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テレサ・フィンリー,ラファエル・フランク, ノエル・ジョンソン, ステリオス・マイカロプーロス 「革命の経済的帰結: 1789年フランス革命からのエビデンス」(2017年12月2日)

Theresa Finley, Raphael Franck, Noel Johnson, Stelios Michalopoulos, “Economic consequences of revolutions: Evidence from the 1789 French Revolution“, (VOX, 02 December 2017)


政治革命は短期的な経済変化につながる速足の体制転換をもたらすことが多いが、その長期的帰結はさほど明らかではない。ある人はいう、革命は資本主義的市場の成長への地盤を固めるのだ、と。またある人はいう、革命はその性質上政治的なものであって経済的帰結は限定的だ、と。本稿は、フランス革命からの広範なエビデンスを活用しつつ、革命の影響というものが国や時代によって大きく異なる旨を示してゆく。制度変化・格差・長期的経済発展。本分析は発展途上国にとっての懸案であるこれら三者の関係を詳らかにする。

革命そして暴力的政権交代は、「アラブの春」 といったごく最近の事例であれ、「1789年フランス革命」 といった遠い過去の出来事であれ、アカデミック界隈から多くの関心を寄せられてきた。これらの大きな政治的断絶は、影響をこうむった社会の政治と経済の軌道における変曲点だと認識されているのだ。

しかしながら、こうした分水嶺的な事件は、該当人口の大多数の生活条件にも諸般の長期的帰結をもたらすものだったのか、またそうした帰結あったならばいかなる形でもたらされたのか、これらの点については諸説紛糾しているのが現状だ。さて、本稿でフォーカスを合わせるのは 「1789年フランス革命」 である。色々な意味で、フランス革命はこれら問題を検証するさい覗き見るべき理想的なレンズだといえる。記録資料が比較的豊富に存在するだけでなく、発生から十分な時が経過しているので、革命政策の中・長期的な影響の双方を評価することが可能だからだ。

フランス革命の経済的帰結

フランス革命の経済的遺産に関する大半の研究は、ふたつの対立する陣営に分かれる。一方にあるのは、フランス革命の担ったフランス経済を近代へと誘う役割を強調する一連の研究である。この役割は、封建制度の撤廃・法制度の単純化・商業と工業にたいする伝統的支配と財政的障壁の縮減 に顕現している。こうした視点は、Thiers (1823-1827)、Guizot (1829-1832) またMarx (1843 [1970]) といった思想家を嚆矢としながら、20世紀と21世紀においてもJaurès (1901-1903)、Soboul (1962)、Hobsbawm (1990) などの広い意味で左寄りの学者をとおしてその脈絡を保ってきた。彼らはフランス革命を、工業や商業におけるブルジョアの利害の、土地所有貴族にたいする勝利と見る。ごく最近でも、土地再分配を扱ったRosenthal (1988) や、フランス革命のドイツにおける帰結を扱った Acemoglu et al. (2011) といった実証研究が、この見解に信憑性を与えている。

他方で、こちらはもっぱら古典自由主義的ないし保守的な知識人だが (例: Taine 1876, 1893、Cobban 1962、Furet 1978、またはSchama 1989)、イングランドやドイツといった先進工業国と比較して、フランスは1914年になるまでもっぱら農業的なままだった点を重視する人達がいる。彼らの主張では、フランス革命は貴族とブルジョワジーのあいだの経済的利害の違いによって動機付けられたものではなく、むしろ政治革命なのであって、これに社会経済的な反響が付随したのだという。フランス革命はじつのところ 「反資本主義的」 だった (Cobban 1962)、またそう考えればこそ19世紀をつうじてフランスに農業国的特徴がしぶとく残ったことも説明できる、とこのように彼らは訴える。

本稿執筆者の一部による近年の実証研究は、これら互いに背馳する見解の融和を図るもので、革命政策がフランスの各県 (departments: 合衆国の 郡 counties に相当する行政区分 – フランス革命期に創出) にたいし相異なる影響を及ぼした経緯にフォーカスを当てている。一方の研究はフランス革命初頭に起きた教会財産の没収・競売を利用したもので (Finley et al. 2017)、他方の研究は1792年の夏以降に加速した亡命者 (émigrés) の逃避行動にフォーカスを当てつつ、地方エリート構成の変化が経済パフォーマンスにもたらした帰結を評価している (Franck and Michalopoulos 2017)。われわれはいずれの研究においても、農業用土地保有の分布が19世紀と20世紀をとおしての経済発展の形成において担った、時間-変化的な役割を強調している。

フランス革命期における教会財産の再分配

1789年11月2日にフランスの憲法制定国民議会 (French Constituent Assembly) で決定された法律により、全ての教会財産が没収され競売をとおして再分配された。続く5年間で、70万件を超える教会領 (ecclesiastical properties) – フランス領土の約6.5%に相当 – が、歴史学者Georges Lecarpentier (1908) の言う 「フランス革命で最も重要な事件」 において売却されたのである。

