ジェームズ・ハミルトン 「アメリカが金本位制に復帰していたとしたら(その1)」(2008年5月9日)

●James Hamilton, “What if we’d been on the gold standard?”(Econbrowser, May 9, 2008)


アメリカが(2年前の)2006年に金本位制に復帰していたとしたら、今頃どうなっていただろうか? 友人でもある経済学者のランドール・パーカー(Randall Parker)と会話していたら、そのような疑問が話題になった。我々2人が辿り着いた結論は以下の通りだ。

金(ゴールド)の市場価格は2006年に1オンス当たり600ドルを突破したが、2006年にアメリカ政府が「金1オンス=600ドル」の交換比率(平価)でドルと金の交換(兌換)に応じる(そのようなかたちで金本位制に復帰する)決断を下していたとしたら、多くのことが今とは違っていた可能性がある。しかしながら、変わらずにいると思われる事象から先に触れておくとしよう。アメリカが2006年に金本位制に復帰していたとしても、ナイジェリア、イラク、イランといった地域を舞台とする地政学的なリスクについて同じように心配されていただろうし、アジア経済も同じように驚異的な勢いで成長を続けていただろう。信用力の低い相手に貸し出された住宅ローンに潜む問題が次第に露わになって、多くの金融機関の健全性に同じように疑いの目が向けられていただろう [1] 訳注;やはりサブプライム危機が起きていただろう、という意味。。これまでに触れてきた一連の事象はいずれも、金に対する需要を高めるのに一役買っただろう。その結果として、金の相対価格が2006年以降に上昇することになっただろう。言い換えると、1オンスの金を手に入れるのと引き換えに手放される財の数量――例えば、傘の本数だったり、車の台数だったり、椅子の数だったり――が、2006年以降に増えることになっただろう。

政府が2006年以降も平価を維持したとしたら、1オンスの金を手に入れるために差し出す必要があるドル紙幣の枚数は変わらない(「金1オンス=600ドル」のままである)ことになるが、その一方で1オンスの金を手に入れるために手放される傘の本数(あるいは、車の台数や椅子の数)が増えたとしたら、傘(あるいは、車や椅子)のドル建て価格はどうなるかというと、下落するしかない [2] … Continue reading。つまりは、金の相対価格が上昇しているにもかかわらず、金本位制にとどまり続けた(平価を維持し続けた)としたら、デフレが起こらざるを得ない(金を除くあらゆる財のドル建て価格が下落しないといけなくなる)のだ。

デフレが起こるためには、Fed(中央銀行)が金融政策を引き締めるしかない [3] … Continue reading。主要な金融機関の健全性に対する疑念が突如として大きく膨らんだ2007年8月 [4] 訳注;2007年8月というのは、いわゆる「パリバショック」が発生して、サブプライムローンが抱える問題が表面化し出したタイミングにあたる。の時点でもFedが平価を維持するのに拘(こだわ)って金融引き締めを続けたとしたら、抜け目のない投機家であれば次のように考えるだろう。

いつでも「金1オンス=600ドル」の交換比率でドルと金の交換(兌換)に応じるつもりらしいが、その約束を本気で守ろうとするなら、金融パニックが発生する恐れがあったとしても金利を引き上げることが求められる。そこまでする気概はないはずだ。今のうちに(Fedに600ドルを持ち込めば、1オンスの金を手に入れられる今のうちに)ドルを金に変えておこう。アメリカが金本位制から離脱したら金の市場価格が上昇するだろうから、そのタイミングで金を売れば大儲けできるぞ。

このように考えた投機家たちが群れをなして投機アタックを仕掛けてきたとしたら、どうしたらいいだろうか? 二通りの選択肢がある。金融危機が起ころうとしているのに金利を引き上げようとするのは馬鹿げているという投機家たちの言い分を全面的に認めて、「金1オンス=600ドル」の交換比率でドルと金の兌換に応じるのをやめる(=金本位制から離脱する)というのが一つ目の選択肢だ。

投機家たちに異を唱えて、平価の維持に全力を尽くすというのが二つ目の選択肢だ。「我々は今回も本気だ。約束は絶対に守る。何が何でも平価を維持する。そのためとあらば、金利も引き上げるし、デフレが加速したって構わない」と啖呵(たんか)を切るわけだ。その結果としてデフレが加速したら、ドル建ての債務を返済するのが(デフレによって債務の実質的な負担が高まるために)ますます難しくなり、あちこちで破産や倒産が続出するだろう。金本位制の堅持を掲げる政治家たちが選挙で敗れて議会から追い出されない限りは、デフレスパイラルから抜け出せないだろう。新たに選ばれた政治指導者たちが金本位制からの離脱に踏み切るまでは、デフレスパイラルから抜け出せないだろう。

金本位制の熱烈な支持者が喚(わめ)き散らす声が聞こえてきそうだ。「ちょっと待て。理論的にはそうなる可能性もあるかもしれないが、理論と現実は違う。現実は云々かんぬん」と怒鳴り散らして異を唱える声が聞こえてきそうだ。しかしながら、これまでの話は、理論的にあり得るシナリオの一つというわけじゃない。大恐慌期(1929年~1933年)のアメリカで実際に起こった出来事を私なりに忠実に再現してみたのだ。

