驚くべき動画が公開された。アレックス・タバロックとタイラー・コーエンが最近、彼らの運営する「マージナル・レボリューション大学」 [1]訳注:タバロックとコーエンが運営するブログ「マージナル・レボリューション(Marginal … Continue reading でミクロ経済学の新コースを開講するにあたって、入門教科書の宣伝も兼ねた短いプロモーション動画を公開したのだ。彼らは、「経済学って楽しい、親しみやすい、怖くない」と思えるような動画作りに力を尽くしている。ほとんど全てのセリフにちょっとしたかわいらしいアニメーションがついていて、経済学の勉強は怖くないと思ってもらえるよう作られている。だが動画も中盤にさしかかると、彼らはそれまでの努力をうっちゃって、普通の視聴者を置いてけぼりにすること請け負いのセリフを述べ始めてしまう。動画を見て、彼らの失敗に気づけたか確認してみてほしい。
正直に言って、この動画の1分10秒から2分22秒までの部分はまるで視聴者への配慮に欠けていると思うが、ひどい点は2つある。(動画を見る気のない読者のために、この部分についてざっくり説明しておこう。19世紀イギリスでは、オーストラリアの流刑地に囚人を運ぶ船の船長たちが、囚人を日常的に虐待していた。そのため囚人の死亡率は大変高く、この問題を解決するために様々な試みがなされた。「聖職者は船長の人間性に訴え」、「英国議会は、囚人の扱いを改善するよう義務付ける規制法案を通過させた」。だが「不幸なことに、こうした解決のための試みは全く効果をあげなかった」。そしてついに、経済学者(恐らく)に教えを請う者が現れた。経済学者は、乗船時点での囚人の数ではなく、到着時点で生き残っていた囚人の数に応じて船長に報酬を払うべきだと提案した。この仕組みは驚くほど効果を上げた。そこから導かれる輝かしい結論はこうだ。「経済は、感情や慈悲の心をこてんぱんにやっつけた」(2分21秒の、エドウィン・チャドウィックからの引用)。)
この部分のどこがまずいのだろうか? タバロックとコーエンがここで伝えようとしているのは、「インセンティブは重要だ」という単純な考え方である。これは本質的に経済学のやり方に関する方法論的な話であって、できる限り当たり前のこととして提示すべきだ。結局、「インセンティブは重要だ」というのは経済分析が導き出した結論などではなく、経済学の基本前提の1つなのだ。だから、「インセンティブは重要」かどうかを議論の分かれる論点かのように見せない方がいい。もちろん、インセンティブが重要であることを教える方法はたくさんある。普通の人々の問題は、インセンティブの重要性を全く認識していないことではなく(例えば、お金をもらった方が人は一生懸命働く可能性が高い、というのは誰でも知っていることだ)、単にインセンティブの力を過小評価しており、それが社会活動に予想だにしない形で影響することを認識していないことだからだ。というわけで、「インセンティブは重要だ」ということを説明するための正しい方法はこうだ。「インセンティブが重要だという前提については皆さん同意してくださると思います。ですが、皆さんはその前提からどんな結論が導かれるか、じっくり考えてみたことがありますか? 多分ないでしょう。経済学はそれをとことん考え抜きます」。
しかしタバロックとコーエンは自分を抑えることができなかった。彼らは、人はインセンティブに導かれて行為するという行為理論を、当たり前の前提としてではなく、政治的に保守的で道徳的に疑わしい考え方であるかのように提示している。最も重要な点は、彼らが「経済」と道徳を正反対のものとして描き、道徳なんてものは「感情」に過ぎないといささか侮蔑的に切り捨ててしまっていることだ(まるで、殺人を止めさせるのに必要なのは現金支払いではなく道徳的ルールだ、と考えるのは感情的なバカだとでも言うように)。タバロックとコーエンは、チャドウィックによる「経済」と「慈悲」の対比を受け入れて、「インセンティブ」概念を最も狭い形で解釈してしまっている(つまりインセンティブを、単なる自己利益だけでなく、金銭的利害と同一視してしまうのだ)。
