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サイモン・レン=ルイス「イギリス右派系新聞の影響力」

[Simon Wren-Lewis, “The persuasive power of the UK right wing press,” Mainly Macro, February 23, 2018]

「政権をとれたのも、ああして権力を使えたのも、ラジオなしには不可能だっただろう」――ヨーゼフ・ゲッペルス

イギリスの党派的な右派系新聞(『メール』『サン』『テレグラフ』)擁護論の第一陣は、「ああした新聞はどうということもない」という言い分だ。右派系新聞が表明している意見やおいかけている新聞報道は、たんに読者たちの意見・関心を反映しているにすぎない、というわけだ。アメリカのフォックスニュースに関しては、これはたんに事実でないという明快な証拠がある。ここで述べているように、フォックスニュースの生産するおよそ真実とかけはなれたニュースは、みずからの説得力を最大限に大きくすべく意図されている。オバマはこの点をなかなか明快に要約してこう言った――もしもフォックスニュースの視聴者だったらじぶんに投票しなかっただろうね。
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サイモン・レン=ルイス「2004年に労働党が EU移民について下した決定は間違いだったか」

[Simon Wren-Lewis, “Was Labour’s decision on EU immigration in 2004 a mistake?” Mainly Macro, March 6, 2018]

当時新たに EU に加盟したばかりだった東欧・中欧のA8諸国の人々が2004年から自由にイギリスに出入りできるようにする決定をかつて労働党政権が下した。他の加盟国の大半は、こうした A8諸国との間での自由移動が許される時点を遅らせた。その結果として、ポーランドその他の国々からの移民の大量移入が2004年からはじまることになった。
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サイモン・レン=ルイス「右派権威主義政権への道」

[Simon Wren-Lewis, “A road to right wing authoritarian government,” Mainly Macro, March 18, 2018]

ヤン=ヴェルナー・ミュラーのポストに触発されてこのポストを書いている.ポピュリズムに関するミュラーの考えについては,前に話題にしたことがある.今回のポストでは,ポピュリスト政治家を選出する有権者よりも政治家たちそのものに関心をそそぐ理由を述べている.ミュラーによれば――
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サイモン・レン=ルイス「イギリス緊縮の経済的・政治的コスト」

[Simon Wren-Lewis, “The economic and political cost of UK austerity,” Mainly Macro, March 3, 2018]

いまイギリスでは、政府の予算が黒字になっている。ジョージ・オズボーンはこんなツイートをしている――「ついにここまできた――めざましい国民の努力のたまものだ。ありがとう。」 なるほどイギリスのマクロ経済の歴史で、めざましい時期が到来してはいる。だが,オズボーンが考えている意味でのめざましさではない。大勢の経済学者が、金利がゼロ下限にとどまっているなかで赤字を削減しようとするのにずっと反対してきたのに、オズボーンはその多数意見をわざと無視した。さて、この「めざましい国民の努力」のコストはいかほどだったのだろう?
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サイモン・レン−ルイス「トランプの財政赤字は問題か?」 (2018年2月16日)

Do Trump’s deficits matter?
(Mainly Macro, Friday, 16 February 2018, by Simon Wren-Lewis)

民主党はトランプと共和党がもたらそうとしている大きな財政赤字に異議を唱えるべきだろうか? あるいは,そうした異議は,2009年の財政刺激を不十分なものとし,それ以後 緊縮をもたらしつづけている共和党の言説のような役割を演じてしまうのだろか? [Read more…]

サイモン・レン=ルイス「イギリスの住宅価格と賃料」

[Simon Wren-Lewis, “House prices and rents in the UK,” Mainly Macro, February 19, 2018]

住宅の専門家ではないけれど,私には,住宅価格と賃料を区別しそこなっているせいで世間の論議が混乱しているように思える.住宅の需要と供給を語るときには,この2つを等しくする価格は賃料であって住宅価格ではない.
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サイモン・レン=ルイス「非伝統的金融政策vs財政政策」(2014年9月6日)

Unconventional Monetary Policy versus fiscal policy(mainly macro, 6 September 2014) Posted by Simon Wren-Lewis

 

