ブランコ・ミラノヴィッチ「融和主義から戦争へ:ロシア連邦初代外務大臣アンドレイ・コズイレフの政治回顧録を読む」(2022年5月22日)

ロシアは、政治指導者達があまりに無能だったことで、巨大な不遇をかこってきている。彼らは、意図と正反対の政策を実施した。

From dilettantism to war: a review of Andrei Kozyrev’s political memoir
Posted by Branko Milanovic on Sunday, May 22, 2022

ロシアは、政治指導者達があまりに無能だったことで、巨大な不遇をかこってきている。彼らは、意図と正反対の政策を実施した。見通しの良い国内政策と外交政策を企図したプレジネフは、長期にわたるソ連経済の技術的衰退を招いてしまった。ゴルバチョフは、民主主義的な連邦国家を作ろうとしたが、ソ連邦の崩壊といたるところでのナショナリズムの台頭を受け入れざるをえなくなり治世は終焉を迎えた。エリツィンは、民主主義的なロシアを目標としたが、歴史上最大規模の資産略奪を看過し、最終的に古参のKGB職員に頼らざるをえなくなった。プーチンは、ロシアを衰退から挽回させることを目的としたが、彼の退任後のロシアは、少なくとも250年前よりも弱体化し、小さくなり、孤立化するだろう。

アンドレイ・コズイレフは、1990年(ロシアがまだソ連邦の一部だった)から1996年まで、エリツィン政権の外務大臣を努めた人物だ。ロシアの歴史上、最も親米的な外相であり、西側のマスコミから「ミスター・ダー」と呼ばれた(これは、前任の外相アンドレイ・グロムイコが〔拒否権を乱発し〕「ミスター・ニェット」と呼ばれたことの対比から来ている)〔訳注:ロシア語で「ダー」は「イエス」、「ニェット」は「ノー」を意味している〕。コズイレフは『火の鳥:ロシアにおける民主主義の予測不能な運命』という、大臣時代についての政治的な回顧録を書いている。回顧録は、よく書けていて、読みやすい(もっとも、この副題は誤解を招く。この本はロシアの民主主義とほとんど関係がなく、主に扱われているのは外交政策である)。しかも、この本では、外交であれ、国際関係にせよ、分析的な枠組みがなく、通例用いられる学術的な「注釈」も存在しない。この本には、脚注もまったくなく、アメリカやロシアの新聞記事を除けば、論文や書籍への言及もない。ロシアの外交政策は、国際関係論を無視して行われていたのだと感じられる。(この本は、同じような政治家の回顧録である、ヘンリー・キッシンジャーの『回顧録 中国』(私の書評はここ)や、ソ連の外交官だったイワン・マイスキーの類まれな戦争日記に比べると、かなり劣る内容だ)。

ロシアになんらかの「理論」があったとしても、コズイレフが1990年代前半を通じて抱いていた見解は、「民主主義国家」同士は特別な「友情」を育んでおり、ソ連のような「全体主義」国家は民主主義国家とは完全に異なる帝国主義的外交政策を取っている、という信じられないほどナイーブなものであった。コズイレフは無自覚だったようだが、この見解は、ソ連が保持していた古い理論と同じものにすぎない。共産主義体制であらわになるはずだった矛盾が、民主主義体制になっても引き継がれていたのである。コズイレフは、中身は違う同じ「箱」を使っていたにすぎない。むろん、どちらの「理論」も非現実的である。国内の政治体制がどんなものであれ、おのおのの国家はそれぞれ利害を持ち、自国のために戦っているのである。コズイレフは、アメリカの非妥協的態度と、ロシアのあらゆる要求への軽蔑的な扱い直面し、不本意ながらもすぐにこの〔各国は自己利害を優先させている事実〕に気づくことになる。よって、この本の後半部分は、暗澹たる内容となってる

