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『民族優遇主義:それはアフリカに限った事象ではない』 ジアコモ・デ・ルカ、ローランド・ホルダー、ポール・ラスキー、ミケル・ヴァルセッキ

Ethnic favouritism: Not just an African phenomenon “Giacomo De Luca, Roland Holder, Paul Raschky, Michele Valsecchi, Vox, 21 July 2016.

民族優遇政策はアフリカにおける事象、もしくは脆弱な政治制度を持った国に限られた事象だと、広く考えられている。この記事では夜間照明の明るさに関する資料を使いこの既成概念への反論を試みる。民族優遇政策はアフリカ以外でも同様に蔓延しており、貧困国や独裁国家に限られたことでもない。むしろ、選挙での再選への欲求がその事象を生む主要因の一つと考えられるのだ。

サハラ以南のアフリカでは政治指導者が自らの民族的出身地を優遇し多額の資金を投入する政策が行われていることは、一般に認められている。ケニヤはその典型である。カレンジン族を偏重したダニエル・アラップ・モイ大統領、キクユ族を偏重したムワイ・キバキ大統領、両者による政府とも、利益供与、汚職、自民族優遇政策を行い、それは2013年に至るまで35年間続いた(Wrong 2009)。

自民族優遇とアフリカにおける政策の関係性については多くの立証研究が行われ多くの文献が記されている一方で、ほとんどの研究は一国とひとつの政策のみに焦点を当てたものとなっている(その傑出した例外としてFranck and Rainer1, 及びKramon and Posner2は挙げねばなるまい)。そして地球規模で自民族優遇策の蔓延具合と決定要因を検証したものは見当たらない。

私達は自身の研究の中で地球規模の民族優遇主義の範囲とその動機の検証を行った(De Lucaと共著者)。ここで私達が用いた新手法は世界中の多民族国家を対象とした膨大で多岐にわたる二つの統計標本を基としている。さらに、多種多様な政策による分配の効力を捉えるための測定装置として夜間照明の明るさを用いた。

地球規模で民族優遇主義を測定する

世界中では政治指導者は在職中に自らの民族的出身地を優遇しているのだろうか、それが私たちが明らかにしようとしていることだ。そこで私達は140ほどの多民族国家で1992年から2013年の期間における民族編成地域(民族構成を同じくする地域)の資料を用いることにした。

民族編成の資料のために、私達は現在得ることのできる最も著名な二種の民族編成地図を基に二種の統計標本を構成した。その民族編成地図のうち第一のものはWorld Language Mapping System及びEthnologue(Gordon 2005)による、現在知られている全世界の使用言語を網羅した言語地図である。第二のものはGeo-Referencing of Ethnic Group(GREG)計画(Weidmanと共著者2010)による、古典とされるソビエト人民世界地図帳(Soviet Atlas Narodov Mira)のデジタル版地図である。Ethnologueを基とした統計標本は141の多民族国家から7653の民族編成地域(平均して一国あたり54の地域)を抽出し、GREGからは137の多民族国家から2032の民族編成地域(平均して一国あたり15の地域)を抽出した。

民族編成地域ごとでGDPを測定した資料は得られないので、Hendersonと共著者(2012)に倣い、アメリカ空軍気象衛星より得られる夜間照明の明るさの資料を使った。地域に即したデータの得やすさ、そしてGDPと正の相関を持つその性格により、夜間照明の明るさは国家より小さい単位での行政地域及び民族編成地域の研究をする際、経済活動と発展を計測するための資料として広く用いられるようになってきた(例としてMichalopoulos and Papaioannou 2013, 2014, Hodler and Raschky 2014a, 2014b, Alesinaと共著者2016)。

次に挙げることが私たちが精査する課題である。在職中の政治指導者の民族的出身地に当たる民族編成地域は他の地域よりも夜間照明は明るいのだろうか。政治指導者の民族的出身地と夜間照明の明るさの間に正の相関があれば、それは民族優遇主義の証拠と私達は解釈する。更には、この事象の範囲と決定要因、そして考えられうる政治指導者にとっての動機を考察する。

民族優遇主義は世界中で見られる事象である

私達は民族優遇主義の有力な証拠を見付け出すことができた。現職にある政治指導者の民族的出身地では7~10%高い夜間照明の明るさを享受しており、GDPはそれに対応させるなら2~3%高いことになる。更には、政治指導者と言語的に近い関係にある民族集団に対しても民族優遇主義を見ることができた。

最も顕著なこととしては、民族優遇主義はアフリカ域外でも域内と同様に見ることができる。この事実は、民族優遇主義が主として、あるいは全般に、サハラ以南のアフリカで見られる事象、という既成概念を覆す。例を挙げるなら、ボリビアでは大統領がヨーロッパ系とクリオロと呼ばれる中南米生まれのスペイン系住民が多い地域を優遇する傾向があった。そしてその支出の多くを受け持っているのは先住民族である。先住民族であるアイマラ族出身のエボ・モラレスが選任された後、先住民族の居住地域の照明は確実に明るさを増して行った。特筆すべきは、批評家たちがアイマラ族の利得に特別な配慮をするよう、そしてその支出を他の先住民族に負わせるよう、モラレスに提言したことである(例を挙げるなら、Albro 2010, Postero 2010)。

民主化は万能薬ではない

更に私たちの研究の結果から言えることは、民主制度が民族優遇主義を減少させる傾向は弱く、それゆえ民主制度の影響は小さい。特に独裁制から脆弱な民主制への移行は民族優遇主義を減少させているようには見えない(そして、増大させることもありうる)。

この事象は、政治指導者が民族優遇主義に関与する動機から幾分か説明できる。政治指導者が自ら争わねばならない選挙の期間には事業が増大することが見て取れる。このことから、指導者は自民族への愛着心からだけではなく、再選の可能性を高めるために民族的出身地への優遇策を執ることが考えられる。選挙対策として政治指導者が民族優遇策を執るとすれば、民主制が抑止に有効ではないことに説明がつく。

加えて、民族優遇主義による恩恵が一時的なものであり長期にわたる発展をもたらすことは無い、という事象が見て取れる。これについても政治指導者の選挙への懸念によって説明できる。他の民族出身の政治指導者が選出され交代が起こると、前任者の民族的出身地で明るさを増した夜間照明は二年のうちに民族的推移と共に通常へと戻ってしまう。これは政治指導者が民族的出身地に公共資金を投入するとき、社会基盤への設備投資よりも一時的な消費に回しているためと考えられる。利益供与を得られるのは政権が続くかどうかにかかっている、それゆえ同族者が政治指導者への支援を止める訳にはいかない、その利益供与と支援の関係を保つための方策としては時期限定的な消費は理にかなっている(Padró i Miquel 2007)。

