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消えた成長の謎:あるいは如何に帰属と創造的破壊がTFPに影響するか

訳者: 帰属計算というと、普通はGDPの計算で市場取引されていない財・サービスの価値の計算方法のことかと思いますが(よく例として出されるのが、持ち家の住居サービスの価値の計算)、このコラムでは名目値を実質値とインフレ率に変換する際の、新製品の影響の計算方法の事を指しています。

 

消えた成長:帰属と創造的破壊がいかにTFPの計測に影響を与えるか

From VoxEU

2017年8月16日

Philippe Aghion, ハーヴァード大学経済学教授、CEPRリサーチフェロー

Antonin Bergeaud, パリ経済学校博士課程学生、フランス銀行

Timo Boppart, ストックホルム大学IIES助教授

Peter Klenow, スタンフォード大学経済政策教授

Huiyu Li、サンフランシスコ連邦準備銀行

概要:全要素生産性の成長率が低下していることから、世界はイノベーションのアイデアに枯渇しつつあるのだと主張する人達がいます。このコラムは算出が計測される方法がこれを判断する上での核心であると主張し、産出計測バイアスにおける帰属の役割を定量化します。「新しい」ものと既存の製品を区別することで、合衆国経済の消えた成長を見つけ出すことが出来ました。この消えていた成長を考慮することで、統計当局はその手法を向上し、新しいアイデアの登場をより容易に認識することが出来ますし、またこれは最適成長とインフレターゲット政策についての含意を持ちます。

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グローバライゼーションと合衆国の労働市場

グローバライゼーションと合衆国の労働市場 From VoxEU

Mine Senses、ジョンズ・ホプキンズ大学国際経済学准教授

2017年8月6日

 

概要: グローバライゼーションによってもっとも被害を被ったコミュニティは近年の合衆国の選挙において中道の候補からよりイデオロギー的に過激な候補へと支持をシフトさせたという証拠などが出てきている。Vox eBookから抜粋されたこのコラムでは、グローバライゼーションの波を反転させる事を約束して当選した政治家の政策がどういうものになるかと、そういった政策の成功の見通しについて考えてみる。

編集者注: このコラムは最初、Vox eBook、Economics and policy in the Age of Trump、の中の1章として書かれた。この本はここからダウンロード可能である。

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政府通貨と暗号通貨の競争

訳者:上のタイトルの通り、政府発行の通貨と暗号通貨の間での競争についての論文を書いたJesús Fernández-Villaverde教授の自身によるその論文の解説です。原文で”cryptocurrency”と書かれるネット上の通貨は日本では「仮想通貨」と呼ばれる事が多いようですが、訳文ではそのまま「暗号通貨」と訳しています。私自身は通貨についての理論には全く詳しくありませんので、もし訳に問題があればお知らせください。

 

通貨競争の経済学について」 from VoxEU

Jesús Fernández-Villaverde, ペンシルバニア大学経済学教授

2017年8月3日

概要:もし暗号通貨による支払いのシェアが増えれば、政府発行の通貨は民間の発行者からの市場での競争に直面することになる。このコラムは、たとえもしこのシステムが価格安定を維持し得たとしても、市場は社会的に最適な量の通貨を提供しないと論ずる。しかしながら、通貨の実質価値を安定させる金融政策を利用することで、それでも政府は社会的厚生を最大化することが可能である。よって、民間通貨からの競争の脅威は貨幣を発行するどんな政府に対しても歓迎すべき市場による規律を与え得るものである。

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「消費バスケット一杯の企業異質性」

消費バスケットの中の企業異質性:家庭と店舗スキャナーデータからの証拠 from VoxEU

2017年8月2日

  Benjamin Faber、カリフォルニア大学バークレー校経済学部助教

Thibault Fally、     カリフォルニア大学バークレー校助教

概要: 近年の文献は労働者の所得への企業異質性の影響について論じるようになってきている。このコラムでは家計の生活費への影響という観点から企業異質性について考えてみる。富裕層と貧困層はその消費財を異なる企業から購入しており、ゆえに企業の異質さの非対称性から異なる影響を受ける。分析はほどほどの貿易自由化により、合衆国の最も豊かな20%の家計は最も貧しい20%と比べて小売財消費での生活費インフレ率が1.5ー2.5%ほど低くなりえる事を示している。

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キャロル・グラハム 「アメリカの希望の欠如」

アメリカの希望の欠如:豊かな国の貧しさは高くつく

Lack of hope in America: The high costs of being poor in a rich land from VoxEU

2017年7月28日

キャロル・グラハム(Carol Graham)

ブルッキングス研究所のLeo Pasvolskyシニアー

メリーランド大学カレッジパーク校School of Public Policy教授

合衆国の分裂はかつてない程になっています。それを一番分かりやすく表している指標について経済学者は長年にわたって議論してきましたが、それは所得と機会の両方の不平等の急激な増加でしょう。合衆国の不平等の高さは将来の機会(の多さ)を意味しているのだという長く信じられてきた信念がありますが、多くの研究がそれはもはや事実ではない事を示す有力な証拠を提供しています。Chetty et al. (2017)は、両親の所得レベルよりも上へ行ける子供の比率が1940年生まれのコーホートの90%から、1980年生まれについての50%まで低下した事を発見しています。しかし、ジニ係数などの数値指標に基づいた経済学者内部の技術的な議論は一般の議論の中には浸透してはいないようです。

合衆国内の分裂は所得の領域をはるかに越えたものになっており、その幾つかには特に不安を感じさせられます。新著において、私は生活水準(well-bing)の面から不平等の趨勢をかたりました。通常の指標から出発して、厚生の非経済的側面に関する指標、たとえば幸福、ストレス、怒り、そしてもっとも重要である希望などについてのものを利用しています(Graham 2017)。

希望は人々が将来の為の投資を行う動機となる重要なものです。生活水準についての私の以前の研究は、経済的余裕のない人達にとってそれがとりわけ重要である事に光をあてました。彼らにとってそういった投資を行うことは富裕層にとって以上の現在時点での消費の犠牲を必要とします(Grapham et al. 2004)。機会についてのギャップの拡大に加えて、合衆国の豊かさのギャップは信念、希望、そして願望についての不平等の拡大につながってきており、経済的に取り残された人達こそがもっとも希望を持たず、その将来の為の投資を最も行わない人達となるわけです。

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ジェイムズ・ベッセン「コンピュータによる自動化は人間の仕事にどう影響するか:テクノロジー・雇用・技能」

[James Bessen, “How computer automation affects occupations: Technology, jobs, and skills,” Vox, September 22, 2016; 翻訳のPDF版]

「コンピュータによる自動化が進むと大量に雇用が失われる」という考えが広まっている.だが,ここで見過ごされているのが,需要の変化や職業間の代替の両方がからんだ経済の動的な反応だ.このコラムでは,アメリカのデータを利用して,細分化した職業カテゴリーで自動化が雇用に及ぼす影響を考察する.今日まで,コンピュータを使うさまざまな職業の雇用は他より大きく伸びている一方で,あまりコンピュータを使わない職業では,コンピュータが絡む雇用喪失が他より多く生じている.自動化でつきつける本当の課題は,新しいテクノロジーを使う技能をもつ労働人口を発展させることだ.

自動化が心配されているのはブルーカラー製造業の労働者だけではなく,ホワイトカラーや専門職でも自動化が懸念されている.人工知能を用いるものも含めて新しいコンピュータプログラムは,簿記係・銀行の窓口係・販売員その他のこなす作業をかわりにこなすようになっている(Brynjolfsson and McAfee 2014).人によっては,こうして作業をプログラムが代替することでテクノロジーによる失業が生じ,大不況からの景気回復が緩慢になったと考える向きもある(Ford 2015).将来に目を向ければ,Frey and Osborne (2013) の予想によると「アメリカの雇用の 47% が(…)自動化で代替される可能性があり(…),おそらくは今後10年~20年でそうなりうる」という.他方で,もっと穏当な影響を考える人たちもいる (Autor 2015, Amtz et al. 2016)のだが,「コンピュータによる自動化によって大規模な失業が生じるようになっており,しかもこれからますます大勢が影響を受けるようになる」というこの見解をふまえて,たとえば最低所得保障のような新政策が提唱されている(Ford 2015).

だが,コンピュータによる自動化は実際に正味の大幅な雇用喪失をうみだしているのだろうか? 自動化をめぐる議論は盛り上がっているものの,残念ながら,厳密な経済分析も実証的な証拠も活用されていない.筆者が最近出した論文では,アメリカにおいて近年のコンピュータによる自動化が細分化した職業の雇用増加に及ぼした影響を推定している(Bessen 2016).筆者が用いるのは,世間の論議でおおむね無視されている基本的な経済の相互作用をとらえるモデルだ.たとえば自動化が製品需要や職業間の代替におよぼす影響がこのモデルにはとりこまれている.

