タイラー・コーエン 「スターリン、シェイクスピア、ターザン」(2003年9月20日)/「トランプ時代におけるシェイクスピア」(2017年6月21日)

●Tyler Cowen, “Stalin, Shakespeare, and Tarzan” (Marginal Revolution, September 20, 2003)


ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich)の回想によると、スターリンがシェイクスピアの戯曲の(ソ連国内での)上演を禁じた理由は、『マクベス』や『ハムレット』、『リア王』に潜んでいる政治的な含意をよくよく理解していたからだという。

こんな話もある。

ドミートリイ・ショスタコーヴィチは、次のように証言している。「スターリンは、映画が好きだった。(オーストリアの作曲家である)ヨハン・シュトラウス二世の半生を描いた映画である『グレート・ワルツ』なんかは何回も、それこそ何十回も見返していた。・・・(略)・・・スターリンは、ターザン映画も好きだった。ターザンが出てくる映画はどれも欠かさずチェックしていた」。

ターザンは、ソ連の一般市民の間でも人気があって、ターザンの姿を真似た「若者たちのカルト集団」まで出没したという。どうやらソ連の指導者たちは、野獣に育てられた「ジャングルの王」に潜んでいる政治的な含意には気分を害されなかったようだ。

以上はいずれも、デビッド・コート(David Caute)の新作である『The Dancer Defects:The Struggle for Cultural Supremacy during the Cold War』で紹介されているエピソードだ。

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●Tyler Cowen, “Shakespeare in an age of Trump is a little disconcerting”Marginal Revolution, June 21, 2017)


「トランプ時代におけるシェイクスピア」というテーマで、ブルームバーグに記事を寄稿したばかりだ。ほんの一部になるが、引用しておこう。

(シェイクスピアの作品に出てくるキャラクターで言うと)トランプは、王(支配者)ではなく、愚者や道化に似ているんじゃないかというのが私の考えだ。『リア王』でいうと、エドガーだ。エドガーは変装して王の前に現れると、王に対して敵についての警告を与える。ここで「愚者」(fool)という言葉をあまりに文字通りに解釈しないように注意してもらいたい。シェイクスピアの作品に出てくる「愚者」たちに共通して備わっている特徴がいくつかある。その中でも筆頭に挙げられるのは、行動と行動の合間のふとした隙に、これまで誰一人として口に出して表現しようとは思いもしなかった感情を咄嗟に言葉にするところだ。Twitterでのトランプなんてまさにそうじゃないか。(トランプがTwitterに投稿した)“covfefe”というつぶやき(発言)にしても、シェイクスピアの劇中で叫ばれるセリフとしてはそんなにおかしくはないんじゃないだろうか?

もう一丁引用しておこう。

将来の展望に目を向けるとしよう。トランプ政権の今後の成り行きを占う上で、どんなことに注目したらいいだろうか? シェイクスピアの作品は、そのことについてどんなヒントを投げかけてくれるだろうか? 小手調べに、思い付くことをいくつか列挙してみるとしよう。

血は水よりも濃いかもしれないが、権力闘争によって家族の絆が思いの外容易く引き裂かれる可能性もある。
・権力は、手放されるか、保たれるかのどちらかしかあり得ない。
・権力を誰に継承するかを決める時には、正当性だとか生まれた順番だとかに重きを置きすぎてはいけない。
・恋(愛)は盲目(恋は予測不可能な事態を巻き起こしかねない)。
・カオス(混乱)には上限(限度)なんてない。

是非とも全文に目を通されたい。

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