結論

私たちは研究を通して全く新しい見解を得ることができた。従来は、民族優遇主義は主としてアフリカで見られる事象であり経済の発展と民主化によって抑止できるもの、とされてきた。しかし民族優遇主義は世界中で、いわば標準的に見られる事象であり、それは富裕国、貧困国に関わらず存在し、正当な政治制度による抑止力は限定的である。

そこから、民族優遇主義を減少させる政治構造を見付け出すこと、それにも増して民族を超えた協調を引き出すことの必然性が見えてくる。ここで引き合いに出したいのがスイスの例である。スイスは高い度合いで民族分離社会である一方で、民族優遇主義は見られない。それは排他性の無い政府と、異なる政党と民族の間を持ち回る連邦大統領制に依っていると考えられる。

 

References

Albro, R (2010) “Confounding cultural citizenship and constitutional reform in Bolivia,” Latin American Perspectives, 37: 71-90.

Alesina, A, S Michalopoulos and E Papaioannou (2016) “Ethnic inequality,” Journal of Political Economy, 124: 428-488.

Franck, R and I Rainer (2012) “Does the leader’s ethnicity matter? Ethnic favouritism, education and health in Sub-Saharan Africa,” American Political Science Review, 106: 294-325.

De Luca, G, R Hodler, P A Raschky and M Valsecchi (2016) “Ethnic favouritism: An axiom of politics? [5]”, CEPR Discussion Paper 11351.

Gordon, Jr, R G, (2005) Ethnologue: Languages of the World, Dallas, TX: SIL International.

Henderson, V J, A Storeygard and D N Weil (2012) “Measuring economic growth from outer space”, American Economic Review, 102: 994-1028.

Hodler, R and P A Raschky (2014a) “Regional favouritism”, Quarterly Journal of Economics, 129: 995-1033.

Hodler, R and P A Raschky (2014b) “Economic shocks and civil conflict at the regional level”, Economics Letters, 124: 530-533.

Kramon, E and D N Posner (2013) “Who benefits from distributive politics? How the outcome one studies affects the answer one gets”, Perspectives on Politics, 11 : 461-474.

Michalopoulos, S and E Papaioannou (2013) “Pre-Colonial ethnic institutions and contemporary African development”, Econometrica, 81: 113-152.

Michalopoulos, S and E Papaioannou (2014) “National institutions and subnational development in Africa”, Quarterly Journal of Economics, 129: 151-213.

Padró i Miquel, G (2007) “The control of politicians in divided societies: The politics of fear”, Review of Economic Studies, 74: 1259-1274.

Postero, N (2010) “Morales’s MAS government: Building indigenous popular hegemony in Bolivia”, Latin American Perspectives, 37: 18-34.

Weidmann, N B, J Ketil Rod and L-E Cedermanv (2010) “Representing ethnic groups in space: A new dataset”, Journal of Peace Research, 47: 1-9.

Wrong, M (2009) It’s our turn to eat: The story of a Kenyan whistleblower, London: Fourth Estate.

 

訳者より: この記事はぜひ、以前の摂訳、『世界に於ける地域偏重主義Regional favouritism across the world“ と一緒に読んでいただきたい

  1. 2012 []
  2. 2013 []

イギリス脱退の現実:エコノミストの知る費用と投票の動機

 

David Miles, “Brexit realism: What economists know about costs and voter motivmes,” (Vox, 03 August 2016 )

 

イギリス脱退の国民投票の結果は、EUからの離脱が膨大な経済的費用を伴うことをイギリスの投票者に説得できなかったという点で、エコノミストたちの失敗、と取る見方がある。この問題を扱うにあたって、この記事では、やや特異な次の二つの論題を挙げる。第一に、費用に対して統一的な見解は果たしてあったのだろうか、という点に注目する。すべての主要機関の予測で経済学的な損失がある、としていたとはいえ、その減少幅はわずかなものから10%近いというものまで、広範囲にわたっていた。それを統一的見解とするには難がある。さらに、鍵となる仕組み――イギリスの離脱が生産性に及ぼす影響――については、エコノミストたちが本当に理解しているわけではない。第二の論題は、合理的な投票者はその費用をEU決定からの独立に見合うものとして受け入れ得る、という点になる。その投票者の選択を、無知であるとか非合理であるとか、あるいは経済が分かっていない、とする判断は経済学の範疇に無い。

 

編集者註:この記事はVoxEUの電子書籍、Brexit Beckons : Thinking ahead by leading economistsの一つの章としてもともと発表された。この電子書籍の無料ダウンロードはこちらから。

 

 

EUからの離脱はイギリスに多大な経済的損失を招く、それは人々の言うところでは疑いようも無く一致した見解だった。にもかかわらず、投票の際にそのことを説得できなかったことを経済学の世界に生きる人間は失敗として認識すべき、そんな懸念が持ち上がっている。財政研究所(the Institute for Fiscal Studies/IFS)のディレクター、ポール・ジョンソンがタイムズ紙(2016年6月28日) に宛てた思慮深い手紙から引用するなら、「経済学者たちの警告が多くの人に理解されても信じられてもいないことは明らかです。だから、私たち経済学者はなぜこんなことが起こってしまったのか、なぜ私たちの間でほぼ全員一致の考えが支持されなかったのか、自らに問いかけるべきなのです」。

 

イギリス離脱の国民投票の結果を受けて、マクロ経済学センター(the Centre for Macroeconomics)の主導で行われた直近の経済学者の見解に関する調査では次の質問が提示された。

 

  • 経済学者たちが一致した見解を持ったとき、全体としてその明確な見解を為政者と公衆に向けてより効果的に伝えることができるよう、経済学を専門職とする人々の間で制度変更をすることに賛成しますか。
  • 上記の改善を組織的な取り組みによって達成することを促進するため、経済学者たちの間に指導的地位を導入することに賛成しますか。

 

一致した見解はあったのか

 

しかし、イギリスのEU離脱の費用に、一致した見解は本当にあったのだろうか。たとえ各主要機関の予測の間に何らかの見解の一致があったとしても、その予測がどれだけ確かなものなのか、そして予測の誤差がどれだけの範囲に収まるものなのかについて、見解の一致はあったのだろうか。たとえ経済学者による統一見解があったとしても、それが気に留められていなかったということは、そう明白なことなのだろうか。

 

国民投票前夜に出版されたIFSの報告書、『イギリス離脱と連合王国の公共財政(Brexit and the UK’s Public Finance)』にはイギリス離脱のGDPへの影響の予測値が包括的にまとめられている。報告書のTable 3.1(下記、Table 1に再現)には、2030年におけるGDPへの影響の予測値が示されている。それは、パーセントにしてほんのわずかなものから、10%近いものまでの範囲に散らばっている。負の影響がある、という点については一致しているものの、「統一見解」とするにはこの違いは大きすぎる。

 

Table 1 IFS summary of Brexit impact studies 

Notes: a: FTA with moderate policy scenario used as central estimate; range includes “liberal customs union” (-0.1) to “populist MFN scenario” (-3.9); b: regulation impacts assessed separately. Estimates are for impact on GDP in 2030.
Source: Emmerson et al. (2016).