自動化の基本的な経済学

自動化とはどういうもので,自動化がどのようにして雇用に影響するのかを明瞭に理解することから着手するのが欠かせない.自動化がなされると,ある職業がこなす作業の一部あるいは全部を機械が行うようになり,その作業の実行に必要な人間労働が減ったり消滅したりする.だが,こういうかたち以外にも,新テクノロジーが労働人口に困難と変化を強いるかたちはある.新テクノロジーは製品を時代遅れにすることがある.たとえば,自動車が普及すると馬車製造業者の仕事は一掃された一方で,新たに自動車の車体製造の仕事がつくりだされた.また,テクノロジーは,仕事の組織を変えることもある.たとえば,通信テクノロジーによって,〔働く場所を1カ所に集中させず〕分散させたり,よそに委託したり(アウトソース),国外に移転したり(オフショア),仕事をあるグループから他のグループに移したりしやすくなる.セルフサービス・テクノロジー(e.g. 飛行機のチケット予約)は,〔窓口の人員がやっていた〕仕事を消費者に移した.情報テクノロジーは,新しい市場の開拓を円滑にする(e.g. Airbnb, Uber).〔機械が仕事を代替して人員が不要になること以外の〕こうしたさまざまなテクノロジーによる変化は,一部の労働者に困難と変化を強いたり雇用を消滅させることがあるものの,全体として〔雇用喪失と創出を差し引きした正味でみて〕大量の雇用喪失が生じると予想すべき特段の理由はない.旧来の雇用が消滅する一方で新しい雇用が創出されるからだ.他方で,同じ産出をうみだすのに必要な人間の労働を機械が減らすため,自動化は正味の雇用喪失をうみだすかもしれない.

また,これまでの議論では,機械によって全面的に人間の雇用が奪われる場合を取り扱うことが多かった(e.g. Frey and Osborne 2013).だが,実際には大半の自動化は部分的なものだ――一部の作業が自動化されるにとどまる.たとえば,1950年から幅広く自動化がすすめられてきたにも関わらず,1950年の国勢調査でリストに細分化されている職業270項目のうち,自動化のおかげで消滅したものはたったひとつしかない――エレベータの操作員だ 1.だが,他の多くの職業は一部だけが自動化された.

この点の区別が重要なのは,そこから非常にさまざまな経済的帰結が導かれるからだ.ある仕事が完全に自動化されたら,自動化は必然的に雇用を減らすことになる.だが,ある仕事の一部だけが自動化された場合には,逆に雇用が増えることもありうる.その理由は,基本的な経済の仕組みに関わる.たとえば,19世紀に,1ヤードの布を織り上げるのに必要とされた労働の 98% が自動化されたものの,織物業の雇用数は増えた(Bessen 2015).自動化によって布の価格は下がり,きわめて弾力的な需要が増えた.その結果として,労働力を節約するテクノロジーが登場したにもかかわらず,正味で見ると雇用は増加した.

これと同様の需要の反応は,コンピュータによる自動化にも見受けられる.たとえば,自動現金預入支払機(ATM)が銀行の窓口係におよぼした影響を考えてみよう.1990年代後半から2000年代前半にかけて ATM は普及していった.その後,フルタイム相当の窓口係員の数は増えている(Figure 1 参照).どうして雇用が減らなかったのだろう? なぜなら,ATM のおかげで銀行は以前より低いコストで支店を営業できるようになったからだ.これによって,銀行は支店の数を増やすよううながされた(その需要は弾力的だった).こうして,窓口業務の雇用喪失が相殺されたのだ.

▼ Figure 1. アメリカにおけるフルタイム相当の銀行窓口係と ATM 機の数

もちろん,部分的に自動化されることである職業の雇用が減ることもある.需要が弾力的でない場合には,需要が伸びて雇用喪失が相殺されることはない.また,自動化が進むと企業内や産業内である職業を別の職業が代替するようになることもある.たとえば,いまや電話対応係は減ってきているが,受付係は増えている.植字工は減っているが,グラフィック・デザイナーやデスクトップパブリッシャーは増えている.コンピュータを使うグラフィック・デザイナーの方が植字工よりも生産的になったので,自動化によって植字工からグラフィック・デザイナーへの仕事の移転が進んだのだ.

雇用需要の伸びの推計

以上のような点を考慮に入れて,さまざまな産業での職業の需要を考えるモデルとして,需要の変化や産業内での職業間代替を許容するものを推定してみよう.ここでは,鍵となる独立変数として,各職業・産業の労働者によるコンピュータ利用の度合いを計測する.こうしたデータは,人口動態調査 (Current Population Survey) の付録から取得した.他の条件が同じなら,コンピュータをより多く使う職業ほど作業を自動化する度合いが強いと仮定する.従属変数は,職業-産業集団における雇用の相対的な伸びだ.

こうして得た推定は,通説の想定と真っ向から食い違っている.第一に,コンピュータを利用する職業ほど,雇用の伸びが緩慢であるどころか,逆に伸びがはやい傾向にある.標本の平均をみると,コンピュータ利用は,その職業での年間雇用 1.7% 増と関連している.言い換えると,銀行窓口の事例は,例外ではなく典型かもしれないということだ.

第二に,職業間には強い代替効果がはたらいている.同じ産業内で他の職業がコンピュータを利用しているかぎりで,さまざまな職業は雇用が減少する傾向にある.つまり,「機械が人間に取って代わっている」という筋書きになっていないのだ.そうではなくて,コンピュータを使うグラフィック・デザイナーが植字工にとってかわったように,機械を使う人たちが他の人たちにとってかわっている.

この代替効果は,雇用増効果をおおむね相殺している.両方を数えて単純な平均をみてみると,コンピュータ利用は雇用増加に関連しているものの,その効果は小さく,1年あたり 0.45% となっている.

コンピュータによる自動化と格差

とはいえ,コンピュータによる自動化は人員の大幅な配置転換と結びついている.自動化は全体的な雇用に大きな影響をおよぼしていないように見えるものの,さまざまな職業で,あるグループで仕事を失う人が大勢うまれて他の職業の人々によってその仕事が代替されるようになることと自動化は関連している.とりわけ,低賃金の職業は雇用を失いがちな一方で高賃金の職業は雇用を増やしている(Figure 2 参照).高賃金の職業はもっと徹底してコンピュータを使い,低賃金の職業でなされている仕事を代替できるようになっている.

▼ Figure 2. 1980年の職業別賃金で分けた3グループの職業別雇用増減にコンピュータによる自動化がおよぼした正味の効果

もし,低賃金職業の労働者が高賃金の職業に移るのが容易でないとすると,この不均衡は経済格差に多大な寄与をなしうる.たとえば,低賃金労働者はコンピュータとともに働く機会がえられなかったり必要な技能を持ち合わせていなかったりするかもしれない.筆者のデータは,実際にそうなっているらしいといういくばくかの証拠を提供している.コンピュータをより多用する職業ほど,同じ職業内の賃金分散が大きくなっている――つまり,新技能を習得した労働者はもっと稼ぐようになるのだが,誰もがみんな学ぶ機会や能力をもっているわけではないのだ.また,コンピュータを利用する職業は,大卒の労働者の採用割合が高くなる傾向がある.銀行窓口係のように大卒資格を必要としない職業ですらそうなっている.

結び

さまざまな作業をコンピュータが自動化するからといって,コンピュータを使う職業が必ず雇用喪失に苦しむとはかぎらない.それどころか,これまでのところ,コンピュータを使う職業ほど雇用が伸びている.そのかわりに,コンピュータに関連する雇用喪失を味わっているのは,あまりコンピュータを使わない職業のようだ.

「コンピュータによる自動化は必然的に大規模な雇用喪失につながる」という考えは,自動化に対して経済が見せる動的な反応を見落としている.需要が変わったり職業間での代替が進んだりといった反応が考慮されていない.もちろん,近年の経験で必ず未来が予測できるわけではないし,新たな人工知能テクノロジーがおよぼす影響は話がちがうかもしれない.実際,過去のテクノロジーを見ても,たとえば織物の自動化は当初こそ多くの雇用をつくりだしたものの,需要の弾力性はしだいに減少し,やがてさらなるテクノロジーの発展で雇用喪失が生じることとなった.コンピュータによる自動化が未来で雇用喪失をもたらなさいともかぎらない.

だが,そうした未来の問題にばかり注意を向けていては,今日の政策を考える足取りがおぼつかない.〔本稿の〕証拠をみるかぎりでは,コンピュータはいまのところ正味の雇用喪失をもたらしていないものの,低賃金の職業は雇用を失いつつあり,経済格差に寄与すると見込まれる.こうした労働者たちが実入りのいい新しい仕事に移るためには新技能が必要となる.新しいテクノロジーを使う技能をもった労働人口を発展させることこそ,コンピュータによる自動化が課した現実の課題である.

