《『ガーディアン』紙》(…)イルカのケリーは、なかなかの評判を立てている。同施設にいるすべてのイルカは、プールに落ちたどんなゴミでもとっておくように訓練されている。あとで飼育員がやってきたらそのゴミをご褒美の魚に交換してもらえるのだ。こうすることで、イルカたちはプールをつねにキレイに保つお手伝いをしている。
ケリーはただのお手伝いからさらに一歩すすんでいる。プールに人が紙くずを落とすと、ケリーはそれをとってプールのそこにある岩に隠してしまう。次に飼育員がやってきたら、ケリーは岩の下から紙くずを取り出して、1かけらだけちぎって飼育員に渡す。ご褒美の魚をもらったら、またプールの底にもぐっていって、さらに1かけらだけ紙をちぎって、もう1匹もらう。これを繰り返す。
(…)ケリーのズルはここで終わらない。ある日のことだ。カモメがプールに飛来すると、ケリーをこれをつかまえて飼育員がやってくるのを待ってから渡した。大きな鳥だったので、飼育員はケリーに魚をたっぷりあげた。これをきっかけに、ケリーは新しいアイディアがひらめいたらしい。次のエサの時間がやってくると、ケリーは魚を最後までたいらげてしまわずに、1匹だけ残してプール底の岩に隠した。前に紙くずを隠しておいた場所だ。飼育員がいないときをみはからって、ケリーはその魚をプールに浮かべてカモメをおびき寄せるのに使った。まんまとやってきたカモメをつかまえて、もっと魚をもらってやろうというわけだ。この割のいい戦略をモノにすると、ケリーは我が子にも教えてやり、その子がさらに他の若いイルカたちにも教えてやって、カモメ狩りはイルカたちのあいだで大ブームになっている。
イルカたちはたんにシステムの抜け穴を突いているだけではなく、資本構造を使って総産出量を増やしている。
動物について知れば知るほど、ヒトとの差が小さく見えてくる。20年以上も昔のこと、『ゾウがすすり泣くとき: 動物たちの豊かな情動生活』を読んで、なるほどと思った。だが、当時は賛否のわかれる本だった。今日、明らかに喜んだり他のいろんな情動を示したりしているのを示す何千という YouTube の動物動画から、動物に情動があるのは自明に思える。
動物に意識があるかどうかはいまだに論争中だけれど、他人の精神とヒト以外の精神とのちがいは、ぼくにはごく小さいようにみえる。他人に精神があると信じられるなら、ヒト以外に精神があるということもぼくはあっさり信じられる。『意識に関するケンブリッジ宣言』にあるように:
収束する証拠から、ヒト以外の動物も意図的な行動を見せるほか、神経解剖学的・神経化学的・神経生理学的な意識状態の底質があることが示されている。その帰結として、証拠を勘案すると、意識を生成する神経学的な底質を保有するのはヒトのみに特有なことではないことが示されている。あらゆる哺乳類や鳥類をはじめ、タコなどのその他の生き物たちも含めて、ヒト以外の動物にもこうした神経学的な底質がある。