ビル・ミッチェル「量的緩和 101」(2009年3月13日)

Bill Mitchell, “Quantitative easing 101“, Bill Mitchell – billy blog, March 13, 2009.

一部の読者が私に「量的緩和について説明してほしい」というコメントをくれた。彼らも視聴したことだろうが、数日前のABC 7.30 Report segmentでは、イングランド銀行(BOE)総裁のインタビューが行われていた。彼は非常に悲惨な状況にある英国経済において、融資への刺激を通じて経済活動を刺激するため、最新の戦略として “大量のポンドを刷る” というBOE(イングランド銀行)の計画を作り上げた人物だ。今一度我々は、量的緩和の実態について情報を得て、学習する必要がある。量的緩和は、需要減退と失業増加が生じている状況において、統治政府が取る戦略として決して望ましいものではないということを理解する必要がある。また我々は、 ”紙幣印刷” という呪文を脳内から除去すべきだ。

量的緩和とは何か?

現在の極めてタイトな信用市場(銀行が貸出基準を引き上げ、企業や家計が信用にアクセスすることが困難になっている)において、中央銀行は量的緩和と呼ばれる政策を(特に短期金利をゼロまで下げて信用循環を円滑化するために)用いることを検討し始めている。事実、中央銀行が量的緩和に従事するなら、金利がゼロ近傍にまで必然的に下がることになる!

量的緩和は単に、中央銀行が債券(あるいは他の銀行資産)を購入して、中央銀行が商業銀行システム内に創造する預金と交換する行為を意味するに過ぎない――つまり、銀行の準備預金への入金だ。その狙いは、超過準備を作り出し、プラスの金利収入を求めてそれが貸し出されるというところにある。中央銀行は、より高い金利かつ長期の資産(有価証券)を無金利あるいは低金利の資産(これは単に商業銀行の準備預金を想定している)と交換しているわけだ。

したがって量的緩和というのは、実際には資産の交換を反映した様々な口座での勘定の調整に他ならない。商業銀行は(中央銀行が供給した)新しい預金を得て、その分だけ保有資産を売却する。

量的緩和の提唱者は、「全体の準備預金の不足によって商業銀行の融資が凍り付いてしまっている銀行システムに対し、量的緩和が流動性を追加する」と主張している。量的緩和が ”現金の枯渇した” システムを円滑化するための ”紙幣印刷” を意味するのだという主張はごくありふれたものである。これは不適切でミスリーディングな表現だ。

かの業務を表現するのに紙幣印刷などという「邪な響き」の言葉で呼ぶことはとてもミスリーディングだ――そしておそらく、それはわざとだろう。政府部門(財務省&中央銀行)と非政府部門との間の全ての取引は、発行通貨に単位づけられた金融純資産の創造と破壊を伴う。典型的なケースとしては、政府による非政府部門からの何かしらの購入の際、ただ単に非政府部門の銀行口座のいずれかが増加する――記帳されたその数字は、銀行システム内において取引のサイズを電子的に示したものなのである。

こうしたプロセスを ”紙幣印刷” と呼ぶのは不適切だ。そうした用語を使うコメンテーターは、聞こえが悪くなるのを知っててそう呼んでいるのである! 主流派(新自由主義)経済学のアプローチでは、この ”紙幣印刷” という言葉を “インフレ促進的な拡張” と同じ意味で使っている。もし仮に彼らが現代金融システムの実際の動きを理解しているなら、かくも愚鈍にはなりえないだろうに。

重要なのは、量的緩和が短期金利をゼロにするか、ゼロに近づけさせるということである。

言い換えると、中央銀行がプラスの金利目標コントロールを維持できなくなるということだ。なぜなら、超過準備は銀行間市場の競争プロセスを惹起し、効果的に金利を引き下げるからである。

イングランド銀行(BOE)は現在、短期金利をほぼゼロまで切り下げている(1694年にBOEが創設されて以来、最低の水準)。これは「金融政策で現在直面している需要問題を解決できる」という間違った思想によるものだ。財政政策(支出と租税)を未だに回避しているため、彼らは金融政策の行く先を失い、量的緩和に手を染めるしかなくなっている。結果として、次の三か月でBOEは、民間部門からgilt(=国債のこと)と信用度の高い企業債務を1500億ポンド分購入しようとしているのである。

その目的は、(既述のように)信用市場に流動性を追加することで企業への貸出を増やすことだ。

量的緩和は機能するか? 主流派の信仰では、量的緩和が経済を効果的に刺激し、生産喪失と失業率上昇という下降スパイラルに歯止めをかけるだろうということになっている。

こうした考えは、「銀行は融資にあたって予め準備預金を必要とし、量的緩和はそのための準備預金を供給する」という誤った信仰に基づいている。これは銀行システムの実際の運用方法に関する不適切な説明の、主たるものの一つである。しかし主流派は、銀行は予め保有している準備預金の分しか融資できないと(誤って)強弁している。「銀行は預金を受け取って準備預金を積み立て、それを貸し出し、貸し出した分だけ貨幣を創造する機関である」という考えはまやかしだ。かのような説明は、銀行の十分な準備預金がなければ融資できないのだと示唆する。そうした前提に基づき、量的緩和が(準備預金の追加を通じて)融資を補助するだろう、というわけだ。

