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アレックス・タバロック 「最終戦争の到来を見越して株を売るのは得策か?」(2017年8月12日)

●Alex Tabarrok, “Can You Short the Apocalypse?”(Marginal Revolution, August 12, 2017)


(北朝鮮による核開発の進捗に伴って)核戦争が起こる可能性が仮に高まりつつあるのだとしたらその影響で株価が下落してもよさそうなものだが今のところはそうなっていない。どうしてだろうか? ラルス・クリステンセンも指摘している1ように、キューバ危機(キューバミサイル危機)時にも同じような現象が観察された。当時も株価は下落しなかったのだ。

核戦争の一歩手前まできていたのが本当だとすれば、株価はキューバ危機の最中に――石が坂を転げ落ちるように――急降下していてもおかしくないはずである。実際のところはどうだったか? S&P500指数(株価指数の一つ)は急落なんてしなかった。1962年10月のあの13日間――米国とソ連との間で緊迫したにらみ合いが続いたあの13日間――を通じてS&P500指数には何の波風も立たなかった。

その理由は? 「相互確証破壊(MAD)戦略は大変優れた軍事戦略であり、そのおかげで核戦争が起こるリスクは低く抑えられている。世間で信じられているほど核戦争が勃発するリスクは高くはないのだ」。マーケットはそのように察知していたに違いない(し、実際にも核戦争は起こらなかった。マーケットは正しかったのだ・・・よね?)というのがクリステンセンの主張だ。

歴史家のアーサー・シュレジンジャー(Arthur M. Schlesinger Jr.)はキューバ危機時(ケネディ政権時)に大統領特別補佐官を務めてもいたが、キューバ危機は「人類史上で最も危険な瞬間」だったと回想している。キューバ危機はあくびを誘うような退屈極まりない出来事だったとの意見の持ち主は大統領周辺には一人もいなかったようだ。私もそのうちの一人に加えてもらいたいところだが、そうだとすると(キューバ危機が「人類史上で最も危険な瞬間」だったのだとすると)石が坂を転げ落ちるように株価が急落せずに済んだのはどうしてだろうという疑問が湧いてくる。核戦争という名の最終戦争が起こる可能性が株価に織り込まれずにいるというのはわかりきった話なんかではないのだ。 [Read more…]

  1. 訳注;リンク先の記事は本サイトでも訳出されている次のエントリーが元になっている(つい最近の国際情勢(北朝鮮と米国との間の緊張の高まり)を踏まえて一部加筆されている)。 ●ラルス・クリステンセン 「キューバ危機の痕跡はどこ? ~キューバ危機時の米国株式市場の反応は何を物語っているか?~」(2017年2月28日) []

アレックス・タバロック 「進化とモラルコミュニティー ~進化の名残としての『ゼロサム思考』~」(2007年5月10日)

●Alex Tabarrok, “Evolution and Moral Community”(Marginal Revolution, May 10, 2007)


進化の名残(としての「ゼロサム思考」)がモラルコミュニティーの拡大(同類意識の越境)に歯止めをかける働きをしている。ポール・ルビン(Paul Rubin)がそう主張している

我々人類の遠い祖先が生きていたのはその本質において変化に乏しい静的な世界だった。旧世代から新世代へと時が移り行く中でも社会的な面にしても技術的な面にしてもほとんど変化が見られなかったのである。言い換えると、我々の遠い祖先はゼロサムの世界に生きていたのである。誰かの分け前が増えるとそれと引き換えにその他の誰かの分け前は減らざるを得なかったわけである。

我々の思考(精神)はそのような(静的な)世界を理解するべく進化を遂げてきており、誰かが利益を手にするのを目にするとそれは他の誰かの犠牲の上に成り立っているに違いないとつい思い込んでしまいがちなのはその名残である。「自発的な交換(国内における同胞同士での交換であれ異国人同士での国境を越えた交換(貿易)であれ)はポジティブサムの結果をもたらす」。経済学者たちは2世紀(200年)以上にわたってそう説き続けてきている。自発的な交換は双方に利益をもたらす。さもなければそもそも交換なんて成り立たない、というわけだ。「移民の受け入れはポジティブサムの結果をもたらす」。経済学者たちはそうも説き続けてきている。アメリカにやってきた移民は自らの労働を売る見返りとしてお金(給料)を手に入れ(労働とお金を交換し)、そしてそのお金で他の誰かが作った商品を買う(お金と商品を交換する)。つまりは、移民だけではなく移民に商品を売った誰かも利益を手にすることになる、というわけだ。しかしながら、進化の名残をとどめる我々の直感はそのようには判断しない。海外の労働者がアメリカとの貿易を通じて利益を手にし、アメリカにやってきた移民がアメリカ国内で職を得ることで利益を手にしているとすれば、それと引き換えに同胞たるアメリカ人労働者が痛手を被っているに違いない。ついそう判断してしまうのだ。

