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ビル・ミッチェル「量的緩和 101」(2009年3月13日)

Bill Mitchell, “Quantitative easing 101“, Bill Mitchell – billy blog, March 13, 2009.

一部の読者が私に「量的緩和について説明してほしい」というコメントをくれた。彼らも視聴したことだろうが、数日前のABC 7.30 Report segmentでは、イングランド銀行(BOE)総裁のインタビューが行われていた。彼は非常に悲惨な状況にある英国経済において、融資への刺激を通じて経済活動を刺激するため、最新の戦略として “大量のポンドを刷る” というBOE(イングランド銀行)の計画を作り上げた人物だ。今一度我々は、量的緩和の実態について情報を得て、学習する必要がある。量的緩和は、需要減退と失業増加が生じている状況において、統治政府が取る戦略として決して望ましいものではないということを理解する必要がある。また我々は、 ”紙幣印刷” という呪文を脳内から除去すべきだ。

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ビル・ミッチェル「バランスシート不況と民主主義」(2009年7月3日)

Bill Mitchell, “Balance sheet recessions and democracy“, Bill Mitchell – billy blog, July 3, 2009.

 

常連読者から、東京を本拠地とするエコノミストであるリチャード・クーが書いたレポートが送られてきた。当該レポートでは、長引く不況と民主主義の関係についていくつかの興味深い問題提起がなされている。クーは、いわゆる ”失われた10年” において日本で起こったことを描写する言葉として “バランスシート不況” という用語を創造したことで、ここ10年あるいはそれ以上に渡り、ある意味有名になった。彼は現在の世界経済危機についてもその分析を適用している。彼は現代金融理論家(modern monetary theorist)ではないが、大規模財政介入の必要性と、量的緩和邦訳)の無益さを理解している。このブログ記事では、その全てについて論じる。

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ビル・ミッチェル「貨幣乗数 ― 行方不明にて、死亡と推定」(2010年7月16日)

Bill Mitchell, “Money multiplier – missing feared dead“, Bill Mitchell – billy blog, July 16, 2010.

 

 

今日はブログ記事を書くつもりではなかったのだが、気が変わった。短い記事を一つだけ書こうと思う。主流派経済学者によって今なお生き残り続けている教条的主張として、「中央銀行が未だにマネーサプライをコントロールしており、貨幣乗数は生きているが、少しの間消えているだけなのだ」というものがあるように思う。この最近の主流派のポストは、金融システムとその運用機関に関して、主流派マクロ経済学者が未だ継続中の誤った主張の典型例である。貨幣乗数は死んだわけではない、というのが事実だ――私はそれを確信を持って言える。なぜなら、貨幣乗数などそもそも存在したことがないということを知っているからだ!

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サイモン・レン=ルイス「非伝統的金融政策vs財政政策」(2014年9月6日)

Unconventional Monetary Policy versus fiscal policy(mainly macro, 6 September 2014) Posted by Simon Wren-Lewis

 

前回のエントリ(拙邦訳はこちら)では、極めて単純な設定から、利下げで需要刺激するのがベストであること、減税と政府支出も同様の役割をこなせること、減税と政府支出の場合は需要不足のコストに比してはたいしたことのない厚生コストしか発生しないことを説明した。

したがって、少々専門用語を交えて言うと、利下げはファーストベストだが、もし名目金利がゼロに達してそのファーストベストが利用不可能になってしまったら、財政政策を用いるべきである。もし財政刺激のサイズに資金的制約があるなら、一般的に減税よりも政府支出の方がより効果的である。

では、非伝統的金融政策についてはどうだろうか? 非伝統的金融政策には主に二種類ある: 将来のインフレ目標(およびプラスの産出ギャップ)に対するフォワード・コミットメントと、貨幣発行によって様々な種類の資産を購入すること(QE)だ。それぞれのケースについて、その政策にかかる厚生コストと、財政政策利用の厚生コストの比較を行いたい。しかしながら、効果の不確実性という問題もある: 我々は、どれくらい利用できる政策なのかを知りたい: 不確実性の問題は、前のエントリでは重要ではなかった。なぜなら、我々は伝統的金融政策と財政政策の影響について多くのエビデンスを保有していたからだ。だから次はそれぞれの非伝統的金融政策について考察しよう。

