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ジェームズ・ハミルトン 「1931年のヨーロッパで何が起こったのか?」

●James Hamilton, “Europe in 1931”(Econbrowser, June 19, 2012)/【訳者による付記】先日訳出したばかりの“ジェームズ・ハミルトン 「金本位制と大恐慌」”とあわせて参照されたい。


2週間前のことになるが、ケイトー研究所(Cato Institute)が開催したカンファレンスに少しばかり顔を出してきた。いくつか報告がなされたのだが、その中の一つが大恐慌期(1929年~1933年)における金本位制の役割をテーマとしたものでダートマス大学の教授であるダグラス・アーウィン(Douglas Irwin)が報告を行った。その討論者を務めたのがこの私というわけだ。討論に備えてあらかじめ用意しておいたコメント用の原稿はこちら(doc)、当日使用したスライドはこちら(ppt)、当日の討論の様子を収めた動画はこちら(mp4)――私のコメントは52分あたりから始まる――である。興味がおありなら参考にしていただけたら幸いだ。以下ではアーウィンの報告を巡って席上で議論になった話題――1931年にヨーロッパで何が起こったのか?――について軽く触れることにするが、それとあわせて現在ヨーロッパで進行中の出来事との類似点についても言及することにしよう。

大恐慌の始まり(あるいはその原因)を1929年10月に発生した株式市場の大暴落に求める意見があるかもしれない。しかしながら、ロバート・シラー(Robert Shiller)がまとめたデータ(xls)によると、その月(1929年10月)の株価の下落率は26%であり、比較的最近の2008年9月に発生した株価の下落――ひと月で20%の下落――と比べるとそれほど大差ない結果となっている。また、1929年9月から1931年3月までの間に株価は44%下落しているが、2007年9月から2009年3月までの間に株価はそれを凌駕する勢いで下落――49%の下落――しているのだ。一方で、鉱工業生産指数は1929年9月から1931年3月にかけて28%の下落を見せており、つい最近の景気後退期において記録された落ち込み――17%の下落――よりも深刻なものであったことは確かだ。しかし、仮に1931年初頭の段階で景気が回復に向かっていたとすればよくある景気後退の一つとして記憶されることになっていたことだろう。よくある景気後退の一つとしてではなく「大恐慌」(the Great Depression)として歴史にその名を残している理由、それは1931年3月以降も事態の悪化に歯止めがかからなかったことにある。1931年3月の水準と比べて最終的に株価はさらに61%下落し、鉱工業生産指数はさらに27%下落する格好となったのだ。

1931年に一体何が起こったのだろうか? よくある景気後退で済んでいたかもしれないエピソードを大恐慌へと変貌させた出来事とは一体何なのか? 1931年5月にヨーロッパで起こった出来事がそれである。当時オーストリアで最大の規模を誇っていた銀行であるクレジット・アンシュタルトが破綻し、それをきっかけにしてハンガリーやチェコスロバキア、ルーマニア、ポーランド、そしてドイツへと取り付け騒ぎが波及することになったのだ。他の金融危機の多くの例と同様に、ヨーロッパを襲ったこの金融危機でも銀行危機と通貨危機が相伴って生じることになった。つまりは、「果たして銀行は私の預金をちゃんと返してくれるのだろうか?」との(銀行危機に伴う)疑心暗鬼に加えて、「銀行から無事に預金を引き出せたとしても通貨の価値は今後も安定したままなのだろうか? ヤバそうな銀行に預金を預けておくよりは手元に金(gold)を持っておいた方が安全かもしれない」との(通貨危機に伴う)不安が蔓延する格好となったのだ。

Berlin, Bankenkrach, Andrang bei der Sparkasse

ベルリン銀行の前に大挙する不安げな預金者たち(1931年) 出典:AndrewAndJoshuaブログ

以下のグラフ1の最初のパネルでは1931年中にイングランド銀行保有の金準備高がどのように変化したのかが描かれている。クレジット・アンシュタルトの破綻後にイングランド銀行は割引率(手形割引率)の引き下げに動いたが、それにもかかわらず安全資産を求める動きを反映してイギリスへの金の流入が続き、その結果イングランド銀行保有の金準備高が増大している様子が見て取れるだろう。しかしながら、夏に入るとイングランド銀行がヨーロッパ大陸諸国に預けている資産が凍結されてしまうのではないかとの憶測が広がり、それにあわせてイギリスから金が大量に流出することになる。そして最終的にイギリスは1931年9月に金本位制から離脱することになったのであった。

