今年のノーベル経済学賞受賞者の1人は、ノースウエスタン大学の教授、ジョエル・モキイアである。彼の名は、近代的経済成長(まずイギリス、次いでその他の国で生じ、過去数百年に渡り続いている、漸進的・持続的な未曽有の生活水準の向上)におけるイノベーションの重要性と切っても切り離せない。個人的な話をすると、産業革命の原因を解き明かす上でイノヴェーションの歴史を研究することが欠かせないと初めて気づかせてくれたのは、モキイアの著書『啓蒙の経済(The Enlightened Economy)』〔未邦訳〕だった。それ以来、私はイノヴェーションの歴史の研究でキャリアを築いてきた。
だが、今回のモキイアのノーベル経済学賞受賞で注目すべきは(そして、良い意味で驚きなのは)、モキイアの研究が、経済学のジャーナルに載るような類のものではない(それどころか、経済史のジャーナルの多くでももはや載らない)ということだ。過去数十年、ジャーナルの編集者も査読者も、「これこれがこれこれを引き起こした」というような非常に穏当な主張についてすら、大規模なデータセットと複雑な統計手法を使って根拠を示すよう要求するようになっている。モキイアはそうした手法の大家でもあるが(彼は経済史の定量的転回のパイオニアの1人である)、今回の受賞理由となった研究は、明確に、そして本質的に定性的なものだ。
モキイアの経済史研究は、いくつかの著書や論文にまとまっている。代表的な著書としては、『富のてこ(『The Lever of Riches)』〔未邦訳〕、『知識経済の形成(The Gifts of Athena)』〔邦訳あり〕、『啓蒙の経済(The Enlightened Economy)』〔未邦訳〕、『成長の文化(A Culture of Growth)』〔未邦訳〕がある。また、不要な数式を削ぎ落した読みやすい論文も書いている。彼の議論は素人でも理解できるものだが、そこには経済学の洞察が綿密に適用されている。今回のノーベル賞には、経済学の学界からのこんなメッセージが明確に読み取れる。我々は、手の込んだ統計手法の応用ばかりに価値を見出しているわけではない。最高の賞を、経済史の研究に授けるのだから。
一般の人のほとんどは(そして多くの歴史学者すら)、近代的経済成長の要因(産業革命の始まり)は、物質的なものに根ざしていると考えている。征服、植民地、石炭といった要因だ。モキイアが飽くことなく論じ続けてきたのは、近代的経済成長の要因はむしろ、アイデアに根ざしているということである。フランシス・ベーコンやアイザック・ニュートンのような知的企業家(intellectual entrepreneurship)の存在や、18世紀イギリスにおいて、実用的かつ機械に応用可能な知識が、他に類を見ないほど早い段階で蓄積されていたことが重要だったのだ。モキイアの主張によれば、イギリスは、科学協会や文芸協会の活動、出版やアイデアの共有への熱意によって、その後世界を変えることになる「産業的啓蒙(Industrial Enlightenment)」の舞台となった。そこでは、進歩が実現可能だと信じられ、実際にそれが現実となった。実際、本エントリが掲載されているサイト(Works in Progress)も、有益な知識の公開・共有、そして進歩のアイデアこそが世界を変えるのだという、モキイアの見出した原則に沿って設立されたものだ。
モキイアが、最初に『富のてこ』で提示した初期の偉大な洞察は、歴史上の発明の多くが、経済的要因では予測できないということだった。アダム・スミスが論じたように、単純な市場規模の拡大と、それがもたらす分業および専門特化(モキイアの言う「ミクロ発明」)は、莫大な生産性の改善をもたらす。だがこれは、1780年代のモンゴルフィエ兄弟による熱気球の発明のような、突如として現れた発明を説明できない。モキイアはこのような発明を「マクロ発明」と呼んでいる(マクロというのは、影響力の大きさではなく、その革新性を示している)。マクロ発明は、その発明を重要なものにするための更なる発明を必要とすることが多い。だが、最初のブレークスルーは、資源の価格や利用しやすさの変化を見ても予測できない。その起源は究極的には、世界に対する理解の進展に行き着く。モキイアは、科学革命(とそれをもたらすのに寄与した要因)を経済学の射程に位置づけた。
モキイアはまた、様々な種類の知識の間の関係にも注目していた。科学者は、観察によって、空気に重さがあることを知っていただろう。職人は、長い訓練とガラスを扱ってきた経験によって、長いガラス管を作る方法を知っていただろう。だが、どちらの知識も、それ単体では大きな進歩をもたらせなかった。しかし、科学者と職人が話し合って協力するような場が作られ、2つの知識が組み合わさると(つまり、命題的な知識[propositional knowledge]と実践的な知識[prescriptive knowledge]、言い換えれば、「頭」と「手」が結びつくと)、ごく短期間のうちに、温度計や気圧計などの発明が生み出され、知識の領域もますます拡大していった。モキイアが経済学者に教えてくれたのは、重要なのは知識それ自体ではなく、それをどう組み合わせるかであるということだ。彼の後期の著作の多くは、イギリスの科学者たちが利用できた熟練の職人の数が、いかに豊富であったかを明らかにしてる。
ある意味で、モキイア自身が、自分の説き続けてきたことを実践している。モキイアは数十年にわたり、プリンストン大学出版会の「西洋世界の経済史(Economic History of the Western World)」シリーズの編集者として、経済学者と歴史学者に、経済学のジャーナルでは出版できないような研究を公表するためのたいへん重要な場所を提供してきた。そうした研究の中には、産業革命の要因に関する、モキイア自身の見解と正反対の議論も含まれている。モキイアは、歴史学と経済学の繋がりを活発に保ち続けることに貢献してきた。
知識とアイデアの重要性を主張するモキイアの議論は、経済学者たちにとって容易に受け入れられるものではなかった。経済学者たちは、ナラティブではなく集計可能なデータの方に惹きつけられるものだ(そのナラティブの根拠がどれほどしっかりしていようと)。だが、モキイアの粘り強さ、そして、周囲の人に伝染していくような抑えきれない活力は、報われたようである。彼の受賞は、経済史における歴史の意義がようやく認められたことを示す遅すぎた証明書であり、アイデアには人を動かす力があるということの驚くべき証だ。
[Anton Howes, What makes Joel Mokyr great, Works in Progress, 2025/10/14.]