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LLM テクノロジーの普及を阻止しようとしても無駄だけれど,輸出規制はまだ機能しうる.
先日 DeepSeek っていう中国企業がリリースした一連の大規模言語モデルの性能は,OpenAI や Anthropic といったアメリカ企業のモデルとほぼ互角なうえに,かかるコストがずっと少ないときていた.メディアやテック系界隈の多くでは,これが画期的な出来事として話題になっている――かつての宇宙開発競争における「スプートニック・ショック」と同じことが,米中の AI 競争におきた瞬間だ,というわけだ.
3週間前のロサンゼルス山火事と同じく,DeepSeek の件でも,手に汗いっぱいで心配する声や,声高な意見の開陳やとんでもない誤解などの大袈裟な反応がソーシャルメディアで爆発的に広まった.なかには,いますぐにもアメリカの株式市場が崩壊するぞと息も絶え絶えに宣言する人たちすら現れた:
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現実には,ナスダックは年初から 25% ほど上がっているし,2週間前よりも高い水準にある:
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たしかに,Nvidia の株式は DeepSeek の一件で打撃を受けた.Nvidia の売り物は GPU で,AI モデルの訓練に使われている.DeepSeek の一件で,もっと少ない GPU を使って AI モデルを訓練できるのが明らかになった.そのため,多くの投資家たちはこう予測したわけだ――「今後は,Nvidia のチップの需要が減りそうだな.」 Nvidia は世界屈指の価値ある企業だから,ドルで見ると,その株価の顕著な低下は大きく見える.ただ,Nvidia の株価が下がったと言っても昨年10月の水準に戻ったにすぎない.この記事を執筆している時点で,過去1年間に Nvidia 株は 90% 以上も伸びてるんだよ:
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というか,すでに多くの人が指摘しているように,LLM をつくりだすもっと効率のいい方法ができると Nvidia チップの需要が 増える 単純な理由がある.なにかが安くなると,人々はそれをもっとたくさん買いはじめる.だから,LLM がもっと安上がりにつくれるようになったら,人々は LLM をもっと借りてより多くのタスクをやらせるようになる.そうなると,もっとチップを購入する必要が生じる――とくに,より新しいモデルほど,推論に(一つ一つの質問の答えについて「考える」のに)たくさんの計算をするのだから,いっそうチップ購入の必要は増す.[n.1]
Nvidia 製チップの需要が増えるか減るかは,効率向上が,それにともなう LLM 需要の増加を上回るかどうかに左右される.これまで繰り返されてきた効率向上は――ものすごく向上してきたにもかかわらず―― Nvidia の価値を大してそこなっていないように見える.
他にも,こんなことを宣言する人たちもいる――「DeepSeek は世界経済にとんでもない力を与えるぞ.」 とあるトップマクロ経済学者は,中国製 LLM のリリースの重要性は,電気の発明や内燃機関の発明をも上回ると宣言した:
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オリヴィエ・ブランシャール:
DeepSeek と昨日の出来事:おそらく,世界市場で最大の TFP ショックだろう〔※TFP: 全要素生産性〕
もちろん,この発言が誤りだと証明するのは不可能だ.ただ,ものすごくありそうにない話に思える.DeepSeek モデルの性能は,他のモデル(中国製の他の LLM も含む)とだいたい同程度からだ.「DeepSeek は革命的だ」という考えの根っこには,「同じことをずっと安上がりにできる」という事実がある.ただ,同社はなにがしか実体のある技術革新をしたらしく思えるものの,Anthropic の CEO ダリオ・アモディによれば,DeepSeek のコスト低下は,これまでのコスト低下の延長線上にだいたい乗っている.LLM の分野は,とにかくコストがすごく急速に下がっている――「DeepSeek はこれまでのトレンドと段違いの唯一無二な構造的転換となっていて,火や車輪の発明になぞらえるべきだ」と考えるべき理由はない.
最後に,米中の競争についてもほんとにたくさんの意見が語られている.おそらく,DeepSeek はこれにいくらか関連するものの,いかにも終末論めいた論調は,事態を誇張しすぎている.「中国の DeepSeek でアメリカの AI は撃沈されてしまうのか?」みたいなタイトルの記事がどんどん出てきてるし,とある著名 AI 評論家は,「Facebook が AI をオープンソースにすることでアメリカを売り渡してしまったんだ」と宣言している:
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ゲアリー・マーカス
Meta はたんに無知に見えるばかりか,アメリカを売り渡してしまったように見える.
