●Mark Thoma, ““The Paul Wolfowitz of the ’60s””(Economist’s View, September 02, 2007)
ウォルト・ホイットマン・ロストウ(Walt Whitman Rostow)は、「同世代の経済学者の中で最も論争を呼んだ一人」だったが、彼独自の経済成長理論や経済発展観だけがその理由だったわけではないようだ。
“The Paul Wolfowitz of the ’60s” by David Milne [1]訳注;デビッド・ミルン(David Milne)は、ロストウがアメリカの外交政策の分野で果たした役割をテーマに一冊を物している。次の本がそれ。 … Continue reading, Commentary, LA Times:
・・・(略)・・・ジョン・F・ケネディおよびリンドン・B・ジョンソン両大統領の側近として仕えた主要メンバーの一人に、ウォルト・ロストウがいる。ロストウがべトナム戦争時に果たした役割は、ポール・ウォルフォウィッツがアメリカのイラク侵攻時に果たした役割と驚くほど酷似している。
ウォルト・ロストウ。優れた頭脳の持ち主で、イェール大学で博士号を取得。崇高な理想を胸に抱いていて、己に対する自信は揺るぎがない。第二次世界大戦中は米国戦略情報局(OSS)の機関員として活躍し、その功績を讃えて勲章も授与されている。1950年代にマサチューセッツ工科大学(MIT)にて経済発展論の分野で世界的な名声を博する研究を手掛ける。アイゼンハワー大統領のスピーチライターを務め、大統領に対して対外援助予算の増額を辛抱強く奨励した。対外援助を行うのは、(冷戦の相手側である)東側陣営に対抗する上で戦術的にも重要な意味を持っているだけでなく、アメリカのように経済的に豊かな国が当然担(にな)うべき道義的な責任でもある、というのがその理屈だった。
ロストウは「世界規模のニューディール政策」の発動を求めたわけだが、アイゼンハワー大統領はその求めに心を揺さぶられなかった。しかしながら、後任の大統領は違った。ケネディ政権が発足すると、ロストウは国家安全保障担当大統領次席特別補佐官に任命されたのである。第三世界の貧しい国々がワシントン(西側世界)の側について、モスクワだとか北京だとか(東側世界)と懇ろ(ねんごろ)になることがないように手助けしてほしいというのが、ケネディ大統領がロストウに託した願いだった。ロストウの登用は、リベラル陣営(左派)からは歓迎された一方で、財政保守派には評判が悪かった。貧困の削減(第三世界の近代化の支援)を通じて共産主義陣営に対抗するという戦術は、高くつく(お金がかかる)と思われたからである。ロストウの友人の中には、ロストウは「どこのわらぶき小屋にも必ずテレビが一台はある」未来を作ろうとしているのだと揶揄う(からかう)者もいた。
アメリカには第三世界の近代化を支援する責務があるというのがロストウの断固たる信念だったが、共産主義なる「病気」を根絶せねばならないという信念もそれに負けず劣らず断固たるものだった。自由な社会の実現へと向かうことは、道徳的な進歩であるだけでなく、歴史の必然でもあり、共産主義がその邪魔をするようなら欠かさず叩かねばならないというのがロストウの考えだったのである。・・・(略)・・・ロストウは、ケネディ政権ならびにジョンソン政権に仕えた文民の中で一番のタカ派(対ベトナム強硬派)だった。
1961年の夏、ロストウは南べトナムに米軍の戦闘部隊を投入するように、ケネディ大統領に対して文民の中で誰よりも先に直言した。北爆(北ベトナムへの空からの爆撃)を誰よりも先に薦めたのも、ロストウだった。「ホー・チ・ミンには、守るべきものがある。産業がそれだ。ホー・チ・ミンは、もはや単なるゲリラ兵なんかではない。失うものなど何も無いゲリラ兵なんかではないのだ」 [2] … Continue reading。それゆえ、空爆で脅せば北べトナムも萎えるだろう、というのがロストウなりの理屈だった。第三世界の経済発展を後押しする指南役を務めることを通じて祖国(たるアメリカ)のためになる代わりに、発展途上国(たるベトナム)に対する残忍な爆撃を推奨することを通じて祖国(たるアメリカ)を史上最悪の敗戦へと引き摺り(ひきずり)込むかたちになってしまったのである。
