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ラジブ・カーン「革命を求めて声を上げたのに、誰も応じなかったらどうする?」(2017年4月14日)

「ダーウィニズムを信じていない」と私が中学二年のときの地学の先生は言い切った。彼はとても理知的な人に見えていたので、私の最初の反応は衝撃だった。「そりゃそうさ、猿から進化してきたと信じている奴らが幾らかいるからな、馬鹿だよ!」と私の隣に座っていた当時の最大の友人は笑いながら言った。私は本当になんといえば良いのか分からなかった……さらに、以下のようなことが私を混乱させた。その先生はダーウィニズムを信じているのではなく断続平衡説1 を信じていると言ったのだ。彼はこれ以上の説明をしなかったが、私は授業のあと数分間、何を彼が信じているのか知ろうと試みた。

その後、博識の古生物学者であるスティーヴン・ジェイ・グールド2 に、彼が深く心酔していたことを悟った。そこで、グールドの長きに渡る協力者で、親友でもあるリチャード・ルウォンティン3の発言を引用しよう。

”今、私はあなたに自らの偏向を警告するべきだと思っている……スティーヴンと私は進化論を長年に渡り教えてきた。そして、ある意味では私たちはずっと教室で格闘し合ってきたとも言える。なぜなら私が見たところ、スティーヴンはとても独創的で素晴らしい進化論の理論家だと思われたいという欲望に取り憑かれていたからだ。

それで、彼は特定の特徴を誇張したり、さらには戯画化すらした。事実ではあるものの、そういう風に描き出さなくていい見せ方をするのだ。たとえば、彼のお気に入りの断続平衡説がそうだ。よく、彼は黒板に向かって、こんな図を書いたものだ……なにかの形質が徐々に増加していって、それからしばらくはまったく変化がなくなって平坦になり、それからまた急に増加して、またしても完全に平坦になる、などなど。形質の進化にはばらつきがあって、ときに急速になったかと思えばときには緩慢になるものだという事実を、一種の戯画にしたのが彼の板書だった。ところが彼はこの戯画を文字通り断続平衡説に仕立て上げた。

それで、私としては教室で進み出て、こんな風に言わねばならなくなるのだった……「この戯画を真に受けないように。本当のところはこんな具合なんだよ……」そして私はもっと緩やかで適正な数値を示す。スティーヴンと私はいつもこのような格闘をしていた。彼はいつも進化過程のとても面白い側面を強めようとし、そしてほとんど空虚とさえ言えるまでの厳密なものしようとしていた……今、自分の意見を言わなければいけない……まだ人に聞かせたことはないが……スティーヴンは本当に有名な進化論者になることに取り憑かれていたのだ。

グールドは一世を風靡して成功した。進化生物学での彼の評判は、よく言っても肯定と否定が入り交じっている。グールドが科学に独創的な貢献をしたと思っている人物が、上記の引用でどんなことを是認しているか見てみるといい。だが、世間の頭のなかでは、スティーヴン・ジェイ・グールドはなにがしかの賢人ということになっている。

革命は魅力的だ。革命は売れる。それらを考慮すると、私はリチャード・ドーキンス4 のほうがグールドと比べると良きスタイリストに見える。さらに、賛成しない人も居るかもしれないが、ドーキンスはグールドに比べると近代的な進化生物学の主流に近い。しかし、アメリカではグールドの存在感は、遥かにドーキンスのそれを凌駕していた……後の2000年代にドーキンスが行った反宗教論争で、彼自身が名前を上げるまでは。革命。論争。それらの印象は突出している。メデイアはそれらを食い潰すし、大衆はメディアを信じてしまう。

さらに、変わらないものもある。ほんの数年おきに、進化生物学や遺伝学には「革命」が差し迫っていると言われる。だが、その革命とやらの大半は、ほんの一握りのジャーナリストたちと一部読者層の頭のなかにしかない。この教育ある読者層は、進化生物学の「中心教義」がどういうものかぼんやりとしか分かっていないが、中心教義がひっくり返ったことだけはすっかりわかった気になっている。

たまに、この現象は暴走する。スーザン・マザーの「進化論産業の暴露」はおそらく、進化論で天地がひっくり返るようなことが起きている!というような論調がそろうトンデモ系ジャンルのなかで、最も奇妙な例だと言える。しかし幾人かの学者は真面目な批評を発表して、ネオ・ダーウィニズム理論はもっと拡張がされ、大いに修正されないといけないと論じている。ケヴィン・ラランドの「ダーウィンによる未完成のシンフォニー、どのようにして文化は人間の心を作るのか」はこのような例の最新版だ。