これはちょっとばかりバカげている [n.2].DeepSeek そのものもオープンソースだ.もしも Facebook が AI におけるアメリカの「優位」をそこなっているのだとしても,それなら DeepSeek は中国をそこなっていることになる.それよりも理にかなった結論を下すなら,こういうものになるはずだ.「実は,そこなうほどの国家的な優位はアメリカにない――この種のモデルを〔アメリカ企業の〕専有物にしようとしても,他のいろんなテクノロジー分野ほど有用でも実行可能でもない.この点は,のちほど論じよう.
こういう大袈裟に誇張した取り方がされつつも,他方で,DeepSeek について真面目な論争や考察もたくさんなされている.たとえば,「DeepSeek がここで成し遂げた主要な技術革新はなんなのだろう?」とか,「DeepSeek のモデル訓練に使われているチップはどれだろう?」とか,「その訓練は実際のところどれくらいコストがかかるんだろう?」とか,「DeepSeek はアメリカの輸出規制を回避したんだろうか,もしそうならどうやったんだろう?」といった問いが論じられている.かくいうぼくは AI の専門家ではないので,こういう興味深い論争を評価するだけの資格を欠いている.
ただ,こういう難しい問いに答えないままでも,冷静で合理的な外野の観察者が学べるとても自明な教訓はあると思う.どこの馬の骨とも知れない中国企業が最先端レベルのオープンソース LLM をつくりだせたという一事が,それを教えてくれる.ぼくの考えでは,さしあたっての要点は,次のとおりだ:
- LLM には「モート(堀)」があんまりない――誰がどんな手を打とうと,このタイプのとても優秀な AI を多くの人たちが作れるようになる.
- 「アメリカはこの分野の進歩を遅滞させることで「AI安全性」を法制化できる」という発想は,もはや破綻している.
- アルゴリズムの秘密やモデルのウェイトといった LLM をつくりあげる無形の要素を中国に渡さないことで中国と競争しようとしても,うまくいかない.
- 輸出規制は実際に効果がある.ただ,中国は,今回の DeepSeek の大評判を利用して,輸出規制を撤廃する口実をトランプに与えようとするだろう.
LLM には大して「堀(モート)」がない
LLM のステキなところをひとつ挙げるなら,そのテクノロジーの動作を自分で確かめられるところだ.ウェブサイトから DeepSeek をダウンロードして,いくつか質問を投げてやり,Claude なり ChatGPT なりと比較してみればいい.必ずしも推奨はしないけどね.DeepSeek は中国政府にデータを送るので.ただ,すでに大勢の AI 界隈の人たちがすごく厳格に DeepSeek を検証していて,OpenAI や Anthropic といった企業の最上位モデルと互角か,少なくともほぼ互角に近いと結論を下している.たとえば,DeepSeek の R1 モデル(一つ一つの答えを生成するのに大量の計算力を使う「高度推論」モデル)の品質は現行のトップクラスにあって,速度はやや遅いものの,相対的に安価だ:
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そのコストや使用チップについて DeepSeek が嘘をついていようといまいと,事実として彼らはこのモデルをつくり,現に動作してる.DeepSeek は,ものすごく資金潤沢な中国政府の秘密研究所でもなければ国家支援企業でもない――とあるヘッジファンドのスピンオフだ.だからといって,トップクラスの LLM がかんたんにつくれるというわけじゃない――週末に子供がガレージでプログラムを組んでできあがるようなシロモノとはちがう.かといって,明らかに,世界最高の AI 人材と数百億ドルもの資本をもつ国家支援企業でなければつくれないタイプのテクノロジーでもない.
たぶん,これはすでに学んでおいてしかるべきだった教訓だ.なんといっても,OpenAI や Anthropic だけでなく Meta や Google まで,多くのアメリカ企業が,互いに同程度の能力をもつ LLM を開発できている.とはいえ,そうしたアメリカ企業は,莫大な投資を得ていたり有名な創設者がいたり時価総額が1兆ドルに達していたりする名だたる企業ばかりだ.中国のヘッジファンドが,これだけの実績を再現できたという一事から,やろうと思えばもっと多くの人たちが最先端の LLM をつくれることがわかる.〔クオンツヘッジファンドの〕Renaissance Technologies や Jane Street だって,その気になればほぼ確実につくれるはずだ.