参照文献

  • Arntz, M, T Gregory and U Zierahn (2016) “The risk of automation for jobs in OECD countries: A comparative analysis”, OECD Social, Employment and Migration Working Papers, No 189, OECD Publishing, Paris.
  • Autor, D H (2015) “Why are there still so many jobs? The history and future of workplace automation”, The Journal of Economic Perspectives, 29(3): 3-30.
    Bessen, J (2015) Learning by Doing: The Real Connection Between Innovation, Wages, and Wealth, Yale University Press.
  • Bessen, J (2016) “How computer automation affects occupations: Technology, jobs, and skills”, Boston University School of Law, Law and Economics Research Paper 15-49.
  • Brynjolfsson, E and A McAfee (2014) The Second Machine Age: Work, Progress, And Prosperity In A Time Of Brilliant Technologies, New York: WW Norton & Company.
  • Ford, M (2015) Rise of the Robots: Technology and the Threat of a Jobless Future, New York: Basic Books.
  • Frey, C B and M A Osborne (2013) “The future of employment: How susceptible are jobs to computerisation”, Working Paper.

脚註 1. 他の職業が消滅した理由はさまざまだ.たとえば,サービスへの需要の変化(下宿の管理人),技術の陳腐化(電報のオペレータ),など.

サミュエル・ボウルス『道徳情操と利害感情:経済的誘引は社会目的へと導くのか、壊すのか』(2016年5月26日)

Samuel Bowles, “Moral sentiments and material interests: When economic incentives crowd in social preferences,” 26 May 2016, VoxEu.

 

社会的な目標を達成するための経済的誘引――例えば公共財への寄付に対する経済的な助成――、それによってかえって高潔さや道徳に基づく動機が押し出されてしまう。こういった事例は多く見られる。この押し出し効果は「クラウド・アウト」と呼ばれる。では逆に、文明人としての美徳を促すように政策を作る、つまり「クラウド・イン」させることは可能なのだろうか。この記事では古代アテネを例に取り、近代の制度設計と公共政策に役立つ方策を探る。

 

リチャード・ティトマス(Richard Titmuss)の名著「The Gift Relationship: From Human Blood to Social Policy 」(Titmuss 1971)の要点を挙げると、高度な社会目標を達成するために経済的誘引を用いることは逆効果になりかねない、となる。彼によれば、罰金、補助金といった誘引は人に「取引感覚」を植え付け、それまでの行動規範となっていた文化的市民としての高潔さを損なうことになりかねない。

ケネス・アロー(Kenneth Arrow)とロバート・ソロー(Robert Solow)の両者が論評を寄せていることからも、この本がいかに関心を持たれていたかがうかがえる(Solow 1971, Arrow 1972)。とは言え、アローからすればそれは「実際には経験則」に過ぎず、納得できるものではなかった。しかし現在では誘引の有効性の研究はティトマスからはるかに進んでいる。

よく引き合いに出される例として、ハイファの保育所の話がある(Gneezy and Rustichini 2000)。そこでは子供の引き取りに遅れた親に罰金を課したところ、親の遅刻は倍になった。12週間後に罰金は廃止されたが、増えた遅刻は元には戻らなかった。

これは通常、「押し出し効果/クラウド・アウト」によって説明される。かつては子供の引取りに遅れ保育所に迷惑をかけるのは後ろめたい行為だった。それが罰金によって、お金で買うことのできることとなってしまったのだ。

経済的誘引政策に否定的な人にとっては、これはその象徴的な出来事となっている。しかもこれは例外ではない。過去20年間の経済学研究で研究所内及び実地において見られた、経済的誘引が押し出し効果を引き起こした例は40以上を数える(Bowles 2016, Bowles and Polania-Reyes 2012)。これをふまえるなら、経済的誘引への反対は十分理にかなっている。

押し出し効果を示す別の事例を挙げよう。ノルウェイでは入院期間に基準を設け、それを超えた場合、病院の経営者に課金をした。その結果は意図に反し、入院期間が延びることとなった。一方でイングランドでは別の方法による成功例がある。金銭的な誘引を使う代わりに病院経営者のプライドに訴えかけ、入院期間を大幅に減らすことに成功した(Holmas et al. 2010, Besley et al. 2009)。

ここで立ち返って考えてみたい。多くの場面で押し出し効果が見られるからといって、誘引策をそのまますべて否定するのは適当なのだろうか。それともまだそこには余地があるのだろうか。その答を探るべく、アリストテレス期のギリシャの例を挙げよう。そこには経済学、特に制度設計に関して学べることがある。それは押し出し効果とは反対に、社会規範への「押入れ効果/クラウド・イン」を可能とする施策だ。

紀元前325年、アテネの市民集会はギリシャのはるか西、アドリア海に植民地と海軍基地を設けるという壮大な事業の承認を行った(Christ 1990, Ober 2008)。この事業には膨大な数の人員と289隻の船を要したが、当時は国家に属する人員も船もなく、入植者、舟の漕ぎ手、航海士、兵士、さらにはこの航海に適した船を民間から調達せねばならなかった(騎兵隊を組織するため、馬を乗せられる船もまた必要とされた)。船の指揮官と支度人はアテネの富裕層から選任され、そして彼らは期日までにピレウス港に航海に適した船を用意せねばならなかった。

責務が不当に重いと感じた市民は対応請求をすることができた。他の、同様に裕福な市民を選び、その責務を代わりに引き受けてもらうか、私有財産を交換するかだ。責務の代行人として選んだ市民がそのどちらも拒んだときには、市民により選ばれた審査官が財産の大きさに基づき、負うべき責務の判断をした。

市民集会は「(ピレウス港に)最初に船を到着させた者には500ドラクマ、二番目の者には300ドラクマ、三番目の者には200ドラクマの冠をもって」その功績を褒め称え、また「評議会の布告人は…ダンゲリア(祭)において…冠を得た者の競争への情熱を市民に明示することを目的とし…その名を公示する」とした。当時の熟練職人の日給が1ドラクマ程度だったことを考えれば、その褒賞は相当のものだった。たとえ全責務にかかる費用はそれとは比べ物にならないほど莫大なものだったとしても。

褒賞による誘引の目的が誤解されないため、法令にはアドリア海海軍基地から得られる便益が記されていた。エトルリア海賊からの防衛に加え、「市民は未来の何時においても穀物の通商と輸送を得ることができるであろう」と。

そして、その名誉と褒賞に心を動かされない人に向けて警告が用意されていた。「法令の規定に従わぬものに対しては、執政に携わる者か独立した個人であるかにかかわらず、一万ドラクマの罰金を課す。」その代金は神聖なるアテナの下へ収容された。

アリストテレスが死んだのはアドリア海派遣の開始から三年後のことだ。彼はこう、書き記した。「議員は市民の信条に訴えかけるすべを知っている。…それこそが我々を成功へと導く」。これはアテネの市民集会が心に留めていたことを如実に示している。誘引と制約は市民としての品格を育成するために使い、決して道徳の欠如を埋め合わせるものとはしなかった。

要点をまとめる

  • 褒賞は名誉を称えるもの。収賄のように人を操作し誘導するためのものではない。
  • 市民集会は次のことを明示した。誘引は公的な目的の達成のため使われるものであり、特定の個人の利得のためではない。
  • 責務に対する異議申し立ての権利は計画に市民を参加させ、誘引から来る不公平を緩和する効果を持つ。

 

さて、アテネ市民がタイムマシンに乗ってハイファまでやって来たなら、問題にどう提言するだろう。ドアには張り紙が貼られている。

「保育所は子供の引き取りに遅れて来る親への対応として科料の導入に踏み切りました。(この決定にはイスラエル民間保育所管理局の許可も得ています。)来週の日曜日より、16:10以降に子供を迎えに来た親にはその都度10シェケル(この時点で約$3)を課すことといたします。」

それがアテネ市民の共感を得ることはないだろう。

アテネ流のやり方はこうだ。

「保護者評議会は時間通りにお子さんを迎えに来てくださる保護者の方々に感謝の意を表することといたしました。定刻までに来られる方々のおかげで、お子さんの不安を減少させ、職員が自分の家族の元へと遅れることなく戻ることを可能としております。一年間、一度も遅れることなく迎えに来られた保護者の方々には500シェケルの賞をもって、親と職員の懇親会において表彰することといたします。なお、この500シェケルは年間最優秀教師への褒賞として寄付することも可能です。」

付け加えるに、

「残念ながら、10分以上遅れられた方へは1000シェケルの科料を課すことといたします。科料の支払いもまた、懇親会で発表いたします。なお、科料は年間最優秀教師への褒賞へと充てさせていただきます。」

このアテネ流のやり方で押し出し効果を逆転させられるのだろうか。そう思われる。ここで更なる実例を見てみよう。

アイルランドで2002年から導入されたレジ袋税はハイファの保育所での罰金に似ている。両施策とも、その費用を少しだけ上げることによって行動を踏み止まらせようとしている(Rosenthal 2008)。しかしその結果は全く違った。制度の開始から二週間のうちにレジ袋の使用は94%も減ることとなった。この税の導入は前例とは違い、道義心を奮い起こさせたようだ。毛皮を身に着けることと同様、レジ袋の使用は社会道徳に反する、その考えを浸透させえた。

アイルランドとハイファ、その異なる結果から何を学ぶことができるだろう。ハイファの罰金とは違い、アイルランドのレジ袋税ではその道義的な目的をはっきりとさせた。導入の前に公衆参加型の審議を重ね、十分な広報活動をもってレジ袋の廃棄が環境を破壊する要因であることを認知させた。ハイファの罰金は「お金さえ支払えば遅れてもかまわない」と受け取られたのに対し、アイルランドで発したメッセージは「エメラルド島をごみから守れ」だった。

ジェレミー・ベンサムは『道徳及び立法の諸原理序説』(1789)において、懲罰は「道徳的教示」でなければならない、とした。レジ袋税は道徳的教示だったが、遅刻への罰金は違った。同様に、助成金や成果給付を使った誘引政策も賞金よりは賄賂となってしまう危険性を孕んでいる。それを防ぐためにはアテネ市民を範としなければならない。

利害感情と道徳情操、その両者は人の行動を左右する。そして個人的な利害と道徳感覚、それらは互いに補い合う(クラウド・イン)ことも、反発し合う(クラウド・アウト)こともある。ベンサムもアテネ市民もそのことをよく理解していた。

 

References

Arrow, K. J. (1972), “Gifts and Exchanges”, Philosophy and Public Affairs 1(4): 343-62.