ロストウは、自らの判断に絶対の自信を持っていた。・・・(略)・・・戦線の段階的な拡大(エスカレーション)を指南し、ジョンソン大統領の目に戦況がアメリカ側に有利に動いているかのように見せかけるためにCIAの報告書に手を加えもした。1967年から1968年にかけては、北べトナムと妥協的な和平を結んではならないとジョンソン大統領に直言もした。ロストウは、ポリアンナのようにどうしようもないほど底抜けの楽天家であり、敗戦が濃厚な状況になってもなおアメリカが敗れる可能性を心に思い浮かべることがまったくできずにいた。ロストウは、正真正銘のイデオローグと呼ばれるにふさわしい人物だった。アメリカは他の国々を民主化する責務を負っており、そのような「善行」を施すためとあらばどれだけの犠牲を払おうが構わないと信じていたのである。
・・・(中略)・・・
時代は下って、・・・(略)・・・国際関係の捉え方の面でロストウと瓜二つの考えを持ち合わせる集団が表舞台に登場してきた。ポール・ウォルフォウィッツをはじめとするネオコンの面々である。世界一の大国としてのアメリカには全世界に民主主義を広めるという責務があり、そのような「善行」を施すために必要とあらば武力の行使も辞さない、というのがその言い分だ。・・・(略)・・・
しかしながら、ヒュブリス(傲慢)からネメシス(天罰)へと至る道が切れ目の無い一直線の道であるのは、古代ギリシャの時代から変わらない。自らが抱くアイデアの効能に絶対の信頼を寄せる人間――現実世界において偶発的な出来事が果たす役割に気付けないでいる人間――は誰であれ、アメリカの外交政策を袋小路に追いやる運命から決して逃れられないのだ。
・・・(中略)・・・
・・・(略)・・・・ロストウにしても、ウォルフォウィッツにしても、リチャード・パールにしても、その他の面々にしてもそうだが、自由民主主義には「救済」を可能にする力があると信じて疑わずにいる――キリスト教福音派が神の存在を信じて疑わずにいる如くに――。自分たちが信じる価値体系は神聖なものであり、(その価値体系に則った)「正しい道」からの逸脱は「異端」と見なされるのだ。ここで問うとしよう。アメリカが武力で自由民主主義を押し付けるのではなく、その素晴らしさを身をもって示していたとしたら、どうなっていたろうか? 「異端者たち」も時間はかかってもやがては西洋の模倣に熱狂するに至っていたのではなかろうか? 死に体の独裁者というのは、立ち向かう敵がいなくなると、その身を包む神秘的な雰囲気がたちどころに霧消してしまうのが通例なのだ。
・・・(中略)・・・
アメリカの外交政策の行方がどうなりそうかは誰にも予測がつかないが、歴史がまたもや繰り返してアメリカが今よりもいくらか控えめな役割に甘んじる可能性も十分にあり得る。国際政治の舞台で猪突猛進な積極主義(行動主義)の立場を貫く路線を転じて、オバマ大統領(やその他の大統領候補たち)がロストウやウォルフォウィッツのようなイデオローグにではなく、(ジョージ・ケナンやキッシンジャーのような)プラグマティスト(実際家)に外交政策のアドバイスを求めるに至る可能性も大いにあり得るように思える。世界中に「善」を広めるというのは、へとへとに疲れる重労働である。イラクへの侵攻は、アメリカ本土にも深刻な政治的波紋を投じつつあるのだ。
References
↑1 | 訳注;デビッド・ミルン(David Milne)は、ロストウがアメリカの外交政策の分野で果たした役割をテーマに一冊を物している。次の本がそれ。 ●David Milne(著)『America’s Rasputin:Walt Rostow and the Vietnam War』 |
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↑2 | 訳注;北べトナムもその他の発展途上国と同様に経済発展を重視しており、インフラや工場等を爆撃されて経済面で損害が生じればすぐにでも態度を軟化させるに違いない、という読み。 |