ビジネス用語で「堀(モート)」といえば,競合他社を寄せ付けないようにする参入障壁を指す.たとえば,新たな Instagram をつくりたくても,そうはいかない.誰も彼もがすでに Instagram を利用中だからだ――この場合,Instagram の堀はネットワーク効果だ.また,新たな ASML をつくろうと思っても,そうはいかない.最先端の半導体製造装置の製造はものすごく難しいからだ――この場合,ASML の堀は同社の独自技術だ.だからこそ,Meta や ASML という企業にはすごい価値がある――たんに自社の手がけている事業に優れているだけでなく,ヨソがそうそう模倣できなくしておく力をもっているんだ.
「じゃあ,LLM 開発ビジネスの堀って,なんなの?」 明らかに,人材じゃないね.ヘッジファンドのクオンツたちは数学にすごく秀でている(率直に言って,AI 研究者たちより優れていることも多い).しかも,そんな人たちが大勢いる.研究論文やオープンソース・モデルの文書を読んで基礎を学んで,その数学をあれこれといじり回したりして,標準的なやり方の改善を試みることも,彼らにはできる.DeepSeek の一件が示しているのは,賢い数学者たちのチームにとって,あれこれと試行錯誤してみるだけで最先端の技術を改善するのはそんなに困難ではないということだ.たとえ,あらゆる点で競合を圧倒する結果にはならないまでも,そのレベルには到達できることが明らかになった.
それに加えて,アメリカが AI 人材を自国で大量に抱え込む見込みはそんなに大きくないように思える.中国は,AI 研究者の世界シェアを急速に拡大しつつある:
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それに,そうした人材は,アメリカではなく中国国内で働くようになってきている――あるいは,海外から中国に戻って行っている:
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また,データも大した堀にはならないようだ.なんといっても,LLM にとって主なデータ源であるインターネットは公開されている.たしかに,一部には独占されているデータもあるけれど,LLM の API を利用してそういうデータをつかみ取ってくるのはそれほど難しくないようだ:
マイクロソフトのセキュリティ研究者たちが昨年の秋に観察したところでは,DeepSeek に関連しているかもしれない個人ユーザーたちが,OpenAI の API を使用して大量のデータを抽出したという.(…)そうした活動は,OpenAI の利用規約に違反しているか,あるいは,取得できるデータ量にOpenAI がかけている制限を回避しているおそれがある.
こういうデータ抽出は,「蒸留」という手法でなされると考えられている――ようするに,一方の LLM を動かして別の LLM にあれこれと質問をさせて,自分の訓練を行わせるやり方だ.DeepSeek は GPT にどんどん質問をさせていって,まさしく GPT がやるとおりに質問に答える方法を学習させたのかもしれない.もちろん,これは GPT の利用規約に反している.ただ,利用規約というやつは,ほぼどんな種類の競争活動に対しても脆弱な障壁にしかならない.とくに,海外からの競争活動には弱い.それに,こういうデータ不正取得を防ぐ障壁を企業がなんとか築けたとしても,十分な資金力のある企業なら優れたデータセットを自前で用意できてしまう――LLM の価値がますます高まっていけば,AI 企業はいっそう資金潤沢になっていくはずだ.
アルゴリズムそのものも,テクノロジーの堀としては大した役に立ちそうにない.どこの AI 企業だろうと,ヨソのアルゴリズムをそっくり模倣するのは不可能だ――その多くは,細々とした調整や,回避策や,その場しのぎの処置によってちがっている.そして,そうした細部は,大勢いる生身の従業員たちの集団としての記憶にしか存在しない.ただ,DeepSeek の一件からわかるのは,次の点だ(他社の最先端モデルからすでにわかっていたはずでもあるけど).「優れた人材のいる企業なら,自社ならではのいろんな微調整や回避策や応急処置を,ほどほどの時間と費用で考えつける.」
その理由は,おそらく次の点にある――全体的に LLM の発展はあまりに急速なので,パフォーマンスを向上させるいろんな方法がまだまだたくさん未発見で,新チームが新しい解決法をまるまる一揃い発見できてしまう.おそらく,LLM をすぐれものにするちょっぴりいままでとちがう方法を発明する方が,EUVリソグラフィ装置や最先端ジェットエンジンの再開発よりも,ずっとかんたんだ.LLM は,まだまだ「百花斉放」段階にある.[n.3]
註記:これから数週間か数ヶ月のちには,きっと DeepSeek は中国政府からいまよりずっとたくさんの支援を受けるようになっているとぼくは確信している.そう考えるのには,自明な理由がある.DeepSeek のモデルは政権に従順な検閲を行っていて,ほぼ完璧にこれを厳格に実施しているように見える.これには,同社と政府との緊密な連携が必要なはずだ.DeepSeek が検閲に協力しているのだとしたら,おそらく,他のことでも政府に協力しているだろう.ただ,この点は,「LLM 企業は大した堀をめぐらせない」という主張をさらに強めるばかりだ――もしも中国政府がそのへんのヘッジファンドに世界クラスの LLM 構築支援を提供する意欲と能力があるのだとしたら,他の企業にも同様の支援を行う意欲と能力があるはずだからだ.