金利がゼロに嵌ったときの需要刺激策の一つとしては、理想水準より高いインフレと産出の組み合わせを将来に約束するというものがある。(これは明示的ないし暗示的に、名目GDPのような何かしらの名目水準を目標として用いることで可能である。このことについてあまり知らない方々は、こちらをご覧になると良い。) この政策のコストは明確だ: 理想水準より高い将来インフレ・産出である。繰り返しになるが、名目金利がゼロに嵌る理由となった現在の不況の深刻さを考えれば、こうしたコストは受け入れるに値する。こうしたコストが政府支出の変更のコストより大きいか小さいかは議論の余地がある。私がここで議論したWerningのペーパーによると、どちらも含んでいるものが最適政策になり得るのだという。

この特定の政策において生ずる問題の一つに、時間的不整合性の問題がある。中央銀行が将来のインフレ目標を引き上げると約束し、今日の不況を和らげるのに役立ったとして、不況が終わったときその約束を守るだろうか? 国民はそれを許すだろうか? 人々がそうならないと考えたとき、政策の有効性は弱まり、政策効果の不確実性は増加する。これは、何らかの名目目標に政策を紐づけるのが有用になり得る理由の一つだ。1

もう一つの非伝統的金融政策はQEだ: これは通貨発行によって資産購入を行うものである。この政策は将来の金利を引き下げるというフォワード・コミットメント以外の何物でもないと見做すことが出来、先ほどの議論に我々を引き戻すことになる。この政策について、それ以上の問題も想定してみよう。未解決の大問題としては、この政策がどれだけの歪みを齎すかという問題があると考えられる。

例えば、Mark GertlerとPeter KaradiによるQEの効果の研究におけるもっともポピュラーなモデルの一つでは、中央銀行が融資を行うか、政府債務を購入する。これによってリスクプレミアムが減少し、厚生が改善する。このことは、QEがなぜ永久的でないかという明かな疑問を提起する。著者たちは、中央銀行が民間銀行よりも「どんな資産を買うべきか」を知るにあたって比較的非効率であると想定することで、この問題を回避している。しかしながら、著者たちを含めて、こうした効率性コストがどんなものか少しでも知っている人がいるのかどうかについては、定かではない。

おそらくこうした歪みは極めて小さいだろう。しかしながら、この議論は、QEに関するさらなる深刻な問題を浮き彫りにしている。それは、我々がQEの効果、あるいは実際にその効果が線型なのかどうか、そしてどの市場で施行するのがベストなのかということについてはっきりした考えを未だに持っていないということである。QEについてのアナウンスメントは明らかに市場に影響を与える。しかし、それはMichael Woodfordが議論したように、シグナリング装置として機能するからかもしれない。Jim Hamiltonもまた懐疑的だ。このことが強烈に示唆するのは、QEの効果についての不確実性が、伝統的金融政策や財政政策に関する不確実性よりはるかに大きいという事だ。

こうして考えると、一部の人々が「非伝統政策が財政政策よりも常に好ましい」と断固主張する理由がわからないのである。最近のNick Roweのエントリへのコメントで、Scott Sumnerはこう書いている。”私の考えは「一度中央銀行が地球上のすべての資産を買い占めてから話を聞こう」というものだ。そうなってから、我々は財政刺激について論ずることが可能になる。” この言明の実質的な意味は、政府の片腕(中央銀行)が莫大な量の貨幣を発行して大量の資産を購入することが、政府のもう一方の腕(財務省)が消費者の支出・貯蓄できる貨幣を減らすことよりも優れているというものである。こうした選好は実に奇妙に思えるが、レーニンなら気に入ったかもしれない!

 

 

  1. もし一時的な政府支出が実際には恒久的だと信じられた場合、政府支出の経済刺激効果は大いに失われる。しかし、このことは時間的不整合性の問題ではない。他の違いとして挙げられるのは、政府支出が通期的に支出を増やしたり減らしたりている一方、先進的な経済における中央銀行がわざと好況を作るのは極めて稀であることである。 []