前回のエントリ(拙邦訳はこちら)では、極めて単純な設定から、利下げで需要刺激するのがベストであること、減税と政府支出も同様の役割をこなせること、減税と政府支出の場合は需要不足のコストに比してはたいしたことのない厚生コストしか発生しないことを説明した。

したがって、少々専門用語を交えて言うと、利下げはファーストベストだが、もし名目金利がゼロに達してそのファーストベストが利用不可能になってしまったら、財政政策を用いるべきである。もし財政刺激のサイズに資金的制約があるなら、一般的に減税よりも政府支出の方がより効果的である。

では、非伝統的金融政策についてはどうだろうか? 非伝統的金融政策には主に二種類ある: 将来のインフレ目標(およびプラスの産出ギャップ)に対するフォワード・コミットメントと、貨幣発行によって様々な種類の資産を購入すること(QE)だ。それぞれのケースについて、その政策にかかる厚生コストと、財政政策利用の厚生コストの比較を行いたい。しかしながら、効果の不確実性という問題もある: 我々は、どれくらい利用できる政策なのかを知りたい: 不確実性の問題は、前のエントリでは重要ではなかった。なぜなら、我々は伝統的金融政策と財政政策の影響について多くのエビデンスを保有していたからだ。だから次はそれぞれの非伝統的金融政策について考察しよう。

金利がゼロに嵌ったときの需要刺激策の一つとしては、理想水準より高いインフレと産出の組み合わせを将来に約束するというものがある。(これは明示的ないし暗示的に、名目GDPのような何かしらの名目水準を目標として用いることで可能である。このことについてあまり知らない方々は、こちらをご覧になると良い。) この政策のコストは明確だ: 理想水準より高い将来インフレ・産出である。繰り返しになるが、名目金利がゼロに嵌る理由となった現在の不況の深刻さを考えれば、こうしたコストは受け入れるに値する。こうしたコストが政府支出の変更のコストより大きいか小さいかは議論の余地がある。私がここで議論したWerningのペーパーによると、どちらも含んでいるものが最適政策になり得るのだという。

この特定の政策において生ずる問題の一つに、時間的不整合性の問題がある。中央銀行が将来のインフレ目標を引き上げると約束し、今日の不況を和らげるのに役立ったとして、不況が終わったときその約束を守るだろうか? 国民はそれを許すだろうか? 人々がそうならないと考えたとき、政策の有効性は弱まり、政策効果の不確実性は増加する。これは、何らかの名目目標に政策を紐づけるのが有用になり得る理由の一つだ。1

もう一つの非伝統的金融政策はQEだ: これは通貨発行によって資産購入を行うものである。この政策は将来の金利を引き下げるというフォワード・コミットメント以外の何物でもないと見做すことが出来、先ほどの議論に我々を引き戻すことになる。この政策について、それ以上の問題も想定してみよう。未解決の大問題としては、この政策がどれだけの歪みを齎すかという問題があると考えられる。

例えば、Mark GertlerとPeter KaradiによるQEの効果の研究におけるもっともポピュラーなモデルの一つでは、中央銀行が融資を行うか、政府債務を購入する。これによってリスクプレミアムが減少し、厚生が改善する。このことは、QEがなぜ永久的でないかという明かな疑問を提起する。著者たちは、中央銀行が民間銀行よりも「どんな資産を買うべきか」を知るにあたって比較的非効率であると想定することで、この問題を回避している。しかしながら、著者たちを含めて、こうした効率性コストがどんなものか少しでも知っている人がいるのかどうかについては、定かではない。

おそらくこうした歪みは極めて小さいだろう。しかしながら、この議論は、QEに関するさらなる深刻な問題を浮き彫りにしている。それは、我々がQEの効果、あるいは実際にその効果が線型なのかどうか、そしてどの市場で施行するのがベストなのかということについてはっきりした考えを未だに持っていないということである。QEについてのアナウンスメントは明らかに市場に影響を与える。しかし、それはMichael Woodfordが議論したように、シグナリング装置として機能するからかもしれない。Jim Hamiltonもまた懐疑的だ。このことが強烈に示唆するのは、QEの効果についての不確実性が、伝統的金融政策や財政政策に関する不確実性よりはるかに大きいという事だ。

こうして考えると、一部の人々が「非伝統政策が財政政策よりも常に好ましい」と断固主張する理由がわからないのである。最近のNick Roweのエントリへのコメントで、Scott Sumnerはこう書いている。”私の考えは「一度中央銀行が地球上のすべての資産を買い占めてから話を聞こう」というものだ。そうなってから、我々は財政刺激について論ずることが可能になる。” この言明の実質的な意味は、政府の片腕(中央銀行)が莫大な量の貨幣を発行して大量の資産を購入することが、政府のもう一方の腕(財務省)が消費者の支出・貯蓄できる貨幣を減らすことよりも優れているというものである。こうした選好は実に奇妙に思えるが、レーニンなら気に入ったかもしれない!