 

私達は鍵となる経済の決定要因を理解していない――それは生産性の向上だ

 

長期のGDPに対しては、生産性の向上が少なからず影響を与える。しかし、EUからの離脱がイギリスにおける生産性にどのように作用するかについては十分な解明がなされていない。それがここでは見過ごすことのできない問題となる。イギリス離脱と海外直接投資の関係、延いては海外直接投資と生産性の関係はその一部要素となるが、これらもそう簡単に予測できるものではない。

 

もっと一般的なことを述べるなら、近年のイギリスの労働生産性を牽引しているものについて、経済学者たちはよく理解していない。2007年から2008年の金融崩壊以降の時期を対象として考えよう。イギリスの労働生産性は金融崩壊直前期の流れを汲んで考えるなら、およそ15%かそれ以上に低い位置にあると言える。イングランド銀行がこの下落を説明するために費やした経済学者の労働時間はのべ数千時間を超える。それにもかかわらず、多くの他の経済指標(例を挙げるなら、失業率、銀行金融のストレス値、借入調達度((credit availability))など)が既に通常通りに見える一方で崩壊から8年を経た今でも生産性は低いままでいる理由は未だ謎のままである。

 

生産性への影響、これこそがイギリス離脱の長期費用を決める要因のうち最大のものであるのだが、その予測は金融崩壊以降のイギリスにおける一人当たり生産量の変化を見るに、非常に困難と言えよう。

 

貿易関連の影響はより簡単に予測できる

 

純粋に貿易関連のことに限るならば、イギリス離脱のGDPへの影響はもっと信頼性の高い予測ができそうだ。実はここで使われている経済学の論理は実際には直感的なものを多く含む。貿易の減少が専門分野への特化の減少を意味するのなら、それは資源を比較優位のある部門へ配分することを難しくする。開放的な政策が生産性と関係があることについては、十分に実践的な証拠がある。更にはその証拠のうちいくつかは歴然としている。例えば北朝鮮と韓国だ。ここからするならば、閉鎖的な経済への移行が所得を悪化させることは明白に見える。しかしその事例をイギリスのEUからの離脱にあてはめることがどれほど信頼に足るものなのかはそれほど明白ではない。

 

その一方で、貿易によるものだけに限った場合、離脱による影響はさほど大きくないと予測される(生産性の向上に対する他の事象からの連鎖的な影響はここでは考慮しない)。エコノミック・パフォーマンス・センター(Centre for Economic Performance)の研究によるなら、貿易からの影響は2030年の時点でGDPの1.3%から2.6%の間、としている(Dhingraと共著者、2016)。GDPの1~3%を些細なもの、とすることはできない。しかしこの数字をここまでの内容に即して考えていただきたい。2008年の金融崩壊以前の経済動向が続いた場合と比べて、今や、イギリスのGDPは20%近く低い水準にあるのだ。

 

投票者たちが経済予測を無視した、というのは本当なのだろうか

 

ここで一旦、イギリス離脱の長期でのGDPへの影響の予測に、機関ごとで大きなばらつきがあることを脇に置いておこう。さらには、その予測に顕著な不確実性があることにも目を瞑ろう。そしてイギリスの離脱が所得に多大な悪影響を齎すという見解でエコノミストたちは一致していると、そう仮定しよう。たとえそうだとしても、イギリスの離脱に賛成票を投じた人々はその統一見解(それがあったと仮定して)を考慮に入れていなかったと確実に言うことができるのだろうか。私が思うには、我々経済学者は実はそのことを知りはしない、ということを認めるべきだ。

 

次に挙げることは事実として受け止めねばならない。EUからの離脱が経済的費用を伴うとしても、そこにイギリスが限定的な発言権しか持たないEUの決議を拒否するに足りるだけの便益があるとするならば、合理的な投票者はその費用を受け入れることとなる。明らかにこれは投票の一因となった。そこには欧州司法裁判所の裁定から金融規制に関する規則(例えば銀行制度の調和としての必要資本金((capital requirements on banks maximum harmonization))という奇妙な決定や賞与へのEU規定)、そして他のEUの国々が市民権を与えた人々への入国の権利の承認などが含まれる。

 

それらの議決の制約を受けずに済む代わりに所得がいくらか減少する可能性を受け入れる人は、無知であるのか、合理性を欠いているのか、あるいは経済が分かっていないのか、それは経済学者が言い得るところのものではない。長年の間、欧州委員会の多くの人々が「連合体としてあること」を理想像として、更には必然として教条のように繰り返し唱えてきた。対して経済学者が言えることは、「それを避けるためにはいくら払えばいいのか」という質問に対する答に過ぎない。

 

私の考えとしては、「連合体としてあること」というあいまいな構想が将来齎すであろう損失、そのリスクを避けるためとはいえ、その代償は大きすぎる。しかし、私と違う見解を持つ人々が無知だとも錯乱しているとも思わない。もし人々が経済学を理解していたなら投票の結果は違っていたはずだ、などとは考えてはいけないのだ。

『世界に於ける地域偏重主義』 ロランド・ホルダー, ポール・ラスキー 

Roland Holder, Paul Raschky, Regional favouritism across the world, (Vox, 28 May 2014)

 

政治指導者は時折、お気に入りの地域を特別扱いする。この記事の対象は多くの国々における地域偏重主義であり、それを明らかにするために政治指導者の出生地と夜間照明の強度の情報を使う。現行の指導者の誕生地域となると、夜間照明の強度が4%前後増し、GDPに関しては1%前後増加する。このような偏重主義は政治機構が脆弱で市民の教育水準が低い国に顕著である。

 