しかしこれは、銀行の運用に関する完全に誤った説明だ。銀行融資は “準備預金に制約されてなどいない” 。銀行は信用力のある顧客を発見できれば誰であっても融資を行い、準備預金についてはその後で考えるのである。もし彼らが準備預金の不足に陥ったら(準備預金は各日でプラスでなければならないし、いくつかの国では一定の比率の準備預金を保つよう中央銀行に要求されている)、銀行間市場で相互に借入するか、最終的には、中央銀行からいわゆる割引窓口を通じて借入する。銀行は後者の与信枠をそのペナルティ(高額の金利)のせいで敬遠するのではあるが。

ポイントは、準備預金の積み上げが銀行の融資余力を引き上げることなどないということだ。融資が銀行預金を創造し、銀行預金が準備預金を生み出すのである。

商業銀行が現在融資を抑えているのは、彼らの窓口に信用力のある顧客が来ていないと考えているからだ。好景気が頂点に近づいてきていた弛緩した時期に比して、現在の環境では信用力調査が極めて厳格になっている。

(信用力のある顧客の傾向の他に)銀行融資の主要な規則上の制約となっているのは、国際決済銀行(BIS)によって設定された自己資本比率規制である。BISは、各中央銀行にとっての中央銀行のようなものだ。自己資本比率規制は、資産の質と、銀行が保持しなければならない必要資本に関する規制である。こうした規制の効果は、銀行が顧客に請求する貸出金利という形で表出する。銀行は、決して準備預金不足に制約されているわけではないのだ。

日本で量的緩和が行われていた2001年から2006年のある時期において、実際には、金融政策 ”体操” ではなく大規模な財政拡張こそが経済を縮小から回避させ、近年(世界同時金融危機が直撃するまでの間)における強力な成長への回帰を齎したのである。

BOEが今何をしているかは実に明白だ。BOEはあるタイプの金融資産(民間の保有する債権や手形)を購入し、それを他(BOEの準備預金)と交換している。実のところ、民間部門の金融純資産は不変だが、そうした資産のポートフォリオ構成は変化し(満期の入れ替え)、そのことが利回りを変化させる。

ポートフォリオ構成の変更という観点から見ると、量的緩和は民間の保有する”長期”資産に対する中央銀行の需要を増やし、それによってイールドカーブの端の長期金利を引き下げるのである。長期金利は慣例上、投資金利であると想定されている。このことは、投資資金コストの低下を通じて総需要を引き上げ得る。しかし一方では、金利低下は貯蓄者の金利所得を減らし、それによって貯蓄者の消費(需要)を減少させる。

こうした反対の効果との収支は不明瞭だ。中央銀行は絶対に知らないだろう!

総合すると、こうした不明確性は、金融政策による経済刺激(あるいは経済緊縮)が孕む問題を示唆している。金融政策は、曖昧な効果しかない鈍らな政策手段なのだ。

現在の経済が直面している主要な問題は、民間部門に支出意欲がなく、その結果支出ギャップが生じていることであり、支出ギャップは、まず初めに、政府が財政政策余力を用いて満たさなければならない。私は、直接的公的雇用創出が、財政政策の原則手段となることを好む。というより、財政政策はそうでなくてはならない。そうすれば、ネガティブ・センチメントは転換し、民間借入が再び指導し、投資支出は再び成長し始めるだろう。そのとき、経済は多少は前進し、財政赤字も減少する。

というわけで、私は量的緩和が不況対策用戦略として有意義だとは考えていない。政府が現在金融政策を利用しているという事実は、財政政策より金融政策を重視する新自由主義的バイアスを反映しているに過ぎない。もし消費者が失業におびえていたら、どのようにして彼らに借入を促すことが出来るだろう? もし企業が売り上げの落ち込みを予想しているなら、どうして企業が借入を行うだろうか? 問題は需要の不足であり、需要の不足には需要手段を通じて対処されなければならない――それは財政政策なのである。要するに、我々は馬を水場に連れていくことしかできないというわけだ… !

「量的緩和は経済をコントロール不能なインフレーションに晒す」と主張する向きもある。こうした考えは、いわゆる貨幣数量理論に基づいた時代遅れで誤りのマネタリストの教義へと回帰しようとしている代物に他ならない。貨幣数量理論は現代金融経済に当てはまらない上に、当該理論の賛同者には、莫大な生産余力(遊休資本と高率の失業者)が存在している経済において、財・サービスの注文増加による生産拡張が生じないとという事態が何故起こり得るのかについて説明する義務がある。量的緩和が本当に支出を刺激するのであれば、そのときは不況下の経済は価格ではなく産出の増加という形で反応するはずだ。

上記の説明が、質問者や、その他の関心のある人々の役に立つことを願う。

良い週末を。

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