経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

タイラー・コーエン 「花の数は愛の深さを示す尺度?」(2015年2月13日)/ アレックス・タバロック 「一経済学者が愛する妻に贈ったバレンタインデーのプレゼント」(2008年2月14日)

●Tyler Cowen, “How much should you spend on Valentine’s Day flowers?”(Marginal Revolution, February 13, 2015)


すべては相手を思いやっていることを目に見えるかたちで伝えるため。

「毎年のように記録が塗り替えられるんです」。そう語るのは(ニューヨーク市の)フラットアイアン地区でフラワーショップの「ベル・フルール」を経営するメレディス・ワガ・ペレス。バレンタインデーに花を買い求めにくるお客の中には5000ドル(およそ53万円)もの大枚をはたくのも厭わない強者もいるという。

昨年のことだ。アレクス・デグチャレフは付き合って3年と少しになる彼女(ルル)に結婚のプロポーズをするためにフラットアイアン地区にある「オーデ・ア・ラ・ローズ」にバラの配送を注文した。デグチャレフがそのために支払った金額は6000ドル(およそ64万円)。

「1114本のバラを手に入れたかったんです」とデグチャレフ。(ニューヨーク市の)ベイ・リッジ暮らしの33歳。「僕たちが付き合ってからの日数と同じ数なんです」。

友人にも手伝ってもらってモンタークの岬一面に1000本を超えるバラをばら撒き、その場で彼女にプロポーズしたという。

リンク先では他にもバレンタインデー絡みの逸話が色々と紹介されているが、全体的な印象としては逆効果になりかねないんじゃないかと思われるところだがどうだろうか? カウンター・シグナリングの支持者1じゃなくてもあるいは革命的非モテ同盟の一員じゃなくても私と同意見なんじゃなかろうか。

情報を寄せてくれたDに感謝。

——————————————————————————————————-

●Alex Tabarrok, “What an Economist gets his Wife for Valentines”(Marginal Revolution, February 14, 2008)


「こんな品2をプレゼントしても平気でいられるのは君のことを心の底から本当に愛している人間だけなんだよ」。いくらそう説明しても妻はこちらが期待したほどには心を動かされてはいないように見受けられたものだ。

私に倣いたいようなら(それだけの覚悟をお持ちのようなら)こちら3で適当な品物を見繕うことができる。

  1. 訳注;「カウンター・シグナリング」については本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●タイラー・コーエン 「パジャマを着て交渉、スーツ姿でブログ書き」/「カウンター・シグナリング」(2017年12月9日) []
  2. 訳注;「あでやかなダイヤモンドのネックレス」(stunning diamond necklace)というタグが付いているだけのネックレス []
  3. 訳注;リンク切れ。代わりに例えばこちらを参照されたい。 []

アレックス・タバロック「Uber運転手報酬の男女差」

[Alex Tabarrok, “The Uber Pay Gap,” Marginal Revolution, February 7, 2018]

Cody Cook, Rebecca Diamond, Jonathan Hall, John A. List, & Paul Oyer の論文では、100万人以上の Uber 運転手と何百万件もの走行にもとづくデータを使って、女性の Uber 運転手の方が男性運転手に比べて報酬が 7% 少ないことを明らかにしている。ただ、この論文の新しいところは、Uber の大量データのおかげで、報酬の落差が存在する理由について非常に詳しく理解できるようになっている点だ。差別ではないんだよ:
[Read more…]

アレックス・タバロック 「われはエンピツ」(2018年1月14日)

●Alex Tabarrok, “I, Pencil Revisited”(Marginal Revolution, January 14, 2018)


レオナルド・リード(Leonard Read)が物した “I, Pencil”(「われはエンピツ」)と言えば、鉛筆のようなごくシンプルな代物でさえも出来上がるまでには世界中の大勢の人々――お互いに顔を知りもしなければ、一体自分が何の生産に関わっているのかさえもはっきりとは気付いていない大勢の人々――の協力と連携が欠かせないことを鉛筆目線(鉛筆が主人公の物語仕立て)で物語ったエッセイだ。リードの鉛筆の喩え話を一躍有名にしたのはミルトン・フリードマン。テレビで放映された「選択の自由」シリーズの中で紹介されたのがそのきっかけだが、「この鉛筆を独力で一から作れる人は世界中どこを探してもいないのです」とはフリードマンの言だ。リードの「われはエンピツ」にロマンチックな捻りを加えたのがコーエンと私が出演している(動画の)“I, Rose”(「われはバラなり」)だ。