アレックス・タバロック 「ホラー映画に関する『イチャイチャ理論』」(2011年10月31日)

●Alex Tabarrok, “The Snuggle Theory of Horror”(Marginal Revolution, October 31, 2011)


ホラー物(のフィクション)に関する心理学の先行研究を概観した記事の一部を引用しておこう。

ホラー映画への興味と年齢との関係に関して言うと、幼年期から成長するにつれてホラー映画を楽しいと思える感情が高まっていき、その感情は思春期でピークに達して以降は年を重ねるとともに徐々に薄れていく(ホラー映画を楽しめなくなっていく)との可能性が示唆されている。このことと関わりがあるのがいわゆる(ホラー映画に関する)「イチャイチャ理論」(‘snuggle theory’)と呼ばれているものである。「イチャイチャ理論」によると、ホラー映画の鑑賞は若者たちにとって通過儀礼の一つとなっている可能性があり、若い男女が社会における伝統的な性的役割(ジェンダー・ロール)を演じる機会を提供しているというのだ。ドルフ・ジルマン(Dolf Zillmann)やノルベルト・ムンドルフ(Norbert Mundorf)らが1980年代後半に発表した共著論文では男女の大学生を対象にそれぞれ異性とペアになって『13日の金曜日PART3』のワンシーンを14分間にわたって鑑賞してもらった上でその感想が尋ねられている。その結果によると、男子大学生はペアになった女子(男子大学生には知らされていないが、実は研究助手)が映像の鑑賞中にびくびく怖がっている場合にはそうでない場合よりも映像を2倍近く楽しめたと答える傾向にあった一方で、女子大学生はペアになった男子が映像の鑑賞中に冷静で動じた様子がないように見えるとそうでない場合よりも映像を楽しく観れたと答える傾向にあった。この研究ではペアとなった相手の印象が映像を観る前の段階で問われてもいるが、映像を一緒に観る前の段階では女子から魅力的ではないと判断されていた男子であっても『13日の金曜日』の映像を物怖じせずに見通した場合には相手の女子からの評価が高まる傾向にあったことも見出されている。「ホラー映画やモンスターは女子が悲鳴を上げながらデート相手の男子に必死になってしがみつく絶好のチャンスを提供しているとともに、男子が女子を安心させて守り庇護する――必要とあらばモンスターを打ち倒す――絶好のチャンスを与えてもいるわけです」。フィシュホフはそう語る。「男子も女子もどちらとも(ホラー映画を鑑賞しながら)文化の中に埋め込まれている性的役割を演じているわけです」。

アレックス・タバロック 「ゾンビ襲来の数理モデル」(2009年8月16日)・「ゾンビ経済学」(2013年3月9日)/タイラー・コーエン 「『アンデッドの経済学』」(2014年7月10日)

●Alex Tabarrok, “Mathematics of a Zombie Attack”(Marginal Revolution, August 16, 2009)


今回紹介するのは『Infectious Disease Modelling Research Progress』に収録されている論文(pdf)だ。アブストラクトを以下に引用しておこう。

