出している経済研究はたくさんある――つまり,小切手でお金をもらうようになってもたいていの人たちは働くのをやめたりしないんだよ.また,多くの保守派が恐れているのとちがって,薬物やアルコールに浪費しがちなわけではないのも見出されている.
  • 無条件現金給付なら,他の福祉プログラムの穴から落ちてしまう多くの人たちにも届けられる――たとえば,なんの所得も稼げない人たち(なので勤労所得税額控除を得られない人たち)や,子供のいない人たち(なので児童控除を得られない人たち)も,無条件現金給付なら受けとれる.
  • 1990年代後半,アメリカは伝統的な福祉プログラムの大半を廃止した (扶養児童補助/貧困家庭一時扶助).かわりに始めたのが,現金タイプのプログラムだ (勤労所得税額控除と 児童税額控除).この実験はとてもうまくいった

ところが,近年,こういう現金給付革命に入れあげるぼくの熱狂を落ち着かせる新研究が出てきている.まず,ぼくの期待に反して,デンバーで実施されたベーシックインカムは,ホームレスを減らせなかった.次に,テキサスとイリノイでいっそう大規模なベーシックインカム実験が実施されたところ,たった月額 1000ドルの給付で人々の 2% が働くのをやめてしまった.大規模な無作為対照実験をやったこの研究は,もっと楽観的な結果を出している他のいろんな研究よりもずっと信頼できるだけに,懸念も大きい.(もちろん,そうはいってもたった一つの研究ではある.ひとつひとつの論文だけを見れば信頼性で劣っているとしても,ほとんど影響が出ていないのを示す論文はずっと多い.)

その一方で,そういう研究の多くでは,現金給付は,お金をもらった人たちの生活の質を大して改善させていないことが見出されていっている.貧困を緩和するうえで是非とも改善すべきとみんなが考えている様々なことは計測できる.たとえば健康・教育・雇用・住宅などは数値にできる.そして,残念なことに,こういう最近の研究では,現金給付はそういう指標をあまり改善させていないことが示されている.ケルシー・パイパーが The Argument に寄稿した文章では,この証拠の一部がまとめられている.大事なところをいくつか抜粋しよう:

Baby’s First Years プロジェクトを実施しているチームは(…)対照群には月額 20 ドルを,実験群には月額 333ドルを渡した.プロジェクトでは,低所得の母親たちを募集した.(…)実験群の方が受け取り額が大きく,(予想されるとおり)彼女たちは労働時間を少し減らした(とはいえ,幼い赤ちゃんを抱えている母親たちが少し労働時間を減らすのはおそらくいいことだろう).また,彼女たちは我が子のための支出もわずかに増やした

ところが,他には大した変化はなかった.現金給付をしても,母親の健康状態や子供の健康状態は改善されなかった.ストレス・抑鬱・BMI(体格指数)・子供が病気にかかる頻度や全体的な健康に,なんら効果は生じなかった.現金給付をしても,母親が自己申告する人間関係の質は向上せず,また,心理的な苦しみの指標も改善しなかった.子供の発達にも効果は見られなかった(…) 

カリフォルニア州コンプトンで実施された無作為化対照実験では,2年間にわたって月額 500ドルが給付された.この研究では,「労働供給・資産・心理的な幸福感・金銭面の安定・食料不安に,給付は有意な効果をもたらさなかった.」 この研究で見出された最大の効果は,他の収入源に対するものだった.給付を受け取った人々は,対照群に比べて働く時間を減らしたり,賃金が下がったりしていた.彼らの給付以外の所得は,平均で月 333ドル減少した.

OpenResearch による無条件所得の研究では,月額 1,000ドルの給付を3年間続ける試みがなされた.対照群には月額 50ドルがわたされている.この研究では,参加者が労働を減らしている――ところが,他はなにも改善しなかった.健康も,睡眠も,雇用も,教育も改善しなかったし,さらには,我が子と過ごす時間も増えなかった.研究開始後にはストレスの減少が見られたものの,それもすぐに消え去った.(…)

直接の現金給付を受けても人々の暮らし向きがよくなっていないのは,驚きの結果だ――Baby’s First Years とコンプトンの実験はどちらも比較的に少額だったのに対して,OpenResearch の給付額はもっと大きかった〔にも関わらず改善が見られなかった〕.

これはどれもものすごくがっかりな結果だ.うまく設計された現実世界での実験で,現金給付を受けた人たちは市場での生産〔労働〕を減らす一方で,彼らの生活は大してよくなっていない.パイパーが後段で解説しているように,その理由はまだ誰も解き明かしていない.給付を受けた人たちは,そのお金で薬物を買っているわけでもないし,賭け事に興じているわけでもない.少しだけ労働を減らしつつ,給付金の大半は必要なものに支出しているだけだ.これは,いかにも貧しい人たちらしい暮らしぶりから変化がない.

現金給付を支持している著名な社会主義者のマット・ブルーニグは,パイパーの文章を反駁しようと試みているけれど,いつもの彼らしい質には達していない.もっと楽観的な結果を示しているフィンランドの研究を指摘している他には,パイパーが提示した証拠を反駁できてはいない.ブルーニグはアメリカの社会保障の歴史的な重要度と北欧諸国の成功について語っているけれど,そういう主張は的はずれだ.「今日のアメリカで,追加の現金給付でなにが達成できるのか」という問いに答えていないからね.

もっと妥当な反論をするなら,これがある(ブルーニグも触れているけれど,もっとハッキリと言えたはずだ)――「貧しい人たちの手元にお金が増えるのは,単純にそれ自体がいいことだ.その人たちの子供の健康が改善するかどうか,よりよい教育を受けるかどうか,申告される抑鬱が減少するかどうかは,これに関係ない.賄える食料が増えたり,交通機関をもっと利用できるようになったり,住むところをもっと確保できたりすれば,より健康的なライフスタイルを送るようにならなくても,生活は向上する.」

ぼくがなおも現金給付を支持する理由は,これだ.(ただ,〔現金給付で生じる〕就業抑制に関する近年の研究結果を見ると,ぼくも思案する.なぜって,再分配すべきモノはそもそも経済で生産される必要があるからだ.)

ただ,近年の証拠は,もっと深い真理を指し示しているとぼくは思う.「低所得のせいで生じているとぼくらが思っているいろんな社会的病理の多くは――薬物濫用・健康不良・家庭崩壊・暴力などなどは――もしかすると,テレビやソファや車やスマホをもっと多くの人たちに与えたところで解決不可能なのかもしれない.」 物質的なモノは重要だけれど,それがすべてじゃない.貧しい人たちがもっと幸せな暮らしを送るのを助ける追加の方法をぼくらは模索すべきだ.


[Noah Smith, “Cash won’t solve all of poor people’s problems,” Noahpinion, September 4, 2025]

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