Finley et al. (2017) では、場所により大幅に異なる教会財産没収状況を利用することで、制度改革の成功にたいする初期段階の財産権配分の重要性を調べた。つづいて本実証分析は、Bodinier and Teyssier (2000) が収集した革命による教会保有地没収の高度に細分化されたデータを、1841年から1929年にかけて継続的に執り行われた幾つかの農業サーベイ調査のデータと結合した。本データセットはフランスにおける (86県の中の) 62県の194区 (districts) をカバーする。図1が示す通り、これら区に占める教会領の割合は0%から40%と様々であった。

図 1 土地の没収

さて結果だが、競売に掛けられた教会保有地が多い地域圏 (regions) ほど19世紀における土地格差が大きいことが判明した。それだけでなく、この富の偏りが19世紀中期までには農業生産性および農業投資の水準の相対的な高さと結び付くに至っていたことも明らかになった。具体的には、再分配された教会保有地が10%多い区は、小麦生産における生産性が25%高く (図2を参照)、パイプ製造業者が約1.6倍になっており (干拓・灌漑のプロジェクトで使われた)、休閑地は約3.8%少なかった。なお本論文では、いくつかの実証戦略を施行することで識別力の向上をめざしている。そうした戦略には、12の地域圏-固有効果についての調整、ジャガイモ収穫量を用いたプラシーボ分析の実行、12世紀に確立された司教領 (bishoprics) にたいする各区の近接性に依拠した操作変数分析の実施 などが含まれる。

図 2 小麦収穫量

本研究はさらに、革命による土地の再分配が農業生産性に及ぼした有益な影響が19世紀の流れの中で徐々に落ち込んでいったことも明らかにしている。これは図3に図示した。この結果は、封建制につきものだった財産権の再配分にまつわる取引コストを、その他の区も徐々に克服していったことと整合的である。

図 3 革命による没収が農業生産性に及ぼした継時的な影響

フランス革命期の移住の影響

フランス革命期に見られた封建制終焉のもうひとつの側面が、亡命者の逃避行動である。10万人を超える個人が革命の暴力から逃れるためフランスを離れたのだが、これら個人は大方が 「旧体制 (Old Regime)」 の支持者だった。図4に図示したのはGreer (1951) が収集したデータだが、1789年から1799年にかけての各県における亡命者の空間的分布を示している。移住率の差異のうち外生的と考えてよさそうなものを確保する目的で、本稿執筆者のうちの2人 (Franck and Michalopoulos 2017) は、1792年夏のあいだの気温ショックに関する地方的差異を利用している。この年、第二革命として知られる革命的暴力の波が、ルイ16世の幽閉そして1792年9月21日における第一共和制の宣言において最高点を迎える。われわれが取った識別戦略のロジックは、経済状況の差異と暴力加担の機会費用をリンクさせた関連文献の、優れた発展に負っている。気温ショックが農業産出量を減少させた限りで、(18世紀フランス人の主食であった) 小麦の価格上昇は、フランス人口における相対的に貧しい階層のあいだでは騒擾を激化させ、それにより衰退する君主勢力を支持する富裕層のあいだでは移住を増幅させたはずである。図5が示すところ、大きな気温ショックを経験した県では人口中で移住した人の割合がじっさいに大きくなっていた。なお、ここでの気温ショックは、1972年夏の気温の、標準的な諸気温水準からの偏差を二乗した値で代用している。

図 4 フランスの県ごとに見た、人口に占める亡命者の割合および1972年夏の気温                             出典: Greer (1951)

図 5 第二革命期における各県の亡命者割合および気温ショック (1972年夏)

図6に図示したのが本研究の主たる成果だが、移住が後続する200年間の比較的発展に及ぼした、非-単調的な影響が露わになっている – 移住度の高い県は一人あたりGDPが19世紀のあいだ相対的にかなり低くなっていたが、このパターンは20世紀をとおして逆転する。より精確にいえば、ひとつの県の人口に占める亡命者の割合が0.5%増加すると、1860年には一人あたりGDPが12.7%減少していたのが、2010年には一人あたりGDPが8.8%増加するようになったのである。

図 6 亡命者の割合が 1860年・1930年・1995年・2000年・2010年 の一人あたりGDPに及ぼした影響 〔本稿には1860年と2000年の分しか掲載されていない〕

この逆転の原因は部分的には農業用土地保有の構成変化に帰しうる。本研究は19世紀中期以降に継続的に執り行われた農業に関するフランスの国勢調査を活用し、移住度の高い県では今日に至るまで大規模土地所有者が相対的に少なかったことを明らかにしている。大規模私有地の優勢のこうした退潮、そして小農民の伸長が、機械化の少なさを介して農業生産性にマイナスの影響を与えたのである。