ゾンビはポップカルチャーやエンターテインメントの世界で人気のキャラクターの一つである。死者が何らかの原因で突如ゾンビとして蘇り、生きている人間を次々と襲っていく。そしてゾンビに襲われた(噛まれた)人間もまたゾンビとなって新たな獲物を追い求めていく。世にある娯楽作品の中ではそのように描かれることが多い。本論文ではポピュラー映画に登場するゾンビの特徴を踏まえた上で「ゾンビ襲来」の数理モデルを組み立てる。まずはじめにゾンビ感染に関する基本となるモデルを構築し、モデルの均衡を求めると同時に均衡の安定性を検証する。さらには、数値シミュレーションも行う。次に基本となるモデルに修正を加え、人間がゾンビ化するまでには一定の潜伏期間を要する――ゾンビに襲われた(ゾンビウイルスに感染した)人間はすぐにゾンビになるのではなく一定の潜伏期間を経た後にゾンビ化する――との前提を置くことにする。その上でゾンビ(やゾンビウイルスに感染したもののまだゾンビになりきれていない人間)の「隔離」やゾンビウイルスに効く「治療薬」(ゾンビ化した人間が再び普通の人間に戻ることを可能とする治療薬)の効果を調べる。そして最後に定期的に「掃討作戦」を繰り返してゾンビの殺傷を試みた場合の効果を検証し、ゾンビの根絶が可能となる条件を求める。早い段階から積極果敢な掃討作戦に打って出る以外に「世界の終焉」シナリオ――ゾンビの襲来によって生きている人間が一人残らずゾンビとなり、文明が崩壊へと向かうシナリオ――を避けられる方法はない。本論文のモデルからはそのような結論が得られることになる。

この話題はBoing BoingサイトでCory Doctorowが紹介していたのを見て知ったものだ1。感謝する次第。
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●Alex Tabarrok, “Zombie Economics”(Marginal Revolution, March 9, 2013)


「ゾンビ経済学」とは言っても「セイの法則」だとかを槍玉に挙げているわけじゃない2。文字通り「ゾンビの経済学」――正真正銘のゾンビを対象とした経済学――だ。グレン・ホイットマン(Glen Whitman)とジェームズ・ダウ(James Dow)の二人が「『アンデッド』(特にゾンビと吸血鬼)の経済学」をテーマとする本の編集を進めているらしい。ロウマン&リトルフィールド出版社から出版予定とのことだ。

経済学の発想を使って「アンデッド」に関わる問題に切り込んだり、「アンデッド」を題材として経済学の方法論を問い直す。本書への寄稿をお考えの方々にはそのような姿勢で筆を進めていただきたいところだ。論文のアブストラクト(要旨)にしても本文にしても一般の読者でも近づきやすくて興味を惹かれるようなスタイルでまとめ上げていただきたい。さらには、ポップカルチャーの分野における「アンデッド」の例――例えば、『トワイライト』シリーズや『バフィー ~恋する十字架~』、アン・ライスの一連の小説、『ワールド・ウォーZ』、ジョージ・ロメロ監督の作品の数々、『トゥルーブラッド』、『ウォーキング・デッド』等々――を引き合いに出しながら論を進めていってもらいたいところだ。

考え得るトピックの例を挙げておくと、「血市場」における需要と供給、「ゾンビ労働市場」の振る舞い、「アンデッド」の脅威への対応策に絡む政治経済学的な問題、ゾンビの襲来によって荒廃した経済の復興にまつわる問題、ゾンビや吸血鬼の行動が合理的選択理論に投げかける示唆等々ということになるだろう。

ただ今論文のアブストラクトの投稿を募集している最中とのことだが、詳しい投稿規定はこちらをご覧になられたい。

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●Tyler Cowen, “*Economics of the Undead* (arrived in my pile)”(Marginal Revolution, July 10, 2014)


『アンデッドの経済学』と題する本が出版された。編者はジェームズ・ダウとグレン・ホイットマンの二人。副題は「ゾンビ、吸血鬼、陰鬱な科学」だ。執筆陣にはスティーブン・ホーウィッツ(Steven Horwitz)サラ・スウワイア(Sarah Skwire)イリヤ・ソミン(Ilya Somin)ホリス・ロビンズ(Hollis Robbins)らが名を連ねている。

  1. 訳注;この論文の内容を日本語で詳しく解説したものとしては例えば次のブログエントリーを参照のこと。 ●“感染症モデルに基づくゾンビ大量発生時の危機管理指針”(A Successful Failure, 2009年8月29日) []
  2. 訳注;「セイの法則」だとかを槍玉に挙げている「ゾンビ経済学」はこちら。 []

タイラー・コーエン「祖父の霊、売ります」(2004年12月5日)/アレックス・タバロック 「ビッグフットとUFOに関する計量経済学」(2008年9月1日)

●Tyler Cowen, “Phantom markets”(Marginal Revolution, December 5, 2004)