お気に入りの地域への偏愛は多くの政治指導者に見られる。その極端な例として、ザイールの前独裁者、モブツが挙げられる。彼は人里離れた先祖伝来の故郷、グバドリッテに一億ドルをかけた複合型宮殿と豪華な来客用宿泊施設、そしてコンコルドが離着陸できる空港を建設し、国内最高水準の水、電気、そして医療の供給をした。しかしこれは特例という訳ではない。分配政治に関する文献の中で地域偏重主義を記録したものは膨大な数に上る。ゴールデンとミン(Golden and Min)は150を超える実証的研究の一覧に基づき、分配政治を批評した。それによれば、ほとんどの研究は単独の民主国家と単独の政策の結果に焦点を合わせている。原注1

 

地域偏重主義と夜間照明

 

私達の最近の文献(Hodler and Raschky)はこの記事の補完である。そこでは分配政治を主題とし、独裁国家のみならず民主国家を含む多種多様の国々を抽出し、地域偏重主義に関する多様な計測基準を用い、多種の政策による包括的な配分への影響を捉え、地域偏重主義を体系的に調べる、という方法を用いた。特徴的な手法は以下となる。私達は地域を国家より小さな行政単位で区分し、政治指導者の誕生地と人工衛星から得られる夜間照明の強度の情報を基に、両者の関係性を調べた。

 

私達の分析は126の国の中の38,427の地域に対し1992年から2009年の間、一年毎の資料観察から作られたパネルデータセットを基とした。従属変数は米国空軍気象衛星によって記録され米国海洋大気庁によって提供された夜間照明の強度の平均の対数とする。ヘンダーソンと共著者(Henderson et al.)は国家単位で夜間照明の強度とGDPの間の強い関係性を文献に示し、国家より小さい単位での経済活動を計測する方法として夜間照明の強度を使うことを提唱した。私達は、ジェナイオリと共著者(Gennaioli et al.)の地域別GDP資料を使い、地域毎の夜間照明の強度とGDPの間には似たような強い関係性があることを見付け出した。私達の主たる説明変数は、ダミーを使いそれぞれの国における現行政治指導者の誕生地域を1、その他の地域を0とする。

 

私達はこの指導者排出地のダミー変数と夜間照明の強度との間に正の相関があることを見出した。これは、時系列変化の無い地域の特徴を調整するため、地域における母数効果を考慮に入れ、個々の国で時間経過とともに起こる変化を考慮するため国と年次の間のダミー変数を最も柔軟な形で調整した上で得られた結果である。以下が私達の主張だ。指導者排出地の夜間照明の強度は政治指導者によって齎されており、私達の研究から得られる答は地域偏重主義の証拠となる。指導者排出地が元々潜在的に持っていた性質を見出すために、今後すぐに指導者を輩出することになる地域と最近まで指導者排出地だった地域へと研究を進める。

 

  • 私たちが得た結果が示唆するところでは、指導者排出地では平均で夜間照明の強度が4%前後、GDPが1%前後増加する。

 

地域偏重主義の決定要因と動き

 

政治指導者が地域偏重主義を推し進め、成功を収めるまでには2、3年を要し、その後は自らの誕生地域への支援を拡大させて行く、これが地域偏重主義の動きである。夜間照明の強度は政治指導者が権力を得てから12年程経った後、加速度的に上昇して行く。この加速度的な上昇が始まるまでの期間と、ほとんどの民主主義国家における憲法上の国家元首の任期規定――最長で4年から7年の任期を2回まで――は、偶然の一致では無いだろう。一方で、専制国家においてはこの規定は多くの場合、存在しないか拘束力を持たない。それ以外で分かったことは、地域偏重主義の効果が政治指導者の退位後まで続くことは無い、ということだ。それゆえ、典型的には、地域偏重主義が政治指導者の誕生地域に持続的な発展を齎すことは無い。私達は別の面からの観察として、ここまでの研究とは異なる境界線を用いて国家より小さい単位の地域を規定し、地域偏重主義が持つ地理的な広がりを調べた。この調査の結果から得られる危惧はより小さなものだった。地域偏重の結果、一地方に利得が限定されるものがある一方で、無視できない程度の恩恵がより広い地理上の範囲に亘っており、それゆえ、多くの人々に広がっていると推定される。

 

私達の持つ大量で多様なサンプルは、そこに潜在する地域偏重主義の決定要因を与えてくれる。

 

  • 高度な政治機構は、政治指導者の権力制限によって地域偏重主義を軽減しうる。

 

  • 教育の拡充は地域偏重主義を減少させうる。これは教育を受けた市民は政治に何らかの形で関わり、また政治指導者に責任ある行政執行を求めるゆえ、と考えられる。

 

就学年数を政治機構と教育の代用とし、政体評価点(その2)<訳注> を用いることによって、高度な政治機構と教育の拡充が地域偏重主義を軽減させることが分かる。私達が持つサンプルから得られた結果では、政治指導者排出地となることによって、脆弱な政治機構を持つ国々では夜間照明の強度は約30%、GDPは約9%増加し、就学到達値が最低の国々では夜間照明が約11%、GDPが約3%増加する。更に、地域偏重主義は貧しい国々において、そして言語の同質性もしくは家族の強い絆によって政治指導者が誕生地と親密な関係を持ちうる国々において、多く見られる。これらすべての潜在的な決定要因を関連付けると、地域偏重主義は政治機構が脆弱で教育が充実していない国に多く見られることがわかる。

 

私達の研究の最後の部分は、私たち自身の分析手法を用いた国外援助と石油利権の分配効果の検証である。すなわち、通常は一国規模で見識を基とした指標を使って行うものを、私達は地球規模で国より小さな地域の経済活動に対して観測可能な計量を用い、統治と政治腐敗という観点から国外援助と石油利権の影響を考え、論文を補完した。政治機構が脆弱な国においては、援助と石油は利権追求と地域偏重主義に油を注ぐ傾向があるが、比較的高度な政治機構を持つ国ではその傾向は見られなかった。

 

政策的含意

 

推測されうる政策上の事項を以下に挙げる。

 

  • 第一に、適切な政治機構と教育の充実は政治指導者に責任ある行政執行を求めるのに有効であるのは確実であり、私達は地域偏重主義を抑制するのにそれらが重要であることを示した。特に、任期制限の強制は決定的要因と考えられる。

 

  • 第二に、援助代執行機関は専制的な指導者を持つ国を援助する場合、細心の注意が必要となる。それらの指導者たちは、外国からの援助を主として自分自身、自分の家族、氏族、そして自分の拠点地の住人のために使うから。

 