本研究はさらに、19世紀をとおして移住度が高かった県では、人口に占める富裕な個人の割合が、亡命者の相対的に少なかった地域圏と比較してかなり小さかったことも明らかにしている。十全の財産の持った個人が、資本集約的な生産の時代における一定の臨界量に達していなかったこと。これも19世紀をとおして移住度が高かった県に見られた工業化水準の低さを説明するものかもしれない。とはいえ、1881-1882年にかけて国家としてのフランスが無償義務教育の制度化を成し遂げたあと人的資本の蓄積が起こったのは、これらの初期段階で立ち遅れていた県であり、これが20世紀後半における相対的に大きな所得に結実したのである。

フランス革命・格差・成長

全体的にいって、われわれが行った最近のふたつの実証研究 (Finley et al. 2017, Franck and Michalopoulos 2017) は、Galor and Zeira (1993) とGalor and Moav (2004) の理論研究との関連性を持つ。これら理論研究は、富の格差が発展の過程において非-単調的な役割を担うことを主張する。成長が物理的資本の蓄積に駆動されており、資本市場が不完全なばあい – それがまさに19世紀だったのだが -、より少ない個人の手の内により大きな富が集中することが成長には有益なのである。逆にいえば、資本市場の不完全性が存在するのなら、人的資本が成長の駆動力となったときにこそ、より小さな富の格差をとおし、教育を受けた労働者のより大きなプールが実現可能になる。

フランス各地の構造的変容と教会保有地再分配の水準、そして移住の激しさ。本研究はこれらをつなぐひとつのリンクを明らかにすることで、1789年革命の経済的遺産に新たな光を当てた。より一般的にいうなら、本分析は発展途上国にとって – 歴史的にもまた今日的にも – 問題であるところのもの、すなわち 制度変化・格差・長期的経済発展 の関係をめぐる懸案、これを詳らかにするものとなった。

参考文献

Acemoglu, D, D Cantoni, S Johnson, and J A Robinson (2011), “The consequences of radical reform: the French Revolution”, American Economic Review 101(7): 3286-3307.

Bodinier, B and E Teyssier (2000), “L’événement le plus important de la révolution, la vente des biens nationaux”, Société des études robespierristes et Comité des travaux historiques et scientifiques, Paris, France.

Cobban, A (1962), The social interpretation of the French Revolution, Cambridge University Press, Cambridge, UK.

Finley, T, R Franck, and N D Johnson (2017), “The effects of land redistribution: evidence from the French Revolution”, Working paper, George Mason University.

Furet, F (1978), Penser la révolution française, Gallimard, Paris, France.

Franck, R, and S Michalopoulos (2017), “Emigration during the French Revolution: consequences in the short and longue durée”, NBER Working Paper 23936.

Galor, O, and O Moav (2004), “From physical to human capital accumulation: inequality and the process of development”, Review of Economic Studies 71(4): 1001-1026.

Galor, O, and J Zeira (1993), “Income Distribution and Macroeconomics”, Review of Economic Studies 60(1): 35-52.

Greer, D (1951), The incidence of the emigration during the French Revolution, Gloucester, MA: P. Smith.

Guizot, F (1829-1832), Histoire générale de la civilisation en Europe depuis la chute de l’empire romain jusqu’à la révolution française, Paris: Pichon et Didier.

Hobsbawm, E J (1990), Echoes of the Marseillaise: two centuries look back on the French Revolution, London: Verso Books.

Jaurès, J (1901-1903), Histoire socialiste de la Révolution française.

Lecarpentier, G (1908), La vente des biens écclésiastiques pendant la révolution française, Paris: Alcan.

Marx, K (1843 [1970]), Critique of Hegel’s Philosophy of Right, Cambridge University Press, Ed. Joseph O Malley.

Mathiez, A (1922-1924), La Révolution française, Paris: Librairie Armand Colin.

Rosenthal, J-L (1988), The fruits of revolution. Property rights, litigation and French agriculture, 1700-1860, Cambridge, UK: Cambridge University Press.

Schama, S (1989), Citizens: a chronicle of the French Revolution, New York: Random House.

Soboul, A (1962), Histoire de la Révolution française, Editions Sociales, Paris.

Taine, H (1876-1893), Les origines de la France contemporaine, Paris: Bouquins [2011].

Thiers, A (1823-1827), Histoire de la révolution française, Paris: Lecointre et Durey.

原註

[1] 両研究の発見を織り合わせるなかで本稿執筆者の一部が明らかにしたところ、地方エリートが教会財産の没収からどれだけの利を得られたかは、フランス革命期にどれだけの移住が見られたかに決定的に依存していた (Franck and Michalopoulos 2017)。具体的にいうと同研究は、移住が土地集中度に及ぼしたマイナスの影響が、より多くの教会保有地が競売に掛けられたエリア、ほかならぬこのエリアにおいて増幅していたことを明らかにした。

マルセル・ファシャン, アナ・ヴァーシュ, ペドロ・ヴィセンテ「投票行為とピア効果」(2018年3月3日)

Marcel Fafchamps, Ana Vaz, Pedro Vicente, “Voting and peer effects“, (VOX, 03 March 2018)


