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アレックス・タバロック「人件費が安いとこうなる:インド編」

[Alex Tabarrok “When Labor is Cheap,” Marginal Revolution, April 22, 2017]

インドの人件費は安い.そのため,なにかとアメリカと事情がちがう場合がある.

インドでタクシーをつかまえてレストランに行ったとき,最初の2回くらいはびっくりした.運転手が,「ここで待ってましょうか」と尋ねてきたんだ.アメリカでレストランの外にタクシーを待たせたら,しゃれにならない費用になるだろう.だが,インドでは運転手が1時間 1.50ドルでよろこんで待っていてくれる.いまだにこれには当惑する.

物理的な資本である自動車はインドでもアメリカでもだいたい似たようなコストだ.運賃が安上がりだということは,タクシー代にしめる運転手のコストがどれくらいかの例証でもあるし,運転手のいらない自動運転車ができたら移動コストがどれくらい下がるかを示してもいる.

あと,なんでも宅配してくれる.

モールでもホテルでもアパートでもお金持ち向けの店舗でも,かならず警備がいる.といっても,ぜんぶハッタリだ〔いかにも警備を厳重にやっているような印象を与えているにすぎない〕 ――インドはアメリカほど危険じゃない――けれど,なにしろ1時間1ドル~2ドルでできるのだったら,「じゃあやろうか」となるだろう.

オフィスは1日24時間,週7日ずっとあいていることがある.べつに,誰かがオフィスにいるわけではなくて,24時間ずっと警備されているなら,いちいち戸締まりする理由もないからオフィスが物理的に開けっ放しになっているだけだ.

どこの店でも,店員は有り余っている.これが不可解で,というのも店員が大勢いる結果としてサービスが悪化しているのだ.たとえば,ごく小さなお店ですら,店員が支払い票を書くと,それをべつの店員に渡して会計をやったりする.おそらく,店員に窃盗をさせないために店のオーナーがとった対策なのだろう.つまり,こうしておけば店からちょろまかすには店員2人が結託しなくてはならなくなる.

オフィスでは,清掃員が常勤で雇われている.おかげで,週に1回か2回どころではなく,1時間に1回か2回姿を現して清掃していく.過剰に(?)民間の空間が清掃されていることで,民間の清潔ぶりと公共の汚らしさの対比が際立っている.

アレックス・タバロック 「正義軍か、経済学者軍か ~『高貴な嘘』の功罪?~」(2013年1月13日)

●Alex Tabarrok, “The Army of Economists”(Marginal Revolution, January 13, 2013)


ダニエル・デネットが興味深いインタビューの中で幅広い話題を縦横に論じているが、偽善(hypocrisy)が時として好ましい結果をもたらす可能性があるかどうかについても問われている。

恐ろしい敵を相手に戦わねばならないとしましょう。冷酷無残な敵です。ヒトラーの再来といっても過言ではないような極悪非道の敵です。そんな敵から私たちの身を守ってくれる味方の軍には編成の異なる二通りの軍隊が存在するとしましょう。ここではとりあえず「ゴールドアーミー」と「シルバーアーミー」と呼んでおくことにしますが、人員の数や軍事訓練の程度、使用する兵器等には違いはありません。攻撃面でも防御面でも可能な限り最上の装備を身に付けているという点でも違いはありません。違いは何かと言うと、「ゴールドアーミー」に所属する兵士は一人残らず「神」が自分たちの後ろ盾になっていると信じ切っていることです。そのため、「我が軍は正義軍だ」と心の底から信じ切っています。その一方で、「シルバーアーミー」に所属する兵士は全員が経済学者です。ブラックジャックで躊躇なくインシュランス(保険)をかけるような人種であり、ありとあらゆる事象の起き得る確率を事細かに計算しないではおかない人種ですね。

