今週はメディアに登場する機会が2回ほどあった。1つ目の記事はポリシー・オプション誌に寄稿した記事で、〔カナダでの〕選挙改革に反対するものだ。2つ目はTVO(TVオンタリオ)の「アジェンダ(The Agenda)」という番組でのドナルド・トランプに関するパネル・ディスカッションだ。実は両者は繋がっているのだが、テレビ番組ではそのことを説明するのに十分な時間がなかった。というわけで、この記事で説明しよう。
まず選挙改革について。私が選挙改革に関する議論で常に指摘しようと努めているのは、次のような論点だ(理解が難しく誤解は避けられないのだが)。「民主的」と広く認められるような投票制度はいくつかあり、その全てが長所と短所を持っているが、他の候補と比べ本質的により民主的であり公正である投票制度などというものは存在しない。研究者のほとんどが、種々の投票制度のメリットに関する議論になると、非常にプラグマティックで帰結主義的な考慮事項について語り始め、基礎的な民主的原理に言及しなくなりがちなのはこのためだ。言い換えると、「フェアボート・カナダ(Fairvote Canada)」が行っているような議論は、私見ではデマゴーグ的だ。比例代表制がFPTP〔First-Past-The-Post。過半数の得票を得ていなくても、投票数が最多ならば当選する投票方式。日本の衆議院選挙の小選挙区選挙をイメージすればよい〕に比べ、本質的により民主主義ということはない。個人的な見解を言うと、唯一の興味深い問題は、FPTPから比例代表制に移行することでどんな帰結がもたらされる可能性が高いか、だ。
もちろん私は、比例代表制の支持者がこの制度を好むは、それがより民主的で公正な投票制度だからではなく、自分たち(の支持する政党)に良い結果をもたらすと考えているからだろうと疑っている(思考実験を行ってみよう。比例代表制が近い将来、保守政権を生み出す可能性が高いとする。比例代表制を現在支持している人々のどれほどが、好ましくない結果をもたらすにもかかわらず、「民主的な原理の問題」としてそれを支持し続けるだろうか [1]訳注:下で触れられているように、カナダで比例代表制を支持している人の多くは左派。 。
次の例を考えてみよう。女性の候補者は明らかに、FPTPよりも比例代表制の下での方が選出されやすい。それは、比例代表制が内在的によりジェンダー平等だからではない。比例代表制もFPTPもジェンダーに関しては中立的だ。それゆえ、ジェンダー平等への原理に基づくコミットメントは、民主主義や公正さへの原理に基づくコミットメントと同じく、一方の投票システムを選ぶ理由にはならない。だが経験的一般化として、比例代表制の下ではFPTPよりも女性がより多く選出されがちだ。そのため、議会に女性を増やすのが重要だとの理由で比例代表制を支持するのは完璧に理に適った議論である。だがそこから、FPTPは「差別」的で「性差別主義」的なので比例代表制の方が優れている、と主張するのは行き過ぎだ。単純に、「私は比例代表制を支持している。その方がよい結果をもたらす可能性が高いと考えているからだ」と言うべきである。
昨今の議論を見てイライラするのは、選挙改革の支持者の大部分が本音を明かそうとしないことだ。どんな結果を望んでいる(支持者たちは選挙改革の結果としてその結果が生じることを期待している)のかを言わずに、民主主義の原理に則れば比例代表制を採用すべきだと主張して本音を隠すのだ。比例代表制に変更してから5年でどんな結果が生まれると考えているのか(どんなシナリオを思い描いているのか)を教えてくれる方がずっといい。個人的には、支持者らが思い描いているシナリオは全く現実離れしたものなのではないかと疑っている。実際、比例代表制の支持者の多くは、カナダ新民主党か緑の党の支持者ではないだろうか。両政党の支持者は恐らく、比例代表制にすれば保守党を権力の座から永久に追い出すことができ、自由党ももはや多数派を獲得できなくなるので、新民主党、そして/あるいは緑の党と連立を組まなければ政権をとれないだろうと踏んでいるのだ。
ちょっと立ち止まって、このシナリオが複数回の選挙を経た後も維持できる可能性があるか考えてみよう。自由党と新民主党の連立政権が永遠に続くなどと本気で想像できるだろうか?