ロシアのウクライナ侵攻を招いた全ての問題は、すでにここに見ることができ、今回の戦争はほとんど運命付けられていたように感じる(ただし、この本は2019年に出版されており、意図はそこにない。そして、コズイレフは、プーチンのウクライナ侵攻の決断を痛烈に批判している)。ロシア・ウクライナ問題は、〔15カ国から成立していた〕ソ連邦を解体して〔12カ国からなる独立国家共同体を成立させた〕ベロヴェーシ合意が成立した瞬間から浮上している(〔ウクライナ初代大統領〕クラフチュクの側近はベロヴェーシにいながら協定作成に参加しておらず、ウクライナ議会は国境不可侵に関する追加修正を含む協定案を可決した)。協定自体も合法性の観点から非常に疑わしいものであった。協定は、本来〔ソ連邦を形成していた〕15カ国全ての最高責任者によってなされるべきだったが、〔ロシア・ウクライナ・ベラルーシの〕3つの共和国の大統領によって決定されたからである(当然ながら、カザフスタンの大統領は、朝刊でソ連の解体と自国の独立を読まされ、鼻白んでいる)。

NATOの拡大は、クリントン政権の2年前以降、米露関係の最重要課題になっており、コズイレフが辞任する1996まで、常に中心に備えられていることが分かる。NATO拡張をめぐる米露間の対立は、2007年のジョージ・W・ブッシュによるウクライナとグルジアへの軍事同盟の明確な参加要請や、2007年のプーチンのミュンヘン演説に端を発してるとは考えられないのである。NTOの変革・拡張に関する議論は、米露関係のごく初期、つまり基本的には1990年代の前半から半ばから続いていることが、本書では極めて明瞭に示されている。

ポーランド大統領であるレフ・ヴァウェンサが、エリツィンに大量のウォッカを飲ませ、首脳会談を2人だけの秘密ごとにし、ポーランドのNATO加盟に同意する一文を共同声明に差し込んだ話等、コズイレフが語る歴史は奇想天外なものばかりだ。コズイレフは(〔カザフスタン大統領〕ヌルスルタン・ナザルバエフが以前エリツィンを「ウォッカで手なづた」ことを知っていたので)心配になり、エリツィンの部屋に行くが、エリツィンは理性的な会話が不可能な状態になっていたとのことだ。翌日、ロシア外務省はこの締結を骨抜きにしようとするが、悪影響は今に至るも及んでいる。

この本を読めば、ロシアの外交政策が融和主義だった事実が分かるが、分析的な枠組みなされていなかったことで、米露間の誤解でコアとなっていた重要な矛盾にコズイレフが無自覚であるような事実にも読者は驚くだろう。ソ連(とロシア)を尊重していた父ブッシュ政権が退陣し、クリントン政権になると(おそらくそれ以降も)、ロシアは〔アメリカに対して〕世界的な大国としての扱いを求めつつ、財政的な援助を求める隷属国家に落ちぶれてしまう。1990年代にロシアが経済的に衰退すると、この2つの「役割」のギャップはさらに拡大した。エリツィンもコズイレフも、クリントンに金をせびりながら、自らを世界的な大国と位置づけるポーズが、まともに受け入れられるとは想定できなくなったのだろう。

ロシアが「自国を重要国家として売り込む」には、民主主義的な地位を無意味に主張するのを止め、経済を強化し、政治体制の秩序をもたらし、汚職を減らし、世界が買いたがる有用なものの生産を開始し、石油依存国家であることを止めなければならない。もしロシアが20年前にそうしていれば、アメリカからの評価はまったく違っていただろう。そうなっていれば、アメリカは、ロシアを軍事戦略的に競争関係にあるとの見方を捨てなかったかもしれない(1991年以降、明らかにそうなっている)が、トランプ政権以前のアメリカによる中国の扱いのように、ロシアを尊重する態度を取っていただろう。しかし、こうした単純な真実を、コズイレフは理解できてないようだ。彼は、(明白に)経済に関心を示しておらず、エリツィン政権の基盤を破壊した腐敗にも関心を示していない。

ロシアは、大国として扱われない事実を甘受できず、エリツィン政権でもプーチン政権でも、自国を重要な国際プレイヤーに変身させられなかったため、核兵器と世界の半分を消滅させられるとの力の行使が、唯一の示威行動となったのである。文化的影響力、言語、19世紀の偉大なロシア芸術に一般的に馴染んでいた地域においてすら、(ソ連時代と異なり)イデオロギー的にほとんど影響力を与えられなかったからだ。

コズイレフは、これを重要な問題として認めていないし、認識すらしていないようである。彼の回顧録は読み物としては面白い。しかしその面白さは彼の意向とは裏腹に、1990年代のロシアの外交政策はアマチュア的な体質だったことをが明らかになっていることに起因している。

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