●Tyler Cowen, “The politics of Nobel Prizes”(Marginal Revolution, September 15, 2004)
世界を代表する偉大な作家であったにもかかわらず、ノーベル文学賞を受賞することなく生涯を終えた一人に、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)がいる――ボルヘスの作品を読んだことがないようなら、試しにこちらの短編集(邦訳『伝奇集』)に挑戦してみるといい――。どうしてなのかずっと疑問だったのだが、その理由が遂に判明した。
(ピノチェトが軍政を敷いている)チリを訪問したせいだったのだ。ボルヘスがノーベル文学賞を受賞することなく生涯を終えたのは。ノーベル文学賞の古参の選考委員の中に、ボルヘスをノーベル文学賞の候補に推す声に異を唱え続けた人物がいたのである。ボルヘスがチリを訪問したその年だけにとどまらず、ボルヘスが亡くなるまでずっとだ。その人物とは、社会主義者の作家であるアーサー・ルンドクビスト(Arthur Lundkvist)。ルンドクビストは、チリ共産党員の詩人で1971年にノーベル文学賞を受賞したパブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)の長年の友人でもあった。ルンドクビストは、ボルヘスの伝記の著者でありチリ共産党の議長を務めたこともある V. テイテルボイム(Volodia Teitelboim)に対して、ボルヘスがピノチェト政権への支持を表明したことを決して許さないと語ったという。
ボルヘスは、民主主義の信奉者だったということは指摘しておくべきだろう。それにもかかわらず、ピノチェトを支持したのはどうしてだったのかというと、当時の状況においてはピノチェトの軍政が可能な選択肢のうちで最善の選択と考えたからだったようだ。比較のために、パブロ・ネルーダはどうだったかにも触れておくとしよう。幾分か誇張されてはいるが、以下のような調子だったのだ。
ネルーダは、1973年に今際の際(いまわのきわ)に至ってもなお、スターリンを指して「かの賢明で、冷静沈着なグルジア人」(“that wise, tranquil Georgian”)と語ったというのだ。毛沢東率いる中国に対しても同じく寛大な姿勢を貫いた。ネルーダは、中国の広い大地に住む人民がこぞって青色の人民服を着用している姿を目にするのが大好きだったのだ。
ちなみに、冒頭の文章は、エドウィン・ウィリアムソン(Edwin Williamson)によるボルヘスの優れた伝記である『Borges: A Life』の426ページからの引用だ。