もっとありそうなシナリオはこうだ。比例代表制の特徴の1つは、政党の増加をもたらしがちなことだ。そのため、カナダが選挙制度を比例代表制に切り替えれば、確実に少なくとも1つは新しい政党が誕生する。その新政党はどんな政治的立場をとるだろう? 左派だろうか? どう考えてもそうはならない。ちょっとでも考えれば、カナダで比例代表制を導入して最初に起こるのは、極右政党の出現だと理解できるだろう。改革党と進歩保守党の分裂、ワイルドローズ党と進歩保守党の分裂に見られるように、カナダの右派は巨大な緊張関係を内部に抱えている。右派を結びつけているのは、FPTPを前提とした選挙戦略上の計算だ。比例代表制によって選挙戦略上の計算が変われば、最初に現れるのはレッドネック〔白人貧困層〕を支持基盤とする極右政党だろう。この政党は恐らく15%程度の票を得て、保守派が多数を占める議会ではキャスティングボードを握ることになる。
私は、カナダで選挙改革について議論するなら、こういうことを論じるべきだと思っている。「どのシステムが人民の意志を真に反映しているか」といったことではなく、「極右の反移民政党が国政に登場することをどう思うか」とか「それは国政での議論の質を上げるか」といったことを語るべきなのだ。言い換えれば、民主主義の「原理」なる偽りの議論ではなく、もっと細かい話をすべきだ。
こうして議論はドナルド・トランプに移っていく。先月、私たちトロント大学の教員は、公共政策・ガバナンス大学院にてピッパ・ノリス(Pippa Norris)と一日がかりのセッションを行った。ノリスは選挙制度や選挙改革に関する一流の専門家だ。パネル・ディスカッションの最中、ノリスは集まったカナダ人の聴衆たちにこう問うた。「選挙改革によって解決したいカナダの政治制度の問題とは、正確にはなんなのですか?」。その部屋にいた比例代表制の支持者たち(つまり私以外の全員)は動揺して、結局はきちんとした答えを出せなかった。説得力のない返答を聞きながら、ノリスが「この国で選挙改革が起こることはないだろう」と静かに確信したことが見て取れた。なぜか? なぜなら、解決策は問題の存在を前提とするからだ。
これ(「解決策は問題の存在を前提とする」)が何を意味するのか理解したいなら、カナダとアメリカの状況を比べるだけでいい。私が今アメリカにいたら、選挙改革の熱心な支持者として、議会選挙には比例代表制を、大統領選挙には何らかのタイプのランクづけ投票(ranked ballot)を導入すべきだと考えていただろう。なぜか? FPTPの最大の病理は、政治システムを、2つの巨大な中道政党へ収斂させることだ(デュヴェルジェの法則)。これは現在、アメリカで大きな問題となっているが、カナダでは全く問題となっていない(ノリスの問いかけの背景にあったのはこういう事情だ。カナダがFPTPの最大の欠陥に悩まされていないなら、どうして変化が必要だと思うのだろう?)。
過去数カ月の出来事が私たちに何かを教えてくれるとしたら、それは、アメリカは2つではなく4つの政党を持つべきだ、ということである。ある意味で、サンダースは民主党に「属して」おらず、トランプは共和党に「属して」いない、ということは明らかだ。現実の状況に対応できる柔軟な政治システムがあれば、両者は自分で政党を作り、結果アメリカに左翼と右翼の「ポピュリスト」政党が生まれたことだろう。だが勝者総取り式(majoritarian)の選挙制度では、こうした動きは強く妨げられる。結果、ポピュリストの反乱者2人は、自分の政党を作らず、2つの主流政党を「取り込む」ことを試みた。民主党はこの動きをなんとか食い止めたが、共和党は失敗した。
これこそ、私がアメリカについて考えるときひどく憂鬱になる点だ。アメリカでは、誰も選挙改革について語らないのだ。話といえばトランプ、トランプ、トランプで、こうした出来事が再び繰り返されないようにするために容易に実行できる制度変更について誰も語らないのである。つまり、カナダでは選挙改革について、(物事を本気で変えようとしているという意味で)真剣だが(変化を起こす理由が全くないという意味で)重要でない議論が繰り広げられている一方、アメリカでは民主制度の改革が本当に本当に求められているのに、誰もそれについて語っていないのだ。
なんでアメリカ人は選挙改革について語らないのだろう(メディアだけの話じゃない。大学教授や政治理論家ですら語らないのだ)。彼ら彼女らは既に諦めているのだ。単純に、アメリカの制度は改革できると信じていないのである。制度改革について政治理論家たち(アメリカで一番賢く、一生をそのことについて考えるのに費やしてきた人々)に聞けば、返ってくるのはせいぜい、選挙資金改革とゲリマンダリングに関するパッとしない答えぐらいだ。事が上手く運んで、選挙資金とゲリマンダリングに関する改革が実現できたとしても、せいぜい10年か20年前の状況に戻すのが関の山である。根本のところは何も変化しない。
アメリカに必要なのは、もっと根本的な変化だ。今議論すべきは、人ではなく制度である。議会選挙に比例代表制を導入するのはどうだろう? 大統領選挙に二回投票制を導入するのはどうか? こうした大胆な改革は政治的なダイナミクスを即座に変化させ、たくさんの問題を解決するだろう。
だがもちろん、誰もが知るように、これらは全て実現不可能だ。
しかし、世界随一の民主主義国が、喫緊の問題を解決するために制度を自己改革できないというのはどういうことなのだろう? 少し立ち止まって、これがどれほど異常か考えてみよう。他の民主主義国で、こうした改革を行えない国があるだろうか? 民主主義国は常に制度を改革している——アメリカを除いては。
最後にちょっとした思考のエクササイズとして、カナダでの選挙改革を巡る現行の議論が、アメリカ人から見てどれほど浅薄に映るか考えてみよう(私がアメリカ人だったらこう思うだろう。「ジーザス、カナダぐらい民主主義が機能していたら、何も変えようなんて思わないのに……」)。
[Joseph Heath, Trump and electoral reform: connecting the dots, In Due Course, 2016/6/13.]References
↑1 | 訳注:下で触れられているように、カナダで比例代表制を支持している人の多くは左派。 |
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