投票率は、政治面でひとびとを代表した政府を選出するにあたり、大変重要である。しかし投票率は、数多くの社会規範や自らが選挙の要となる票 (pivotal vote) を投ずる可能性にも左右される。本稿では、モザンビークにおける2009年選挙での投票率増加をねらったあるキャンペーンの実証データを利用して、これらふたつの経路にピア効果が及ぼす影響の形態を検討してゆく。本研究結果は、情報把握度と政治関心に対する正のピア効果を明らかにしたが、他方では投票率に対する負の効果も浮き彫りとなった。後者はおそらく、全体的な投票率が増加するにつれ自分の票が問題となる見込みが薄くなることに投票権者が気付いてしまうため生ずる効果だと考えられる。

人はなぜ投票するのか? 投票権者が政治的選出過程に参加することの個人レベルの合理性はこれまでしばしば疑問視されてきた – 決定票を投ずる人物でないかぎり、投票行為は投票結果にまったく影響しないのだから (例: Feddersen 2004)。しかしながら、誰も投票していないのに選挙アウトカムだけは有権者の選好を反映している、などということもありそうにない。そこからの帰結として、投票行為が市民的義務の一種と見做されることもままある。とはいえ、一部の国 (例: ベルギー・ブラジル・ペルー) が投票行為を法的な義務としているのは確かだが、ほとんどの国はそうしていない。したがって選挙参加の水準は、投票行為に関してその時々に機能している社会規範、ならんで投票権者が自ら決定票を投ずる人物になる確率をどのていどと見込んでいるかに左右されると考えられる。そしてこれら双方に影響を及ぼす可能性があるのが、ピアからの感化作用なのだ。

1980年代中頃以降、政治選挙の数は世界中で増加してきたが、投票率のほうは急激な低落に見舞われている (World Bank 2017: 228)。こうした傾向がとりわけ著しいのがサブサハラアフリカだが、2010-15年のギャラップ世界世論調査によると、同地で選挙の公正性を信じている人は人口の45%に満たないという。モザンピークはこの悩ましい現象を如実に描き出してくれる。1994年に初めて選挙が開催されたが、そこでの投票率は88%だった。以後、モザンビーク解放戦線 (FRELIMO) とその後援を受けた大統領候補者が全ての国政選挙で勝利を収めており、その得票率のほうも時とともに増加している。そして投票率は、初めての選挙から10年後の2004年の時点で、36%にまで落ち込んでしまっていた。

モザンビークにおける投票率増加キャンペーン

こうした傾向を逆転させる試みとして、2009年の選挙期間中、投票権者教育キャンペーンの効果の研究をめざす無作為化対照試験が実施された。キャンペーンをつうじて選挙過程への信頼を再び確立し、これにより投票率を増加させることができれば、というのがねらいだった。数字を額面通りに受け取るならば、キャンペーンは功を奏した。平均的すると、キャンペーンをつうじて処置地域の投票率は5%増加したのである (Aker et al. 2017)。キャンペーンはみっつの異なる形態で実施された。ひとつ目は、該当選挙に関わる中立的な情報にフォーカスした無料新聞の配布である。ふたつ目は、テクストメッセージによるホットラインで、選挙関連問題があれば市民はここに通報することができた。みっつ目は、該当選挙に関わる情報を供給するリーフレットとテクストメッセージをつうじた、市民教育だった。

以上のフォローアップを行った論文 (Fafchamps et al. 2018) で我々は、この介入の成功が部分的には正のピア効果に由来するものなのかを検討した – というのも、もし市民が市民的義務を果たすために投票しているのなら、同教育キャンペーンはこの義務をより顕出的にすることで投票参加への社会的圧力を創出している可能性があるからだ。我々は各村落内部においてキャンペーンが惹起したピア効果、これにフォーカスを絞り、キャンペーンの効果が、同村落においてキャンペーンの対象となった個人と社会的ないし地理的に近しい人物について相対的に強くなっているかを調べた。結果変数としては、投票行動・情報把握度・政治関心 に関する個人レベルのサーベイ調査測定値、および政治参加に関する行動測定値を活用した。ピア効果の推定にあたり、我々は社会と地理の近接性に関するみっつの測定値を用いた。第一は 親族関係 (kinship) であり、これは該当村落でサンプルとなった人のうち回答者と親族関係にある者の比率に対応する。第二は 世間話 (chatting) であり、これは該当村落でサンプルとなった人のうち回答者が頻繁に会話する者の比率に対応する。第三に 地理的近接性 (geographical proximity) であり、これは回答者の住居と該当村落でサンプルとなった他の人の住居との平均距離 (を負にした値) で代用した。

ピア効果の影響

予想されていた通り、教育キャンペーンは平均的に見て投票率を増加させていた (Aker et al. 2016)。ところがこの効果は〔近接性の値が大きいという意味で〕中心的な個人ほど小さくなっていたのである。我々は、投票参加に対する負のピア効果を明らかにした。これと対照的に、情報把握度と政治関心に対するピア効果は正であり、キャンペーンの平均的効果と軌を一にしている。

