アンドルー・ポター「警察による法の行使が恣意的に見えるのはなぜだろう?」(2023年12月20)

警察の業務は、警察自身の定義する秩序の維持にあることを理解すれば、警察の奇妙に見える行動も理解できるようになるだろう。

なぜカナダの警察は法を執行しないのだろう?

この素朴な疑問は、2022年初頭、フリーダム・コンボイ [1] … Continue reading の危機の際に湧き上がったが、10月7日のハマスによるイスラエルの攻撃と、それに続くイスラエルによるガザ地区への軍事侵攻を受けてカナダ世論の混乱が高まる中、この数週間で再び持ち上がった。ハマスとイスラエルとの紛争を受けて、カナダ市民の多くが街頭やその他公共の場で、集会・表現の自由を合法的に行使して、ハマスかイスラエルのどちらかの一方を支援している。

しかし、こうした集会や表現の多くは、ハラスメント、脅迫、ヘイトスピーチ、暴力の扇動といった形をとっており、一線を超えて犯罪行為となっているようにも見受けられる。最近話題なった事件だと、日曜日にトロントのイートン・センター・ショッピングモールで行われたパレスチナを支持する抗議活動だ。大人数(その多くは覆面をしていた)が、ファストファッションのZARA店舗前でデモを行った。ZARAは、ガザでの破壊を彷彿させるかのような広告キャンペーンで批判を受けている。なお、ZARAによると、広告は紛争前に撮影されていたが、それにもかかわらず取り下げたということだ。

しかし、イートン・センターでの抗議活動は強行され、多くの市民がクリスマスの買い物を邪魔されて憤慨した。しかし、覆面をしたデモ参加者が何者か指指さして、「オネンネさせてやる」「6フィートの深さに沈めてやる」と繰り返し言っている映像が流布されたことで、混乱は犯罪へと一線を超えたように見えた。映像では発言に続いてカメラがパンしたことで、この明らかな脅迫が、多くの警官の前で行われたことがわかる。

SNS上で、この動画を見た多くの人がすぐに指摘したように、これは犯罪だ――少なくとも刑法第264条第1項「いかなる者も、いかなる方法においても、故意に何者かに死または身体的危害を加える脅迫の旨を発す、ないし脅迫をその者に受け取らせた場合、罪を犯したこととなる」を額面通りに受け取るなら。この犯罪行為で有罪判決を受けると、5年以下の懲役が執行されることになっている。同様に、刑法第319条第1項では「特定可能な集団に対する憎悪を扇動し、そうした扇動が平和の侵害に繋がる可能性が場合」には、2年以下の懲役に処せられる起訴されるべき犯罪行為と書かれている。最近のさまざまな抗議活動で起こっているものの中には、明らかに「憎悪の扇動」に該当するものが多くある。

ところが、法の執行はほぼ行われておらず、法律違反が蔓延しているようだ。なので、カナダ人は当然のことながら、なぜ警察は法を執行しないのかと疑問に思っている。なぜ誰も逮捕されないのだろう? と。

これの一般的な回答の一つが、警察には常に状況の「エスカレート緩和」が求められており、〔逮捕や拘束のような〕代替案よりも優先される、というものだ。ナショナル・ポスト紙のコラムニスト、クリス・セリーは、イートン・センターでの対立についての一連のツイートで以下のように述べている。

私たちは、彼ら[警官]が、それ〔エスカレート緩和〕を行っていることに気付いておらず、彼らが私たちの気に食わない人(例えば、ハマスの崇拝者、反ワクチン主義者、鉄道封鎖者、オタワの占拠者)の頭をかち割らないことにイライラしているのだ。

これには一理ある。しかし、警察が法の執行による被害を軽減させるために執行を意図的に拒否しているとする考えは、警察が実際に何をしているのかについて、些細だが重要な誤解をしていることを露呈している。

ほとんどの人は、警察は法を執行するために存在していると考えている。犯罪を捜査し、証拠を集め、加害者を特定し、逮捕する。これは何世代にもわたって放送されてきた警察ドラマによって我々に叩き込まれた警察についての見解であり、最も自明になっているものだと、〔アメリカで長年放映されているTVドラマ〕“Law&Order(法と秩序)”の冒頭のナレーションだ。「刑事・司法制度は、2つの別個の、そしてそれぞれ同等に重要な組織によって構成されている。犯罪を捜査する警察。犯罪者を起訴する州検察官である」。

実際には、警察による手続き的な意味での法の執行は、警察活動のほんの一部にすぎない。警察自身も含めて皆、警察は法を執行する仕事をしていると思っているかもしれないが、実際にやっていることは、ほとんどの場合で、秩序の維持にある。しかし――ここが肝心な点だが――警察は、警察自身が定義した状況にしたがって秩序を維持する。