「どちらの軍隊に前線に向かってもらいたいですか?」と問われたらどう答えるでしょうか? 「シルバーアーミー」という答えはなかなか聞かれないと思いますが、そのような反応は一体どういうことを意味しているのでしょうか? 「若い兵士たちに敵と立ち向かってもらうためにはどうすればいいか? 間違った考え(信念)を吹き込んで兵士たちの目をくらましてしまえ」。そう言ってるも同然です。偽善極まりないように思われます。しり込みせざるを得ません。「兵士たちを洗脳せよ」と言っているようなものですからね。病気にならないように前もってワクチンを打っておくような話です。兵士たちが経済学者流――あるいは哲学者流――の発想に侵されないようにせよ、というわけですからね。兵士たちが経済学者のように考え出したとしたら次から次へと疑問が湧いてくることでしょう。戦争を行うだけの正当な理由があると本当に言えるのだろうか? 自分の命を危険に晒す覚悟は本当にできているのだろうか? 我が軍が今やっていることは本当に正しい行いと言えるのだろうか? じっくりと腰を据えて検討を加えたら他にもっと優れた軍事作戦が見つかるのではないだろうか? そうだとしたら今の作戦は無駄もいいところということになるのではないか? まだ塹壕に身を潜めてなきゃいけないんだろうか?  何とも厄介なジレンマです。私にもどうしたらいいか答えはわかりません。しかし、このジレンマから目を背けてはならないでしょう。

嘘が好ましい結果を引き起こす上で効果的な働きをした例(言い換えると、「高貴な嘘」の実例)はこれまでに一度としてないなんて反論はさすがに極端だろうが、「高貴な嘘」がルール化されたとしたらどうだろうか? 好ましい結果が期待できるだろうか? 長い戦争の歴史を振り返ってみてもらいたいが、「正当」で「賢い」戦争は一体どのくらいあっただろうか? 虚栄心の塊のような政治指導者や馬鹿げたプライドによって突き動かされた戦争の例は一体どのくらいの数に上るだろうか? さて、問うとしよう。味方にするなら「ゴールドアーミー」と「シルバーアーミー」のどちらがいいだろうか? 私の答えは「シルバーアーミー」だ1

もう一点だけ指摘しておきたいことがある。デネットは「利己心」(それも狭く解された利己心)と「合理性」をごっちゃにした上で「経済学者」の特徴付けを行っているが、(狭く解された)自己利益に反してはいても合理的であることは可能なのだ。デネットの問いに含まれるちょっとした誤魔化しと絡めてその点を説明するとしよう。「恐ろし」くて「冷酷無残な敵」が相手だという前提が立てられているが、後半のところで「経済学者」に「戦争を行うだけの正当な理由があると本当に言えるのだろうか?」と自問させている。この「経済学者」はどのような答えを下すだろうか? 「恐ろし」くて「冷酷無残な敵」が相手なのだからその答えは勿論・・・「イエス」のはずだ。このケースでは戦争に身を捧げることは合理的な行動と言えるわけなのだ2

この話題を教えてくれたBrian Donohueに感謝。

  1. 訳注;長い戦争の歴史を振り返ると、「不正」で「愚か」な(=やる必要のない)戦争ばかりであり、「シルバーアーミー」であれば参戦などしなかったはずだ、ということが言いたいものと思われる。言い換えると、「高貴な嘘」がルール化された結果として軍隊が「ゴールドアーミー」へと変貌すると、「不正」で「愚か」な戦争も多数繰り返される羽目になる、ということが言いたいのであろう。 []
  2. 訳注;デネットは「ゴールドアーミー」だけが戦争に身を捧げるかのような含みを持たせているが、必ずしもそういうわけではない(「シルバーアーミー」も場合によっては戦争に身を捧げることがある)、ということが言いたいものと思われる。 []

マーク・ソーマ 「ケネス・アロー(1921-2017)」(2017年3月2日)/アレックス・タバロック「伯父としてのケネス・アロー ~サマーズが語るアローの思い出~」(2017年2月24日)

●Mark Thoma, “Kenneth Arrow, 1921-2017”(Economist’s View, March 02, 2017)


デブラージ・レイ(Debraj Ray)のブログより。

Kenneth Arrow, 1921-2017” by Debraj Ray:

ケネス・アロー(Kenneth Arrow)が2017年2月21日に亡くなった。享年95歳。アローは20世紀を代表する三大経済学者(三傑)の一人(残りの二人はポール・サミュエルソンとジョン・ヒックス)と目されている人物であり、私のかねてからのお気に入りの経済学者でもある。