我々の解釈では、これら発見は政治参加にコストがかかるモデルと整合的である。この枠組みにおける投票行為は、選挙過程に影響を与える確率だけでなく、市民意識といった非-手段的な動機からも誘発されうる。選挙の信用性に関する情報提供をつうじて、キャンペーンは投票権者に選挙過程の公正性を信じてもらおうとした。そうすることで、キャンペーンは市民意識の昂揚も引き起こしたかもしれない。両効果はともに投票行為を促進する性格のもので、キャンペーンの平均的な効果とも軌を一にしている。ところがピア効果は投票行為に対するこの正の影響を緩和してしまう可能性がある。それは中心的な投票権者が、キャンペーンのおかげで投票率が増加するので、政治的に容認可能な選挙結果を得るために自分の票が必要となるていどは少なくなると気づいてしまったばあいである。そうした状況では、これら投票権者は他の人の政治参加にフリーライディングする意思決定を行うかもしれない。

モザンビークでは、2009年選挙で誰が勝利するかについて疑問の余地はなかった。したがって投票権者は自らが選挙結果を決する要となるなどとは予想のしようがなかったはずだ。それでもなお、投票権者が、該当村落の投票率やどれほどの票差を付けての勝利かといった、その他の選挙アウトカムを気に掛けていた可能性はあるだろう。投票率の低さや票差の小ささが政府への不服を示すものと解釈される余地はある – むしろありそうだとさえいえる。こうした解釈は回り回って何らかの形の懲罰 (例: 地方公共財供給の削減) につながるかもしれない。このような政治環境にあっては、選挙の要であるというのは、もはや選挙の勝者を決す票を投ずることと同義ではない; ここで要であるというのは、それを下回ればコミュニティが報復に直面する閾値を上回るように、投票率ないし票差を動かすことを意味するのである。本データが示唆するところ、票差に基づくこの要の論理はモザンビークにおける政治参加決定因子のひとつであった。本実証データは、選挙参加に対する負のピア効果を要の論理をとおしたフリーライディングと見る我々の解釈を裏付けている。

以上の研究結果から投票権者教育キャンペーンの設計に関する幾つかの含意が得られる。社会的ネットワークが、選挙への関心といったソフト面でのアウトカムに対する処置効果を増幅する傾向を持つのは確かだが、それは投票意図に関する情報を周知させることで投票率を減衰させ、それによりフリーライディングを惹起しかねないのである。

参考文献

Aker, J C, P Collier, and P C Vicente (2017), “Is information power? Using mobile phones and free newspapers during an election in Mozambique”, Review of Economics and Statistics 99(2): 185-200.

Fafchamps, M, A Vaz, and P Vicente (2018), “Voting and peer effects: Experimental evidence from Mozambique”, Economic Development and Cultural Change, (forthcoming).

Feddersen, T (2004), “Rational Choice Theory and the Paradox of Not Voting”, Journal of Economic Perspectives 18(1)” 99-112.

World Bank (2017), World Development Report 2017: Governance and the Law, IBRD/The World Bank, Washington DC.

 

 

クラウディオ・ミケラッチ et al.「アメリカ人はヨーロッパ人より働くが、ヨーロッパ人が怠けているとは思わないでほしい」(2007年9月)

[Claudio Michelacci, Josep Pijoan-Mas, “Americans do work more than Europeans, but please don’t think that Europeans are lazy,” 17 September, 2007]

 

こんにちではアメリカ人は多くのヨーロッパ人より働くけれども、このことは1970年代には当てはまらなかった。ヨーロッパ人はアメリカ人より怠け者になってしまったのだろうか?もちろんそうではない。つまり、大西洋の両岸を越えた労働時間の違いは、単に仕事人生をめぐる労働者のインセンティブの違いを反映しているだけなのだ。

 

アメリカと大陸ヨーロッパにおける総労働時間は、過去35年間で非常に異なる変化をした。1970年代には、アメリカよりもフランスやイタリアやドイツのようなヨーロッパ諸国のほうが一人当たり平均労働時間はわずかに長かった。こんにちのアメリカ人はヨーロッパ人より30%多く働く。これらの違いは重要であり、またこれらが現在のアメリカとヨーロッパの1人あたりGDPの違いのほとんど全てを説明する。つまり、1人あたりGDPはこんにちではフランスやドイツよりアメリカのほうが30%高い一方で、労働時間あたりのGDPによって測定される生産性は大まかに見れば等しいのである。このことは、アメリカ人がこんにちヨーロッパ人より豊かなのは、アメリカ人の方がより生産的だからではなく、単にアメリカ人の方が長く働くからだということを意味する。

労働時間の顕在化しつつある差は、部分的には労働力化率(アメリカにおいてより多く増えてきている)の変化や失業率(ちょうどヨーロッパで増えてきている)による。しかし、他の相当な部分は、違いの3分の1から2分の1を説明するダイナミクスである、労働者一人当たりの労働時間と関係がある。