 

 

  1. もし一時的な政府支出が実際には恒久的だと信じられた場合、政府支出の経済刺激効果は大いに失われる。しかし、このことは時間的不整合性の問題ではない。他の違いとして挙げられるのは、政府支出が通期的に支出を増やしたり減らしたりている一方、先進的な経済における中央銀行がわざと好況を作るのは極めて稀であることである。 []

サイモン・レン=ルイス「需給ギャップを埋めるには:金融政策か、減税か、政府支出か」(2014年8月27日)

Filling the gap: monetary policy or tax cuts or government spending (mainly macro, 27 August 2014) Posted by Simon Wren-Lewis 

 

資本のないシンプルな閉鎖経済で非自発的失業の増加を伴う総需要の不足があるとしよう。我々は、民間消費(C)と政府消費(G)のどちらかの引き上げを試みるだろうか? 仮に前者を試みるなら、なぜ減税より金融政策をより好むのだろうか? その理由は?

もし民間生産財と公共生産財に対する選好が安定的なら、理想的にはC/Gの比を最適な水準に保ちたい。したがって、もし総需要の減少がCの急減で生じるなら、何とかしてCを引き上げたいと考える。実質利子率は将来消費に対する現在消費の価格なので、明らかな第一の最善政策は、Cの価格が変化して消費不足が取り除かれる実質金利を達成するよう、名目金利を設定することである。こうした考えは、金融政策を景気安定化装置として好む現代の選好の背後に入る基礎的な直観である: 私が政策割り当てのコンセンサス(the consensus assignment)と呼んでいるものの一部だ。

古典派モデルあるいは実物的景気循環モデルでは、こうした金利調節は魔法のようにひとりでに起こる。そうした調節は通常、 ’価格伸縮性’ という用語を当てにしているが、総需要の不足がどのようにしてより低い実質金利に変換されるかについてあまりよく説明できないので、やはり魔法に過ぎない。現実の世界では、「魔法使い」は中央銀行だ。注意してほしいのだが、私は金融政策と財政政策に関する実施ラグについては一切言及していない。実施ラグは、教科書において政策割り当てのコンセンサスの理由の一つとして挙げられているが、金融政策を選好する理由として私が挙げたものは、それよりもいっそう本質的な代物だ。

もし総需要の不足が技術進歩を通じた ’供給’ の増加によって 起きた場合はどうだろう? この場合でも、第一の最善政策は消費を増やす金利引き下げである。しかし、我々はまた、最適なC/G比を保つために、公共消費も増やしたいと考える。

最後に、より複雑なショックについて考察しよう――フィリップス・カーブに影響を与え、ある水準の産出・総需要に対するインフレ率を引き上げる ’コストプッシュ’ ショックについてだ。既に知られている通り、この場合我々は(負の総需要ギャップを作って)産出を減らし、インフレーションをある程度抑制する政策を求める。産出ギャップにもインフレーションにもコストがあると考えるからだ。しかしながら、こうした場合において金融政策がファーストベストなのかどうかについてはさほど明らかではない。Fabian Eser、Campbell Leith、そして私が執筆したこの論文では、ここでも金融政策がファーストベストなのであると示した。我々はいくつかの方法で(ただし、それ以外の方法は使わずに)モデルを複雑化して、金融政策だけで社会厚生が最大化されるという結果を得た。

消費下落による需要ギャップに話を戻すと、名目金利がゼロ下限で行き詰まり、金融政策が使えなくなったとしよう。民間消費を引き上げたいなら、明らかな代替手段は減税だ。もし定額税(人頭税のような、所得と無関係な税)を用いることが出来るなら、仮に消費者が減税に反応するとして、減税は極めて有効に機能するだろう。そこには二つの問題がある。リカード等価性の問題と、定額税が存在しないという問題だ。

