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クリスティアン・シューベルト: 『ナッジ』の倫理について (2016年1月22日)

Christian Schubert, A note on the ethics of nudge , (VOX, 22 January 2016)


『ナッジ』とは、人々の行動に影響を及ぼすが、そのインセンティブを変更することも、強制を加えることもないような形で行う人のチョイス・アーキテクチャの修正である。1つの政策手段としてみたとき、ナッジが或る種の行動を変更させるのに効果的であることは夙に示されてきた。本稿では、人間操作的とも成り得るこのような政策を用いる際に生じてくる倫理的問題の究明を試みる。考え得る政策が人々の福利厚生・自律性・全一性 [integrity] に及ぼす影響を究明する評価プログラムを素描しつつ、そこにみられる実務への示唆にも目を向ける。

市民は合理的であり、かつ、十分な情報を与えられていると想定するなら、スタンダードな政府政策の費用・効果評価は単純明快である。選択は、消費者および企業についての純然たる目的関数を最適化することにより導出されるので、政策の評価はそれが同目的関数の値をどのように変化させるかを基準に為されることになる。しかし『ナッジ』 の評価査定はこれとはかなり異なる。

『ナッジ』とは、人々の行動に影響を与えるが、そのインセンティブ構造の重要部分を変更することも、如何なる強制を加えることも無いような形で行う、人のチョイス・アーキテクチャ (CA) の修正である (ThalerとSunstein 2008).[原注1]。ナッジが 『上手く働く』 ことを示す実証データは枚挙に暇無いが (CostaとKahn 2010)、それは果たして福利厚生の向上をもたらすものなのだろうか?[2]

実際、ナッジの費用・効果評価には幾つかの避けては通れない倫理的考慮事項が伴っている。本稿では、ナッジの支持者からも批判者からも一般に見過ごされがちな論点を数多く挙げてゆく[3]

ナッジ政策を評価する際に考慮すべきものとして、私が挙げるのは以下の4点。

  • 第一に、問題のナッジというものが、人々の福利厚生を向上させるものなのか、そうではないのか、先ずこの点を見てゆこう。

困ったことに、早くもこの時点で我々は苦境に立たされることになる。

『行動科学的世界』 における福利厚生をどのように捉えるべきか、既にこれが定かではないのだ。尤も、行動科学的世界とは実のところ現実世界に他ならず、またナッジが上手く働く世界もこの行動科学的世界である。行動科学的世界では、人々のもつ精神的リソース- つまり計算力・意志力・注意力 – に限りが有るばかりでなく、その選好も文脈依存的・非整合的 [inconsistent]・不完備的 [incomplete]である。その結果、福利厚生を 「特定かつ整合的な選好のテクニカルな意味での充足度」 と定義するスタンダードな新古典派の概念を適用することは出来なくなる。

重大なのは、代替案となるべき通説が全く存在しないことだ。確かに、これまでに多種多様なアイデアが提出されてきた – 計測可能な幸福度をはじめ、『あらゆる情報が与えられた上で形成された選好のみを考慮すべきである』 という主張をはさみ、Bob Sugdenの 『機会基準』 に至る (代替案としては、恐らくこれが現時点で最も洗練された構想だろう) [4]。とはいえ、行動科学的世界における福利厚生をどのように捉えるべきかについては、基本的にまだ結論が出ていないのだ [5]

核心的問題ではあるが、この論点はひと先ず脇に置き、先へ進もう。Chetty (2015) が言うように、ナッジはそれでも (これとの比較では従来型といえる規制手段と組み合わせれば) 何らかの形で市民が事前に賛同している具体的な政策目標を達成するうえで 『実務上』 有用である可能性は在るのだ。

  • 第二に、ナッジが人々の自律性に対し如何に作用するかを問題としなくてはならない。

ナッジは、人々の選好形成過程に介入しこれを操作することを通じ、また理性でなく程度の低い本能に訴えることを通じて、自律性という重大な価値を損なうものであるという点で、批判者の大勢は一致している。そして、このような状況におかれた個人は自己の選好に対する 『コントロール』 を喪失してしまうのだとの主張がこれに続く (HausmanとWelch 2010)。

しかしよくよく考えてみると、この主張は少し奇妙だ。自律性というものは、ここで前提とされているような超合理性に本当に依存しているのだろうか? 我々は日々の生活の中で数え切れないほどの影響源に晒されているのではないか、しかもその殆どについては気付いてすらいないのではないか? [6]  考えなしに行為したり、或いは自分が本当に信じている倫理的価値観に何らかの意味で反するような形で行為するとき、我々は自律性を — 可能性としてはそれと共に倫理的説明責任をも – 喪失することになるのだろうか (Buss 2012)? しかし以上のような切り口からナッジに反論を試みる者は必ず、構想的にも、倫理的にも、幾多の難題にぶつかることになる (例えば、そもそも『操作』とは何なのだ?)。ここではこの点を指摘しておけば十分だろう。