ともあれ,多くのアメリカ企業はこう望んでいるようだ.「実効のある輸出規制がなされていれば,ハードウェアが中国のライバル勢に対する堀として機能するだろう.十分な数量の GPU にアクセスできることが,中国勢を引き離しておく障害になるはずだ.」 あとで少し論じるように,これがまだまだ機能する可能性はある.ただ,ハードウェアは,アメリカ国内の他の AI 企業に対する堀にはなるわけがない.国内他社はどこだって Nvidia の GPU を好きに買える.そして,DeepSeek の一件からわかるように,新興企業が競争に参入してトップ集団にすぐさま肉薄するのは,実に容易だ.
つまり,LLM 開発というビジネスは,えげつないほど競争が激しくなりそうだってことだ.この分野では,技術的優位は束の間で,新規参入者たちがゴロゴロいて,巨額の設備投資も,ときに一夜にしてゴミ資産になったりする.つまり,従来のソフトウェア・ビジネスよりも太陽光発電ビジネスに近いのかもしれない――資本集約的で,おおよそ他社との差別化がなくて利益率が低いコモディティ製品の業界なのかもしれない.
実は,DeepSeek の一件のずっと前から,市場はこのことを認識していたのかもしれない.今回の中国の AI 大ネタがあっても,Microsoft, Google, Meta の株価はほとんど影響を受けていない.このことから,LLM ビジネスの競争構造に関する教訓はとっくに株価に織り込み済みだったことがうかがえる.それに,DeepSeek みずからも,これをわかっている可能性がある.だからこそ,そのモデルを自社独占ではなくオープンソースにすることを選んだのかもしれない.
というわけで,LLM を手がける各社が,競争を抑え込んで大きな利益率を叩きだそうというなら,LLM 本体だけでなくそれを活用するアプリを開発するとか,LLM を企業が利用するのを手助けするサービスを提供するといったかたちでやらないといけないのかもしれない.
AI安全性の「遅滞」アプローチは破綻するしかない
DeepSeek 一件から得られる第二の大きな教訓はこれだ――バイデン政権が「AI安全性」にとったアプローチも,拒否権を発動されたカリフォルニア州の法案でとられたアプローチも,決してうまくいかない.
二年ちょっと前に,ジョー・バイデンは AI 安全性に関する大統領令を出した.その土台には,報告義務を課そうという発想があった.つまり,最先端の AI モデルを構築している各社は,自社モデルが安全だと確かめるさまざまなテストを実施して,その結果を政府に報告しなくてはいけないという義務を課そう,という発想だ.去年,スコット・ウィーナーとカリフォルニア州議会の民主党議員たちは,法的責任の考えにもとづいて AI 安全性法案を可決した――もしも AI が大きな災害を引き起こしたと判断されたならその企業が責任を負うという法案だ.
どちらの施策も,いまや破綻している――バイデンの大統領令はトランプが取り消したし,ウィーナーの法案はギャビン・ニューサムに拒否権を発動された.ただ,これらは戦術的な政治的敗北でしかなくて,いずれまた逆方向にひっくり返るかもしれない.DeepSeek の公開は,もっと深刻な問題を示している――この取り組みが最初からまるごと失敗する定めだった,という問題だ.
なぜかって,もちろん,アメリカの AI 安全性の法律なんて,中国は知ったこっちゃないからだ.それに,中国がこういう法律を模倣する見込みは薄い.報告義務や法的責任は,どちらもLLM 企業に追加コストを課すことで LLM の進歩を遅滞させる.なかでも,法的責任の遅滞効果はより大きい.「慎重にゆっくりとこのテクノロジーを開発しましょうね」というのが,その発想だ.
