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ノア・スミス「経済学概論のモデルでは労働市場はわからない理由」

[Noah Smith, “Why the 101 model doesn’t work for labor markets,” Noahpinion, April 14, 2017]

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「経済学101(概論)」の初歩的なモデルといえば,取引される財になんのちがいもない単一市場の供給-需要モデルだ.このモデルでは労働市場はわからない.でも,そこのところがどうにもわかりかねる人たちは多い.労働政策をめぐる論争にかかわる人たちのなかには,この理論がほぼ公理のようになっている向きもある――つまり,労働市場は「労働供給曲線」と「労働需要曲線」で記述できるに決まっていると考える人たちもいる.そういう人たちに向かって,「そりゃムリですよ」と言ったりすると,先方の脳みそは故障をおこしたみたいになる.「労働需要曲線がないなんてことがありうるかね? モノの価格と,みんながそいつをどれくらい買いたがってるかってこととの関係がないなんて,ありえないだろう?」

答え:観察できないときには,それは存在しないかのように扱ってかまわんのですよ.

人々は忘れてしまってるけれど,実のところ需要曲線は直接に観察できない.需要曲線は仮想の存在だ――つまり,「もしも価格が X だとしたら,どれくらい買いたいと思います」って世間の人たちに聞き取り調査して回ることはできるけれど,人々がどれくらいほしがっているか本当に知るためには,実際に価格を X にしてみるしか方法はない.そして,価格を X にするには,供給曲線を動かしてみるしかやりようがない.でも,その供給曲線がどんなものだかどうやったらわかる? 唯一の方法はですな,需要曲線を動かしてみるですぞ.

これは「同定問題」と呼ばれている.需要曲線と供給曲線のどちらか一方にだけ明らかなショックが起きてもう一方には起きないのを観察しないかぎり,それぞれの曲線がどんな具合なのか知りようがない.(ポール・ローマーは論考「マクロ経済学の問題」のセクション 4.1 でこの点を解説している.)

さて,労働市場では,この2つの曲線のどちらかにしか影響しないショックを見つけるのはとてもむずかしい.なんでかと言うと,経済のほぼあらゆることは労働で産み出されているからだ.新たに労働者たちが登場したとして,その人たちは同時に新しい消費者でもある.彼らがモノを買うとなれば,さらに多くの労働者たちがそれを生産しないといけない.最低賃金を引き上げたとして,仕事についてる人たちの所得が上昇すると,労働需要を間接的に強めることになる(経済学で訓練されたシンクタンク勤めがそろいもそろってここを見過ごしていた一方で,どういうわけか,活動家にして実業家のニック・ハノーアーは理解していた.)

いろんな市場で労働は決定的に重要な投入(インプット)となっているので,一般均衡で取り組む必要がある――言い換えると,あらゆる市場を一度に分析して扱う必要がある.1つ1つの市場を個別に扱っていては分析できない.このため,初歩的な経済学101の部分均衡モデルは労働の分析にはひどく役立たずとなってしまう.

「そうは言ってもさぁ」と言う人がいるかもしれない.「もっと弱くてかなり妥当な仮定を立ててみちゃいけないの?」 ごもっとも.これは理にかなってる.新しくあれこれの企業がつくりだされるには時間がかかるから,ごく短期で見れば,とくに技能のない移民の大群は労働需要よりも労働供給にとっていっそう大きなショックになるからね.それに,最低賃金をグンと引き上げても,その最低価格がつくりだす衝撃をおぎなうに足りる労働需要を引き上げることにはならないだろう.

こうしたもっと弱い仮定をおくと,供給曲線と需要曲線が総じてどんな具合になっているか大づかみにわかる.ここで問題:「そうして出てくるあれこれの結果が互いに矛盾してしまうんですが.」 非熟練移民が急に大幅増加した場合を研究した実証的な結果によれば労働需要にはとても高い弾力性があるらしいのに,他方で最低賃金引き上げに関する実証研究の結果によれば労働需要の弾力性はとても低いらしい.この2つが同時に事実であるはずがない.

というわけで,こうしたもっともらしい弱い同定の仮定を受け入れたとしても,労働市場が S 曲線と D 曲線で記述されると考えるのが理屈に合わないことに変わりはない.

もちろん,もっと馬鹿げたうさんくさくてありそうにない同定の仮定を持ち出してこういう実証的な事実を調和させることはできるだろう(労働市場についてわかっている他のいろんなこともまとめて調和させられるかもしれない).けったいきわまる仮定をおけば,いつだってどんな理論でも救済できる.ローマーが指摘するとおりだ(し,ラカトシュが指摘したことでもある).でも,そういうことをやってると,どこかでアホっぽく思え始める.

これだけじゃなく,経済学101理論が労働市場にはふさわしくない理由は、他にもたくさんある:

1. 供給と需要のグラフは単一のコモディティ用なのに対して,労働はきわめて不均質だ〔ディオールの店員とフィギュアの原型師,どちらも「労働」だけどやってることはずいぶんちがう〕.

2. 供給と需要のグラフは静的なモデルだ;一方,労働法と暗黙の契約のために労働市場には将来を見越した行動がたくさん関わっている.

3. 供給と需要のグラフには摩擦がない;一方,当たり前だけど労働市場にはいくつもの理由から探索の大きな摩擦が関わっている.

経済学101の供給と需要のモデルがどんな市場にも通用するのだったら,現代経済学の仕事の圧倒的大多数は完全に無用の長物になるだろう.経済学101モデルがいつでもいいモデルだと主張するのは,ようするに,「経済学の大半はあさっての方を向いた努力をしている」「そんなものはぜんぶマーシャルにある」と言うのにひとしい.さいわい,経済学者たちはだいたい利口で科学的態度をとる集団なので,一般均衡効果・異質性・将来を見越した行動・探索の摩擦などなどが存在することも市場の理解にこれらが必須だってことも認識している.

経済学101の供給と需要のモデルは,労働市場のすぐれた記述になりっこない.「労働需要曲線」として知られる理論的な仮構は存在論的にうたがわしい――つまり,モデルづくりの選択としておそまつだ.なんらかの実証主義哲学をとるなら――つまり,「もしも観察できないなら,それは存在していないも同然だ」と考えるなら――「労働需要曲線」は存在しないと言ってもかまわない.実際のモノではないんだから.


Comments

  1. 素晴らしい記事でした。ひとつだけ。「マーシャル」のところで「ぜんぶ」と「全部」がかぶっていますが、訳出の工夫でしょうか

    • optical_frog says:

      たんに素で重複させてしまっていました.ご指摘助かります.修正しておきました.

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