  • 第三の論点。ナッジに関して問題となるのは実のところ自律性ではなく、全一性 [integrity] ではないか? この点を確認してみよう。

結局のところ、ナッジが上手く働くのは、人々が未だ自らの考えを固めていないような場面であると考えられている (悪名高いカフェテリア事例を想起されたい)。つまり人々は完備型の [complete] 選好をもっていないのだ。そうであるなら、選好形成の問題をさらに詳細に観察してみるのもまた一考かもしれない。経済学者にとって選好形成の問題はアイデンティティ形成あるいは人格形成の問題の同類なのである。

故ジェームズ・ブキャナンは、「人間が自己の選好形成という課題に向き合い、自身の選好に対し自らその責任を負う」 という考えを我々は真剣に受け取る必要があると述べている (Buchanan 1999)。コースガード (2009) が示すように、不断の 『自己構成』 にとっての必要条件は、積極的選択である。或る種のナッジが情報を与えられた上での積極的選択を後押しするものであるのは明らかだが [7] 、他のナッジには人々を積極的選択に取り組むことから寧ろ遠ざけるものも在るようだ。

別の言い方をすれば、ナッジのなかには 『行き過ぎた利便性』 を生み出す可能性をもつものも在る訳である。試みに、公的ナッジが広く取り入れられた世界を想像してみよう。そこでは消費者である私には、自分の退職貯蓄について気に掛ける必要も、カフェテリアでチョコレートバーを食べないようにするだけのほんの僅かな自己コントロールの習得を心掛ける必要も、戸別訪問セールスマンの手練手管に丸め込められないよう警戒しておく必要も、無い。上記全てのケースで、何らかのチョイス・アーキテクチャが、何らかの形で背後で作用し、気付かぬうちに私を 『正しい』 方向へと導いてくれる — 初期設定や枠組みの変更を通して、クーリングオフ期間の設定を通して。言い換えれば、私は自らの選択を一種の外部団体にアウトソーシングしていることになる。

そしてまさにこのモラルハザードの一変種こそ、様々な批判的文献でナッジの 『幼児化効果』 として登場するものに他ならない (Bovens 2009, White 2013)。ここで何が問題となってくるのかに注意されたい – つまり、選好が人々の置かれた文脈に依存しており、かつ、政策によってその文脈を (部分的に) 変更することが出来るのなら、政策が人々の選好に影響を及ぼし得るものであるという問題を我々は直視せざるを得なくなり、その結果、どういった種類の選好を促進すべきかの考え抜くという全く途方もない課題を課せられる、ということにも成り得るのだ (Hargreaves Heap 2013)。ブキャナン-コースガードが示すアイデンティティ形成の重視の道は、ナッジに結び付いた規範的コストの特定を可能にしたまま、この問い (解答不可能な問いである) を回避する手立てを我々に与えてくれるものかもしれない [8]

  • 第四、 そして最後の論点となるが、以上全ての事項が政策実務に対する示唆の観点からみてどのような意味をもってくるのかについても考える必要が在る。

理想的には、ナッジ政策施行の是非を投票で決する前に、市民はその公的ナッジに付随する規範コストについて情報を与えられているべきである。

全一性の問題を考えてみよう。人々はここで、一方を 『行き過ぎた利便性』 (これは積極的選択を遠ざけるので、人格形成の妨げとなる)、他方を 『足りな過ぎる』 利便性とする (こちらでは人々は錯綜した諸般の選択に圧倒されたままの状態に取り残されることになる) トレードオフに直面することになると考えられる。そしてこのトレードオフだが、財の種類によってその様子が異なってくるようだ。基礎的ニーズを満たす基本財が問題となる場合には、殆どの人が選択を、少なくとも部分的に、信頼有る諸般の外部団体に委任したがるだろうと我々は推理するのではないだろうか。例えば基礎的な退職貯蓄の問題ではどうか。基礎的退職貯蓄の関連事項について、独自の選好を形成したいという需要はむしろ限られているように思われる。これとは対照的に、倫理的色彩を帯びた選好、例えば死後の臓器提供など — これはナッジが効果的であることが良く知られた例でもある (Smithら2013) — は容易に一般化されない。後者のケースでは、全一性の議論は規制的政策手段としてのナッジの利用に対する反論を提起するものとなる [9]

結語

殆どの場合、ナッジは比較的従来型の、インセンティブに基づく政策手段を補完するものとして施行されることになりそうである。人々のチョイス・アーキテクチャの様々に異なる部分に対する修正がどのような相互作用を生み出すかについての研究は、まだ始まったばかりだ。とはいえ、行動科学の知見から政策への示唆を引き出そうという関心をもっている経済学者が、彼らの先輩たる新古典派らが慣行としてきたところよりずっと多くの倫理的インプットを必要としているようにみえる点は、印象的である。行動経済学者はもしかすると倫理学者の盟友となるかもしれない。

参考文献

Akerlof, G A and R J Shiller (2015) Phishing for phools: The economics of manipulation and deception, Princeton, Princeton University Press.