こういった経緯を踏まえた上でというわけではなさそうだが、あたかも「見えざる手」に導かれるかのようにしてと言うべきか、ニューヨーク・タイムズ紙で鉛筆工場の内部の様子が報じられている。鉛筆の製造工程が一連の写真に生き生きと収められているが、鉛筆が出来上がるまでの工程が驚くほど複雑である様が伝わってくる。

アレックス・タバロック 「『自動車を作る小麦』に『鋼を作るビーバー』」(2018年2月4日)

●Alex Tabarrok, “How Do Beavers Make Steel?”(Marginal Revolution, February 4, 2018)


国際貿易に関するデイビッド・フリードマン(David Friedman)のものの見事な説明を一躍有名にしたのはスティーヴン・ランズバーグ(Steven Landsburg)の『The Armchair Economist』(邦訳『ランチタイムの経済学』)だ。「アイオワでの自動車の収穫」と題された章(pdf)での紹介がきっかけで一挙に有名になったのだ1

アメリカでは「二通りのテクノロジー」を頼りにして自動車の生産が行われているというのがデイビッドの発見だ。二通りのテクノロジーとは? デトロイトで「製造する」というのがまず一つ。アイオワで「栽培する」というのがもう一つ。デトロイトで「製造する」という一番目のテクノロジーについては誰もが知るところなので説明は不要だろうが、アイオワで「栽培する」という二番目のテクノロジーについてはいくらか説明させてもらうとしよう。まずはじめにやるべきことは小麦の種を蒔くことだ。これが自動車の「原料」になる。それからしばらく小麦の成長を見守る。数ヶ月ほど経って小麦が実ったら収穫して船に乗せる。小麦を積んだその船は太平洋を西に向かって突き進む。数ヶ月もするとその船は「トヨタの車」を積んで戻ってくるというわけだ。

つい最近ロバート・アレン(Robert Allen)の『Global Economic History』(邦訳『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』)を読んで知ったのだが、どうやらデイビッド・フリードマンは300年以上も先を越されていたようだ。フランスの貿易商を相手にした毛皮貿易が隆盛を極めている最中にミクマク族の一介のインディアンが次のように語っているのだ2

我らが兄弟たる「ビーバー」は万事をうまく運んでくれる。我々のためにやかんに斧、剣、ナイフを作ってくれるだけではない。地面を耕すという苦労をせずとも食べ物も飲み物も与えてくれるのだ。3

  1. 訳注;以下の引用は拙訳 []
  2. 訳注;以下の引用は拙訳 []
  3. 訳注;フランスの貿易商に「ビーバーの毛皮」を売る(引き渡す)のと引き替えにやかんに斧、剣、ナイフ、飲食料を手に入れる、という意味。 []

アレックス・タバロック「多様性 vs. 平等: 女性への厚遇差別」

[Alex Tabarrok, “Diversity versus Equality,” Marginal Revolution, January 28, 2018]

「オーストラリア行動経済学チーム」が,雇用に関する無作為化実験をしている (pdf).実験では,オーストラリア行政府の上級職応募者が調査され,ランクをつけられた.性別・マイノリティ地位・先住民地位が推測できる場合の扱いと応募者の素性が伏せられた場合の扱いを比較することで,研究チームは素性を伏せることの効果と偏見を検証できた.
[Read more…]

アレックス・タバロック 「労働、所有権、ジョン・ロック ~あなたが雪かきしてできた駐車スペースは誰のもの?~」(2010年2月10日)

●Alex Tabarrok, “John Locke in Washington”(Marginal Revolution, February 10, 2010)


猛吹雪(スノーポカリプス)の中から愛車をやっとのことで救い出した市民の前には何とも厄介な別の道徳上のジレンマが立ち塞がることになる。火花散るひと悶着を引き起こしかねないジレンマだ。道路脇に停めていた愛車を「氷の墓」から(せっせと雪かきして)救い出したとしよう。あなたが雪かきした後にできるそのスペース(車一台分の駐車スペース)は一体誰のものなのだろうか? 太陽が道路脇の雪を溶かしてしまうまでは「あなたのもの」(あなたの愛車を停めてもよい駐車スペース)なのだろうか?