1929年当時のアメリカは金本位制を採用していて、「金1オンス=20.67ドル」の交換比率(平価)でドルと金の交換(兌換)に応じていた。ヨーロッパで地政学的なリスクが高まり金融不安が広がると、金に対する需要が増加。それに伴って金の相対価格が上昇したが、平価は「金1オンス=20.67ドル」に固定されたままだったので、金を除くその他の大半の財のドル建て価格が下落せざるを得なかった。主要各国が近いうちに金本位制から離脱するに違いないと予想した投機家たちが投機アタックを仕掛けると、イギリスはその圧力に屈して1931年に金本位制から離脱したが、アメリカ(ニューヨーク連銀)は投機家たちに真っ向から立ち向かった。1931年10月に割引率(公定歩合)が1.5%から3.5%に引き上げられたのである。金融システムが大混乱に陥っている最中に金利が大幅に引き上げられたわけだが、そのおかげで平価を無事に維持することができた。しかしながら、その代償として実体経済に大打撃が加えられたのだ。

ベン・バーナンキ(Ben Bernanke)&ハロルド・ジェームズ(Harold James)の二人が1991年の論文(pdf)で指摘しているように、それぞれの国が金本位制から離脱したタイミングと、それぞれの国で景気回復が始まったタイミングとの間にはかなり強い正の相関がある。上の図の一番目のパネルでは、1931年までに金本位制から離脱(自国通貨と金との兌換を停止)した国々(14カ国)の鉱工業生産指数の伸び率(年率)の平均値の推移が辿られているが、1932年以降のいずれの年においてもプラスの値を記録していることがわかるだろう。それとは対照的に、1931年以降も金本位制にとどまった国々の鉱工業生産指数の伸び率(年率)の平均値は、1932年の時点でマイナス15%という結果になっている。アメリカが金本位制から離脱したのは1933年。上から二番目のパネルをご覧いただければわかるように、その直後から急速な勢いで景気回復が始まっている。イタリア(上から三番目のパネル)が金本位制から離脱したのは1934年。ベルギー(上から四番目のパネル)が金本位制から離脱したのは1935年。アメリカの場合と同様に、どちらの国でも金本位制から離脱した直後に景気が上向いている。その一方で、1936年まで金本位制にとどまり続けた3カ国(フランス、オランダ、ポーランド)の鉱工業生産指数の伸び率(年率)の平均値は、他の国々では底堅い成長が続いていた1935年の時点でマイナス6%という結果になっているのだ(一番下のパネル)。

1988年に執筆した拙論文でも指摘したように、金本位制の支持者たちの思い込みとは違って、金本位制というのは、一旦採用されてしまえばその存続が誰からも疑われなくなる制度なんかではない。金本位制を採用することが可能だとすれば、金本位制から離れることも可能なのだ。離れることも可能だからこそ、疑いが生じるのだ。もしかしたら金本位制から離脱するのではないかという疑いが生じるのだ。いつ離脱するのだろうという疑いが生じるのだ。金本位制が混乱を招く元凶となってしまう可能性があるのは、その存続が疑われる余地があるからこそなのだ。

References

References
1 訳注;やはりサブプライム危機が起きていただろう、という意味。
2 訳注;当初は1オンスの金を手に入れるために例えば傘を300本差し出す必要があったとすると、1本の傘のドル建て価格は2ドルということになる。1オンスの金のドル建て価格(平価)が600ドルで、金1オンスは傘300本分の価値があるわけだから、1本の傘のドル建て価格は「600÷300」で2ドルになるわけである。金に対する需要が高まった結果として金の相対価格が上昇して、1オンスの金を手に入れるために例えば傘を400本差し出さねばならなくなったとすると、平価が維持されるようなら、1本の傘のドル建て価格は1.5ドルに低下することになる。1オンスの金のドル建て価格は600ドルのままで、金1オンスは傘400本分の価値があるわけだから、1本の傘のドル建て価格は「600÷400」で1.5ドルになるわけである。
3 訳注;あるいは、次のように考えてもいいだろう。金に対する需要が高まった結果として、1オンスの金の市場価格(市中で取引される価格)が例えば700ドルに上昇したとしよう。そうなると、何のリスクもなしに儲けられる裁定機会が生まれることになる。どこかから600ドルを借りてきて(借りなくても、手持ちのお金を活用しても構わない)、その600ドルを中央銀行に持ち込んで1オンスの金と交換(兌換)してもらう。そして、その1オンスの金を市場で売却すれば、100ドルの儲け(=700-600)を難なく手にすることができるのだ(借り入れに対する金利を差し引いても、かなりの儲けが手元に残ることになる)。難なく儲けられる機会を見逃すまいとして中央銀行にドルを持ち込む(金との交換を求める)人が相次げば、中央銀行の金準備が減少する一方で、市中に流通する金の量が増えることになる。市中に流通する金の量が増えれば、金の市場価格が下落して最終的には600ドルにまで低下するだろう。言い換えると、1オンスの金が市中でも平価(600ドル)と同じ価格で取引されるように調整が働くわけである。その過程では、市中に流通する金の量が増える(中央銀行の金準備が減る)一方で、中央銀行にドルが持ち込まれるので市中に流通する貨幣(紙幣)の量は減ることになる。そのようにして、(ある意味自動的に)金融政策が引き締められることになるわけである。
4 訳注;2007年8月というのは、いわゆる「パリバショック」が発生して、サブプライムローンが抱える問題が表面化し出したタイミングにあたる。
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