組織理論家のジョン・ヴァン・マーネンによる、警察活動についての古いが必須の論文『クソ野郎』がある。論文は、路上で警察の行っている基本的なタイプ分けを説明している。警察用語では、〔市民は〕3つの主要なキャラクターに分けられる。不審者(犯罪を犯している可能性がある人)。何も知らない者(周りで何が起こっているのかまったくわかっていない人)。そして最後が、クソ野郎だ。クソ野郎とは、警察による状況の定義を受け入れないとみなされる人のことだ。

誤解がないように言っておくが、ここで言われている「クソ野郎」は、必ずしも、いや大抵の場合で犯罪者と疑われていない。警察にとって「クソ野郎」とは、「動いてください」とか「ここには何もないですよ」と声を掛けると、「逮捕するつもりですか?」としつこく応答してきたり、「私は自身の権利について承知している!」と宣言する人のことだ。他には、誰かが法律違反をしているを見て「なぜあの人を逮捕しないのですか?」と警官に訪ねてきたり、「私人逮捕」を決行しようとしている人も「クソ野郎」だ。

クソ野郎がしていることは、クソ野郎と対峙する警察官個人の役割だけでなく、善と適切性の最終的な決定者という警察全般の正当性に疑義を投げかける行為となる。そして、この限りにおいて、クソ野郎は、(既存の枠組みの中で警察の役割を確認するだけの)法律違反者よりも、警察の地位を脅かす存在だ。

警察は、警察自身によって定義されているように見える秩序を維持する業務を行っていることを理解すれば、警察の奇妙に思える行動を説明してくれる。例えば、フリーダム・コンボイがオタワを占拠している間、市民の多くは、占拠者に抵抗した罪で警察に拘束されたり、手荒な扱いを受けたり、「移動させられた」ことでショックを受けた。特に「ビリングス橋の戦い」ではそうだった。なので、オワタ市民の多くが、警察はいったい誰の味方をしているのかと疑問を抱くことになった。答えはむろん、「警察は警察の味方だ」。

より悲惨な例として、アメリカ・テキサス州ウバルデのロブ小学校で、元生徒が19人の児童と二人の教師を殺害した事件で、小学校に二人の子供を通わせていたテキサス州の女性アンジェリ・ゴメスの件を挙げられるだろう。「活動中の銃撃犯」状況が進行している間、ゴメスは学校に行き、警官を学校に突入させようとした。努力は虚しくゴメスは手錠をかけられた。ゴメスは最終的に解放されると、フェンスを飛び越えて学校に侵入し、自分の子どもたちを助け出すことに成功した。それから数ヶ月間、ゴメスは、ウバルデ警察から嫌がらせを受け、尾行されることになった。なぜなら、学校の状況や事件への警察の解釈に疑義を呈するという許しがたい罪を犯したからだ。

こうした全ては、この数ヶ月のカナダでの警察行動、特に先週のイートン・センターで起こったことを説明するのに役立つ。警察活動の観点からは、大きな問題となっていたのは、親パレスチナ活動による混乱ではなかった。警察が対処しようと決めれば、簡単に対処できた問題だったからだ。警察にとって本当に問題となっていたのは、抗議活動を撮影していた人らである。なぜなら、彼・彼女らは傍観している警察の動画を投稿し、ネット上で警察が仕事をしていないと(され)多くの野次が寄せられることになったからだ。

最後に、トロント警察協会(トロント市警の労働組合)が、数日前に警察の不作為に対するネット上の苦情や質問に回答して、ツイッター上で興味深い呟きを行ったが、この呟きの背景を説明しよう。例えば、トロント・サン紙のコラムニストのジョー・ウォーミントンによる、なぜこのような明らかな脅迫が許されるのかと疑問を呈したツイートに対して、トロント警察協会は以下のように返答している。

警察は、一般市民に脅迫が向けられた抗議活動に対応するため、イーストン・センターに待機していました。脅迫の被害者は、この件を問題としないことにしました。トロント警察協会のメンバーは、抗議活動がエスカレートしないように日々努力しており、また私たちはそうした努力に敬意を捧げるものです。

これを言い換えるなら「余計なお世話だ、クソ野郎」だ。

〔原題直訳:警察が法を行使しないのはなぜだろう?〕
[Andrew Potter,“Why won’t the police enforce the law?” The Line, 2023/12/20]

References

References
1 訳注:コロナ危機中にカナダ政府が行った一部職業へのワクチン接種の義務化と非接種者への行動制限に対して行われた抗議活動。抗議活動は、公共施設や輸送路になっている橋等を占拠して、市民の生活に大きな影響を与えた。
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