ひとたび雇われれば、何時間働くかの決定は多くの労働者にとって自発的なものである。もちろん、たとえば、国や仕事のなかには、現行の規制が最大限どの労働時間を制限しているもののように例外もあるが、規則は必ずしも拘束力を持っているわけでもなければ施行されているわけでもない。実際のおよび望ましい労働時間の差はヨーロッパ人にとっては実際に小さいものであり、また、それでもなお過去数十年で小さくした。だから、アメリカとヨーロッパにおける一人当たり労働時間の分岐しつつある変化について心配しすぎる必要はないといえる。こんにちのヨーロッパ人は、単に、より余暇を享受し始めたので労働時間の活動により短い時間を捧げているだけなのである。

しかし、アメリカ人とヨーロッパ人が本質的に違うものになってきたというわけだ、というのは本当だろうか?おそらくそうであろう。しかし、総労働市場の条件がアメリカとヨーロッパとで非常に違うふうに変化したというのもまた事実である。過去30年の間、賃金格差はアメリカでは相当拡大したのに対しヨーロッパではわずかにしか拡大しなかった一方で、失業率はヨーロッパでは上昇したがアメリカでは上昇しなかった。こんにち、ヨーロッパに比べてアメリカでは失業のリスクがより小さく、就職はより容易であり、キャリアのはしごを登ったり高い給料の職に雇われたりするより大きな可能性がある。このことはアメリカ人とヨーロッパ人の仕事人生の間の極めて異なるインセンティブを示唆している。

われわれの最近の研究(※追記:リンク切れ)は、インセンティブにおけるこれらの違いが、大西洋の両岸をまたいでの労働時間において観測された違いを説明できることを示している。現在の仕事における昇進やより良い職を得ることはハードワークを要し、また労働者も努力の価値がある場合にのみそうするのを厭わない。これが左遷の場合だと、労働時間は短くなる。このことは過去30年間のヨーロッパにも当てはまる。アメリカン・ドリームによってアメリカ人が一生懸命働くように、ヨーロッパの不振な経済パフォーマンスによってヨーロッパの労働者は長時間働く気を削がれているのである。だから、ヨーロッパ人を余暇活動に時間を捧げすぎであると責めるよりはむしろ、ヨーロッパの市場をより自由化するほうが価値はある。ヨーロッパの労働者に仕事人生に関するより強力なインセンティブを与えれば、アメリカとヨーロッパの間のアウトプットの差を縮める最も効果的な方法となろう。

ラヴィ・カンブール「グンナー・ミュルダールと『アジアのドラマ』の文脈」

Ravi Kanbur “Gunnar Myrdal and “Asian Drama” in context“, VoxEU, 09 March 2018

 

グンナー・ミュルダールの『アジアのドラマ』は50年前に出版された。一見すると、経済的に停滞したアジアの現実という観点から見れば、本書には近代の開発経済学者に提供しうるものはほとんどないように思われる。しかし、このコラムでは、ミュルダールが提起した問題は開発にとってだけでなく経済に関するわれわれの学問と政治経済学という広範な領域にとっても基礎をなすものであるということを主張したい。

 

グンナー・ミュルダールの『アジアのドラマーー諸国民の貧困の一研究』は50年前に出版された(Myrdal 1968)この本の序文は“HABENT SUA FATA LIBELLI(本にはそれら自身の運命がある)”というラテン語のフレーズで始まっており、これには例外がない。この本は非常に時間を経ており、そして経済的に停滞したアジアの現実という観点で見ているが、これはいまや明らかに時代遅れである。それゆえに一見すると、本書には近代の開発学者に提供しうるものが少ないように思われる。それでも、本書とミュルダールは、共鳴し続けており、われわれが無視している問題を、開発経済学および経済学全般の貧困に導入し、強調したと主張することができる。

グンナー・ミュルダールは1974年にノーベル経済学賞を受賞した[1]。しかし彼はそれ以前にいくつかの生涯の業績を達成している。彼はスウェーデンの伝統の影響を受けた優れた経済学者であり[2]、因習打破主義者となり経済学の方法論的な基礎に疑問を呈し、のちにケインズの一般理論においてみられるマクロ経済学に関する洞察力(スウェーデン語で出版されている)を持つストックホルム学派の創設者であり、スウェーデンの福祉国家の知的および政治的な創設者の一人であり、アメリカにおける人種差別待遇廃止の基礎としての役割を果たした、記念碑的な『アメリカのジレンマ――黒人問題と現代の民主主義』(Myrdal 1944)の著者であった。第二次世界大戦後は、彼は国連欧州経済委員会の長として鉄のカーテンを超えて経済と政治の関係に取り組み、そしてもちろん1968年の3巻におよぶ『アジアのドラマ』の著者であった。しかし『アジアのドラマ』は決して彼の最後の仕事ではない。彼はその最高傑作の出版ののち20年生き、晩年に健康状態が悪化するまで、十分に経済発展についての議論に関わった。実際、彼のノーベル賞受賞スピーチ(Myrdal 1975)はほとんどが経済発展の話題についてであった。