でも,そうやってアメリカ政府が遅滞させられるのは,アメリカ発のモデルだけだ.アメリカが LLM を遅滞させたところで,中国とその AI 企業は,嬉々としてその遅滞につけ込んで,技術的なリードを奪うだろう.バイデン/ウィーナー式のAI 安全性アプローチでは,暗黙に,「アメリカだけが最先端 AI を有する世界」を想定している.そんな世界ではなくなった今,このアプローチはテクノロジーの運命を中国共産党に譲り渡す方法にしかならない.
だからと言って,AI安全性という発想がまるごと無効というわけではない.ただ,今後の取り組みでは,中国を等閑視しつつアメリカの AI 開発を遅滞させることに傾注するわけにはいかなくなった.それに代わる新しいアプローチでは,政府の資金で AI を監視して倫理的な手綱をとったり,人間のニーズに AI を合わせる技法の研究を政府の資金で進めたりといったことをやるといいかもしれない.
中国に LLM を使わせないように仕組んで競争しようとしてもうまくはいかない
「LLM 競争で中国の先を走り続けるにはどうしたらいいんだろう」と多くの人たちが考えている.LLM の軍事的な有用性が実際にどれくらいになるのかは,いまはまったく不明だ.ただ,「やはり軍事的に有用だった」という結果になるかもしれない.だとしたら,アメリカの技術的な優位を維持しようと尽力するのは,理にかなっている.
ただ,そうするにしても,ひとつのアプローチは失敗するのは必定に思える――中国に先進的な LLM をつくりだせないようにしようというやり方は,必ず失敗する.このアプローチを主張した代表格といえば,レオポルド・アッシェンブレナーが昨年書いた「状況認識」という長文記事だ.この記事は,広く読まれた.アッシェンブレナーによれば,LLM は決定的な軍事的優位をもたらすので,中国人の手に渡るのを許してはいけないという:
超知性 (superintelligence) こそが,人類史上もっとも強力なテクノロジーとなるだろう――そして,もっとも強力な兵器ともなるはずだ.(…)権威主義体制は超知性を世界征服に利用できるし,国内の完全な統制にも利用できる.(…)ひとたび中国共産党が汎用人工知能 (AGI) に目覚めれば,(アメリカの AI 研究所のセキュリティを劇的に改善しないかぎり)競争力をもつにいたるのは明らかだ.(…)
超知性の技術で1年分,2年分,あるいは3年分のリードが開けば,決定的な軍事的優位につながりかねない――ちょうど,湾岸戦争でアメリカの連合が対イラクで有していたような優位が生じる恐れがある.(…)そして,中国がこの超知性をめぐるゲームでたどっているかなりはっきりした筋道がある.それは,アメリカを超知性の開発で追い越し,アルゴリズムを盗むという筋道だ.(…)各地の研究所のセキュリティをすぐにでも厳格化しないかぎり,中国が汎用人工知能の主要なアルゴリズムを盗んで,アメリカに比肩する能力を獲得できてしまうと私は予想している.(…)さらに悪いことに,セキュリティを改善しなければ,中国がアメリカと競争するさらに顕著な筋道もうまれる.中国は,自前で汎用人工知能を訓練する必要すらなくなる.汎用人工知能[のモデル]をそっくりそのまま盗めるようになってしまう.
中国がアルゴリズムに関する秘密やモデルの重み付けを盗むのを防ぐために,アッシェンブレナーはこう提案している――もっとも機密性の高いクオンツ・ヘッジファンドで採用されているのと同等の「超セキュリティ」をAI研究所でも実施すること.
DeepSeek の件から,このアイディアがすでに破綻しているのがわかる.アメリカ製モデルの蒸留によって,中国企業はわざわざアルゴリズムや重み付けを盗まなくても,アメリカ製 LLM の秘密のソースを事実上,我が物にできている.それに,かりに DeepSeek のモデルづくりで実は蒸留が中核的な役割を果たしていなかったとしても,すでに中国が自前で有している研究と人材のエコシステムは,アメリカ企業のつくったものとほぼ互角の新アルゴリズムをつくれるのが事実だ.