祖父の霊を怖がる6歳の息子を安心させるにはどうしたらいいだろう? そうだ、(インターネットオークションサイトである)eBay(イーベイ)で祖父の霊を売りに出そう。そのような母親の妙案に対してこれまでに34件を上回る入札があり、最高入札額は今のところ78ドルに達している(最新の情報によると、最高入札額は1万5000ドルにまで競り上がっている)。

「おじいちゃんの幽霊にそのうち出くわすんじゃないかって怖いんだよ」。母親のメアリー・アンダーソンが語るところによると、息子のコリンがそう語るのを聞いて祖父(メアリーにとっては父)の霊をオークションサイトに出品する(売りに出す)ことに決めたという。祖父が亡くなったのは昨年のことだが、それからというものコリンは一人きりで家の中を行き来するのを止す(よす)ようになったという。

・・・(中略)・・・

オークションには(祖父の霊に加えて)祖父が愛用した金属製のステッキも併せて出品されており、祖父の霊の落札者にはちゃんと手で触れることができるモノも送り届けられることになっている。母親のメアリーの言によると、オークションの売上金でコリンに何かしらのプレゼントを買ってあげる予定だという。

全文はこちら

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●Alex Tabarrok, “Econometrics of Bigfoot and UFOs”(Marginal Revolution, September 1, 2008)


ピーター・リーソン(Peter Leeson)がFreakonomicsブログに記事を寄稿している。テーマはビッグフットとUFO(未確認飛行物体)に関する計量経済学。リーソンがデータを詳しく調べたところによると、UFOの目撃件数の多い(アメリカ国内の)州ではビッグフットの目撃件数も多い傾向にあることが見出されたという。リーソンはその事実からいくつかの暫定的な結論を引き出している1が、残念ながらいずれも大間違いだと言わざるを得ない。正しい結論にたどり着きたいのであれば若き同僚(リーソン)にはこちらの古典2の研究に力を入れてもらわねばならないだろう。

  1. 訳注;一例だけ紹介しておくと、UFOの目撃件数が多い州ほどビッグフットの目撃件数も多い傾向にあるのはUFOやビッグフットをだしにして観光客をできるだけたくさん呼び込もうという誘因(インセンティブ)が絡んでいるのではないかとの可能性が挙げられている(UFOやビッグフットの目撃件数が多い州は観光業が州の重要な産業の一つとなっている州でもあるとのこと)。 []
  2. 訳注;『サイボーグ危機一髪』におけるスティーブ・オースティンとビッグフットの格闘シーン。この作品ではビッグフットは宇宙人が作ったサイボーグという設定になっている。 []

アレックス・タバロック「人件費が安いとこうなる:インド編」

[Alex Tabarrok “When Labor is Cheap,” Marginal Revolution, April 22, 2017]

インドの人件費は安い.そのため,なにかとアメリカと事情がちがう場合がある.

インドでタクシーをつかまえてレストランに行ったとき,最初の2回くらいはびっくりした.運転手が,「ここで待ってましょうか」と尋ねてきたんだ.アメリカでレストランの外にタクシーを待たせたら,しゃれにならない費用になるだろう.だが,インドでは運転手が1時間 1.50ドルでよろこんで待っていてくれる.いまだにこれには当惑する.

物理的な資本である自動車はインドでもアメリカでもだいたい似たようなコストだ.運賃が安上がりだということは,タクシー代にしめる運転手のコストがどれくらいかの例証でもあるし,運転手のいらない自動運転車ができたら移動コストがどれくらい下がるかを示してもいる.

あと,なんでも宅配してくれる.

モールでもホテルでもアパートでもお金持ち向けの店舗でも,かならず警備がいる.といっても,ぜんぶハッタリだ〔いかにも警備を厳重にやっているような印象を与えているにすぎない〕 ――インドはアメリカほど危険じゃない――けれど,なにしろ1時間1ドル~2ドルでできるのだったら,「じゃあやろうか」となるだろう.

オフィスは1日24時間,週7日ずっとあいていることがある.べつに,誰かがオフィスにいるわけではなくて,24時間ずっと警備されているなら,いちいち戸締まりする理由もないからオフィスが物理的に開けっ放しになっているだけだ.

どこの店でも,店員は有り余っている.これが不可解で,というのも店員が大勢いる結果としてサービスが悪化しているのだ.たとえば,ごく小さなお店ですら,店員が支払い票を書くと,それをべつの店員に渡して会計をやったりする.おそらく,店員に窃盗をさせないために店のオーナーがとった対策なのだろう.つまり,こうしておけば店からちょろまかすには店員2人が結託しなくてはならなくなる.