ディパク・バナジー(Dipak Banerjee)(pdf)――私の恩師――が私にアローを紹介してくれたのは1974年のことだ。(私の母親が崇め奉っているヒンドゥー教の女神サラスヴァティー)さながらに)私の目の前に現れたアローは黄色い表紙の小さなペーパーバックの姿を借りていた。その小さな本の名は『Social Choice and Individual Values』(邦訳『社会的選択と個人的評価』)。大学通りにあるダスグプタ書店で購入し、今でも手元に持っている。当時私は大学1年生。小さな本ではあったが、その中を開くと深遠な論理的な思考がぎっしりと詰まっていた。それだけではない。ページを繰っていくとその先にはこれまでに見たことがない風景が広がっていた。政治経済学の分野における「抽象的な問い」が切れ味鋭い理論的な道具立てに読み替えられていたのだ。

その「抽象的な問い」とは一体何か? 簡単に言うとこういうことだ。みんなの意見を集計して集団としての意思決定を下す方法として「多数決」があるが、多数決にはいわゆる「コンドルセのパラドックス」(投票のパラドックス)として知られている有名な問題が付き纏っている。(複数の選択肢に対する)一人ひとりの選好(好み)は理に適ったものであったとしても「多数決」を通じてみんなの意見を集計する結果として得られる(複数の選択肢に対する)社会的な選好(集団としての選好順序)に時として循環が生じる可能性があるのだ。このことから次のような問いが浮かび上がってくることになる。一人ひとりの選好を矛盾のないかたちで集約し得る方法というのは果たして存在するのだろうか? 少し考えてみてもらえば気付くと思うが、一人ひとりの選好を集約する方法には我々がよく知っている多数決以外にも無数の候補がある。さてさてだ。先の問いに答えを出すのはおろか、先の問いを(理論的に取り扱えるようなかたちに)定式化するには一体全体どうすればいいんだろうか? アローが閃いた定式化――投票に参加する一人ひとりの選好を集約して集団としての選好(社会的な選好)を導き出す集計方法(社会厚生関数)にいくつかの公理(条件)を課す――はまさしく天才的なものだった。見た目が美しいというばかりではない。結論(答え)も得られるのだ。その結論とはこうだ。ごく限られた数の条件をすべて満たしつつ、一人ひとりの選好を集約して申し分のない(集団としての選好順序に循環が生じないような)社会的な選好を導き出せるような集計方法は存在しない。

以上の引用は冒頭のほんの一部でしかない。内容盛り沢山の続きも是非ともご覧になられたい。

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●Alex Tabarrok, “Summers on Arrow”(Marginal Revolution, February 24, 2017)


ローレンス・サマーズがケネス・アローとの思い出を回想しているが、その中で学者人生の一面を見事に捉えたエピソードが紹介されている。私も似たような経験がある。父親が機械工学を専門とする学者だったのだが、自宅に教え子を呼ぶことがあった。その時の父親の振る舞い(教え子たちと会話を弾ませている姿)を見ていて似たような感想を持ったことがあるのだ。

ノーベル経済学賞受賞者であり私の母方の伯父でもあるケネス・アローが今週95歳で亡くなった。アローは優れた人柄の持ち主であり、私(だけではなくその他大勢)にとってのヒーローだった。アローほど充実した学者人生を過ごした人物は他には見当たらない。

アローがノーベル賞を受賞したのは1972年のことだが、その時のことはまるで昨日のことのように覚えている。ポール・サミュエルソン――同じくノーベル経済学賞受賞者であり、同じく私の伯父でもある――がアローのノーベル賞受賞を祝うパーティーを催したのだが、その当時(MITの)大学2年生だった私もその場に招待されたのだ。若干オタクっぽい雰囲気に包まれてはいたが、お祭り気分に満たされた一夜だった。

夜も更けていく中、部屋の隅のところで数理経済学の定理の数々をテーマに立ち話を延々と続けるサミュエルソンとアローの二人。招待客たちは一人また一人と帰っていく。サミュエルソンの妻は「話はまだ終わらないのか」とじれったそうにしているように見えた。アローの妻(であり、私の叔母でもあるセルマ)はコートを羽織ってボタンも留め終わり、出口に向けて歩き出していた。そんなことはお構いなしに「最大値原理がどうこう、ポントリャーギン(ロシアの数学者)がどうこう」と切り出すアロー。イギリスの数理経済学者であり哲学者でもあるフランク・ラムゼイの話で迎え撃つサミュエルソン。二人の会話が終わらないことには私は帰れなかった。そのため私は二人の会話をじっくりと観察していたのだ。とは言え、(当時の私には)会話の内容は一切理解できなかったのだが。

