リストというのは、文化の源なんですよ。アートや文芸の歴史の一部なんです。文化が求めているのは何だと思います? その答えは、無限を把握(理解)できるようにすることであり、秩序を打ち立てることです。常にそうというわけじゃないですけど、大抵はそうなんです。無限を前にした時、人間はどうするでしょう? 不可解なものをどうにかして理解しようとする時、人間はどうするでしょう? リストを作るんです。目録を作るんです。博物館を作るんです。百科事典や辞書を作るんです。ドン・ジョヴァンニが一体何人の女性と関係を持ったかを数え尽くさずにはいられないのが人間なんです。モーツァルトのためにオペラの台本を書いたロレンツォ・ダ・ポンテによると、その数は2063人だそうですけどね。実用的なリストも作られます。買い物リストだったり、 やることリストだったり、メニューだったり。そういう実用的なリストもまた、それはそれで文化の産物なんですよ。
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リストというのは原始的なものであって、遥(はる)か昔の文化に特有なものと思ってしまいがちです。宇宙についてこれといったイメージも抱かれずに、すぐ身近にあるあれやこれやの特徴に名前を付けて並べ立てるくらいしかできずにいた文化に特有なものと思ってしまいがちです。しかしながら、歴史を振り返ると、リストはあちこちで蔓延(はびこ)っています。原始的な文化の象徴なんかじゃ決してないんですよ。中世においては、宇宙について極めて明確なイメージが抱かれていました。でも、リストが消えてなくなるなんてことはありませんでした。ルネサンス期やバロック期には、天文学上の発見を踏まえて新しい世界観が広まりました。でも、リストが消えてなくなるなんてことはやはりありませんでした。ポストモダンとされる今でも、リストはそこかしこに蔓延っています。リストには、抗(あらが)いがたい魔力が備わっているんです。
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私たちがリストを好(す)いているのは、死にたくないからこそなんです。
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おそらくは、英語以外の言語から翻訳されたんだろうと思う。「リスト」と「列挙(数え上げ)」がごっちゃになってる感じがするからね。本ブログで過去にこちらのエントリーで紹介したジェフリー・ロンズデール(Jeffrey Lonsdale)のコメントもあわせて参照されたい。
情報を寄せてくれたカーディフ・ガルシア(Cardiff Garcia)に感謝。
〔原文:“Umberto Eco on lists”(Marginal Revolution, November 14, 2009)〕