  • 第三に、これははるかに一般的な話となるが、地域における経済発展を推進させるものと障害となるもの、それに関する多くの興味深い政策上の疑問に対しては、最近まで対処する方法が無かった。これは、経済活動に関する地域毎の資料が欠如していたか、質の低いものしか無かったゆえである。

 

私達の研究では、大きなパネルデータセットを用意し、使うことによって上に挙げた疑問に対処することができた。パネルデータセットの中身は全世界を対象とした国より小さな行政区分地域での夜間照明の強度である。付け加えとなるが、学術調査員や援助代執行機関の方々には大規模な政策介入を評価するのに、夜間照明強度の資料活用をお勧めしたい。

 

 

原注

1.言及すべき例外として、フランクとレイナー(Franck and Rainer)、及びラモンとポーズナー(Kramon and Posner)の研究が挙げられる。これらの研究は多様なサハラ以南のアフリカの国々を抽出して偏重主義の研究を行っている。

 

2.専制国家への国外援助には潜在的な問題がある、そのことを採り上げたのは明らかに私達が最初ではない。しかし、この警鐘への裏付けとして、見識に基づいた指標群ではなく、観測可能な計量に基づいた実証を用いたのはおそらく私達が最初である。

 

訳注:ここで「政体評価点(その2)」と訳した語は原文では“Polity2 scores”となっている。Polity Scoreは「政体のスコア」もしくは単に「ポリティ・スコア」とされることが多いようである。

ラルス・クリステンセン「リスクの過大評価、疑心暗鬼を生む」(2016年3月30日)

Lars Chistensen, “Overestimating risk makes us do stupid things,” (The Market Monetarist, March 30, 2016)

ベルギーでの熾烈なテロ攻撃はヨーロッパにおけるテロリズムへの恐れを大きく増大させた。ヨーロッパ大陸全域で政策立案者に過激主義者との戦いの新基準が求められ、大衆主義の政治家たちは早々にヨーロッパの国境封鎖を掲げている。しかし本当のリスクは、これらの新基準による経済的損失が実際のテロのリスクを優に上回ってしまいかねないことだ。

実際には今日ヨーロッパでテロリズムによって殺される人の数は1970年代や1980年代、冷戦時代よりもはるかに少ない。更にもっと重要なことには、テロ攻撃によって殺されるリスクは極めて小さい。

事実、アメリカ国家テロ対策センターの報告では、テロリストに殺されるのとほぼ同じくらい、アメリカ人は年間に「テレビや家具に潰されて死ぬ」。では、テロ攻撃によって殺されるリスクと交通事故によって死ぬリスクを比べるとどうなるだろうか。

2000年以降で最も多くの人がテロによって殺された年を例に取ってみよう。2004年にはヨーロッパ全体で200人近くの人がテロ攻撃によって殺された。2004年はマドリッド列車爆破テロが起こった年だ。これと交通事故による死者の数を比べてみよう。最新の統計によるなら、ベルギーで746人、フランスで3268人、スペインで1730人だ(いずれも2013年)。交通事故で死ぬ確率はとても小さい。しかしテロ攻撃によって殺されるよりもはるかに起こりうる。別の言い方をしてみよう。2001年に911テロで殺された人よりも毎年フランスで交通事故で死んでいる人は多い。

その事実に反して、交通事故に言及する政治家がほとんど見られない一方で、基本的にすべてのヨーロッパの政治家がテロリズムの脅威に「何らかの対処をすべき」と叫んでいる。

私はヨーロッパ政治の「何らかの対処をすべき」とする傾向には二つの根本的な原因があると考えている。(これはテロリズムの事例に限らず、環境に対する議論にも当て嵌めうる)

第一に、心理学者が示しているところでは、人間は一般的に滅多に起こらない事象のリスクを見積もるのが苦手であり(テロ攻撃によって殺されることはこれに当たる)、それらのリスクを著しく過大評価する傾向がある。

第二の原因は、アメリカの経済学者、ブライアン・カプランが「合理的なる非合理投票者」と呼んだものだ。ここでカプランが意味するところでは、ある個人の票が選挙の結果に与える影響はごく限定的である、といった合理的な判断は投票の過程で我々投票者が下す必要は無い、となる。それゆえ、合理的な非合理、無責任、無知と呼ぶ。〈訳注1〉

その結果、車を買うとか投資をするといった決断をする時と違い、政治的判断をする時には恐怖や幻想に振り回される。政治家たちはこのことをとてもよく知っており、これらの恐怖を利用することに躊躇しない。結局のところ、有権者に統計を示したとしてもそれが当選につながることは滅多に無いのだ。

しかし私たちは――個人としての生活にしても政治判断にしても――恐怖の迷宮に迷い込んではならない。最善の方法はイギリス人が言っている――「心を鎮めよ、そして歩み続けよ」〈訳注2〉。それはヨーロッパ市民にとってテロリズムが危険要因であることに目をつぶっていい、ということではない。しかしもし私達が恐怖に振り回されて政策を決定するとすれば、それは確実にテロリストの勝利なのだ。

*この記事はアイスランドの新聞、“Frettabaladid”の論説を転載したものである。

訳注
1.「合理的な非合理」に関しては、ブライアン・カプラン著「選挙の経済学(原題:The Myth of the Rational Voter)」を参照にできる。なお、翻訳者個人の意見としては、ここでカプランを引き合いに出すのは間違った解釈と思われる。

2.この部分は原文では”calm down and carry on”となっているが、”keep calm and carry on”を引用したものと思われる。

シーラ・オーゴヴィー 「中世シャンパーニュの大市:発展への教示」

Sheilagh Ogilvie, “Medieval Champagne fairs: Lessons for development” (VoxEU.org, 23 December 2015)

〈ある一群の経済学者たちが口を揃えて言うことには、強力な国家や公的機関がなくても経済は繁栄しうる、と。この記事では、中世ヨーロッパにおける「シャンパーニュの大市」を教材として、公共機関というものがいかに重要なものであり得るかを考察する。公的権威というものは、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものである。統治者がそれを全ての人が用いられる公益事業として提供したときに、シャンパーニュの大市は花開いた。そしてその利用を一部の人々のみの特権として認可したとき、交易は衰退し別の所へと移って行った。〉

経済史を語る上で広く支持されている説に、経済の成功には、国家、統治者、法制度といった正式な権威と結びついた公的統治機関は必要不可欠ではない、というものがある。それは、個々の人々が非公式に行う、私的な行動の集積によって形作られる民間統治機関がそれに取って代わられることができるから、という理由による。ここで暗示されているのが、優れた機能を持つ政府や法制度を持たなくとも、近代経済が貧しい状態から継続的な成長を遂げることは可能である、そして民間統治が公的権威に代わって成長を支えた成功例は歴史に見ることができる、と考えられる(参考として、 World Bank 2002; 更にはDasgupta 2000, Helpman 2004, Dixit 2004, 2009)(訳注1)。この主張は魅力的だ。しかし、史実はそれとは違ったことを示している。