Besley, T., G. Bevan and K. Burchardi (2009), “Accountability and Incentives: The Impacts of Different Regimes on Hospital Waiting Times in England and Wales“, LSE.

Bowles, S. (2016), The Moral Economy: Why Good Incentives Are No Substitute for Good Citizens, New Haven: Yale University Press.

Bowles, S. and S. Polania-Reyes (2012), “Economic Incentives and Social Preferences:  Substitutes or Complements?”, Journal of Economic Literature 50(2): 368-425.

Christ, M. (1990), “Liturgy Avoidance and Antidosis in Classical Athens“, Transactions of the American Philosophical Association 10: 147-69.

Gneezy, U. and A. Rustichini (2000), “Pay Enough or Don’t Pay at All”, Quarterly Journal of Economics 115(2): 791-810.

Holmas, T. H., E. Kjerstad, H. Luras and O. R. Straume (2010), “Does Monetary Punishment Crowd out Pro-Social Motivation? A Natural Experiment on Hospital Length of Stay”, Journal of Economic Behavior & Organization (in press).

Ober, J. (2008), Democracy and Knowledge: Innovation and Learning in Classical Athens, Princeton: Princeton University Press.

Rosenthal, E. (2008), “Motivated by a Tax, Irish Spurn Plastic Bags,” New York Times, 2 February.

Solow, R. (1971), “Blood and Thunder”, Yale Law Journal 80(8): 1696-711.

Titmuss, R. M. (1971), The Gift Relationship: From Human Blood to Social Policy, New York: Pantheon Books

ダグ・バンダーワーケン, ヤツェク・ローター, ブライス・ングエリファク 『フットボールにおける反則行為への出場停止処分の影響: プレミアリーグの事例研究 』 (2017年2月9日)

Doug VanDerwerken, Jacek Rothert, Brice Nguelifack, “The impact of suspension rules on fouls in football: Case study from the Premier League” (VOX, 09 February 2017)


 

殆どのフットボールリーグでは、イエローカードを一定数累積した選手に対し出場停止処分が課されるようになっている。本稿では、イングリッシュプレミアリーグにおいて選手達が犯した反則行為 [fouls] 数にこのルールがどの様な影響を及ぼしているのか論述する。出場停止処分上限に差し掛かった選手達は、シーズン開幕時と比べ反則行為数が33%も少なくなる。またシーズン開幕後初試合においても、出場停止ルールの抑制効果により反則行為数が15%減少している。

フットボール試合の最中の違反行為のうち深刻なものは、反則選手に対するイエローカード提示を以て罰される。ともにボールを我が物にしようとするフットボール選手二名が衝突するような時、一方の選手が、あまりに無謀なため相手選手を負傷させてしまう例も比較的多いだろうし、行き過ぎたフィジカルが行使される場合もあるだろう。さらに、審判に対する不服申立てや意図的にプレイを遅らせるなどの不適切な振舞を通し、自らのチームがアンフェアなアドバンテージを得るよう画策する選手もいるかもしれない。

イエローカード一枚のみでは試合中に罰則を課すまでには至らないとはいえ、それは当該選手の懲戒記録に響いてくる。そのため、ここから執拗な違反行為者に対する付随的影響が生ずる可能性がある。例えばイングリッシュプレミアリーグでは、或る選手が8月のシーズン開幕から12月31日までの間にイエローカードを五枚受領した場合、同選手は五枚目のイエローカードを受領した次の試合について、出場停止処分を受ける。4月の第二日曜日より前にトータルで十枚のイエローカードを累積した選手は、十枚目のカード受領に続く2試合の出場停止となる。もしシーズン末までに十五枚のカードを受領したら、即座に3試合分の出場停止となる。

フットボールに関しては詳細な統計が利用可能となっており、その斐あって様々な研究者がカードの試合への影響や (Ridder et al. 1994, Bar-Eli et al. 2006)、どの様なファクターがチームのカード受領確率に作用しているのか (del Corral et al. 2010) を研究している。

今回の研究 (VanDerwerken et al. 2016) では、前記プレミアリーグの2011-2012年シーズンにおける、試合レベル、プレイヤー毎の統計値を利用し、出場停止ルールが選手達の反則行為行動に及ぼす影響を調べた。

我々が調査したのは、選手達の反則行為は出場停止上限が近づくにつれが少なくなってゆくのか、出場停止上限に近い選手達はイエローカードを受領する傾向が小さくなるのか、そして出場停止ルールが存在しない場合反則行為が為される数は変わってくるのか、これらの点である。

初めの2つの問いに対しては一般的な計量経済学手法を用いて回答を与え、最後の問いと取り組むにあたっては、最適なイエローカード累積を扱う構造モデルを構築した。

前記プレミアリーグにおける出場停止制度の類型は数多くのフットボールトーナメントで利用されている。これらはみな処罰を先送りする体制 [delayed punishment schemes] を取っており、合衆国における一部の州の所謂 『三振制 [three strikes]』 法制に類似する。同法制は執拗な違反者に対し厳罰を課すもの (Greenwood et al. 1994, Zimring et al. 1999)。個人の行動にこうした制度が及ぼす影響を分析する際には、ツーストライク状態にある個人による犯罪活動の減少のみを計測しないようにすることが重要 (Shepherd 2002) である。もしそうしてしまうと、同法制の真の影響が過小評価されてしまう。というのは、潜在的違反者全てに行動を変化させた可能性が有るからだ。我々のケースでは、出場停止ルールがただ存在するだけで、選手達は出場停止上限に近づくのを嫌うため、第一試合にしてすでに攻撃的なプレーが抑制される訳である。

結局のところ

先ず最初に、現行ルールのもとでイエローカード累積が反則行為数に及ぼす影響を実証的に検討した。ポワソン回帰1を用いて反則行為数の予測を行うが、その際にはペナルティカード累積の効果を分離するため、反則行動への影響が疑われるその他の変数を調整している。例えば、我々は選手に対する固定効果の影響も取り入れている。これは内在的な攻撃性レベルやポジションまた競技熱といった属性を組入れたものである。さらにインターセプト数やタックル成功数またドリブル失敗数といった、試合レベルでのパフォーマンス変数も取り入れた。最後に、累積上限到達までの時間、試合会場 (ホームかアウェイか)、出場停止処分の深刻性、および試合終了時の得点差についても調整を行った。

以上全ての潜在的影響源の分を修正すると、予想通り、イエローカードの累積は反則行動を減少させていた。イエローカードあと一枚で一試合出場停止処分となる様な時、選手の反則行為は、イエローカードあと二枚で出場停止の場合と比べると12%、あと五枚の場合 (例えばシーズン開幕時など) と比べると33%、少ないのである。反則行為数の減少は選手が2試合出場停止処分に直面した時さらに大きくなる。下の図1には反則行為の推定期待数を、出場停止処分までイエローカードあと何枚かの関数として示してある。

さらに、所与の試合において選手が何らかのカード一枚 (イエローカード、ないしより深刻なレッドカード。後者は試合からの即刻退場と自動的な出場停止処分を意味する) を受領する確率も、ロジスティック回帰を用いて予測した。驚くには当たらないが、同確率は該当選手が累積上限に近づくにつれ減少した。例えば、イエローカードあと二枚で二試合出場停止処分となり、次試合でのカード一枚受領確率が10%であるような選手を仮定したとしても、この仮定的選手があと一枚で同出場停止処分になる状況に陥れば、イエローカード一枚を受領する確率は低くなる (3%) ことになる。イエローカードあと二枚で一試合出場停止処分となる場合、同選手のカード一枚受領確率は25%に上昇することになる2

一つひとつの試合を大事に

出場停止ルールが無かったとしたら、選手達の反則行動はどれ位増えていたのだろうか? 素朴に考えれば、該当シーズン中未だ一枚もイエローカード累積が無い選手一名の犯した反則行為数につき期待値を算出し、それを全試合に関する選手あたり反則行為数期待値と見做すという形でこの問いに答えられそうである。しかしこの手法はルーカス批判を (Lucas 1976) を無視している。我々の推定値は出場停止ルールの在る環境において得取された。こうした環境にあっては、選手達の反則行為はシーズン初試合において既に少なくなっているかもしれない。何故なら早い時期にイエローカード一枚を受領すると、後に出場停止処分を受ける確率が高まるからだ。

