ブラッド・デロング 「『ミルトン・フリードマンの時代』の終わり」(2008年3月6日)

ミルトン・フリードマンが望んだ方向に世の中が向かったのは、前進だったと言えるのだろうか?
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/3502143

ハーバード大学に籍を置く経済学者のダニ・ロドリック(Dani Rodrik)――おそらくは我々の世代で最も秀でた政治経済学者――が自らのブログでつい最近取り上げていた〔拙訳はこちら〕が、同じくハーバード大学に籍を置く同僚の一人(アンドレイ・シュライファー)が過去30年を「ミルトン・フリードマンの時代」と謳(うた)っているという。

その同僚氏の言い分によると、ロナルド・レーガン、マーガレット・サッチャー、鄧小平の三人がそれぞれの国(アメリカ、イギリス、中国)を動かす指導者として権力を握った結果として、人類に大いなる自由と大いなる繁栄がもたらされたという。首肯できる面もあれば、首をひねる面もある言い分だ。

フリードマンが終生にわたって固執した5つの基本的な原理がある。①金融政策は、断固たる姿勢でインフレの根絶を目指すべし。②政府というのは、国民から委託を受けた存在であって、アメをばら撒く装置ではない。③政府は、民間のビジネスに干渉するなかれ。④政府は、国民の私生活に干渉するなかれ。⑤自由な討論と民主主義が定着している政体下であれば、①~④の原理に対する世間の賛同を得るのは可能(だということをフリードマンは熱狂的なまでに信じていたし、楽観視していた)。

これら5つの原理が現実にどれだけ守られたかというと、レーガンは②と④を守らなかったし、①に関しては致し方なく守られたに過ぎない(FRB議長を務めたポール・ボルカーが1980年代に指揮した反インフレ政策は、レーガンの側近の多くをがっかりさせた)。サッチャーはどうだったかというと、④を守らなかった。

鄧小平はどうだったかというと、先行者たち――ウラジーミル・レーニン、ヨシフ・スターリン、ニキータ・フルシチョフ、毛沢東――と比べるとずっとマシではあったが、①~⑤のどれも守らなかった。いや、③だけは守ったと言えるかもしれない。鄧小平が「中国流の社会主義」にとってどんな経済制度が望ましいと考えていたかは誰にもわからないし、鄧小平本人でさえもわからずにいた可能性だって大いにあるのだ。

過去30年は「ミルトン・フリードマンの時代」だったという言い分に首肯できる面があるとすれば、世の中がどうなっているかだけでなく、世の中を変えるにはどうしたらいいかについても自信ありげに説いてくれる原理というのが、フリードマンが固執した件(くだん)の原理(①~⑤)くらいしかなかったというところだろうか。

とは言え、フリードマンが固執した原理に従ったとしても、約束通りの成果がもたらされるわけじゃない。そこで、対抗馬となり得るような別の原理を私なりに打ち立ててみるとしよう。

そうする上での出発点となるのが、市場経済にしても、自由で民主的な社会にしても、古来から引き継がれてきた土台――人と人が交わり、コミュニケーションを交わし、依存し合うのを可能とする土台――の上に成り立っているという認識だ。しかしながら、その土台は盤石なわけではなく、社会(あるいは集団)を構成する人間の数が60人くらいに過ぎなかった時――現在の世界の人口は60億人だから、人口が今よりも桁が8つも少なかった時ということになる――でさえも滞(とどこお)りなく機能したわけじゃない。

言うなれば、カール・ポランニー(Karl Polanyi)が辿り着いた認識が出発点になるわけだ。すなわち、市場交換(市場における交換)を貫く論理は、市場を下支えしている土台にかなりの重圧を加えるというあの認識だ。市場で労働が売り買いされるようになると、働いて得られる報酬がどこよりも多い地に向かうように急(せ)き立てられるようになる。その結果として、見知らぬ土地に見知らぬ者同士の群れが生み出されるという代償を払わねばならなくなる可能性がある。市場で商品が売り買いされるようになると、社会規範や正義の観念に則(のっと)ってではなく、市場を動かす諸力の結果として誰が上で誰が下かの(貧富の差を含めた)序列が決まるようになる。

市場に対するこういう批判は、あまりに一方的というのはその通りだ。労働を別の仕組みで配分しようとしたら、市場を介するよりも抑圧や疎外がひどいかもしれない。労働市場は、機会を狭めるのではなく広げてくれるのだ。

あるいは、「社会規範」や「分配の正義」の観念に則って序列を決めようとしたら、一番デカい槍を持っている人物だとか、「力の強い者に従うというのは神に従うのと同じことであって、云々かんぬん」と言葉巧みに説得できる人物だとかが上に立つ結果に終わりがちだ。市場という仕組みは、実力(能力)主義の面を他のどの仕組みよりもずっと強く備えている。市場という仕組みは、誰もが得するような起業家精神を鼓舞する仕組みであり、善行が儲けにつながりやすい仕組みなのだ。

とは言え、市場を動かす諸力の結果として決まる所得やら富やら厚生やらの分配というのは、我々が抱いている「公正」だとか「最善」だとかという観念と調和しない。その是非はともかくとして、市場を動かす予期せざる諸力の結果として暗黙のうちに下される決定よりも、民主的な手続きを経て選ばれた代表者が下す政治的な決定の方に「正しさ」や「適切さ」を感じてしまうのが我々の性(さが)なのだ。

実際のところ、政府は強力な役割を果たすべきだと多くの人の間で信じられている。政府は、深刻な不況を回避するために市場を管理したり、社会全体の厚生を高めるために所得を再分配したり、金融業者の一時の気紛れによって産業構造が無暗に再編されるのを防いだりすべきだと信じられているのだ。

右派(保守派)であっても、社会民主主義的な原理に賛同できる余地はある。第二次世界大戦後の社会民主主義(福祉国家)体制は、歴史上で最も豊かで最も公正な社会を実現した。社会民主主義体制下で試みられた再分配政策や産業政策は効率面で問題があったと不平をこぼすことはできるだろうが、不評だったとは言えないだろう。戦後の社会が安定していたのは、「急速な経済成長、ダイナミックな市場経済、社会民主主義的な政策」の三つが同居していたおかげなところが大いにあるのは間違いないように思えるのだ。

フリードマンが望んだ方向(フリードマンが固執した原理に沿った方向)に世の中が向かったのは、前進だったと言えるのだろうか? 「1970年代半ば頃の情勢を思い起こせば、大いなる前進だったと言えるじゃないか」とフリードマンなら答えるだろう。当時の米国大統領だったジミー・カーターが進めたエネルギー政策だったり、イギリスの全国炭鉱労働組合の支部長だったアーサー・スカーギルが先導した炭鉱労働者ストライキだったり、毛沢東が中国で展開した文化大革命だったりを思い起こすと、(「1970年代半ば頃の情勢を思い起こせば、大いなる前進だったと言えるじゃないか」という)フリードマンが下すだろう評価に異を唱えるのはなかなかに難しい。

しかしながら、意見が合うのはそこまでだ。フリードマンが望んだ方向に世の中が向かったのは、これまでに関しては概(おおむ)ね好ましかったと言えるものの、これから先も同じ進路を突き進んだとしたらどんな見返りが得られそうかとなると、これまで以上にずっと不明瞭なのだ。


〔原文:“J. Bradford DeLong: The End of the Age of Friedman”(Grasping Reality on TypePad, March 06, 2008)〕

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