Berg, N (2014) “The consistency and ecological rationality approaches to normative bounded rationality”, Journal of Economic Methodology, 21: 375-395.

Bovens, L (2009) “The ethics of nudge”, in Preference change: Approaches from philosophy, economics and psychology, T Grüne-Yanoff and S O Hansson (eds), 207-220, Berlin, Springer.

Buchanan, J M (1999) “Natural and artifactual man”, in The logical foundations of constitutional liberty, Vol. I, J M Buchanan, 246-259, Indianapolis, Liberty Fund.

Buss, S (2012) “Autonomous action: Self-determination in the passive mode”, Ethics, 122. 647-691.

Costa, D L and M E Kahn (2010) “Energy conservation ‘nudges’ and environmentalist ideology: Evidence from a randomized residential electricity field experiment”, VoxEU.org, 19 May.

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Hargreaves Heap, S (2013) “What is the meaning of behavioural economics?”, Cambridge Journal of Economics,37: 985-1000.

Hausman, D M and B Welsh (2010) “Debate: To nudge or not to nudge?”, Journal of Political Philosophy, 18: 123-136.

Korsgaard, C M (2009) Self-constitution – Agency, identity, and integrity, Oxford, Oxford University Press.

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Reiss, J (2013) Philosophy of economics: A contemporary introduction, London, Routledge.

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Smith, N C, D G Goldstein and E J Johnson (2013) Journal of Public Policy & Marketing 32: 159-172.

Sugden, R (2004) “The opportunity criterion, consumer sovereignty without the assumption of coherent preferences”, American Economic Review, 94: 1014-1033.

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White, M D (2013) The manipulation of choice: Ethics and libertarian paternalism, New York, Palgrave.

原注

1 ナッジは広く 『リバタリアンパターナリズム』 の包括的規範プログラムと関連付けられてきた (ThalerとSunstein 2003)。これは正当なCA修正の範囲を限定しようとするものである。しかしナッジは、環境保護など、非パターナリズム的な目的の追求にも採用しうる (例えば SunsteinとReisch 2013, Schubert 2016)。またナッジは 『透明性』 をもつものと想定されているが、この 『透明性』 とは恐らく、注意深い行為主体ならば、ナッジや、それが働き掛けてくる経路を特定することが出来るはずだ、というぐらいの意味だろう。この条件によって、例えば 『サブリミナル広告』 などは除外されることになる (Bovens 2009)。重要な点だが、完全な 『透明性』 をもったナッジでさえも極めて効果的と成り得る旨を伝える実証データが存在する (Loewensteinら2014)。 Sunstein (2014a: 13) が述べるように、基本的なアイデアは『人間の実際の思考・行動形式に密着した、合理的かつコストの低い政策』 を開発することに在る。合衆国および英国では特に顕著だが、ナッジは政策画定を担う実務家から非常な好評を博している。

2 人々の認知バイアスを利用したり、それに応答することでこれを行うのである (Hansen 2015)。

3 詳細はSchubert (2015b) を参照。

4 その批判的検討はSugden (2004, 2008) および Schubert (2015a) を参照。

5 同問題は錯綜を極める 『合理性』 の理解の問題と深く関わっている。ThalerとSunstein (2003, 2008) は新古典派の変種に固執しているるが (経済人を規範に関する範例に持ち上げることさえ行っている!)、他方には新たな 『経済的合理性』 概念を提示する者もいる (例えばBerg 2014)。

6 Reiss (2013: 299) を参照。競争市場が民間商業部門における欺罔的なナッジの温床となるか否かについては未だ結論が出ていない。例えばAkerlofとShiller (2015)。

7 すぐ思いつく例としては注意喚起や単純化が在る。念の為一言: ナッジ政策群全体がチョイス・アーキテクチャのもつ行動科学的力に対する意識を高めており、これは様々な場面で情報を与えられた上での選択を促進してくれるはずだ。また、義務的選択が政策画定者の取り得る道具立ての (非ナッジ的な) 一部であることにも留意せよ。

8 ここで紹介しておきたいのが私には本文で記述するだけの勇気がもてなかった異端説で、– つまり、規範経済学の中心となるべきは、人々が現にもっている選好ではなく、寧ろ不断に変化する選好を涵養する為の能力ではないか? Rothenbergは (1962: 282-83) このアイデアを夙に述べていた。

9 ここで福利厚生の議論を全一性問題と突き合わせてみることも出来るかもしれない。しかし既にみてきたように、我々の生きる行動科学的世界において 『福利厚生』 なるものが一体なにを意味するのかは、少なくとも個人のレベルでは、本当のところ誰にも分からないのである。

 

 


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