アッシェンブレナーが提案しているようにアメリカの AI 研究所のセキュリティを厳格にして,運良く彼我の差を付ける結果になる可能性もある――たまたまアメリカ企業が中国勢に先んじて汎用超知性(らしきもの)を開発できたなら,それらを厳格に保護することで後日のサイバー戦争で決定的に重要な束の間の優位をもたらすことも,なくはないだろう.[n.4]
とはいえ,DeepSeek の件からは,アメリカの AI 技術進歩をガチガチに保護された「要塞」に転化すると,超知性への競争でアメリカ企業の足を引っ張ってしまう理由がわかる.DeepSeek は,自社モデルのウェイトをオープンソースにして,自らのアルゴリズムの知見も公表している――アメリカの研究者たちも他の中国勢も,その知見からすでに学びつつある.シリコンバレーそのものが幾度となく実地に示しているように,オープン・イノベーションのエコシステムの方が,閉鎖的エコシステムよりもはるかに進歩が迅速だ.もしも中国企業が自分たちの知見を共有する一方でアメリカ勢が知見を内にしまい込んだなら,きっと中国勢の方が先に超知性に到達するだろう.
だから,LLM 分野でアメリカが対中国のリードを維持しようというなら,やるべきは輸出に規制をかけること AI ハードウェアを渡さないことであって,モデルのウェイトやアルゴリズムのいろんな工夫といった形のない資産の独占ではない.よく言うように,「情報は自由になりがたる」からね.
DeepSeek の一件があっても「輸出規制は失敗だ」とは言えない
DeepSeek による達成を見て,中国の AI 進歩を遅滞させようと目論んだアメリカの輸出規制に反対する人たちは「ほら見たことか」と勢いづいてる.そうした人たちの間では,こんな物語が主流だ――「輸出規制には背理的な効果があって,規制するとかえって中国の技術革新をいっそう促して成功を収めさせることになる.」 たとえば,Angela Zhang は『フィナンシャル・タイムズ』でこう述べている:
中国がこうして効率性を高めた実績は,偶然の産物ではない.これは,アメリカとその同盟国によって課された輸出制限への直接の反応だ.最新の AI チップが中国の手に渡らないように制限したことで,アメリカは期せずしてその技術進歩を促進してしまったのだ.(…)海外製ハイエンド・チップへの依存を減らしたことで,中国の AI 企業はアルゴリズムやアーキテクチャや訓練方略で新しいアプローチを実験している.(…)DeepSeek-V3 は,この機略あるアプローチの産物だ.(…)[これは]中国の AI 進歩を遅滞させるべく設計されたアメリカの輸出制限の限界を露呈させている.そうした対策は,なるほど短期的には混乱を引き起こしたが,中国が技術を進歩させて適応するにつれて影響力を弱めていった.(…)ここには,アメリカの政策担当者たちにとって不都合な事実がある.それは,中国のテック系企業がいっそう自立せざるをえなく差し向けることで,厳格な輸出規制は中国に技術面でのさまざまな飛躍をうながしたのだ.むしろ,輸出規制がなければそうした技術進歩は起こらなかったのかもしれない.
ブルッキングス研究所〔シンクタンク〕でも,John Villaenor が同じ主張を展開している.
ただ, 輸出規制を受けて中国の研究者・政策担当者たちが大変な努力をはじめたのは確かだけれど,こういう主張は状況の詳細を単純に誤解している.ひとつ挙げると,DeepSeek はおそらく輸出規制が実際に効力を発揮する前に開発されている.また,中国の AI エコシステムのなかで輸出規制に影響を受ける部分は,DeepSeek が本領を発揮しているのとは別の部分だ.
Lernnart Heim と Sihao Huang の解説を見てみよう:
AI チップの輸出制限が始まったのは2023年10月のことで,その効果がなかったと主張するには時期尚早にすぎる.(…)ハードウェアの輸出制限が効果を発揮するまでにはラグがあり,まだ本格化してはいない.(…)中国はまだ輸出制限前に確保していた数万規模のチップでデータセンターを運用している.他方,アメリカ企業は数十万規模のチップのデータセンターを建設中だ.真の検証がなされるのは,そうしたデータセンターに更新や拡張の必要が生じたときだ――更新も拡張も,アメリカ企業の方がやりやすく,アメリカによる輸出制限にもとでは中国企業にとっては難しい.次世代モデルの訓練に10万のチップが必要だとしたら,輸出制限は中国の最先端モデル開発に顕著な影響を与えるだろう.ただ,そうした規模拡大がなくとも,輸出制限が中国の AI エコシステムに影響を及ぼす経路はある.開発能力の低下,企業成長の制限,合成学習や自己対戦能力 (self-play capabilities) への制約が,その経路だ.(…)
個別の訓練試行に輸出制限が影響を及ぼすのは難しく,エコシステム全体に影響を及ぼす方がそれよりも容易だ.ここで決定的に重要なのは次の点だ――大半の先進チップは大規模 AI 展開(つまり多数のユーザーが AI サービスを利用すること)と能力の向上を効果的に制限できる.通例,AI 企業は計算能力の 6割~8割を展開に費やしている.計算集約型の推論モデルが台頭する前から,この傾向は続いている.計算能力へのアクセスを制限すれば,中国の AI コストは増加し,広範な展開が制限され,システムの能力も制約を受ける.重要な点として,展開用の計算能力はユーザーの求めに応えることだけを目指すわけではない――合成訓練データを生成したりモデル感の相互作用を通じたフィードバック・ループの実現や,よりよいモデルの構築・規模拡大・蒸留にも,展開用の計算能力は欠かせない.