オフィスでは,清掃員が常勤で雇われている.おかげで,週に1回か2回どころではなく,1時間に1回か2回姿を現して清掃していく.過剰に(?)民間の空間が清掃されていることで,民間の清潔ぶりと公共の汚らしさの対比が際立っている.

アレックス・タバロック 「正義軍か、経済学者軍か ~『高貴な嘘』の功罪?~」(2013年1月13日)

●Alex Tabarrok, “The Army of Economists”(Marginal Revolution, January 13, 2013)


ダニエル・デネットが興味深いインタビューの中で幅広い話題を縦横に論じているが、偽善(hypocrisy)が時として好ましい結果をもたらす可能性があるかどうかについても問われている。

恐ろしい敵を相手に戦わねばならないとしましょう。冷酷無残な敵です。ヒトラーの再来といっても過言ではないような極悪非道の敵です。そんな敵から私たちの身を守ってくれる味方の軍には編成の異なる二通りの軍隊が存在するとしましょう。ここではとりあえず「ゴールドアーミー」と「シルバーアーミー」と呼んでおくことにしますが、人員の数や軍事訓練の程度、使用する兵器等には違いはありません。攻撃面でも防御面でも可能な限り最上の装備を身に付けているという点でも違いはありません。違いは何かと言うと、「ゴールドアーミー」に所属する兵士は一人残らず「神」が自分たちの後ろ盾になっていると信じ切っていることです。そのため、「我が軍は正義軍だ」と心の底から信じ切っています。その一方で、「シルバーアーミー」に所属する兵士は全員が経済学者です。ブラックジャックで躊躇なくインシュランス(保険)をかけるような人種であり、ありとあらゆる事象の起き得る確率を事細かに計算しないではおかない人種ですね。

「どちらの軍隊に前線に向かってもらいたいですか?」と問われたらどう答えるでしょうか? 「シルバーアーミー」という答えはなかなか聞かれないと思いますが、そのような反応は一体どういうことを意味しているのでしょうか? 「若い兵士たちに敵と立ち向かってもらうためにはどうすればいいか? 間違った考え(信念)を吹き込んで兵士たちの目をくらましてしまえ」。そう言ってるも同然です。偽善極まりないように思われます。しり込みせざるを得ません。「兵士たちを洗脳せよ」と言っているようなものですからね。病気にならないように前もってワクチンを打っておくような話です。兵士たちが経済学者流――あるいは哲学者流――の発想に侵されないようにせよ、というわけですからね。兵士たちが経済学者のように考え出したとしたら次から次へと疑問が湧いてくることでしょう。戦争を行うだけの正当な理由があると本当に言えるのだろうか? 自分の命を危険に晒す覚悟は本当にできているのだろうか? 我が軍が今やっていることは本当に正しい行いと言えるのだろうか? じっくりと腰を据えて検討を加えたら他にもっと優れた軍事作戦が見つかるのではないだろうか? そうだとしたら今の作戦は無駄もいいところということになるのではないか? まだ塹壕に身を潜めてなきゃいけないんだろうか?  何とも厄介なジレンマです。私にもどうしたらいいか答えはわかりません。しかし、このジレンマから目を背けてはならないでしょう。

嘘が好ましい結果を引き起こす上で効果的な働きをした例(言い換えると、「高貴な嘘」の実例)はこれまでに一度としてないなんて反論はさすがに極端だろうが、「高貴な嘘」がルール化されたとしたらどうだろうか? 好ましい結果が期待できるだろうか? 長い戦争の歴史を振り返ってみてもらいたいが、「正当」で「賢い」戦争は一体どのくらいあっただろうか? 虚栄心の塊のような政治指導者や馬鹿げたプライドによって突き動かされた戦争の例は一体どのくらいの数に上るだろうか? さて、問うとしよう。味方にするなら「ゴールドアーミー」と「シルバーアーミー」のどちらがいいだろうか? 私の答えは「シルバーアーミー」だ1

