Jeffrey Butler, Paola Giuliano, Luigi Guiso,”Whom to trust: Why we persistently get it wrong” (VOX, 04 November 2016)
信頼信念 [trust belief] を常態的に誤り続けた個人が被る経済的帰結の大きさは、大学不進学の帰結に匹敵し得る。本稿は信頼評価が行われるプロセスに光を当てたものである。モラル懸念が大きな役割を果たしていることが実証されたが、こうした懸念が回り回って信頼行動における常態的錯誤の一因となっている可能性がある。
他人の信頼性の評価は、其処彼処で行われる、しかも根源的なプロセスである。もし信頼性の評価が誰かを信頼する行動に直結するのなら、『信頼信念 [trust beliefs]』 形成プロセスの解明は重要な意義をもつ。目下の合衆国大統領選挙は投票権者が候補者の信頼性をどの様に評価しているのかに掛かって来るのだろう。合衆国の投資詐欺師バーニー・メイドフの被害者達を見れば、信頼の誤った割当てから生ずる財政的帰結が如何に深刻なものとなり得るか、今ひとたび思い起こされようものだ。
大半の経済活動において信頼は一つの前提条件をなすとKenneth Arrow (1972) が主張したのはよく知られた所だ。活発かつ層も厚い経済学の研究領域に、信頼とその総計的な経済的帰結の探求にフォーカスを合わせたものがあるが、同領域での研究により国家間の一般的な信頼水準と、GDP成長率にはじまり国家間貿易パターンに至るあらゆる事柄との間に、強い相関関係が存在することが実証されている (Knack and Zak 2001, Knack and Keefer 1996, Guiso et al. 2004, Tabellini 2008, Algan and Cahuc 2010, Guiso et al. 2009)。
信頼がもつ経済的重要性とは裏腹に、私達に他人を信用するよう働きかけている物の正体については、驚くほど僅かにしか知られていない。先行研究によって、金銭的ファクターおよび (『裏切り』 や 『支配』 といった) 非金銭的ファクターが何らかの役割を果たすことが示唆されているが、非金銭的ファクターの内とりわけ重要ないし持続的なものはどれなのかとか、これらファクターが信頼に影響を及ぼすプロセスの精確な所などは、未だ定かではないのだ (Bohnet and Zeckhauser 2004, Cox 2004, Ashraf et al. 2006, Bohnet et al. 2008, Butler and Miller 2015, Bolton et al. 2016)。
さらに、常識的に考えれば信頼を決定付ける因子の一つに信頼信念が在るはずだが、何がこうした信念を形成するのか、またこうした信念に信頼行動との相関性が有るのであれば、それは如何なるものなのかについて知られる所も、なおもって少ない。
信頼および信頼信念に関わるモラル的決定因子
私達の研究はこの隔たりに架橋を試みるものである。所謂 『信頼ゲーム』 を通して得た実験実証テータを利用し、信頼と信頼信念の決定因子に光を当てた。同ゲームでは、一人の人物 (『送り手』) がまた別の一人の人物 (『受け手』) お金を送る。受け手がお金を受け取る場合、その金額は [訳註: 実験施行者の手で、送り手が実際に渡した額よりも] 割り増しにされる。他方、受け手側は送り手に対し、こうして得た金額の全額または一定額を返還するか或いは全く返還しないかの何れかを選択できる。受け手は何ら制約の無いところでこの意思決定を行うので、送り手側の選択は信頼行動と解釈してよいはずである。
こうして得られた結果は、モラル懸念が信頼を生み出す過程、およびその程度を照らし出すものとなった。非金銭的懸念の範囲を明らかにした先行研究を踏襲しつつ、私達はButler et al. (2016a) で、信頼ゲーム実験の文脈において何が 『ズル』 となるかについてゲーム参加者が抱いている主観的、個人的な考えを引き出し、これを同ゲームで観察された彼らの行動と関連付けた。
その結果、モラル懸念のもつ直接的かつ大きな影響が明らかになった。期待される返還額が送り手の信頼行動に関する意思決定に大きな役割を果たしているのは確かだが、ズルされたと感ずる事態に陥る確率もまた信頼行動に有意な影響を及ぼしていることが推定されたのだ。驚くべきことに、個人が相手をどの程度信頼するのかという点にモラル懸念が及ぼす影響は、その大きさで見ると、リスク忌避に匹敵するほどなのである。リスク忌避というのは、この信頼/投資意思決定の決定因子として既に比較的広く認識されてきたものであった。
ズルの概念
こうしてモラル懸念が信頼に関する一つの重要な直接的決定因子である事を実証したのち、我々はさらにモラル懸念が信頼行動に影響を及ぼす可能性のある間接的経路も明らかにした。そうした経路の一つは、送り手の信頼信念を介して作用するもので、つまり自らと一緒にゲームに参加している (匿名の) プレイヤーがズルされたと感じないように、受け手側が配慮していることが判明したのである。何がズルになるのかにコンセンサスは無い – ズルの定義に大きなバラツキがある点も私達は明らかにしている – ので、受け手は、送り手の立場からすれば何が 『ズル』 と見做されるだろうか、推し量ってゆく必要がある。
受け手はどの様に推量するのだろうか? 本実証データからは、これこれの行為は送り手の立場からすればズルと見做されるだろうという受け手側の信念は、受け手自身がどの様にズルを定義しているかに強く相関している様子が伺われる。これは、人は他人も自分と似たようなものだと考えがちであるという 『偽の合意』(Ross et al. 1977) と呼ばれる心理現象とも整合的な傾向だ。
まったく感嘆するほかないが、送り手の方でも、どうやらこうした思考プロセスの先取りをしているらしいことが判明した。送り手自身によるズルの定義と、送り手の考える受け手が返還してくれるだろう額面との間に強い正の相関関係が発見されたのである。
ズルの主観的定義を通して顕になったモラル懸念だが、これが信頼行動に対し直接・間接に強く作用しているとなれば、当然つぎの問いが生ずる: こうした多様な定義は何処にその出自を持つのかだろうか? ズルの概念は両親によって刷り込まれた価値観から影響を受けているのではないか、本研究はそう示唆する。参加者を対象に、自らの成長過程で両親に教え込まれた価値観を尋ねる調査を行ったうえ、こうして得られたリストを以下の2カテゴリに分類した:
- 向社会的価値観。例えば利他主義や協調性など。
- 向競争的価値観。他人より優れた人物となるべく力を尽くせ、など。