米中での計算力格差は依然として DeepSeek の主要な制約のままだ――輸出規制によって,さらに広がってもいる.DeepSeek の経営陣は効率化を達成こそしたものの,4倍もの計算能力の不利があることを公に認めている.DeepSeek 創業者の梁文峰は,こう述べている:「これにともなって,我々としては同じ結果をえるのに2倍の計算力を必要とします.それに加えて,データ効率にも2倍の格差があり,そのために,2倍の訓練データと計算力がなくては同等の結果は達成できません.以上が組み合わさって,4倍の計算力が必要となるのです.」 彼はこうも言い添えている:「我々は,短期的な資金調達計画をもっていません.問題は資金調達ではなく,ハイエンドチップの輸入禁止制裁なのです.」[原文の強調は引用に当たって除去]
Anthropic の ダリオ・アモデイCEOも,輸出規制には効果があると擁護して,さらに強化するよう求めている.これは,さっき参照した Zhang や Villasenor の主張を真っ向から反駁している:
中国が数百万ものチップを入手するのを阻む方法は,適切に実施された輸出規制以外にない.(…)DeepSeek が優れた性能を実現したからといって,輸出規制が失敗したことにはならない.さきほども述べたように,DeepSeek が保有しているチップ数は中規模~大規模であり,強力なモデルを開発・訓練できたのも意外ではない.アメリカの AI 企業に比べて大幅にリソース面で制約を受けているわけではなく,輸出規制は彼らの「イノベーション」を引き起こした主因ではない.たんに,DeepSeek には非常に優れたエンジニアたちがいるというだけであり,中国がアメリカにとって深刻な競争相手である理由を示しているのだ.(…)
また,DeepSeek の件が示しているのは,「いつでも必要とあれば密輸によって中国がチップを入手できる」ということでもなければ,「輸出規制にはつねに抜け穴がある」ということでもない.そもそも輸出規制は数万個ていどのチップを中国が入手するのを阻止するよう設計されてはいなかった.10億ドル規模の経済活動は隠せる.だが,1000億ドル,いや100億ドル規模の経済活動は,隠しにくい.また,百万個のチップは物理的に密輸困難かもしれない.(…)
DeepSeek の AI チップ群のかなりの割合が,まだ禁止されていない(が禁止すべき)チップや,禁止される前に出荷されたチップ,そして密輸された見込みが非常に大きいチップで構成されているようだ.このことから,輸出規制は実際に機能し,状況に適応しつつあることがわかる:つまり,抜け穴はしだいに塞がれつつある.そうでなければ,彼らは最新鋭の H100 チップでチップ群を固めていたことだろう.十分に迅速に[抜け穴を]塞げれば,中国が数百万個のチップを手に入れられないように阻止できるかもしれない.
というわけで,DeepSeek の件は,輸出規制の失敗を証明してはいないし,稀少なリソースに直面して中国が尽力して勝利したことを示してもいない.輸出規制をするかしないかで大きな違いをもたらしうる.ただ,輸出規制に反対している人たちは――中国応援団やプロパガンダ活動家,イデオロギー本位の自由貿易論者,中国市場に売り込みたい道義知らずの業界人たち,そして輸出規制にはじめからずっと懐疑的だった人たちは――DeepSeek の一件をめぐる狂熱に便乗して,「輸出規制は失敗は証明済み」と誤りを宣言しているんだ.
もちろん,それこそ中国政府の望むところだ.彼らの願いは,一大 AI 革新を宣伝することで輸出規制へのアメリカ国内の支持を弱め,この政策を取りやめる政治的な口実をドナルド・トランプに与えることにある.