そこで我々は最適イエローカード累積に関する動学構造モデルを開発し、この 『ファーストストライクの恐怖』(Shepherd 2002) に取り組んだ。本モデルは標準的な動学プログラミングモデルであり、次の様な特徴を持っている。まず累積イエローカード数を状態変数とした。選手は試合開始時に自らの努力量を選択する。努力量が多いほど選手の所属するチームがその試合に勝利する確率も高まる。活動量はさらにイエローカード一枚の受領確率も高める。均衡状態において、選手はイエローカード五枚で出場停止処分となる旨を知悉したうえで、このトレードオフを衡量しなくてはならない。本モデルは幾つかのパラメータに依拠しているが、その中には我々のデータからカリブレート可能なものもあれば、これが不可能なものもある。カリブレート可能なものについては、イエローカード五枚の上限に差し掛かった選手に関わる反則行為数の減少が、モデルにおいてもデータ中のそれと同一になるようにしている。その他のパラメータ値にはアドホックな当て嵌めが必要となった。

以上の下準備ののち、本モデルから出場停止ルールを取り除く反実仮想実験を行った。実験中の選手達は、一試合中にイエローカード一枚を受領したところで将来の出場停止処分には何ら影響が無いことを知悉しており、初期の試合でもプレイを調整する必要がない。我々の選択したパラメータ値を利用したかぎりでは、前記プレミアリーグにおける出場停止ルールの存在により第一試合における反則行為期待数が約15% (ファーストストライクの恐怖に関する我々の推定値) 減少させていることが判明している。シーズン期間全体では、同出場停止ルールにより期待反則行為数が33%も引き下げられている。図1にはさらに、一試合中に選手一名が犯す期待反則行為数を、同選手はイエローカードあと何枚で出場停止となるかとの観点からみた関数とし、我々の理論モデルの予測値を示している。

図1

本モデルのおかげで、審判の厳しさをはじめとする様々なファクターが出場停止ルールにどの様な影響を与えているのか分析する手立てが得られた。審判があまりに甘い場合、出場停止ルールにはあまり痛みが感じられない。選手達は自分がイエローカードを突き付けられることはあまりないと知悉しているからだ。審判があまりに厳格な場合も、出場停止ルールにはあまり痛みが無い – 少々攻撃的といった程度のプレイにしてすでにイエローカードが出されるなら、選手は、何れにせよイエローカードを受領するはめになるのだろうと、目下の試合のみにフォーカスする可能性もあるのだ。

試合レベルでの統計値の利用可能性が高まってきた所に、シンプルな経済理論が組み合わさり、フットボールにおいて出場停止ルールが攻撃的プレイに及ぼしている影響の定量化が可能となった。より一般的に言えば、先送りされた処罰に個人がどの様に応答するか、この点に関する知見が得られたのであるが、これはプロスポーツ以外の研究領域にも新たな洞察をもたらすものだ。

参考文献

Bar-Eli, M, G Tenenbaum and S Geister (2006), “Consequence of Players’ Dismissal in Professional Football: A Crisis-Related Analysis of Group-Size Effects”, Journal of Sport Sciences, 24:1083–1094.

del Corral J, J Prieto-Rodriguez and R Simmons (2010), “The Effect of Incentives on Sabotage: The Case of Spanish Football”, Journal of the American Statistical Association, 11:243–260.

Dawson, P, S Dobson, J Goddard and J Wilson (2007), “Are football referees really biased and inconsistent? Evidence on the incidence of disciplinary sanction in the English Premier League”, Journal of the Royal Statistical Society – Series A, 170(1):231–250.

Greenwood, P, C Rydell, A Abrahamse, J Caulkins, J Chiesa, K Model and S Klein (1994), “Three Strikes and You’re Out: Estimated Benefits and Costs of California’s New Mandatory- Sentencing Law”, Technical Report MR-509-RC, RAND Corporation.

Lucas, R (1976), “Econometric Policy Evaluation: A Critique”, Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy, 1(1):19–46.

Nevill, A, N Balmer and A Williams (2002), “The influence of crowd noise and experience upon refereeing decisions in football”, Psychology of Sport and Exercise, 3(4):261–272.

Ridder, G, J S Cramer and P Hopstaken (1994), “Down to Ten: Estimating the Effect of a Red Card in Football”, Journal of the American Statistical Association, 89:1124–1127.

Shepherd, J (2002), “Fear of the First Strike: The Full Deterrent Effect of California’s Two and Three-Strikes Legislation”, Journal of Legal Studies, 31:159–201.

VanDerwerken, D N, J Rothert and B M Nguelifack (2016), “Does the Threat of Suspension Curb Dangerous Behavior in Football? A Case Study From the Premier League”, Journal of Sports Economics, OnlineFirst. DOI:10.1177/1527002516674761.

Zimring, F, S Kamin and G Hawkins (1999). Crime and Punishment in California: The Impact of Three Strikes and You’re Out. Institute of Government Studies Press, University of California, Berkeley.

原註

[1] ポワソン回帰は最小二乗法に似たものだが、前者ではカウント値が正規分布ではなくポワソン分布に従うものと想定されている。

[2] 本分析の副産物として、アウェイに対するホームでのプレイには、ペナルティカード受領確率に、僅かではあるが認識可能な影響が有ることも明らかになった。我々の実施シナリオでは、ホームでのプレイは選手のカード受領確率を10%から8%に引き下げる。その存在が疑われる潜伏変数分を修正すると、この緩やかな減少の大部分は選手の行動ではなく審判に帰するのが合理的な様で、他の研究者 (例えば Dawson et al. 2007 and Nevill et al. 2002) が明らかにしてきた所を裏付けている。

 

ケビン・ブライアン『オリバー・ハートと会社の本質』

Kevin Bryan, “Oliver Hart and the nature of the firm,” Vox, 01 November 2016

 

オリバー・ハートはベント・ホルムストロームと共に『契約理論への寄与』により2016年ノーベル経済学賞を授与された。この記事が解説するのは会社の本質を理解するためにハートが成した貢献の概要である。

 

オリバー・ハートは2016年、ベント・ホルムストロームと共にノーベル経済学賞を受賞した。残余支配権(residual control rights)訳註1に関する理論は彼を有名にした。しかし近年ではそこに触れることはほとんどない。彼は自らの信条も研究課題も根本から変えてしまった。それは年齢を重ねることから来る気まぐれでも政治的な圧力のゆえでもなく、そこには測り知れないほどに賢明で思慮深い理由がある。そう、2007年のノーベル賞受賞者であるエリック・マスキンと2014年受賞のジャン・ティロールが言明しているように。ハートの功績を理解するためには経済学の一分野としての会社の理論の歴史を短く紐解く必要がある。

 

会社が本来持つ特異性については、1991年のノーベル賞受賞者、ロナルド・コースにまで遡る。しかしまずは2007年のノーベル賞受賞者、レオニード・ハーヴッツの秀逸なる定理を紹介したい。その論旨は次の通り。経済全体で作られている物は実に多種多様であるのに対し、個々人が持っている情報はごく限られている。そこで市場活動の調整役として機能するのが競争価格である。

 

鉛筆を例に採ろう。黒鉛が採掘され、樹木から木材が切り出され、ゴムの木の樹液が採取され加工され、これらの原材料は工場に運ばれ鉛筆という形に組み合わされ、そして小売店へと輸送される。これだけの段階を経て、一本の鉛筆は10セントで売られる。ここには権威の計画管理はなく、誰かが供給全体の流れを把握しているわけでもない。こうして見ると、市場とは経済活動を制御するのに驚くほど優れた仕組みとなっている。

 

ところがコースが指摘しているように、経済活動のうち市場で調整されるのではなく会社と呼ばれる上意下達の共産的官僚制度によって行われる部分(国際貿易ではむしろこちらのほうが多い。Atalay et al 2014)は膨大となる。ではこのような組織がこの世界に存続するのはなぜなのか。会社はいつ合併しそしていつ分裂しその一部を売却するのか。会社の理論はこれらの問題提起によって形作られる。

 

初期の段階でコースが出した答は、市場取引そのものにも費用はかかっておりその取引費用は会社の外では断然高いから、となる。そして会社の大きさは、官僚的であることから来る費用が、組織となることによって得られる取引費用の減額を超えてしまうところで決まる。

 

ここで二つの問題が現れる。第一に、誰も「取引費用」と「官僚制費用」を正確に知りはしない。そしてその二つの費用はどうして組織の形態によって異なるのか。その説明はほぼ同語反復となってしまう。

 