二人の会話の様子を眺めていて吸収できたこともある。目の前にいるのはノーベル賞を受賞した二人の人物。疲れ果てた他の招待客たちが次々と家路を急ぐ中、好物の話題をネタに延々と語り続ける二人。その夜、私は二人の伯父から学んだのだ。アイデアに対する情熱を。学者という職業の重要性と刺激(スリル)を。

アレックス・タバロック 「バーナンキ議長が大暴露 ~紙幣なんてただの紙切れに過ぎないんです~」(2010年2月17日)/タイラー・コーエン 「『ジ・オニオン』の記事を真に受けた例 ~うそはうそであると見抜ける人でないと・・・~」(2012年9月30日)

●Alex Tabarrok, “The Dangers of Common Knowledge”(Marginal Revolution, February 17, 2010)


【ワシントン】今週に入ってアメリカ経済はその機能を完全に停止するに至った。そのきっかけはベン・バーナンキFRB議長(2010年当時)による「『貨幣』という存在の根源にまつわる」思いもよらない発言にある。貨幣なんていうのは無価値な存在であり、社会的に構築された幻想に過ぎない。バーナンキ議長の発言をきっかけにアメリカ国民はそう気付かされたのだ。

・・・(略)・・・「現段階では政策金利を引き上げる予定はありませんが、もちろん状況に応じて適切に対応するつもりです。具体的にどういう状況かといいますとですね、・・ええと、・・・」。そこまで言い及ぶとバーナンキ議長はしばらく口をつぐみ、用意してきた原稿に目を落とした。そして何もかも信じられないといった様子で頭を左右に振りつつゆっくりと語り始めた。「ご理解されていますかね? 気にする必要なんて無いんですよ。こいつ、いわゆる『お金』と呼ばれてるこいつですがね、こいつには何の重要性もないんですよ」。 

両目をクワッと大きく見開いたバーナンキ議長は自分の財布の中から紙幣を取り出し、ゆっくりと目の前に掲げた。そしてこう続けたのである。「幻想に過ぎないんですよ。こいつらを見てください。何の変哲もないただの紙切れに数字が書き込まれているだけです。何の価値もないんですよ」。

その場に居合わせた目撃者の証言によると、上院財政委員会の面々は雷に打たれたような衝撃を受け、しばらく口を開くこともできなかったそうだ。その静寂を破ったのはオリン・ハッチ上院議員(ユタ州選出の上院議員。共和党所属)の叫び声。「何てことだ! 議長の言う通りだ。何もかもが幻影なんだ。お金にしても経済にしてもすべてがまやかしなんだ」。

それから間もなくして議事堂には金切り声が響き渡ることになった。その場にいた上院議員にメディア関係者を加えた面々が一目散に出口に向けて駆け出したのだ。誰もいなくなった議事堂にはビリビリに破れた紙幣があちこちに残されていたという。

と、『ジ・オニオン』が報じている。全文はこちらだ。

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●Tyler Cowen, “Fooled by satire”(Marginal Revolution, September 30, 2012)


「バラク・オバマとマフムード・アフマディーネジャード(イラン大統領)が選挙で争ったとしたらどちらに票を投じるかを尋ねたところ、アメリカ国内の田舎に暮らす白人の大半がアフマディーネジャードに票を投じると答えた」。『ジ・オニオン』が拵(こしら)えたそのような架空の調査結果をイランの通信社が事実として報じた。

『ジ・オニオン』の偽記事を一言一句違わずにそっくりそのまま報じたのはイランの半国営通信社Farsの英語版サイト。

『ジ・オニオン』の記事ではアフマディーネジャードとなら一緒に野球の試合を見に行ってもいいと語る架空の人物(ウェストバージニア在住のデール・スウィデルスク氏)が拵えられているが、Farsの英語版サイトではその架空の人物の発言――「アフマディーネジャードは国防というものを真剣に考えています。オバマはゲイのデモ隊が国防問題に口出しするのを容認していましたが、アフマディーネジャードならそんなこと絶対に許さないでしょうからね」――もそっくりそのまま引用されている。