そして、これより前を行く例として、「四次元の進化~生活史の中の遺伝学やエピジェネティク、行動学、象徴的差異」を挙げることができる。さらに、数年に渡りデイビッド・ドブス5 がこの手のものに対して書いた同情的な反応を読むことが出来る。

あなたに私の知っている進化生物学の間での主流な見識を伝えたい。その見識とは、概念としての革命は必要ではなく、単に詳細を検討し資源を再配置すれば良いということだ。ケヴィン・ラランドの議論に同調するような多数の人間は、いまだにそのような説を強調する必要があり意味のあるものだと信じている。革命を求める声を上げる理由は明確に無いし、その概念の基礎をそもそも見直さねばならない。

正直に言うと、現代的総合の初期から考え方に革命的なことがたくさん起きたかどうか、私にはわからない。もしかすると、分子進化論と帰無仮説としての中立性(分子レベルの変異が適応度に影響しないという帰無仮説)の台頭がそうだろうか?

エリック・I・スヴェンソン6 が多くの人を代弁する予稿「進化過程での相互因果関係」を公開している。全体に目を通してほしい。専門外の読者にも読みやすい、周到な文章だ。私にとって少しばかり驚きだったのが、『弁証法的生物学者』について挿入された一節だ。同書はいい本だと聞いていたのだが……

”近年、標準進化論 (ST) を修正すべきという呼びかけがある。その論拠となっているのは、進化現象の相互的因果関係についてのさまざまな論証だ。相互的因果関係とは、原因だったものがのちに結果となったりその逆が起きたりするために原因と結果の関係がはっきりしないという意味だ。原因と結果にこうした動的な関係があるために、エルンスト・マイヤーが最初に定式化した至近因と究極因の区別は疑わしくなるのだという。また、こうした論証に動機づけられて、生物学者と哲学者のなかには拡張版進化総合説 (EES) を支持する論を立てる向きもある。こうした EES は、一方向の因果関係にばかり注目する現代的総合 (Modern Synthesis; MS) にとってかわるものとされる。本稿では、EES の提唱者たちによるこの推測を批判的に検討し、彼らの主張と反対に、自然のシステムでも実験室のシステムでも正と負のさまざまなフィードバックというかたちで相互的因果関係の実証的な例が無数に存在していると結論する。相互的な因果関係は、共進化的軍拡競争・頻度依存的選択・性選択の数理モデルに明示的に取り込まれている。こうしたフィードバックがあることはリチャード・レヴィンス7 とリチャード・ルウォンティンによってすでに認識されており、ESS やそれに関連したニッチ構築が標榜されるずっと前にさかのぼる。したがって、相互的因果関係とフィードバックは弁証法的思考とマルクス主義哲学が進化論になしたごくわずかな貢献のひとつであり、そういうものだと認識されるべきだ。これまで、総合的因果関係は多くの進化プロセスを理解する助けになってきたものの、その一方で、ラマルク主義や獲得形質の遺伝を復活させようという不毛な試みの一環としてなされるのであれば、こうした考えを遺伝や発達に拡張することには警戒を呼びかけたい。”

http://gnxp.nofe.me/what-if-you-call-for-a-revolution-and-no-one-revolts/

  1. グールドらがに提唱した説で、種の進化は急激に変化する期間と停滞する期間を持ち、小集団が急激に変化することが大きな変化につながるという説。反対の説として系統漸進説がある。 []
  2. アメリカの進化生物学者で故人、代表的な著作に「ワンダフル・ライフ」や「神と科学は共存できるか?」など。下記のドーキンスらとの論争で知られ、左翼主義的な言動で知られる。 []
  3. アメリカの進化生物学者で、文中の通りグールドの協力者として知られている。近年では遺伝子組み換え作物などへの発言をしている。 []
  4. イギリスの進化生物学者、代表的な著作に「利己的な遺伝子」や「神は妄想である」など。上記のグールドらとの論争で知られ、近年では新無神論運動を展開している。 []
  5. NYタイムズなどに寄稿するライター。 []
  6. スウェーデンのランド大学、生物学教授。 []
  7. アメリカの農家から転身したエコロジストで故人。 []