もう一点だけ指摘しておきたいことがある。デネットは「利己心」(それも狭く解された利己心)と「合理性」をごっちゃにした上で「経済学者」の特徴付けを行っているが、(狭く解された)自己利益に反してはいても合理的であることは可能なのだ。デネットの問いに含まれるちょっとした誤魔化しと絡めてその点を説明するとしよう。「恐ろし」くて「冷酷無残な敵」が相手だという前提が立てられているが、後半のところで「経済学者」に「戦争を行うだけの正当な理由があると本当に言えるのだろうか?」と自問させている。この「経済学者」はどのような答えを下すだろうか? 「恐ろし」くて「冷酷無残な敵」が相手なのだからその答えは勿論・・・「イエス」のはずだ。このケースでは戦争に身を捧げることは合理的な行動と言えるわけなのだ2

この話題を教えてくれたBrian Donohueに感謝。

  1. 訳注;長い戦争の歴史を振り返ると、「不正」で「愚か」な(=やる必要のない)戦争ばかりであり、「シルバーアーミー」であれば参戦などしなかったはずだ、ということが言いたいものと思われる。言い換えると、「高貴な嘘」がルール化された結果として軍隊が「ゴールドアーミー」へと変貌すると、「不正」で「愚か」な戦争も多数繰り返される羽目になる、ということが言いたいのであろう。 []
  2. 訳注;デネットは「ゴールドアーミー」だけが戦争に身を捧げるかのような含みを持たせているが、必ずしもそういうわけではない(「シルバーアーミー」も場合によっては戦争に身を捧げることがある)、ということが言いたいものと思われる。 []

マーク・ソーマ 「ケネス・アロー(1921-2017)」(2017年3月2日)/アレックス・タバロック「伯父としてのケネス・アロー ~サマーズが語るアローの思い出~」(2017年2月24日)

●Mark Thoma, “Kenneth Arrow, 1921-2017”(Economist’s View, March 02, 2017)


デブラージ・レイ(Debraj Ray)のブログより。

Kenneth Arrow, 1921-2017” by Debraj Ray:

ケネス・アロー(Kenneth Arrow)が2017年2月21日に亡くなった。享年95歳。アローは20世紀を代表する三大経済学者(三傑)の一人(残りの二人はポール・サミュエルソンとジョン・ヒックス)と目されている人物であり、私のかねてからのお気に入りの経済学者でもある。

ディパク・バナジー(Dipak Banerjee)(pdf)――私の恩師――が私にアローを紹介してくれたのは1974年のことだ。(私の母親が崇め奉っているヒンドゥー教の女神サラスヴァティー)さながらに)私の目の前に現れたアローは黄色い表紙の小さなペーパーバックの姿を借りていた。その小さな本の名は『Social Choice and Individual Values』(邦訳『社会的選択と個人的評価』)。大学通りにあるダスグプタ書店で購入し、今でも手元に持っている。当時私は大学1年生。小さな本ではあったが、その中を開くと深遠な論理的な思考がぎっしりと詰まっていた。それだけではない。ページを繰っていくとその先にはこれまでに見たことがない風景が広がっていた。政治経済学の分野における「抽象的な問い」が切れ味鋭い理論的な道具立てに読み替えられていたのだ。

その「抽象的な問い」とは一体何か? 簡単に言うとこういうことだ。みんなの意見を集計して集団としての意思決定を下す方法として「多数決」があるが、多数決にはいわゆる「コンドルセのパラドックス」(投票のパラドックス)として知られている有名な問題が付き纏っている。(複数の選択肢に対する)一人ひとりの選好(好み)は理に適ったものであったとしても「多数決」を通じてみんなの意見を集計する結果として得られる(複数の選択肢に対する)社会的な選好(集団としての選好順序)に時として循環が生じる可能性があるのだ。このことから次のような問いが浮かび上がってくることになる。一人ひとりの選好を矛盾のないかたちで集約し得る方法というのは果たして存在するのだろうか? 少し考えてみてもらえば気付くと思うが、一人ひとりの選好を集約する方法には我々がよく知っている多数決以外にも無数の候補がある。さてさてだ。先の問いに答えを出すのはおろか、先の問いを(理論的に取り扱えるようなかたちに)定式化するには一体全体どうすればいいんだろうか? アローが閃いた定式化――投票に参加する一人ひとりの選好を集約して集団としての選好(社会的な選好)を導き出す集計方法(社会厚生関数)にいくつかの公理(条件)を課す――はまさしく天才的なものだった。見た目が美しいというばかりではない。結論(答え)も得られるのだ。その結論とはこうだ。ごく限られた数の条件をすべて満たしつつ、一人ひとりの選好を集約して申し分のない(集団としての選好順序に循環が生じないような)社会的な選好を導き出せるような集計方法は存在しない。