 

ミュルダールの最高傑作

グンナー・ミュルダールは出版の10年以上前の1957年にアジアのドラマに関する仕事を始めた。その時の世界の見方は、彼が1957年に書いたものによく表れている。

  • “…非常に豊かな少数の国のグループと、はるかにより多くの非常に貧しい国のグループがある。前者のグループに含まれる国は全体的に、継続的な経済発展のパターンがしっかりと定着している。それに対して、後者のグループでは、平均所得水準が懸念される限り、多くの国々が停滞やさらには地位の低下から脱出できないという絶え間ない危険にさらされているおり、発展が遅い。そしてそれゆえに、全体として、ここ数十年、先進国と発展途上国の間の経済格差は増大してきている。”

中国やインドやベトナムやその他の多くの国の爆発的な成長に伴って、最近四半世紀のアジアの発展の現実に関して最も食い違っているのは、半世紀以上前のこのフレーミングである。アジアのドラマは主には南アジアに焦点を当てているものの、この本では中国やその他のアジアの国もしばしば同様に描かれている[3]。当時のほとんどの他の人と一緒で、ミュルダールもインドや中国の経済が半世紀と少しの間にアメリカ経済の規模のライバルになるだろうとは予測しなかったのである。

 

21世紀における開発の言説との関係

しかしながら、21世紀の開発に関する言説には、『アジアのドラマ』とアジアのドラマ前後のミュルダールの強い痕跡が見られる。なぜなら、ミュルダールが彼の生涯およびアジアのドラマを通して提起した問題は、発展にとってだけでなく経済に関するわれわれの学問と政治経済学という広範な領域にとっても基礎をなすものであるからである。ここに、そうした3つのテーマを挙げる。

これらの第一のものは分析における価値の役割である。ミュルダールは、経済学は価値判断を前提としている[4]と主張し、1930年代に最初に主張してからは決して意見を変える[5]ことはなかった。彼はこのことについては19世紀から活発な議論がなされているが、自然科学に匹敵する地位を達成しようと、彼の時代の経済学は経済学自体を、価値観を含まないものとして描写することを試みていたと主張した。しかし経済学の本質を考慮すると、このことは明らかに当てはまらず、また不可能でもある。価値観を含まないふりをするよりはむしろ、彼は価値観を明確にするべきだと提案し、彼の提案を『アジアのドラマ』の中で非常に徹底的に実行した。

『アジアのドラマ』に関する研究から現れる第二のテーマは、グンナー・ミュルダールの生涯の業績の相対的なコンテクストは、社会を理解するためはおろか、経済それ自体を理解するためにも狭い経済学の原則を超えることが必要だということであった。業績をとおして、ミュルダールは経済学の中心的な信条を健全に尊重し続けた。実際、『アジアのドラマ』に関するレビューの中にはこの点に非常に注意しているものもある。しかし、彼の主要な主張は、経済的な事実を説明しようと試みるときや経済政策の処方箋を作るときに、社会的、文化的、政治的なコンテクストを十分に理解することの必要性であった。このことは支配層のエリートの役割や、彼が「軟性国家」[6]とよぶところの政策形成と政策実施の間の違いに関する議論の中でやり通されている。

しかし支配エリートや腐敗、軟性国家は『アジアのドラマ』とミュルダールの生涯の業績において私が第三のテーマだと考えるものを前面に持ち出す。これは、国家と市場との間のバランスを発見するための絶え間ない努力である。その努力は、公の知恵によって導かれるべき国家と、可能な限り干渉を最小限に抑えて、個々の裁量に任せなければならないものとしてエドマンド・バーク(1795)によって立派に表現されている。

私は、これが実質的に政治経済学の永遠の問いであるとカンブール(2016)において主張した。ケインズ(1926)は、同様に有名な自由放任主義批判の中でこれに言及した。明白な市場破綻に直面した介入主義的スタンスと、政府の失敗の実現に対する撤退との間のシーソー、そしてそのバランスが崩れたところは、開発援助および開発不足の罠から脱出する方法としての計画の不足と、エリートと軟性国家に人質を与える罠としての計画それ自体の間で常に揺れ動いていることに関する、グンナー・ミュルダールの彼自身および彼の考え方のサイクルに伴う具体的な努力とにおいて見られる。

 

過去半世紀で、開発に関する視点は劇的に変化してきた。しかし、ここで議論された三つのテーマを含む基本的な緊張は未だにわれわれとともにある。いまとなっては過去50年間でコンテクストが変化したにもかかわらず、それらは過去10年間の全てではないにしてもほとんどの「全体像」や「概観」の本において、何らかの形で見つかるだろう。これらの緊張とのミュルダールの努力は、21世紀の開発の言説に対する彼の究極的な遺産である。

 

参照

Barber, W J (2008), Gunnar Myrdal, Palgrave Macmillan.