結果、向競争的価値観がズルの定義の厳格化 – つまり、ズルされたと感じないでいる為に必要となる返還額の上昇 – と結び付いている一方、向社会的価値観のほうはズルの定義を相当緩和ないし低下させていることが判明した。
実験成果の現実世界への示唆
信頼に関するこうした実験成果には何か現実世界に対する示唆が有るのだろうか? 信頼信念が信頼行動を突き動かしているのならば、信頼行動は経済的成功にとって一重大事である。さらに言えば、常態的に誤った信頼信念に固執している人がいるならば、こうした誤った信念から相当な経済的損失が生み出されている可能性がある。
両親から刷り込まれた価値観と、回り回って、信頼信念との関係性は、常態的な錯誤的信念の一つの源泉なのかもしれない。そうした経路の誘導形の一つが、先に挙げた偽の合意なのだろうか。例えば、信頼する価値のある者ほど、他人をその実態以上に信頼できる奴だなと考えているのかもしれない – そして意識下レベルで作用している部分については、偽の合意が様々な信念に及ぼしている歪曲的効果を、実証データを使っても根絶できない可能性がある。
こうした経路の何れとも整合的な点だが、私達は大規模サーベイデータを利用した関連研究を通して、誤った信頼信念と結び付いた個人レベルでの相当な経済的損失を実証している (Butler et al. 2016b)。誤った信頼信念に帰し得る所得損失は、大学不進学と結び付いた所得損失と同規模である [in the same order of magnitude]。この誤った信頼信念と収入損失との関係性は或る信頼ゲーム実験を通し再現されているが、そこでも両親に刷り込まれた価値観、および偽の合意が、信頼信念形成に相当の影響を持つことが確認された。
経済学者はとくに信頼というものが個人レベルでも、また社会全体にとっても重要な現象であると指摘してきた。そうなればやはり、信頼の決定因子をめぐる様々な問いが浮上してくるのも当然と言えよう。誰を、どの程度、信頼するかの意思決定が、部分的には金銭的懸念からバイアスを受けること、しかしモラル懸念が果たす役割も相当大きく、しかも多種多様であること、これらの点を私達は既に学んだ。信頼・信頼信念・刷り込まれた価値観、また偽の合意といった自動的に行われる心理的処理プロセス。こうした要素間の相互作用を扱う研究領域には、まだまだ類稀なる豊饒性を秘められている可能性がある。
参考文献
Algan, Y and P Cahuc (2010) ‘Inherited Trust and Growth’, American Economic Review 100 (5): 2060-92.
Ashraf, N, I Bohnet and N Piankov (2006) ‘Decomposing Trust and Trustworthiness’, Experimental Economics 9(3): 193-208.
Arrow, K (1972) ‘Gifts and Exchanges’, Philosophy and Public Affairs 1: 343-62.
Bohnet, I, F Greig, B Herrmann and R Zeckhauser (2008) ‘Betrayal Aversion: Evidence from Brazil, China, Oman, Switzerland, Turkey, and the United States’, American Economic Review 98: 294-310.
Bohnet, I and R Zeckhauser (2004) ‘Trust, Risk and Betrayal’, Journal of Economic Behaviour & Organization 55: 467-84.
Bolton, GE, C Feldhaus, and A Ockenfels (2016) ‘Social Interaction Promotes Risk Taking in a Stag Hunt Game’, German Economic Review 17: 409-23.
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Butler, J, P Giuliano and L Guiso (2015) ‘Trust, Values and False Consensus’, International Economic Review 56(3): 889-915
Butler, J and J B Miller (2015) ‘Social Risk and the Dimensionality of Intentions’, unpublished working paper.
Cox, J C (2004) ‘How To Identify Trust and Reciprocity’, Games and Economic Behaviour 46: 260-81.
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Guiso, L, P Sapienza and L Zingales (2009) ‘Cultural Biases in Economic Exchange?’, Quarterly Journal of Economics 124 (3): 1095-1131.
Knack, S and P Keefer (1996) ‘Does Social Capital Have an Economic Payoff? A Cross-Country Investigation’, Quarterly Journal of Economics 112 (4): 1251-88.
Knack, S and P Zak (2001) ‘Trust and Growth’, Economic Journal 111: 295-321.
Ross, L, D Greene and P House (1977) ‘The False Consensus Phenomenon: An Attributional Bias in Self-Perception and Social Perception Processes’, Journal of Experimental Social Psychology 13(3): 279-301.
Tabellini, G (2008b) ‘Institutions and Culture’, Journal of the European Economic Association 6(2-3): 255-94.