以上の引用は冒頭のほんの一部でしかない。内容盛り沢山の続きも是非ともご覧になられたい。

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●Alex Tabarrok, “Summers on Arrow”(Marginal Revolution, February 24, 2017)


ローレンス・サマーズがケネス・アローとの思い出を回想しているが、その中で学者人生の一面を見事に捉えたエピソードが紹介されている。私も似たような経験がある。父親が機械工学を専門とする学者だったのだが、自宅に教え子を呼ぶことがあった。その時の父親の振る舞い(教え子たちと会話を弾ませている姿)を見ていて似たような感想を持ったことがあるのだ。

ノーベル経済学賞受賞者であり私の母方の伯父でもあるケネス・アローが今週95歳で亡くなった。アローは優れた人柄の持ち主であり、私(だけではなくその他大勢)にとってのヒーローだった。アローほど充実した学者人生を過ごした人物は他には見当たらない。

アローがノーベル賞を受賞したのは1972年のことだが、その時のことはまるで昨日のことのように覚えている。ポール・サミュエルソン――同じくノーベル経済学賞受賞者であり、同じく私の伯父でもある――がアローのノーベル賞受賞を祝うパーティーを催したのだが、その当時(MITの)大学2年生だった私もその場に招待されたのだ。若干オタクっぽい雰囲気に包まれてはいたが、お祭り気分に満たされた一夜だった。

夜も更けていく中、部屋の隅のところで数理経済学の定理の数々をテーマに立ち話を延々と続けるサミュエルソンとアローの二人。招待客たちは一人また一人と帰っていく。サミュエルソンの妻は「話はまだ終わらないのか」とじれったそうにしているように見えた。アローの妻(であり、私の叔母でもあるセルマ)はコートを羽織ってボタンも留め終わり、出口に向けて歩き出していた。そんなことはお構いなしに「最大値原理がどうこう、ポントリャーギン(ロシアの数学者)がどうこう」と切り出すアロー。イギリスの数理経済学者であり哲学者でもあるフランク・ラムゼイの話で迎え撃つサミュエルソン。二人の会話が終わらないことには私は帰れなかった。そのため私は二人の会話をじっくりと観察していたのだ。とは言え、(当時の私には)会話の内容は一切理解できなかったのだが。

二人の会話の様子を眺めていて吸収できたこともある。目の前にいるのはノーベル賞を受賞した二人の人物。疲れ果てた他の招待客たちが次々と家路を急ぐ中、好物の話題をネタに延々と語り続ける二人。その夜、私は二人の伯父から学んだのだ。アイデアに対する情熱を。学者という職業の重要性と刺激(スリル)を。

アレックス・タバロック 「バーナンキ議長が大暴露 ~紙幣なんてただの紙切れに過ぎないんです~」(2010年2月17日)/タイラー・コーエン 「『ジ・オニオン』の記事を真に受けた例 ~うそはうそであると見抜ける人でないと・・・~」(2012年9月30日)

●Alex Tabarrok, “The Dangers of Common Knowledge”(Marginal Revolution, February 17, 2010)


【ワシントン】今週に入ってアメリカ経済はその機能を完全に停止するに至った。そのきっかけはベン・バーナンキFRB議長(2010年当時)による「『貨幣』という存在の根源にまつわる」思いもよらない発言にある。貨幣なんていうのは無価値な存在であり、社会的に構築された幻想に過ぎない。バーナンキ議長の発言をきっかけにアメリカ国民はそう気付かされたのだ。

・・・(略)・・・「現段階では政策金利を引き上げる予定はありませんが、もちろん状況に応じて適切に対応するつもりです。具体的にどういう状況かといいますとですね、・・ええと、・・・」。そこまで言い及ぶとバーナンキ議長はしばらく口をつぐみ、用意してきた原稿に目を落とした。そして何もかも信じられないといった様子で頭を左右に振りつつゆっくりと語り始めた。「ご理解されていますかね? 気にする必要なんて無いんですよ。こいつ、いわゆる『お金』と呼ばれてるこいつですがね、こいつには何の重要性もないんですよ」。 