今回の推移を見ていてぼくらが覚える苛立ちを,Palmer Luckey がこう表現している:
DeepSeek の達成は印象的ではあるけれど,人々がここまでのヒステリックな反応を示しているのは,多くの人々に罪がある.
500万ドルという数字がデタラメだ.この数字を広めているのは,とある中国のヘッジファンドだ.アメリカの AI スタートアップへの投資を遅滞させ,Nvidia などのアメリカの巨大企業に対する自らのショートポジションを利しつつ制裁回避を隠蔽しようというのが,そのヘッジファンドの狙いだ.アメリカがこういう心理戦の温床になっているのはなぜかと言えば,アメリカのメディア機関が自国のテクノロジー企業を嫌悪してトランプ大統領の失敗を望んでいるからだ.
中国プロパガンダを無批判に事実として広めている都合のいいバカがこれほど大勢いる理由のひとつは,それが事実であってほしいとどこかで連中が望んでいることにある.連中は,アメリカの大企業の時価総額が数千億ドル単位で吹き飛んでしまうのを見て大喜びしているんだ.
というか,この様子をぼくらはかつて見たことがある.2023年に,中国の SMIC が 7nm チップを発表した.製造には,半導体製造装置の輸出規制が実施される前に購入された設備が使用されていた.多くの人たちはこのニュースを見て,「輸出規制は失敗した」と言い放った.ところが,その翌年に,中国企業による製造は良好な歩留まりを得られていなかったのが判明した.また,それを受けて中国企業のスマホ生産も打撃を受けていたし,次世代チップ開発も遅延された(おそらく無期限に).操業を止めた中国半導体企業は多数にのぼった.
さいわい,2023年当時のバイデン政権は中国の PR 術にハマらなかった.じゃあトランプ政権はどうかと言うと,ぼくが抱く自信はずっと弱くなる.習近平に対して宥和姿勢がはるかに強いからだ.
ただ,ともあれ,DeepSeek の一件は,重要分野における重要なテクノロジー面の達成と言える.技術的な革新を成し遂げた中国のエンジニアたちは尊敬されてしかるべきだし, AI に関して多くのアメリカ人が抱いている考えには限界があることも彼らが成功を収めたことで明らかになった.ただ,だからといって,アメリカが軍事-テクノロジー面で対中国の優位を維持する戦略を放棄するべきだってことにはならない.対中国の抑止が安定して緊張関係が落ち着くまでは,この戦略を続けるべきだ.
原註
[n.1] これはときに「ジェヴォンズの背理」とか「リバウンド効果」と呼ばれる.実は,これは2つ別々の効果の組み合わせだ――代替効果(なにかが安くなったら,そっちを買う人たちが増える)と,所得効果(より豊かになったら人々は買うものを増やす)が組み合わさって成り立っている.
[n.2] それに,バカげてもいる.というのも,ゲアリー・マーカスは AI 懐疑論者の大物で,このタイプのモデルはそもそも大して重要でも有用でもないとしょっちゅう語ってきた人物だからだ.
[n.3] 毛沢東はたしかに「百花斉放」と言ったけれど,その後,「花」の価値はずいぶんと変わってしまったようだ.
[n.4] 「超知性が登場すればすぐさま米中で終末的なサイバー戦争がはじまる」という考えは,もちろん 100% SF だ.技術的な革新で超知性が実現したとして,それからものの数ヶ月で戦争が引き起こされると信じる理由は見当たらない.そういう戦争を始めるのは関連する全員にとってリスクが高すぎるから,アメリカはそんなことをやらないだろう.わかりやすい前例は,核兵器だ.1945年にアメリカが核兵器を手に入れ,1949年にソ連も手にした.この4年間に,アメリカは先制核攻撃でソ連を破滅させることもできたけれど,そんなことはしなかった.もしもアメリカが中国より数ヶ月先,あるいは数年先に超知性を手にしたとしても,おそらくそれで中国を攻撃して破滅させようと試みはしないだろう.なぜって,X でたまに見かける話と逆に,ぼくらは戦争狂のサイコ野郎じゃないからだ.だから,ソ連が原子爆弾を手に入れたのと同じように,中国も超知性を手に入れるだろう.
[Noah Smith, “Some simple lessons from China’s big AI breakthrough,” Noahpinion, January 30, 2025]