●Tyler Cowen, “Who was Corrado Gini?”(Marginal Revolution, March 10, 2015)
統計学が現代科学の仲間入りを果たしたばかりの時代に生を受けたコッラド・ジニ(Corrado Gini)――「ジニ係数」の考案者――は、数字狂の一人だった。ジニが(ファシストの哲学者であるジョヴァンニ・ジェンティーレが起草した)「ファシスト知識人宣言」に署名したのは、彼が「所得格差の計測」(“Measurement of Inequality of Incomes”)を著(あらわ)してから4年後の1925年――イタリア国内の統計学者で署名したのは、彼一人だけだった――。その直後には、憲法改正研究諮問委員会の委員に選ばれている。ジーン・ガイ・プレヴォー(Jean-Guy Prévost)が『A Total Science:Statistics in Liberal and Fascist Italy』(2009年刊行)の中で詳(つまび)らかにしているが、ジニの研究はムッソリーニ率いるファシスト体制と密接な結び付きを有していたため、ファシスト体制が崩壊した後の1944年に、ジニはファシズム擁護のかどで裁判にかけられた。裁判が続く中、ジニはイタリア合併推進運動党の立ち上げに参加。イタリアと米国の併合を成し遂げるというのが、イタリア合併推進運動党の目的だった。合併推進運動党の設立者だったサンティ・パラディーノ(Santi Paladino)は、当時のタイム誌の取材に次のように答えている。「イタリアと米国が一つの国に併合されたら、イタリアが抱える問題もすべて解決されることになるでしょう」――タイム誌は、続けてこう報じている。「パラディーノの妻(フランチェスカ)は、(ニューヨーク州ニューヨーク市の)ブロンクス区で24年間暮らした経験があるものの、パラディーノ自身は一度も米国に足を踏み入れたことがない」――。しかしながら、ジニが合併推進運動党の立ち上げに参加した目的は、別のところにあった。合併推進運動党に協力すれば、それと引き換えに「反ファシスト」の称号が手に入るかもしれないと考えたのである。
全文はこちら。執筆者は、ジル・ルポール(Jill Lepore)。ロバート・パットナムの新著(『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』)をはじめとして、その他数冊が書評の対象になっている。切れ者のケビン・ルイス経由で知ったネタだ。勘違いしてほしくないが、格差の計測に対する興味はファシズムと相性がいいなんてことを仄(ほの)めかしたいわけじゃない。意外な史実に興味を惹かれて、紹介しておきたいと思っただけに過ぎない。コッラド・ジニについてはGoogleで検索すれば色々な情報が出てくるが、意外・・・でもないだろうが、ジニは優生学にも熱を上げていたようだ。