公的統治機関の有効性

経済発展に関していくつものことを歴史から学ぶことができる。そのうちの一つは、公的統治機関は、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものである、ということだ。

中世シャンパーニュの大市は、人々に便益を与えてきた典型的な機関の存在で歴史に名を刻んでいる。この機関からは、近代の経済発展を考える上での重要な教訓を得ることができる。大市が開催されたのはおよそ西暦1180年から1300年の間、それはヨーロッパにおける紛うことなき国際貿易と金融決済の支点であり、「商業革命」と呼ばれる、中世の長距離交易の大規模な発展の中心地であった(Bautier 1970, Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012)。

シャンパーニュの大市が民間統治機関のおかげで成功した、とする主張には、二種類のものがある。

●その第一のものはミルグロムとその共著者によるもの(Milgrom et al. 1990)(訳注2)である。その主張によれば、商人たちの行動記録を保管する民間の裁判官を擁する民間の裁判所の存在がシャンパーニュの大市を発展させた。

商人たちの評判を交換することによって、民間の裁判官は貿易業者が過去に契約を破棄した商人との取引を拒否することを可能にした。ミルグロムらの主張によるなら、民間の裁判官はまた、不正行為に対する罰金を徴収した。商人たちがその支払いに応じたのは、その拒否が将来における大市での取引の機会を一切失ってしまうことを意味したからである。民間の裁判官と個々の商人の評判を組み合わせた制度協定が全ての貿易業者に契約を遵守させる動機を創り出し、それは国家による強制が及ばず、同一業者間の取引が滅多になされない状況下でも機能した。このシャンパーニュの大市の描写を元に、ミルグロムとその共著者が結論づけたことは以下の通りである。中世の貿易は、商人たちが「自らの民間法規定」を発展させ、一切の「契約執行への国家の手助け無し」に、自分たちの法の執行のための民間の裁判官を雇い、違反者に民間規定による制裁措置を適用することによって、発達した(Milgrom et al. 1990)。

しかし史実は、シャンパーニュの大市には民間の裁判官はいなかった、となる。反対に、大市は多種多様に公的統治機関に支えられていた(Bautier 1970, Terrasse 2005, Edwards and Ogilvie 2012)。そのうちの一つは、市が開催されていた期間ごとに活動した専用の公共裁判所である。その裁判の判決を行っていた大市の番人は君主の執務官であって民間の裁判官ではなかった。また、外国の商人が契約を守らせるのに利用したものには、異なるレベルの君主による裁定制度があった。シャンパーニュ統治者の高等法廷、統治執行者による裁判所、教区司祭による裁判所、などである(Edwards and Ogilvie 2012)。大市が開かれた街には地方自治体による裁判所があり、大市に際して地区教会堂による特別裁判所も運営された。外国の商人たちはその両方を使うこととなった(Bourquelot 1839-40, Bourquelot 1865, Bautier 1952)。これらの地方自治体及び地区の裁判所がシャンパーニュ統治者認可の下での権限委譲によって運営されていたことを考えれば、シャンパーニュの大市において財産権や契約の執行を保証していた様々な裁判所の司法権限は商人たちから生まれてきたものではなく、公権力によるものといえる。更には、これらの裁判所が民間の商人が創り上げていった法令を適用したという証拠はない(Edwards and Ogilvie 2012)。以上のことから、シャンパーニュの大市において公的統治機関の欠如を民間の統治機関が補い、それが経済的繁栄をもたらすよう機能した、とする見解は信頼に値しない。

●シャンパーニュの大市における民間統治機関に関する主張の第二のものはグライフ(Greif 2002, 2006a, 2006b)による。その主張によるならば、協業者集団間の協働報復から成る、「協会責任制度」にシャンパーニュの大市における取引は支えられていた。

その主張するところでは、中世ヨーロッパには公的裁判所が存在していたものの、長距離貿易を支えることはできなかった。なぜなら、それはその地域の利益を守るように作られており、外国の商人に対して不公平なものであったから。そして、厳正な裁判を地域の裁判所に促したものは協会責任制度と呼ばれる民間統治制度であった。

この説明によるなら、全ての長距離貿易商人は協会か同業者組内に組織されていた。もしある商人が別の協会に属する商人との契約を履行せず、そして契約を破った側の地域裁判所がその補償を命じなかったならば、損害を被った側の地域裁判所はその不履行を行った商人の属する協会の全会員に対して協働報復を発動しえた。不履行者側の協会は、破られた側の協会の商人たちとのすべての取引を取りやめることによってのみ、この制裁措置に対抗できた。もしこの対抗策による損失が大き過ぎるのなら、契約不履行を行う商人のいる協会は、厳正な裁判を求めるよう動機づけられる。この組合公正制と協働報復の組み合わせが商業革命初期数世紀の長距離貿易を支えた制度の基礎を創り、そしてシャンパーニュの大市における民間統治機関運営はその意味において特筆すべきことである、それがグライフの主張である。ここで注目すべきは、シャンパーニュの大市における法制度では外国から訪問中の商人には法権限が及んでいなかった、と推定されていることである。大市の当局は「その地を訪れた商人への法権限を放棄した。個々の商人が服していたのは自分の属する協会の法であり――そこには代表の執政官がいた――、大市が開催されていた地域の法ではなかった」(Greif 2006b)。この見解によるなら、商人間の契約は、不履行をした借主と更にはその借主が属する協会全体の大市からの追放を頼りとしていた。その主張されているところでは、商人たちの共同法廷が不履行者に契約履行を強制したのは協働報復への恐れによるものだった(Greif 2002)。