第二に、アルキアンとデムセッツがその秀逸なる論文(Alchian and Demsetz 1972)で指摘したように、会社が従業員に指示したり罰したりする特殊能力を持っているとする仮定には確実な根拠があるものではない。物資の供給元が意に沿わない時には、そのままにしておく、打ち切る、再交渉に臨む、といった対処が取れる。社内の一部所が意に沿わない時には、そのままにしておく、打ち切る、再交渉に臨む、といった対処が取れる。要望通りに動いてもらえるか、という問題――それはまた契約上の問題でもある――は、会社の内部では発生しない、というほど単純ではない。

 

2009年にエリノア・オストロムと共にノーベル賞を受賞したオリバー・ウィリアムソンの取引費用理論はもっと正式なものだ。連携する方が別個に仕事をするよりも高い附随利益が得られることがあり、不測の事態により契約内容の変更が望ましくなることがあり、そして契約内容の変更は労務者なり物資の供給者なりが会社の内部の人間である方が費用を抑えやすい。「不測の事態」には、後になって裁判所や調停者が計量できない事柄も含まれ得る。最終的に契約の履行を強制するのはこれらの機関なのだ。毎日の活動に対して取引費用がそうそう変わるものではないが、契約交渉は持続的な関係を持っているほうが対処しやすい。

 

会社が単純に巨大化していかない理由に関係してくるのが「官僚制費用」という概念だが、それは実際のところ粗削りで正式な理論とはなっていない。この点はコースに似ている。しかしたとえ正式性を欠いているものではあっても、取引費用とは直感的に受け入れられる類のものであり私達が経験上知っている世界とも合っている。発展途上の世界では会社はより大きくなる。それは脆弱な法制度の下では契約時の想定を超えた「不測の事態」がより起こりがちであり、それに備えておかねばならないからだ。ここでは業務の軌道修正や契約再交渉のための費用が会社の大きさの決定要因となる。

 

とは言え、アルキアンとデムセッツの批評にも、「官僚制費用」の定義にも、釈然としないものがある。そして、エリック・ヴァン・デン・スティーン(Eric van den Steen 2010)が指摘したように、紙を手に入れるのに自社傘下の事業所から調達するかそれとも社外の店舗から買うか考えている人にとって、会社の存在理由が社外取引費用を抑えるため、というのは納得できるものなのだろうか。

 

財産所有権と不完全契約

 

グロスマンとハート(Grossman and Hart 1986)の主張では、会社を会社たらしめるものは財産の所有となる。なぜ所有が問題となるのだろう。それは、契約の不完全性と関係してくる。雇い主が物資を供給する人間と、あるいは従業員や中間管理職員と、意を異にするのは珍しいことではない。そしてその意見の相違が契約規定の範囲外のこととなると再交渉が必要となる。

 

連携して仕事をすることによってより多くの利益を得られるなら、当事者たちはその関係性を断ち切ろうとはしない。ここでグロスマンとハートは、取引費用を引き合いに出す代わりに、単に、意見の相違が起きたときには財産の所有者ははるかに有利な立場で交渉を進められることを指摘した。財産は将来の利益の源泉となり、それゆえ所有者は財産の価値を高めようとする。

 

ベイカーとハバード(Baker and Hubbard 2004)が分かりやすい実例を挙げている。長距離トラックに搭載されたコンピュータがトラックの壊れる過程まで追うことが可能となってから、トラックの所有者が運転手自身から個人経営でない運送会社へと移った。それ以前は、運送会社がトラックを所有すると丁寧な運転や手入れを欠かさないことまで契約で保障させることは難しかった。その一方で、運転手がトラックを所有する際には、何日もの間トラックが使われずに置かれないよう配車係が気を配ることや効率的な道順で配車することを契約で保障することは難しかった。

 

コンピュータの導入により、運送会社はトラック所有へと向かった。その決定に運転手は加わっていない。そして、この例はグロスマンとハートの「残余支配権」理論に即している。協働による附随利益と契約の不完全性があるからこそ残余支配権は利益の源泉となる。それが無視できるなら、財産の所有よりも利益を生む協働形態を見付けることに意識を傾けるはずだ。

 

ハートとムーア(Hart and Moore 1990)はこの基本的なモデルを多種の財産と複数の会社がある場合へと拡張した。ここで、財産は単独所有こそが最も有利、という示唆を熟慮をもって行った。この財産は他の用途にも替えが利く。交渉力が変化し契約が不完全であるときでも、財産所有権は契約外のことにまで影響力を持つことができる。財産の所有権が分割されている場合、個々の共同所有者の交渉力は弱く、それゆえ資産価値の維持向上のための投資は魅力的でない。ハートと共著者(Hart et al. 1997)が示した残余支配権の見事な適用が、政府の役割として刑務所の設置管理は望ましいがごみ収集はそれには当たらない、という事例である。

 

(余談:ハートの全理論の中での交渉の位置づけを短く記しておく。正式と呼べるだけの「完全な」交渉のモデルはなく、ハートは交渉問題の解をシャープレイ値の様に協力ゲームの理論に求めるようになっていった。この研究は2002年にロイド・シャープレイがアルヴァン・ロスと並行してノーベル賞を受けて以降、多くの賞を得ている。そして、これは「不測の事態」問題への協力ゲームの適用に大いに影響を受けている。おそらく、今なお協力ゲームは博士課程で積極的に教えられるべきものだ。)

 

その他の会社の理論

 

ここまでに挙げたもの以外にも、当然、会社の理論は多数ある。マーシャルにまで遡るものとして、業界によっては利益を出すために最低限必要とされる固定費が大きいのでいきおい会社の規模は大きくなる、という見解がある。会社における代理業務理論は少なくともジェンセンとメクリング(Jensen and Meckling 1976)にまで遡る。この二人が注目したのは、会社が従業員に自身の利益を最大化する動機を与えている、という問題である。ホルムストロームとミルグロム(Holmström and Milgrom)が挙げたのが、高い成果賃金を与えられる労働者と固定給の労働者がいるのは会社内での役割分担に応じている、という好例である。

 

もっと最近の研究では、ボブ・ギブソンズ、レベッカ・ヘンダーソン、ジョン・レビンらによる関連契約への討論がある。その内容は、自発的な努力との関連への見解であり、今日の重労働が将来得る対価につながるならそれは正式な契約に取って換わるということであり、そしてこの「関連契約」がいかに会社によって個人の職歴によって異なるか、である。

 

これらの会社の理論はそれぞれ与えられた状況下で実証の裏付けを経ている。しかし20世紀の終わりになって、契約の不完全性や検証不可能性に頼ったすべての理論はマスキンとティロールによる秀逸なる論文(Maskin and Tirole 1999)に衝撃を受けることとなった。不完全契約に頼った理論は一般的にあいまいさを持つことになる。そこでは、事前に予測できないこと、後に法廷で検証できないことがあるので、常に、不測の事態が起こったときには意見の不一致が起こってしまう。

 

しかしマスキンとティロールは、協業を続けて行く上で互いに査定されることがなければ、予測不可もしくは検証不可の状態を気にも留めない、ということを正しくも指摘していた。だからすべての「不完全契約」では、例えば協業を続けることの価値を一方が12、他方が10と査定したなら、現時点で最善となる割合でその合計22の価値を分配すべく、事前に決断する人がいるべき、となる。将来における利益がどれだけだったとしても分配できるようになっていれば、契約は完了である。もちろん、互いに利益を確実にする上でこれで問題がなくなったわけではない。予測できない事態が起きたときに、その査定した価値をお互い正直に言う保証はない。

 

そこで、マスキンとティロールが示したものは、協働がその仕事に参加している各々の人にとってどれだけの価値があるのかを知る方法だ(それは難解ではあるが驚くほど巧みに構成されている)。その仕組みをそのまま信じるわけではないが、論文の精神に則るなら、後になって各人にとっての協働の価値が正しくわかれば不完全契約は問題ではない。そして、例えば仲裁人のように、現実社会にはその調整にあたる人がいる。しかしもし、マスキンとティロールが証明したように(マスキンは2002年に短い文章の中でより単純な解説を行っている)、不完全契約が問題でないならば、我々は元の問題へと戻ってしまう:なぜ、会社と呼ばれる組織は存続するのか。

 

なぜ会社は存在するのか

 

どうしたものか。とある論理学者の指摘によれば、仔細な検証をするならマスキンとティロールの論文には多少の瑕疵が見られる。例えば高次信察(higher-order beliefs)訳注2の前提について(例えばAghion et al 2012)。しかしマスキンとティロールの論理の本質からすればこれらはそうは当たらない。経験に則して考えれば、「明言されていない」あるいは「現実とは違う、又は予測困難」といった部分があったとしても、将来の利益を正当に配分する仕組み、例えば仲裁人制度などがある限り、当事者たちは契約の不完全性を是正しようとはしない。そして実際の契約では後になって契約内容の解釈に不一致が起きたときの対応についても前もって取り決めがなされているものだ。

 

ハートは、過去の業績からもそして最近の論文や講演からも明らかに言えることだが、不完全性が会社の根本的な存在理由ではない、という立場を取っている。ハートとムーア(Hart and Moore 2006, 2007)の主張ははっきりしている:

 