両目をクワッと大きく見開いたバーナンキ議長は自分の財布の中から紙幣を取り出し、ゆっくりと目の前に掲げた。そしてこう続けたのである。「幻想に過ぎないんですよ。こいつらを見てください。何の変哲もないただの紙切れに数字が書き込まれているだけです。何の価値もないんですよ」。

その場に居合わせた目撃者の証言によると、上院財政委員会の面々は雷に打たれたような衝撃を受け、しばらく口を開くこともできなかったそうだ。その静寂を破ったのはオリン・ハッチ上院議員(ユタ州選出の上院議員。共和党所属)の叫び声。「何てことだ! 議長の言う通りだ。何もかもが幻影なんだ。お金にしても経済にしてもすべてがまやかしなんだ」。

それから間もなくして議事堂には金切り声が響き渡ることになった。その場にいた上院議員にメディア関係者を加えた面々が一目散に出口に向けて駆け出したのだ。誰もいなくなった議事堂にはビリビリに破れた紙幣があちこちに残されていたという。

と、『ジ・オニオン』が報じている。全文はこちらだ。

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●Tyler Cowen, “Fooled by satire”(Marginal Revolution, September 30, 2012)


「バラク・オバマとマフムード・アフマディーネジャード(イラン大統領)が選挙で争ったとしたらどちらに票を投じるかを尋ねたところ、アメリカ国内の田舎に暮らす白人の大半がアフマディーネジャードに票を投じると答えた」。『ジ・オニオン』が拵(こしら)えたそのような架空の調査結果をイランの通信社が事実として報じた。

『ジ・オニオン』の偽記事を一言一句違わずにそっくりそのまま報じたのはイランの半国営通信社Farsの英語版サイト。

『ジ・オニオン』の記事ではアフマディーネジャードとなら一緒に野球の試合を見に行ってもいいと語る架空の人物(ウェストバージニア在住のデール・スウィデルスク氏)が拵えられているが、Farsの英語版サイトではその架空の人物の発言――「アフマディーネジャードは国防というものを真剣に考えています。オバマはゲイのデモ隊が国防問題に口出しするのを容認していましたが、アフマディーネジャードならそんなこと絶対に許さないでしょうからね」――もそっくりそのまま引用されている。

全文はこちらだ。

アレックス・タバロック 「ディスマル卿のパラドックス ~経済学が『陰鬱な科学』と呼ばれる由来となった人物?~」(2006年5月20日)

●Alex Tabarrok, “Dismal’s Paradox”(Marginal Revolution, May 20, 2006)


経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになったきっかけは何なんだろうか? 『ザ・デイリー・ショー』で(コメディアンの)ジョン・ホッジマンがその由来を説明している。

ジョン・スチュアート:う~ん。減税の効果についての今のご説明なんですが、どうもフェア(公平)じゃないと思うんですが。

ジョン・ホッジマン:フェアかどうかというのはここでのポイントじゃないんです。経済学が「陰鬱な科学」(ディスマル・サイエンス)と呼ばれているのはフェアネス(公平さ)を重んじる学問だからというわけじゃないんですよ。

ジョン・スチュアート:ええ、それは仰る通りだと思うんですが。

ジョン・ホッジマン:フェアな学問だからじゃないんです。絶対に違います。経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになったきっかけはユースティス・ディスマル卿にあるんです。ディスマル卿の名前にちなんでるんですね。ディスマル卿は18世紀のイギリスで活躍した経済学者なんですが、レンガの代わりに子供たちを積み重ねて煙突を作ろうと提案した人物なんです。

ジョン・スチュアート: へ~、そうなんですか。初めて知りました。

ジョン・ホッジマン:そうなんです。実に面白い提案だったんですが、致命的な欠陥を抱えていたんですね。そこらじゅうの子供たちを積み重ねて煙突を作ってみたと想像してみてください。一体誰に煙突の掃除をさせたらいいんでしょうか? ・・・ね? これが世に言う「ディスマルのパラドックス」というやつです。

経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになった「真の由来」――世間ではトマス・マルサス(による陰鬱な予言)が関係しているように思われているが、マルサスは無関係――についてはこちらを参照されたい1

  1. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事も参照のこと。 ●アレックス・タバロック 「経済学の中に潜む倫理的な判断」(2014年3月7日) []