全文はこちらだ。

アレックス・タバロック 「ディスマル卿のパラドックス ~経済学が『陰鬱な科学』と呼ばれる由来となった人物?~」(2006年5月20日)

●Alex Tabarrok, “Dismal’s Paradox”(Marginal Revolution, May 20, 2006)


経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになったきっかけは何なんだろうか? 『ザ・デイリー・ショー』で(コメディアンの)ジョン・ホッジマンがその由来を説明している。

ジョン・スチュアート:う~ん。減税の効果についての今のご説明なんですが、どうもフェア(公平)じゃないと思うんですが。

ジョン・ホッジマン:フェアかどうかというのはここでのポイントじゃないんです。経済学が「陰鬱な科学」(ディスマル・サイエンス)と呼ばれているのはフェアネス(公平さ)を重んじる学問だからというわけじゃないんですよ。

ジョン・スチュアート:ええ、それは仰る通りだと思うんですが。

ジョン・ホッジマン:フェアな学問だからじゃないんです。絶対に違います。経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになったきっかけはユースティス・ディスマル卿にあるんです。ディスマル卿の名前にちなんでるんですね。ディスマル卿は18世紀のイギリスで活躍した経済学者なんですが、レンガの代わりに子供たちを積み重ねて煙突を作ろうと提案した人物なんです。

ジョン・スチュアート: へ~、そうなんですか。初めて知りました。

ジョン・ホッジマン:そうなんです。実に面白い提案だったんですが、致命的な欠陥を抱えていたんですね。そこらじゅうの子供たちを積み重ねて煙突を作ってみたと想像してみてください。一体誰に煙突の掃除をさせたらいいんでしょうか? ・・・ね? これが世に言う「ディスマルのパラドックス」というやつです。

経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになった「真の由来」――世間ではトマス・マルサス(による陰鬱な予言)が関係しているように思われているが、マルサスは無関係――についてはこちらを参照されたい1

  1. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事も参照のこと。 ●アレックス・タバロック 「経済学の中に潜む倫理的な判断」(2014年3月7日) []

アレックス・タバロック 「ミツバチが『失業』した先に待っているのは?」(2016年2月15日)

●Alex Tabarrok, “The Sharks Get Stung”(Marginal Revolution, February 15, 2016)1


金曜日にテレビで『Shark Tank』(大成功を収めた百戦錬磨の社長たち(「シャーク(鮫)」)が番組に応募してきた出場者のプレゼンを聞いて「これは!」と思った相手に出資する番組)を視ていたらミネソタ出身の二人の麗しい女性が「Bee Free Honee」なる商品(リンゴから作られたはちみつ)を売り込んでいた。安くてベジタリアンの希望にも沿うはちみつ。いいアイデアじゃないだろうか? そうかもしれない。しかしながら、その二人の女性のプレゼン中に納得しかねる発言があった。「私たちの商品はミツバチを救うことにもなるのです」というのだ。リンゴから作られたはちみつのおかげで従来のはちみつに対する需要が減れば養蜂家もミツバチを酷使するのをやめるでしょうし、そうなればミツバチの数も増えるでしょう。そう主張していたのだ。bee-jop

「シャーク」の一人であるケヴィン・オーレアリー(Kevin O’Leary)が本領を発揮して件の二人の女性が語る「誤謬」をけちょんけちょんに叩くに違いない。そう思っていた。あるいは別の「シャーク」であるマーク・キューバン(Mark Cuban)が「常識」っぽく聞こえる話を口にする面前の二人の女性をやり込めるに違いない。そう思っていた。しかし、どちらも当てが外れた。「シャーク」たちはこぞってこの「血迷った」商品に舌なめずりして食いついたのだ。というわけで、私にお鉢が回ってきたというわけだ。