次に人々の視線はアメリカに注がれた。アメリカでもイギリスと同様に当初のうちは割引率が引き下げられたが、それにもかかわらず1931年の上半期を通じて金の流入が続くことになった(以下のグラフ2を参照)。しかしながら、(1931年の)9月にイギリスが金本位制から離脱すると「アメリカもそのうち金本位制から離脱するのではないか」との思惑が広がり、それにあわせてアメリカから急速な勢いで金が流出を始めることになる。しかしながら、FRBがそれまでに手元に蓄えていた金準備が大量に上っていたことに加えて、金利が急激に引き上げられたこともあって、アメリカはどうにか金の流出(金準備高の減少)に耐え抜いたのであった。とは言っても、景気が悪化している中での金利の急激な引き上げは「金本位制の維持」という目的以外のどのような観点に照らしても破滅的な行為であったと判断せざるを得ないだろう。

1931年当時、各国(の政府)は次のような疑いの眼差しを向けられていた。「(この国は)金本位制にとどまる気があるのだろうか?」 そして各国は次のような(2つの選択肢の間での)選択を迫られていた。金本位制から離脱するか、それとも(金本位制にとどまることを選び、その結果)金融引き締めとデフレを通じた国内経済の更なる低迷を招き寄せるか。結局のところ1931年当時においては疑心暗鬼3や経済の落ち込み4がピンポン玉のように各国の間を駆け巡る結果となったのであった。時は2012年、ユーロ圏諸国(の政府)は次のような疑いの眼差しを向けられている。「(この国は)ユーロにとどまる気があるのだろうか?」 そして各国は次のような(2つの選択肢の間での)選択を迫られている。ユーロから離脱するか(あるいは不本意にも離脱を余儀なくされるか)、それとも(ユーロにとどまることを選び、その結果)一段の財政緊縮を通じて国内経済の更なる低迷を招き寄せるか。現在我々はユーロの行方を巡る疑心暗鬼やその影響がユーロ圏諸国の間を駆け巡る様をリアルタイムで目撃している最中である。

しかし、1931年当時と現在との間には大きな違いもある。1931年当時においては多くの人々の間で銀行預金よりも金(gold)を欲する姿勢が強まりを見せていたわけだが、それに応じて金の供給が増えるということはなかった。そのため、金の相対価格(最終生産物に対する金の価格)が上昇し、その結果として金本位制にとどまった国はデフレに追いやられることになった(doc)のであった。それとは対照的に、現在のユーロ圏諸国では多くの人々の間でユーロ周辺国の(ユーロ建て)国債よりもドイツ国内の(ユーロ建て)銀行預金を欲する姿勢が強まりを見せているわけだが、そのような状況に対してECB(欧州中央銀行)はいくらでも柔軟に応じることができるのだ。

  1. 原注;【最初のパネル】イングランド銀行が保有する金準備高の推移。単位;百万ドル(月末の数値を表示) 期間;1931年1月~同年12月 データの出所;Banking and Monetary Statistics, p. 551 【2番目のパネル】イングランド銀行の割引率。単位;%(月末の数値を表示) 期間;1931年1月~同年12月 データの出所;Global Financial Data どちらのパネルもともにHamilton(2012)(doc)から再掲したもの []
  2. 原注;【最初のパネル】FRBが保有する金準備高の推移。単位;百万ドル 期間;1931年1月7日~同年12月30日 データの出所;Banking and Monetary Statistics, p. 386 【2番目のパネル】 ニューヨーク連銀の割引率。単位;% 期間;1931年1月7日~同年12月30日 データの出所;Banking and Monetary Statistics, p. 441 どちらのパネルもともにHamilton(2012)(doc)から再掲したもの  []
  3. 訳注;「金本位制にとどまる気があるのかどうか?」という疑い []
  4. 訳注;先の選択のうち2番目の選択肢を選ぶことでもたらされた国内経済の低迷 []

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