ワシントンの冬は比較的穏やかなことが多く、そのためもあって前述の疑問への解答を与えてくれるような吹雪時のマナーはワシントン市民の間で定着するに至っていない。

それとは対照的なのが(吹雪に見舞われるのが珍しくない)ボストン。ボストン市では雪かきという重労働の見返りを手にする権利が法律で擁護されているのだ。あなたが(道路脇に停めていた)愛車を「氷の墓」から雪かきして救い出したとしよう。そして雪かきした後にできたスペースに椅子だとかの目印を置いて「あなたのもの」(あなたの駐車スペース)であることを示す。ボストン市の条例ではそうする権利が認められているのだ。仕事に行くためにその場(雪かきした後にできたスペース)を離れている間もそのスペースに目印を置いてその場を「あなたのもの」とする権利が少なくとも2日間は認められているのである。

ワシントン・ポスト紙の記事より引用(ドナルド・マロン経由で知ったもの)。

(追記)フレッド・マケズニー(Fred McChesney)がこちらの論説で「雪かき」という労働に焦点を当ててそこから「所有権」に関する一般的な教訓を引き出している。

アレックス・タバロック 「偽りの安全に伴う高い代償」(2012年11月20日)

●Alex Tabarrok, “The High Price of False Security”(Marginal Revolution, November 20, 2012)


チャールズ・ケニー(Charles Kenny)がブルームバーグに大変優れた記事を寄稿している。テーマは「9・11」以降の米本土のセキュリティ問題だ。

アメリカ国内ではテロの脅威に比べると不釣合いなほどテロへの関心(注目度)が高い。イスラム過激派によるテロに関しては特にそうだ。「9・11」から2010年終盤までの間にアメリカ国内では15万件の殺人事件が発生しているが、そのうちでイスラム過激派が関わっている事件の数は3ダース(36件)に満たない。ジョン・ミューラー(オハイオ州立大学)とマーク・スチュアート(ニューカッスル大学)の二人の共同研究によると、アメリカで暮らす市民がテロ事件に巻き込まれて命を落とす確率は2000年以降に関しては350万分の1と見積もられている。アフガニスタンやイラクといった紛争地帯を除いた話で言うと、2000年以降にイスラム過激派によるテロで命を落とした人の数は全世界で200人~400人程度だ。ミューラーが2011年の論文(pdf)で指摘しているように、200人~400人と言えばアメリカ国内で一年間に浴槽で溺死する人の数とそう変わらない。

・・・(中略)・・・

ニューヨーク・タイムズ紙が報じているが、アメリカが「9・11」で被った直接的・間接的なコスト額の推計の一つによると、テロ攻撃によって直接生じた「物理的被害」の額は550億ドル、経済活動に生じた損害の額は1230億ドルとのこと。その一方で、国内のセキュリティ強化や反テロ対策のための出費にイラクやアフガニスタンでの戦争に伴う出費を加えると総額で3兆1050億ドルに上るというのだ。

マシュー・イグレシアス(Matthew Yglesias)も鋭い指摘をしている

運輸保安庁(TSA)だとかFBIだとかCIAだとかといったそっち方面のお偉方に是非とも仲良く協力してやってもらいたいことがある。空港でのセキュリティチェックを一切やらずに搭乗客も手荷物も保安検査場を素通りできていたとしたら一体どれだけの数の飛行機が自爆テロの道具として使われることになっていたと思うのかその推計結果をまとめてもらいたいのだ。推計方法の一つとしては例えばこんなのがある。民間航空機の安全性がアメリカ国内を走る平均的な路線バスのそれと同じ程度だったとしたら、民間航空機は路線バスと同じくらいの頻度で自爆テロの餌食となることだろう。では、アメリカ国内で路線バスが自爆テロの餌食となった例はというと・・・ゼロ件だ。テロリストは飛行機を爆破することに特別なこだわりを持っているとかいう意見を耳にしたことがあるが、「どうだろうねえ」というのが個人的な感想だ。そう遠くない昔の話だが、イスラエルはバスを使った自爆テロに何度も悩まされてバスのセキュリティを強化する対策を講じる必要性に迫られた。しかし、かつてのイスラエルのように我が国でもバスのセキュリティを強化するために何かやられているかというとそういうわけでもない。それにもかかわらず、アメリカ国内の路線バスがテロリストによって爆破されずにいるのはなぜか? 路線バスであれ飛行機であれ何であれ爆破しようと企てている輩が誰一人としていないからだ。少なくともそういう可能性は否定できないだろう。

セキュリティ強化に伴う代償として金銭的なコストの他にもあれやこれやも付け加えたいところだ。例えば、「自由」(civil liberties)の制限(喪失)。政府による監視やセキュリティチェック(全身のスキャンに身体検査)に悲しくも馴れつつある大衆。数年前に独立記念館を訪れた時にも漏らしたように、寝ずの番(絶えざる監視)の代償は自由(の喪失)なのだ。

アレックス・タバロック「カナダさん、有償の血漿を禁止しない方がいいよ」

[Alex Tabarrok, “Dear Canada: Don’t Ban Paid Blood Plasma Donation,” Marginal Revolution, on January 17, 2018]