史実からの反論

シャンパーニュ地方の統治者たちは域外から訪れた商人たちへの法権限を放棄しておらず、またその商人たちが独自の協会の法のみに従うことを許しもしなかった。大市が国際貿易の中心であった時期の初期65年間(1180年頃より1245年まで)にあっては、シャンパーニュ地方に滞在中の全ての商人は大市の開催地の公的法体制に従わねばならなかった。1245年にシャンパーニュ伯は一部の滞在中の外国商人に自身配下の役人による裁定で免除認可を与えたが、それは伯爵が統治者としての直接の司法権を持ち込んだ、その下で行われたことに過ぎない。シャンパーニュの大市での商人協会の役割はごく小さなものだった(Bautier 1953, Edwards and Ogilvie 2012)。大市が国際的な重要性を持っていた期間のうちの初めの60年間に当たる1180年頃から1240年頃までの間には、商人協会が執政官を抱えることは無かった。大市における多くの主要な商人集団は執政官を抱えたことも、更には協会を形成したことも無かった。大市存続期の後期(1240年頃より後)、少数の商人集団が協会執政官を置いたが、それは協会内部での契約遵守のためにのみ用いられた。別々の協会に属する商人間での契約履行を強制するときに用いられたのは公的法体制だった(Edwards and Ogilvie 2012)。シャンパーニュの大市は80年もの間ヨーロッパにおける国際貿易の最重要拠点として栄え、その間に協働報復の記録は無い。それはシャンパーニュの大市の末期、約1260年以降、極めて限られた形で用いられたに過ぎない(Bourquelot 1865, Bautier 1970, Edwards and Ogilvie 2012)。報復制度は全般的に公的法体制に組み入れられていた。報復権の発動には公的司法裁判所で何段階かに及ぶ正式な法手続きを踏むことが要求され、報復措置の強制執行は国家の強制力に頼っていた(Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012)。シャンパーニュの大市において、少数の商人協会は眼に見える形では報復活動を行っていない。公的統治機関不在の下、民間統治による協働報復が長距離貿易を下支えするものとなっていた、その証拠となる史実をシャンパーニュの大市に求めることはできない。

シャンパーニュの大市からの教示

一方で、シャンパーニュの大市から経済発展を齎すものについて学べることがある。

●第一の主要な教示は、公的権威に保証された政策方針とその実行は決定的な意味を持つ、ということである(Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012。

シャンパーニュの法廷は、市場を基とした経済が繁栄するために最低限必要とされる機能的な政治権威の重要性を示す好例である。シャンパーニュ当局は安全、所有権、そして契約執行を保証し、基盤設備を造り、重量、寸法を標準化し、外国の商人が貸手である際には政治的に力を持った借手に対抗した支援を行い、そして外国の商人と地元の商人を平等に扱うことを確約した。

●第二の主要な教示は次の通りである。経済的成功のためにはすべての参加者が利用できる「一般的な」機関の方が、協会やギルドといった特権的な人脈を持つ会員のみの所有権や契約の執行を保証する「限定的な」機関より優れている(Ogilvie 2011, Ogilvie and Carus 2014)。

シャンパーニュの大市において、統治者の提供した制度機関業務は国際貿易を支えた。特筆すべきは、その制度の保証対象とされたのは一部の特権的なギルドや商人協会に限られず、広く 「すべての商人と商取引、そしてあらゆる種類の大市に来た人々に」(Alengry 1915)一般化された保証制度を布いた、ということである。

シャンパーニュの大市はフランス政権の管理下に移った1285年以降、国際貿易を惹き付け支えてきた、すべての市場参加者を対象とした統治制度、その廃止と共に衰退することとなった。フランス王室の短期的な利益追求という政治方針に従い、所有権、契約執行、そして商業施設の利用はすべての参加者に保証されたものではなく、特定の商人協会に与えられた「特権」となり、その他の人々を除外するものとなった。公権力はもはやすべての商人に平等な条件を整えず、他と差別して特定の集団にのみ特権的恩恵を与えるものとなった。商人たちは非差別的な機関を持つ都市へと移って行った(Edwards and Ogilvie 2012)。

結論的所見

経済発展に関してシャンパーニュの大市から多くのことを学ぶことができる。それは、公的権威というものは、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものであった、ということである。民間統治機関は契約執行、所有権、更には商業施設を保証しなかった。統治者がすべての人に対し一般化された統治制度を提供したとき、大市は繁栄した。そして、一部の人々にのみ特権としてそれを認可し、他を除外したとき、交易は衰退し別の所へと移って行った。

参考文献 / References
Alengry, C (1915), Les foires de Champagne: étude d’histoire économique, Paris.
Bautier, R-H (1952), “Les principales étapes du développement des foires de Champagne”, Comptes-rendus des séances de l’Académie des inscriptions et belles-lettres 96(2): 314-326.
Bautier, R-H (1970), “The Fairs of Champagne”, in Essays in French Economic History, ed. R. Cameron, Homewood, IL: 42-63.
Bourquelot, F (1839-40), Histoire de Provins. 2 vols. Paris.
Bourquelot, F (1865), Études sur les foires de Champagne, sur la nature, l’étendue et les règles du commerce qui s’y faisait aux XIIe, XIIIe et XIVe siècles. 2 vols. Paris.
Dasgupta, P S (2000), “Economic Progress and the Idea of Social Capital”, in P S Dasgupta and I Serageldin (eds) Social Capital: a Multifaceted Perspective, Washington: 325-424.
Dixit, A K (2004), Lawlessness and Economics: Alternative Modes of Governance. Princeton, NJ.
Dixit, A K (2009), “Governance Institutions and Economic Activity”, American Economic Review 99(1): 5-24.
Edwards, J S S and S C Ogilvie (2012), “What Lessons for Economic Development Can We Draw from the Champagne Fairs?”, Explorations in Economic History 49 (2): 131-148.
Greif, A (2002), “Institutions and Impersonal Exchange: from Communal to Individual Responsibility”, Journal of Institutional and Theoretical Economics 158(1): 168-204.
Greif, A (2006a), Institutions and the Path to the Modern Economy: Lessons from Medieval Trade, Cambridge.
Greif, A (2006b), “History Lessons: the Birth of Impersonal Exchange: the Community Responsibility System and Impartial Justice”, Journal of Economic Perspectives 20(2): 221-236.
Helpman, E (2004), The Mystery of Economic Growth, Cambridge, MA.
Milgrom, P R, D C North and B R Weingast (1990), “The Role of Institutions in the Revival of Trade: the Medieval Law Merchant, Private Judges and the Champagne Fairs”, Economics and Politics 2(1): 1-23.
Ogilvie, S (2011), Institutions and European Trade: Merchant Guilds, 1000-1800. Cambridge.
Ogilvie, S and A W Carus (2014), “Institutions and Economic Growth in Historical Perspective” in S Durlauf and P Aghion (eds), Handbook of Economic Growth., Amsterdam, vol 2A: 405-514.
Terrasse, V (2005), Provins: une commune du comté de Champagne et de Brie (1152-1355), Paris.
World Bank (2002), World Development Report 2002: Building Institutions for Markets, Oxford.