従来のはちみつに対する需要が減ればミツバチに対する需要も減る。従来のはちみつに取って代わる安くて高品質の代用品(リンゴから作られたはちみつ)の出現はミツバチたちが花粉媒介者(ポリネーター)として優雅に自然の中を飛び交うのどかな世界の誕生を意味しはしない。待っているのは「ミツバチの絶滅」(beepocalypse)なのだ。「Bee free honee」がミツバチを「救う」ことになるとすれば、それは内燃機関が馬を「救った」のと同じ意味で「救う」ことになるに違いない。

(追記)蜂群崩壊症候群(CCD)のことが気になっている人がいるかもしれないが、誰よりも気になっているのが他でもない養蜂家たちだ。養蜂家たちはCCDにうまいこと対処しているようでミツバチによるはちみつの生産にしても「送粉サービス」の提供にしてもどうにか持ちこたえているようだ。そればかりか、アメリカ国内におけるミツバチのコロニー(群)の数は過去20年間で今が一番多いらしいのだ(最新のデータはこちら)。CCDはまだ完全に解決されたとは言えないが、従来のはちみつとミツバチによる「送粉サービス」に対する需要こそがCCDの解決策を探る(養蜂家の)インセンティブを支えているのだ。覚えておいてもらいたい。従来のはちみつなんて要らないなんてことになれば、ミツバチの受け皿となってくれるのは「私の趣味ですか? クローゼットの中でミツバチを飼うことです」と語る人間くらいしかいないのだ。

(追々記)件の二人の女性は(デレク・パーフィットが語るところの)「いとわしき結論」(repugnant conclusion)に対する洗練された一つの立場を表明しようという・・・、いや、それはおそらくないだろう。

今回の記事を書くきっかけをくれたMaxに感謝。

  1. 訳注;原エントリーのタイトルを訳すと「まんまと騙されたシャークたち」となるだろう。おそらく「ハチに刺された」(get stung by a bee)という意味も込められているものと思われる。 []

アレックス・タバロック「疲労困憊した医師は間違いをおかしやすく患者の害になる」

[Alex Tabarrok, “Fatigued Physicians Make Mistakes and Harm Patients,” Marginal Revolution, March 12, 2017]

疲れ果てた状態で車を運転すると事故をおこす.この当たり前の事実への対応策として,バスやタクシーの運転手は8時間連続して休憩をとったあとで最大10時間までしか運転できないように制限されている.ところが,内科医の場合,現行の基準はこれより大幅にゆるい.1年目の研修医の交代勤務時間はなんと16時間だ.これだけでもすでにどうかしてる.ぼくは午後 7:20から10時の夜学クラスをよく教えている.いつも,むずかしい題材は早めの時間に教えるように心がけている.なにしろ,9時ごろになると,もう調子がすっかり落ちてしまっているからだ.言うまでもなく,教師よりも研修医たちにかかるストレスの方がはるかに大きいし,疲労も大きい.さらに,1年目の研修医たちが働けるのは16時間までだけれど,2年目になると連続24時間ずっと働けるどころか,最大30時間まで働けるようになっている.睡眠をとらずにまともに稼働できる秘訣を1年の研修で内科医たちに教えられるんだとしたら,すごくない?
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アレックス・タバロック 「人間以外の動物(アニマル)も『アニマルスピリッツ』を持ち合わせているか?」(2010年1月29日)

●Alex Tabarrok, “Do Animals have Animal Spirits?”(Marginal Revolution, January 29, 2010)


自然界で「実物的景気循環」(リアルビジネスサイクル)が起きる様を想像するのはいとも容易いことだ。例えば、色んな生き物がウヨウヨとたむろしている池を思い浮かべて欲しい。ある時のことだ。池に浮かぶスイレンが寄生虫の魔の手にかかりすべて枯れてしまった。困ったのはカエルたちだ。ハエを捕まえようにも大事な足場(スイレン)が無くなってしまって捕まえようがないのだ。おかげでハエたちはわが世の春を謳歌することになるが、カエルたちはやせ細る一方。(カエルを捕食する淡水魚の)ノーザンパイクもショボイ獲物しか見つからずに困り果てるばかり。・・・と、まあこんな感じだが、「池国」内総生態(GPB;Gross Pond Biota)の計測を試みてみたら「池経済」における「景気」循環を跡付けることも可能になることだろう。「池経済」内の異なる部門(カエル部門、ハエ部門等々)も別々に計測すれば、当初のショック(寄生虫の襲来)に対してそれぞれの部門がどう反応し、一方の部門(カエル部門)で生じた変化が他方の部門(ハエ部門)にどんな変化を巻き起こしたかを跡付けることも可能になるだろう。つまりは、当初のショックが「池経済」内に引き起こした連鎖反応を時系列順に辿ることも可能になるわけだ(何だかベクトル自己回帰(VAR)モデルを使った時系列分析みたいな話だ)。