次に、彼らは(またしてもいくぶん侮蔑的に)英国議会による効果をあげなかった「規制」について言及している。19世紀という文脈では時代錯誤な「規制」という語が用いられているところを見ると、彼らは「心優しき」左派の、「政府は世界に善をもたらす効果的な力となり得る」という見解をおちょくらずにはいられなかったようだ。しかし、経済学の入門動画ではそういうことをすべきではない。繰り返すが、経済学の基本的な考え方は政治イデオロギーに中立な形で提示できるという点が重要だ。だがタバロックとコーエンは、それを本質的に反政府的で右翼的なものであるかのように提示してしまう。この点で彼らはフライングしてしまっている。市場への支持は経済分析から導かれた結論であって、経済学の前提ではないはずだ。市場への支持を経済学の基本前提として提示してしまったら、元から市場支持に乗り気なわけではない人は、経済学の議論に一切耳を貸さなくなってしまうだろう。
まとめると、タバロックとコーエンは、〔インセンティブは重要だ、という〕人間の動機づけについての当たり前の主張(であるはずのもの)を、イデオロギー的に疑わしく議論を呼ぶものとして提示してしまってる。そのため、「私たちの教材で学び直せば、世界を違った仕方で見られるようになります」という彼らの提案は多くの人にとって、ひどく冷酷とは言わずとも、受け入れがたいものに見えてしまうのだ。
私は副業でポップ経済書を書いているので、なぜ自分たちは経済学の宣伝がこんなにも下手なのだろうと悩む経済学者たちと話す機会がたくさんあった。問題の一部は明らかに、経済学者の多くが、経済学の方法論的基礎を道徳的・政治的に中立なものとして提示できていないことにある。経済学者たちは、道徳を見下し蔑む態度や自由市場への支持をあたかも、言わば「決まりきったこと」であるかのように主張してしまう。残念ながら、〔経済学を教える講師の唱える〕道徳懐疑主義や右翼イデオロギー(厳密な意味で右翼イデオロギーではないにしても、それとよく似たひどいしろもの)に授業初日の時点でウンザリしてしまった学生は、経済学の議論全般を聞くに値しないものと判断するだろう。
もし私がスローガンを作るとしたら、〔「インセンティブは重要だ」ではなく〕「道徳は重要だ」というものになるだろ。別に道徳だけが重要と言いたいわけではない(なんだかんだ言って自己利益も重要だ)。単純に私の経験上、道徳感覚を不用意に刺激してしまうと、人々は議論を聞こうという気にならないのだ。残念なことに、そのような道徳感覚を身につけている経済学者はあまりにも少ないし、いたとしても大昔にその感覚を失ってしまっていて、それがどういう感覚だったかを覚えていない。(例えばチャドウィックの本を開くと、タバロックとコーエンが動画で引用していた部分のすぐ後に、こんなことが書かれている。到着時に生き残っていた囚人の数に応じて船長に報酬を支払うやり方を採用したのに、囚人のいくらかが死んでしまったとしよう。そうなったとしても、この仕組みのおかげで「全ての貧しい囚人に対して、少なくとも1人、その死を心から悲しむ人〔つまり船長〕が存在することは保証される」。経済学者の多くはこれを愉快な笑い話と考えるだろうが、この話にぎょっとする人が多いことも事実だ。それを感情的な反応と貶すべきではない、と覚えておくことは重要である。)
私が(『資本主義が嫌いな人のための経済学』の中で)経済学の基本的な考え方を分かりやすく提示しようとした際、タバロックとコーエンが持ち出したような例を避けようと努めたのは、実はこういった理由による。私が経済学の基本概念を説明するために選んだ例は、交通道路における人々の行動だ。この例を選んだのは、インセンティブが人々の行動をどう形作っているかが非常にハッキリと見て取れる(例えば、道路において人々は可能な限り速く目的地に到着したいと考えるので、非常に道具的に行為する)からだけではない。読者がお金に対して抱いている複雑な道徳的態度を刺激しないために、金銭の要素が一切ない例を挙げるためでもあった。そして言うまでもないが、道徳を蔑んだり、「経済」と「慈悲」が正反対のものであるかのように論じたりもしていない。
いずれにせよ、「学生を経済学に入門させないためにはどうしたらよいか」について3分で入門したい読者がいたら、私はこの動画をオススメする。
[Joseph Heath, Why people hate economics, in one lesson, In Due Course, 2015/1/14.]References
↑1 | 訳注:タバロックとコーエンが運営するブログ「マージナル・レボリューション(Marginal Revolution)」から派生した、無料の経済学教材動画を提供するサービス。「マージナル・レボリューション」の記事は当サイトで多数翻訳されている。タバロックの記事はこちら、コーエンの記事はこちら。 |
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