訳注
1.本文中における参考文献の照会についての注意。括弧内に著者名と発表年が示してあるものは参考文献/Reference内の該当作品を参照とした、ということを示す。
2.“Milgrom et al.”が意味するものは、「ミルグロムと共著者」。この場合は、参考文献/Reference内の「Milgrom, P R, D C North and B R Weingast (1990), “The Role of Institutions in the Revival of Trade: the Medieval Law Merchant, Private Judges and the Champagne Fairs”, Economics and Politics 2(1): 1-23」を指す。

Simeon Djankov:通貨が崩壊するとき

Simeon Djankov: When Currencies Collapse, (PIIE Realtime Economic Issues Watch. December 30th, 2015)

12月の終わり頃、アゼルバイジャンの通過であるマナトは1日でその3分の1の価値を失うことになった。それは、中央銀行が米ドルに対し固定相場制を取っていたマナトを変動相場制に変更する、と決定した後に起こったことだ。この一連の動きは国民を怒らせることになったが、それに止まらずコーカサス地方にまたがって波紋を広げることとなった。その直後に、隣接するグルジアで首相が辞任することとなり、通貨価値の変動はその突然の辞任の一因である、として引き合いに出された。これはコーカサス地方における痛みを伴う金融改革期の始まりに過ぎないのかもしれない。

 

2月初頭の平価切り下げと合わせて、アゼルバイジャンはその通貨価値を2015年中に対ドルで55%下げることとなった。その最大の原因は、主要な輸出品である石油とガスの価格の下落である。国家予算のこれらの産品への依存度は非常に大きいため、2015年における財政赤字はGDPの10%近くに達する見込みだ。アナリストたちはアゼルバイジャンの銀行部門における混乱を予想している。多くの企業及び一般家庭は、米ドルで多額の借り入れをしており、それをマナトを基準とした収入から返すことになるからだ。

 

他の国々もまた、同様の問題を抱えている。カザフスタンの通貨であるタンゲは2015年に対ドルで47%価値を下げ、グルジアの通貨価値は25%、ロシア通貨ルーブルは24%、トルクメニスタン・マナトは19%、それぞれ価値を下げた。これらの国々はどこも過去10年にわたる高い経済成長を享受しており、それは燃料の輸出とその運輸税に依っている。そして幸運な時代は終わりを告げた。

 

通貨価値が崩壊したとき、政府は何をすべきか。短期的には、過去の計画に沿った政府支出が可能である。たとえそれが大幅な財政赤字状態であったとしても。実例を見るならば、グルジアとロシアの2015年における財政赤字はGDPの3%を超え、アゼルバイジャンではそれよりもさらに大きい。そして長期的には、公共支出の削減による赤字の解消という難しい決断が迫られる。

 

通常では、公共部門の給与及び年金の凍結が最初に発効される。多くの消費者向け製品が海外からこれらの国々に輸入されることを考え合わせるならば、この凍結は国民が貧しくなる方向へといきなり方向転換することを意味する。二番目に行われることが、教育及び医療といった公共部門への支出の削減である。これらの部門では、以前と同等の業務水準が求められるのに、少ない予算でやりくりせねばならないことになる。そして三番目に、公共設備投資の削減が求められる。ロシアでは2018年のワールドカップ予算は据え置かれるものの、以前に計画されていた設備投資計画の60%の削減がすでに発表されている。さらに同様の発表がロシア以外の政府からも出されることが予想される。

 

民主主義社会では上記のような公告は政権交代、そしてしばしば選挙へとつながる。上記4カ国のうち唯一の民主主義国家であるグルジアではすでに政府内部の入れ替えが見られる。その他の国々では、個々の大臣が政府の支持率を上げるための犠牲となっている例が見受けられるものの、政権そのものは維持されている。ただし、それが維持できるのも通貨価値が下落し続けない限り、だ。

 

マーク・ソーマ「経済学が使えない世界」(2015年11月13日)

Mark Thoma, “When Economics Works and When it Doesn’t,” (Economists View, November 13. 2015)

 

ダニ・ロドリック(Dani Rodrik)へのインタビューからの抜粋

 

Q : あなたは本1.の中で、理論上の間違いが政策の間違いにつながる、その例を二つ挙げています。第一の例は、「効率的市場仮説」に関してです。2007年から2008年の間に起きた世界金融危機の直前期には、その仮説に基づいた解釈を過大評価してしまったこと、そのことがどういった役割を演じたのでしょうか。

 

A : 経済学における中心的なモデルは、「効率的市場仮説」が正しいとして作られています。しかしその前提条件には、すべての人が同意しているわけではないものがいくつか存在します。そのうちの一つは、「合理性の前提」です。例えば、扇動的な雰囲気による一時の流行、行き過ぎの楽観主義などは除外して考えます。そしてその第二のものは、外部性2.とエージェンシー問題3.の排除です。その前提の下で最適とされる経済政策は、より多くの自由化された市場とより少ない市場への規制、そうなります。金融危機の直前期の、長期にわたる住宅価格の上昇も、シャドーバンキングシステムの成長も、効率的市場仮説の観点からすれば、何ら問題となるものではないのです。金融の自由化とそれに伴う発展がこの社会にどれだけすばらしいものをもたらしたか考えて下さい。どれだけ多くの、以前は住宅ローンを組むことができなかった人々が家を手に入れることができたことか。でも、これは自由市場の社会的便益への有効性を強調しすぎています。一方で、景気変動、行動の偏向性、エージェンシー問題、外部性、「大きすぎて潰せない」という問題、そういったものを取り入れたモデルを使うと、同じ事象に対して全く違った答えが導き出されます。このモデルは、新興市場における公的債務危機を説明するときに使われるモデルでもあります。私としては、こちらの第二のモデルのほうがより我々の生活を良くするような答えを与えてくれるものだ、そう考えております。

 

訳注

1.ここで言われている「本」とは、ダニ・ロドリックの新刊書、”Economics Rules: Why Economics Works, When it Fails, and How to Tell the Difference”を指す。

2.外部性:ある人の行動が、その意思決定に関わることのできない他人へもたらす影響。単純な売買行為を理論化するには外部性は無視して考えられるが、環境問題などを考える際には無視できない問題となる。

3.エージェンシー問題:あるいは、プリンシパル-エージェント問題(Principle-Agent-Problem)と呼ばれる。財産の所有者(プリンシパル)がその管理、運用を第三者の代理人(エージェント)に委託した場合、所有者よりも代理人の利益が優先されることが起こる。所有と経営の分離がなされている株式会社では、株主がプリンシパルで経営者がエージェントとなる。