「契約の不完全性を基とした文献は会社という存在に対し有用な理解を与えては来たものの、欠陥をも含む。次の三点は私たちにとって特に重要だ。第一に、事前投資のうち契約に入れることのできない部分の強調が過大評価を生む。この投資は間違いなく重要ではあるが、それが組織をつくる唯一の推進力とは思えない。関連して第二に、その手法は会社の組織内部という重要にして興味深い主題の研究には不向きである。その理由を見るに、コース派の見解からすれば、再交渉では関係者が集まって交渉金を支払いつつそれぞれにとって有益な分配を決定することになる。それをふまえるなら、権威となる機関、階層構造、委任団、更には何者であっても所有権以外のものにはその存在理由が見えない。そして第三に、その手法には基本的な弱点がある。」[マスキンとティロールによる指摘(Maskin and Tirole 1999)]

 

マスキンとティロールは残余支配権と不完全契約を基として政策や現実の事象を説明することに挑んだ。そして、私が知る限りでは、それより後にオリバー・ハートが書いた論文は皆無である。その代わりにハートが主として時間を割いてきたのが、基準規定に関する理論、意見不一致時の行動論、「公正な」利益配分提案を促す有効な事前契約、分配が明確でない時の隠蔽その他の破壊的行動などの研究だ。これらの状況では、協働している人々の間で事前の契約と事後の「公正さ」について意見の不一致が起きやすい。

 

そこから主として次のような帰結が得られた。柔軟な契約(例えば故意に不完全さを残した契約)は状況ごとの調整が容易にできるが、一方が悪意をもって自分だけの利益を追うことが可能となる。逆に柔軟性をなくせば、身勝手な行動を抑えられる反面、両者の利益を最大にする選択肢を閉ざしてしまうことがある。

 

ハートは過去10年にわたりこの見地を多くの疑問へ適用させていった。一例を挙げるなら、意思決定権の代理人への委任は信頼できるものなのか、といった。その権利を戻そうとしたときには代理人は抵抗するかもしれない(Hart and Holmström 2010)。もし代理人が完全に合理的であるなら、権利返還の正当性を認めさすのは困難、もしくは不可能となりうる。そして、ここで代理人が純粋に合理的ならばマスキンとティロールの評論が適用される状況である。

 

権威による計画管理のない市場でなぜ会社が存在するのか、この始めに出された疑問から私たちが得たものは何なのだろう。多くの機智に富んだ見解が現れ、それぞれ状況に合った回答を与えてくれるものの、厳格な理論としては完成されていない。

 

完成された会社の理論は次に挙げられる疑問に答えられなければならない。なぜ会社は現在の大きさなのか、なぜ会社は現在あるように物を所有するのか、なぜ会社は現在のような組織形態なのか、なぜ会社は存続するのか、そしてなぜ会社間の提携と取引は現在のような形で行われるのか。その論理はほぼ確実に、すべての参加者が高度にあるいは完璧に合理的であると仮定したとき、適合するものでなければならない。何百万という組織に採用されている制度を考えるなら、愚かさを言い訳にはできない。

 

会社を「資源」とした理論は多くあるが、ここで要求されるのはそれよりはるかに完成された理論、会社の基本を成す現在の財産所有権の形に合ったものでなければならない。(会社存在の理由はそこに協業文化を創り上げたから、会社存在の理由は他の誰にもまねできない成功の秘訣を見付け出したから。これらは因果関係ではなく現在の状況を述べているに過ぎない。)

 

コース、ウィリアムソン、そしてオストロムは正しかった。彼らが示したように、関係を保つための費用――取引費用――が本来的に会社の内外で異なるのには理由がある。そしてハートは、財産所有権と意思決定権がいかに財産価値を高めさすのか、そのことに関心を向けさせたことにおいて、正しかった。しかし彼らの深い洞察をもってしても会社の理論として求められているすべてに応えられるものではない。

 

おそらく理論の根幹となるのは、他人からの評価、関係性を示す契約、そして組織の中において望む方向が異なる人々の結びつき、などとなる。しかし未だ私たちの理論は混沌としている。権威による計画管理のない、いわば魔法のような市場制度の中で、なぜ「小さな共産的官僚制」は必要とされているのか、私たちの論理はその答を見付けられていない。

 

 

訳註

1.residual control rightsとは、「契約に記載されていない部分の所有者の権利」を意味する。この記事では「残余支配権」と訳しておいた。

  1. higher-order beliefsとは、互いに相手の考えを推察しながら自分の行動を決める状態のこと。この記事では「高次信察」と訳しておいた。参照:LSE The Higher Order Beliefs Web Page. http://personal.lse.ac.uk/dasgupt2/hob_main.html

ダロン・アセモグル, ジェームズ・ロビンソン 『植民地主義の経済的影響』 (2017年1月30日)

Daron Acemoglu, James Robinson, “The economic impact of colonialism” (VOX, 30 January 2017)


 

 今日の世界に観察される巨大な経済格差は、膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。最近のVoxebookから抜粋した本稿では、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で近代の格差を形成してきた、その経緯を検討する。

本稿の初出はVox eBook 『歴史に掛かる経済と政治の長影 (The Long Economic and Political Shadow of History)』 一巻。同書はこちらからダウンロード可能。

今日の世界に観察される巨大な経済格差は、一朝一夜にして出現した訳でないことは当然としても、前世紀に生じたものでもない。経済格差は膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。我々の来し方を500年ほど辿る、つまり植民計画の揺籃期にまで遡るなら、貧困国と富裕国との間にも然したる格差は無く差異も僅かである様が確認できる (恐らく差は4倍ほど)。現在はどうか。世界の最富裕国と最貧困国を比較すると、その差はいまや40倍を超える。さて、植民地主義はこの辺りの事情にどの様に関与していたのだろうか?

我々はサイモン・ジョンソンとの共同研究を通し、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で、近代の格差を形成してきた事を明らかにしてきた。ヨーロッパの地において、アメリカ大陸の発見や、そのアメリカ大陸にはじまりアジア、アフリカへと続く大々的な植民地計画の登場が制度的・経済的発展を刺激する潜在的契機となり、斯くして後に産業革命として結実する諸々を始動させるに至ったのである (Acemoglu et al. 2005)。しかしその影響の在り方はヨーロッパ内部の制度的差異により掣肘されていた。予てから君主に対する抵抗が議会や社会に優位を与えていた英国などの地では、アメリカ大陸の発見は商業・産業集団にいっそうの権勢をもたらすに至った。こうした集団はアメリカ大陸や、間もなくアジアからも、新たな経済機会を享受することができた。その結果が経済成長である。他方、初期段階における政治制度や権力バランスの異なるスペインなどの地では、その結果も異なった。これらの国では君主が社会や商業また経済機会を支配しており、結果として、政治制度は弱体化、経済も衰退した。『共産党宣言』 でマルクスとエンゲルスが述べた如く,

「アメリカの発見が、喜望峰の迂回が、新興ブルジョア階級に新たな足場を切り開いた」 のだった

それは事実であったが、一定の条件下でのみ当て嵌まる事実であった。別の条件下では、同発見はブルジョア階級の立遅れに繋がった。結果から見れば、ヨーロッパの中には植民地主義により経済発展が加速した地域もあれば、逆にこれが停滞した地域もあったのである。

しかしながら植民地主義の影響は植民活動を行った社会の発展に留まってはいなかった。言わずもがなではあるが、植民地主義は植民地化された社会にも影響を及ぼしたのである。我々の研究 (Acemoglu et al. 2001, 2002) は、この点でも、またや、不均一な影響が見られたことを明らかにしている。これは植民地主義が様々な地で相異なる種類の社会を生み出すに至った為である。とりわけ植民地主義が世界の様々な地に残した制度的遺産は千差万別であり、経済発展の帰趨は著しく散開している。その原因は、種々のヨーロッパ列強がそれぞれ異なる制度を移植した – 換言すれば、北アメリカの成功はそれが継承した英国の制度に負うものであって、他方ラテンアメリカはスペインの制度を継承したが故に失敗した – からではない。実際の所、実証データは相異なる植民地宗主国の持っていた意図や戦略が極めて似通っていた様を示す (Acemoglu and Robinson 2012)。アウトカムが著しく異なったのは、植民地における初期段階条件にバラツキがあった為だ。例えば先住民の稠密な人口集団があったラテンアメリカでは、こうした人々の搾取を拠所にした植民地社会を建設することができた。そうした人口集団が存在しなかった北アメリカに、その様な社会は在り得べくもなかった。尤も、初めの英国植民者はそうした社会の建設を目指していたのだが。こうした状況に応え、初期の北アメリカ社会は全く別の方向に進んで行く: ヴァージニア会社といった初期の植民ベンチャー企業は、ヨーロッパ人の関心を惹き付け、開けたフロンティアをめざし走り去る彼らを引き留める必要を認識し、そこでこうした人達に対し労働と投資のインセンティブを与えることが必要になった。これを達成した制度、例えば政治的権利や土地利用権だが、こうした制度には植民宗主国におけるそれとの比較においてさえラディカルな差異が見られる。ラテンアメリカ類似地域、例えば南アフリカ・ケニア・ジンバブエなどを発見した際の英国植民者は、我々が 『収奪的制度 [extractive institutions]』 の名で呼ぶ諸々の敷設に掛けては万事抜かりなく、また大いに関心を寄せていた。この収奪的制度というものは先住民の管理と地代の収奪をその基盤とする。Acemoglu and Robinson (2012) では、人口集団の大半からインセンティブと機会を剥奪するこの収奪的制度が、貧困と関連している旨を論じている。今日アフリカにおけるこの種の社会がラテンアメリカ諸国と同じ程度の格差を抱えているのも、偶然ではないのである。