アメリカは、血漿の OPEC と呼ばれている。何億ドル相当もの血漿を他国に輸出しているからだ。どうして血漿業界でアメリカがこれほど独占的になっているんだろう? なぜなら、アメリカではドナーにお金を払うのが合法だからだ。対価を払えば、ドナーからの供給は増える。カナダだと、州によって有償での献血が許されているところもあるけれど、カナダ人が利用する血漿の8割はアメリカからの輸入ものだし、さらに悪いことに、州によっては有償での献血を禁止していたり、これから禁止しようか検討中だったりする。こうした禁止に反対するすばらしい書簡が公開されている:
[Read more…]

アレックス・タバロック 「空港警備の国営化の帰結やいかに?」(2005年4月27日)

●Alex Tabarrok, “Airport Security”(Marginal Revolution, April 27, 2005)


拙著である『Changing the Guard』の中で次のように書いた。

「政府の関与を増やす必要がある」。「9・11」(同時多発テロ)事件の直後に市民の多くはそう思い込み、その結果としてテロ事件が発生してからわずか2ヵ月後には航空安全法(ATSA)が上下両院で可決されて空港警備が国営化されることになった1。しかしながら、9月11日当時の空港警備は割り当てられた任務――爆弾や違法な武器の機内への持ち込みを阻止する――をやり損なったわけではない。そのことを踏まえると、連邦政府職員が保安検査を受け持ったところで安全強化につながるかというと何とも判断し難いところだ。

テロの経験が深い国の筆頭と言えばイスラエルだが、テルアビブにあるベン・グリオン国際空港では保安検査業務の主要な部分を民間の警備会社が請け負っている。ヨーロッパでは空港の民営化が進んでおり、空港全体が民間企業によって運営されるケースが増えている。例えば、アテネやコペンハーゲン、フランクフルト、ロンドン、ローマ、ウィーン、チューリッヒといったヨーロッパの都市にある主要な空港は民間の営利企業によって運営されている。政府は空港の運営に一切関与していないというわけではないが、あくまでも民営刑務所のケースと同じような立場にとどまることをよしとしている。すなわち、許容可能な最低限の目標を定めて(空港の運営を引き受けている)民間企業にその達成を求め、民間企業のパフォーマンス(成果)を計測・評価するのに専念しているのだ。

[Read more…]

  1. 訳注;航空安全法により運輸保安庁(TSA)が新設され、それまでは民間の警備会社が請け負っていた空港の保安検査業務を運輸保安庁(TSA)が全面的に引き継ぐことになった。運輸保安庁(TSA)に勤務する連邦政府職員が乗客の保安検査を受け持つようになったわけである。 []

アレックス・タバロック 「空港警備は何を物語る?」(2013年6月5日)

●Alex Tabarrok, “Airport Security Signals”(Marginal Revolution, June 5, 2013)


ラルス・クリステンセンが空港警備にまつわる理論〔拙訳はこちら〕を開陳している。

・・・(略)・・・空港の保安検査場で無愛想な役人みたいな職員に出くわしたとしたらその国で開業するには(規制が多いために)手間がかかる可能性が極めて高い。空港警備のあり様はその国の政府規制の厳重さの程度を測る物差しになるように思われるのだ。アメリカの空港で米運輸保安庁(TSA)の職員に出くわすたびにアメリカの長期的な成長見通しについて大いに悲観的になってしまうのもそのためだ(ウクライナにしても同様)。公共部門の規模が大きいにもかかわらずスカンジナビア諸国の経済は「順調な歩み」を続けるに違いないと私が考えるのもこの理論が後ろ盾となっている。

そんなわけでワルシャワ・ショパン空港で愛想もよくて仕事の手際もいい保安職員に出迎えられた時は嬉しい驚きを覚えたものだ。私の理論が正しいとすれば、ワルシャワ・ショパン空港の空港警備の変貌ぶりはポーランド経済が「成熟期」を迎えて政府規制も緩められつつある(規制緩和が進んでいる)証拠でもあるということになろう。朗報だ。ポーランド経済の長期的な成長見通しを上方修正しようかな。そう考えているところだ。

「自分ひとりだけでおばあちゃんの家まで行ける?」 つい最近のことだが我が子(息子)にそう尋ねてみたことがある。「おばあちゃんの家」はカナダのビクトリア市(ブリティッシュ・コロンビア州の州都)にある。飛行機も難なく乗れるし、カナダへの入国も造作ないとの返答。「でもね」と付け加える息子。「アメリカに戻ってくる時に空港で保安検査するおじさん達が怖いんだ」。ちなみに我が息子はアメリカ人だ。