マーク・ソーマ 「今の世代のインテリたちが同時代の戦争に我が身を捧げようとしないのはなぜ?」(2009年8月30日)

●Mark Thoma, ““Why Doesn’t This Generation’s Intellectuals Fight This Generation’s Wars?””(Economist’s View, August 30, 2009)


クリス・ブラットマン(Chris Blattman)によると、今の世代のインテリたちは、戦争に我が身を捧げようとしていないという。仮にその通りなのだとしたら、その理由は?

Cowards, every single one of us?” by Chris Blattman:

20世紀初頭に起きたスペイン内戦では、西洋の知的エリート(知識人)の面々が我先にと戦場に赴いていった。第二次世界大戦についても同じことが言えるだろう。ところで、今はどうだろうか? 今の世代の知的エリートたちが先を争って戦場に赴く姿を想像するのは難しい。一体何があったのだろうか?

・・・(中略)・・・

今の世代のインテリたちが同時代の戦争に我が身を捧げようとしないのは、なぜなのだろうか?

一人残らず「臆病者」になったから?

その可能性もあるが、その他にいくつかの仮説が思い浮かぶ。

経済学者らしく答えるとすると、「比較優位」が関係しているのではなかろうか。戦争の勝敗を左右する上で、テクノロジーが果たす重要性がますます高まってきている。賢明な政府であれば、高い教育を受けていて愛国心が強い知的エリートを戦地に送るような真似はしないだろう。 (その人物が比較優位を持っている)軍事技術の開発だったり諜報活動だったりの仕事を任せることだろう。

理想に燃える知的エリートの獲得競争が激しくなっているというのも関係しているかもしれない。過去60年の間に、国際的な活動を展開するNGOの数が物凄い勢いで(10,000%近い伸び率で)増えている。「不正義」との闘いを志す人間にとって、選べる選択肢の数が大きく増えているのだ。

軍隊というのは、知的エリートにとって居心地のいい場所じゃないと思われているのかもしれない。上で挙げた「比較優位」や「競争」の帰結として、そういう認識が広まっているのかもしれない(その認識は、単なる思い込みじゃなくて、おそらく芯を食っている)。

知的エリートたちは、過去3世代にわたり、ガンジーやキング牧師の例を目撃してきた。非暴力主義の教えに触れてきた。このことも一因になっているかもしれない。

・・・(中略)・・・

個人的に一番しっくりくる仮説を最後に述べておこう。今の戦争は、イデオロギー上の対立ではなく、宗教上の対立が根っこにあるからというのがそれだ。スペイン内戦は、左派がファシズムに立ち向かった戦争だった。左派が搾取されている労働者階級の側に立って争われた戦争だった。西洋社会のあるべき姿をめぐって争われた戦争だった。心(ハート&マインド)を賭けた争いだったのだ。今はというと、どこを探してもそういう争いは起きていないのだ。

皆さんはどう思う?

ベトナム戦争は、宗教上の対立ではなく、イデオロギー上の対立(共産主義への対抗)が根っこにあったと言えるだろうが、知的エリートたちがベトナムの戦場に我先にと赴くようなことはなかった。そういうわけで、ブラットマンが最後に挙げている仮説がどこまで正しいかは疑問だ。とは言え、これはという私なりの仮説があるわけでもない。今の世代のインテリたちは、戦争に我が身を捧げようとしていないというのは本当なんだろうか? 仮にその通りなのだとしたら、その理由は? 皆さんはどう思う?

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