リカード等価性が完全に成り立つ場合は、減税は消費を全く刺激しない。しかしリカード等価性が成り立たないという首尾一貫したエビデンスがある。ただ、こうしたエビデンスは、少なくとも半分、あるいはそれ以上の減税が貯蓄に回されることを示しており、このことは、消費ギャップに比して額面の点で大きい減税が必要だということを意味する。また、減税の効果の不確実性も付加される。何かしらの刺激政策パッケージのサイズにある程度の資金的制約がある場合は(しばしばそうであろう)、それによって所得効果に依存する税の変更政策に深刻なデメリットが生じる。もし資金的制約がないとしても、減税の消費刺激効果の相対的な弱さは、他の理由で問題になる。

定額税は存在しないので、ある程度歪みを齎す税(インセンティブに影響を与える税)を用いなくてはならない。これは、減税は租税の平坦化を侵害することを意味する。最善の政策は、税の歪みを一貫してキープすることだと考えられている。ある年で税率10%、他の年で税率50%とするよりも、税率30%をキープする方が好ましい。したがって、所得税減税(後には増税を行う)で消費ギャップを満たすのにはコストがある。より多くの減税が貯蓄に回されるほど、そうしたコストは大きくなる。こうしたコストのせいで消費ギャップを満たすのをやめるという可能性は極めて低い。なぜなら、失業コストはそうした不公平な税の歪みよりもはるかに重要だからだ。しかしながら、コストの存在により、実質金利変更のようなファーストベストの政策とはかけ離れたものとなる。

対照的に、あらゆる需要ギャップ埋め合わせにおいての公共支出の利用は、はるかに直截的だ。その需要面での影響と雇用面での影響が比較的予想しやすいからだ。しかし、それにもコストがある: CとGのバランスが崩れるのだ(Cに比してGが過剰になる)。Chris Houseの最近のエントリは、代替的財政刺激手段としての減税と政府支出の対立を扱っている(ノア・スミスがそれに続いてエントリを書き 、Chrisはそれに反応している )。彼の提案によれば、政府支出は、その社会的便益が社会的コストを上回るときにのみ刺激手段として用いるべきなのだという。私はそうした考えがこの問題を考えるにあたって大して有用とは思われない。私の考えでは、もっと良い考えは、需要ギャップは必ず埋め合わせられないといけないということを受け入れて(なぜなら、何もしないことのコストは極めて大きいからだ)、付帯的損害を最小化する方法を見つけ出すという事だ。それは減税ではなく、Gの追加だろう。もし財政刺激のサイズに資金的制約があるなら、そのことはほぼ確実だ。

同じような論理が、非伝統的金融政策についても当てはまるが、そのことについては別のエントリで論じよう。

 

 

サイモン・レン=ルイス「ネオリベラリズムの致命的不整合」

[Simon Wren-Lewis, “The fatal inconsistency within neoliberalism,” Mainly Macro, January 25, 2018]

カリリオン〔イギリスの建設会社〕の破綻〔1月15日〕は,ここで論じたように公共部門アウトソーシングについていくつか重要な含意がある.ただ,真の教訓はべつのところにあるという Will Hutton に賛同したいところもある.彼によれば――
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サイモン・レン=ルイス「最低賃金、買い手独占、田舎街」

[Simon Wren-Lewis, “Minimum Wages, Monopsony and Towns,” Mainly Macro, January 4, 2018]

アラン・マニングが、『フォーリンアフェアーズ』誌に最低賃金に関するじつにいい論考を書いている。最低賃金が雇用におよぼす影響は経済学でも政治的な負荷のかかった問題で、その点でたいていのマクロねたに似ている。最低賃金の場合、戦場となっている舞台は実証だ。人々が主流経済学について「どうしようもないほどネオリベラルだ」と非難する時、よくこの最低賃金論争を思い浮かべる:マニングがいう経済学101(学部1年生むけの講義)〔が教える最低賃金のはたらき〕とデータが食い違っているのを示したのは主流経済学者たちだった(デイヴィッド・カードとアラン・クルーガー)。それに、いまもこうした結果を見つけ続けているのも主流経済学者たちだ。
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