形成された社会のタイプに関わっていたのは諸先住民集団の稠密性だけではない。Acemoglu et al. (2001) で我々が明らかにした様に、潜在的なヨーロッパ入植者の直面する疾病環境も重要だった。北アメリカの植民地化を鼓舞したのは何か、それは比較的恵まれた疾病環境であった。これがヨーロッパ移住を保全する制度創設戦略を促進したのである。西アフリカにおいて収奪的制度の創出を鼓舞したのは何か、それは西アフリカが 『白人の墓場』 であったという事実だった。これが 『包摂的経済制度 [inclusive institutions]』 タイプの創設を遠ざけたが、これこそ北アメリカにおける定住と発展を促した制度にほかならない。こうした包摂的制度は、収奪的制度と対照的に、膨大な人口集団へのインセンティブと機会を、確かに創出した。

植民地社会の相違の一原因として疾病環境に注目したのは、この種の社会が持つ性質の相違の源泉として、この点が唯一のものであるとか、さらには主要な原因であると考えたからでさえない。或る具体的な科学的理由が在ったからだ: ヨーロッパ人にとっての疾病環境、したがって特定植民地への移住性向に影響力を持った歴史的要因も、それ自体は今日における経済的発展の相違の重要な源泉ではない、これを主張する為だった。よりテクニカルな表現をするなら、これはヨーロッパ人定住者死亡率の歴史的な計測値が、経済的制度からの (一人あたり所得として計測した) 経済発展への因果的影響を推定する操作変数として利用できる可能性を意味する。このアプローチの主要な問題は、歴史上ヨーロッパ人死亡率に影響を持ったファクターが持続的なもので、今日における所得にも、例えば健康度や期待余命への影響を介して、影響を持っている可能性がある点だ。とはいえ、これが杞憂かもしれない理由が幾つか存在する。一、植民地におけるヨーロッパ人死亡率に係る我々の計測値は200年ほども前の、近代的医学の確立、熱帯病の理解解明以前のものである。二、これらは熱帯病に免疫の無いヨーロッパ人が直面した死亡率の測定値であるが、こうした死亡率は先住民が今日直面している死亡率とは極めて性質が異なる。そしてこれらの国々の現在の経済発展に関係が有るのは後者のほうだと推察される。念には念を、我々はマラリア感染リスクや平均余命など、様々な近代的健康測定手法を用いた計量経済学的調整に対しても本研究結果が頑健である旨も明らかにした。

斯くして、ヨーロッパ内部の発展に不均一な影響をもたらしたのとまさに同じ様に、つまり英国などの地では経済促進的に、スペインでは経済停滞的に働いた様に、この植民地主義なるものは植民地においても非常に不均一な効果をもたらしたのである。北アメリカをはじめとする一部の地における植民地主義は、大本の植民宗主国におけるものより遥かに包摂的な制度を備えた社会を生み出し、同地域に現在みられる大いなる繁栄の種を蒔いた。ラテンアメリカ・アフリカ・南アジアなどその他の地では、植民地主義は極めて貧弱な長期的発展アウトカムに帰着する収奪的制度を生み出した。

植民地主義が一定の文脈では発展にポジティブな影響を持った事実は、そこに先住民の人口集団や社会への破滅的かつネガティブな影響が無かった事を意味しない。実際そうした影響が在ったのである。

近世・近代における植民地主義が不均一な影響を持った由は、他にも数多くの実証データから信憑性を得ている。例えばPutnam (1994) は、ノルマン人による南イタリアの征服こそ、同地域における 『社会資本』 の欠乏をもたらした物、すなわち信頼や協調能力の欠けた社会に帰着した相互連帯的生活 [associational life] 缺欠の元凶だったのではないかと問う。だがノルマン人はイングランドも植民地化しているが、こちらは後に産業革命を産み出す一社会の誕生に繋がったのだった。この様にノルマン人の植民活動も不均一な影響を持ったのである。

植民地主義が社会の発展に大きな意味を持ったのは、それが様々な社会における制度を形成したからである。しかしそうした影響を及ぼしたものは他にも沢山あったし、少なくとも近世・近代においては、植民地主義から首尾よく逃げ果せた地もかなり存在する。幾つか例を挙げれば、中国・イラン・日本・ネパール・タイなどがこれに当るが、こうした国々の間でも発展アウトカムにはかなりのバラツキが有る。ヨーロッパ内部の巨大な差異は言わずもがなだ。こうした訳で、その他のファクターと比較したときヨーロッパの植民地主義は、定量的に見て、どの程度重要だったのか、この点に疑問が生ずる。Acemoglu et al. (2001) では、同論文の推定値に従うと経済的制度の差異は世界の一人あたり所得の差異のおよそ3分の2を占めると算定している。他方Acemoglu et al. (2002) も独自に、歴史的に見た定住者死亡率、および1500年時点での先住民人口密度が、今日の世界における経済制度のバラツキの約30%を説明する旨を明らかにしている。歴史上1500年時点に見られた都市化も植民地社会の性質のバラツキを説明する力を持っているのだが、その分を加算するならバラツキの50%超が説明されてしまう。これが事実だとすると、今日の世界における格差の3分の1は、様々な社会にヨーロッパ植民地主義が及ぼした一様ならぬ影響を以て説明できる。かなりの大きさではないか。

植民地主義が植民地における歴代の制度を形成したというのは、事に依れば至極当然なのかもしれない。例えば1570年代のペルーでは、スペイン人総督フランシスコ・デ・トレドによりポトシ銀山の採掘に係る強制労働の大規模体制が確立された。しかしこの体制、ポトシミタ制度 [Potosí mita] も、ペルーとボリビアが独立する1820年代に入り、廃止される。この種の制度、さらに敷衍するなら世界中で植民地権力が創設した制度一般が、今日の発展にも影響を及ぼしているのだとの主張、これは即ち、植民地主義が右制度を直接存続させるか、さもなければ経路依存的な遺産を残すか、そのいずれかの形を取って、これら社会の政治経済に及ぼした影響の在り方についての主張に他ならない。諸般の先住民に課された強制労働は少なくとも1952年のボリビア革命までは直接存続していたが、『ポンゲアヘ [pongueaje]』 の名で知られる体制が廃止されたのはこの時である。Acemoglu and Robinson (2012, Chapters 11 and 12) およびDell (2010) ではより一般的に、以上の様な事態を発生させた可能性の有るメカニズムを数多く検討している。

最後になるが、本実証成果が新たな比較発展理論に向けた重要な示唆を持っている点にも言及して置く価値が有る。長期的な発展パターンは地理的差異により専ら説明されるとの趣旨が一部から主張されている。これに反し、我々は、ひとたび制度の役割を考慮に入れるや、地理的ファクターは発展アウトカムと何ら相関を見せなくなる事を明らかにした。例えば、不羈性 [latitude] と地理との間には一定の相関が在るといった事実は、因果的関係を示すものではない。右の事情はヨーロッパ植民地主義の生み出した或る種の型の制度群が不羈性と相関していたという事実によって惹起されたに過ぎない。この点を考慮に入れるや、地理的変数は何ら因果的働きを持たなくなる。他方、文化的差異こそ最強の発展推進力であるとの主張も存在する。しかし我々が幾つかの手法で計測した限りでは、文化的差異の働きは全く確認されなかった。第一に、様々な人口集団における宗教的構成。第二に、我々の強調してきた所でもあるが、植民地権力のアイデンティティ。第三に、一国の人口にヨーロッパ人の末裔が占める割合。合衆国やカナダがヨーロッパ人で溢れているのは確かだが、我々の主張ではこれはこれらの国が優れた制度を備えていた事実に由来するアウトカムである。ヨーロッパ人の末裔たる人々が今日有する数的支配性が発展を牽引している訳ではない。

参考文献

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2001), “The Colonial Origins of Comparative Development: An Empirical Investigation”, American Economic Review, 91, 1369-1401.

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2002), “Reversal of Fortune: Geography and Institutions in the Making of the Modern World Income Distribution”, Quarterly Journal of Economics, 118, 1231-1294.

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2005), “The Rise of Europe: Atlantic Trade, Institutional Change and Economic Growth”, American Economic Review, 95, 546-579.

Acemoglu, D and J Robinson (2012), Why Nations Fail, New York: New York.

Dell, M (2010), “The Persistent Effects of Peru’s Mining Mita”, Econometrica, 78, 1863-1903.

Putnam, R H (with R Leonardi and R Y Nanetti ) (1994) Making Democracy Work, Princeton: Princeton University Press.