「池経済」でケインジアン流の景気循環が起きる余地はあるだろうか? あるいはこう言い換えてもいい。「アニマルスピリッツ」が自然界での景気循環の原動力になる可能性はあるだろうか? 「実物的景気循環」なら想像しやすい。しかし、こっちのケース(ケインジアン流の景気循環)は・・・、う~む。(悲観的なムードが個体から個体へとたちどころに伝染するのに伴って)「流動性への逃避」だとか突然の「投資の冷え込み」だとかいった現象が起きるためには「お金」(貨幣)ないしはそれに似た何かが必要になるだろう。群集(同調、模倣)行動(herd behavior)が(ロジャー・ファーマーが説いているようなかたちの)「コーディネーションの失敗」型の景気循環を引き起こす余地はもしかしたらあるかもしれない。この点との関わりで興味深いことがある。あくまでも私が知っている範囲での話に過ぎないがと断っておくが、それぞれの個体が互いの行動を模倣し合う群集行動は集団全体にとって最適な振る舞いだというのが生物学の今のトレンド(流行)の立場のようなのだ。しかしながら、必ずしもそうとは限らないように思われるのだ1(単細胞生物の)粘菌も過酷な環境にさらされると自己組織化して群体となって振る舞うことが知られている(邦訳『創発-蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』)が、そういった自己組織化のプロセスが外的なショックもなしに(あるいは外的なショックが些細なものに過ぎなくても)突然始まるなんてことは果たしてあり得るのだろうか? 自然界における景気循環を説明するモデルというのは果たして見つかるんだろうか? 「アニマルスピリッツ」を持ち合わせているのは人間だけなのだろうか? それは何だか違和感がある。どうやら生物学者と経済学者が助け合える余地がたくさんありそうだ。

  1. 訳注;群衆行動が「コーディネーションの失敗」へと誘い、その結果としてその生物種の「経済」が「悪い均衡」に嵌ってしまう可能性もあるのではないか、という意味。 []

アレックス・タバロック「インドはアメリカより起業の盛んな社会だ(そして,それが問題だ)」

[Alex Tabarrok, “India is a much more Entrepreneurial Society than the United States (and that’s a problem),” Margianl Revolution, March 9, 2017]

インドはアメリカよりもずっと起業が盛んだ.そう聞かされると意外かもしれない.なにしろ,インドは貧しい国だし,起業が盛んだというと豊かさがたいてい連想されるものだからだ.だけど,このつながりは明白な事実ではない.インドにいる誰もがお金儲けに邁進しているし,機会にも開かれている.誰か雇って WiFi をつなぎ直したり自転車を修理したり映画をつくったりしたい? だったらものの数時間でやってくれる人は見つかる.どんなことを聞いても,「できるよ,俺らにはできる!」というのがおきまりの返事だ.もちろん,なかには法律違反になってしまう場合もあるけれど,それでもよければ,やってやれないことはない.「なせばなる」精神はとりわけムンバイではいたるところに浸透しているとはいえ,インドの他の地域でも事情は変わらない.
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アレックス・タバロック「移民医師」

[Alex Tabarrok, “Immigrant Doctors,” Marginal Revolution, March 7, 2017]

アメリカの内科医の1パーセントは,ドナルド・トランプの新たな大統領令で対象とされた6ヶ国の出身者だ.驚くほど高い数字だとぼくは思った.「移民医師プロジェクト」(Immigrant Doctors Project) によれば,この1パーセントにあたる7000名の内科医たちは,毎年1400万件の予約診察を提供し,しかも,その多くはより貧しく白人が多くて田舎にある地域でなされているという.

これで今回の政策が「はい論破」となるとは思わないけれど,その驚くほどのコストと,高技能で教育のある人たちの移民からアメリカがどれほど便益を得ているかを例証するものにはなっている.