Burke, E (1795), “Thoughts and Details on Scarcity. Originally Presented to The Right Hon. William Pitt, in the Month of November”, published in F Canavan (ed.), Select Works of Edmund Burke, Liberty Fund (1990).

Kanbur, R (2016), “The End of Laissez Faire, The End of History and The Structure of Scientific Revolutions”, Challenge 59(1): 35-46.

Kanbur, R (2017), “Gunnar Myrdal and Asian Drama in Context”, CEPR Discussion Paper No. 12590.

Keynes, J M (1926), “The End of Laissez-Faire”, in The Collected Writings of John Maynard Keynes, Volume IX, Essays in Persuasion, Royal Economic Society, Palgrave MacMillan (1972).

Myrdal, G (1944), An American Dilemma: The Negro Problem and Modern Democracy:  Volumes I and II, Harper and Row

Myrdal, G (1954), The Political Element in the Development of Economic Theory, Harvard University Press.

Myrdal, G (1957), Economic Theory and Underdeveloped Regions, Harper and Row.

Myrdal, G (1968), Asian Drama: An Inquiry into the Poverty of Nations (Volumes, I, II and III), A Twentieth Century Fund Study, Pantheon.

Myrdal, G (1975), “The Equality Issue in World Development”, 1974 Nobel Lecture.

Rosen, G (1968), “Review of ‘Asian Drama’”, American Economic Review 58(5): 1397-1401.

 

脚注

[1] 彼は「貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析を称えて」フリードリヒ・ハイエクとノーベル経済学賞を分け合った。多くの人は、自由市場の象徴であるハイエクが社会民主的な干渉主義の擁護者であるミュルダールとペアになるのは奇妙で皮肉だと考えた。

[2] 話の通り、彼は法律を専攻として卒業したが法律に幻滅した。彼の妻であるアルバ・ミュルダール(彼女自身が象徴的な人物でありのちのノーベル平和賞受賞者である)は、彼にグスタフ・カッセルの Theoretische Sozialokonomie(邦題; 『社会経済の理論』)を買ったところ、彼は経済学に没入し、発刊された1899年以降のEkonomisk tidskriftというスウェーデンの経済ジャーナルのすべての号を読みとおした。 (Barber 2008 および Kanbur 2017 を参照せよ)。

[3] 彼は例えば、現代史における最も壮大な貧困削減のためこんにちでは確実に信じられない、『貧困に苦しむ中国』(Myrdal 1968:11)の記述を参照している。

[4] Myrdal (1954).

[5] waverの原義は「揺れる」や「迷う」であるが、「(気持ちが)揺れなかった」という意味から「意見を変えることはなかった」と訳した。

[6] 「軟性国家(原文: Soft state)」とは、ミュルダールが独自に用いた用語であり、法律制度に欠陥があるなどの理由により、法が遵守されず、行政に不正や汚職が蔓延している国家のことを指す。

Samans「成長と発展の新しい測定方法」

Samans “A new way to measure growth and development“(VoxEU, March 6, 2018)

 

多くの国における近年の政治的な発展は、多くの国の市民のほとんどが、社会の誰もがGDPの成長から恩恵を受けているという標準的な成長モデルの前提に対する自信を欠いていることを示唆している。このコラムは、成長と発展、包摂、世代間の平等、そして持続可能性の一連の指標[1]に基づいて、多次元的な包括的な発展の指標(Inclusive Development Index)を提唱する。一人当たりGDPの成長は、雇用や、収入と資産の不公平や、炭素強度[2]に付随する指標を含む、多くの新しい指標の項目のパフォーマンスと弱い相関がある。

世界的な経済成長は、予想されていた以上の復活をもたらしている。世界的な経済成長は、2016年の3.2%から2018年には4%にまで加速しようとしている。(IMF 2018) これは多くの面で良いニュースであるが、われわれは、多くの国における、高まりつつある不平等や政治的なエスタブリッシュメントを揺るがした経済的な不安に関する社会的な不満を減らすために、より強力な成長を期待することができるだろうか。

これは最近数十年の標準的な成長モデルの背後にある暗黙の前提である。その前提は、GDPの上げ潮——私的な資本の投資へのインセンティブの増大や輸出志向の生産など、特には供給サイドの改革によって上昇させられる——は、究極的には全ての船を持ち上げる[3]だろう、というものである。

しかし多くの国における近年の政治的な発展は、それらの国の市民のほとんどがこの前提に対する自信を欠いていることを示唆している。そして金融危機以降、G20のコミュニケと国連の決議において経済成長をより社会的に包摂的にするための新しくてより計画的な努力を繰り返し要求しながら、政治指導者は同様の懐疑論を主張してきている。

経済政策における幅広い社会経済的進歩がより強く優先されるべきであるというこのコンセンサスにもかかわらず、GDP成長率は国家経済パフォーマンスが政府によって統計的に追跡され、メディアで報告される主要な方法であり続けている。2009年に報告書を発行した”Stiglitz-Sen-Fitoussi Commission”と一般に呼ばれる経済パフォーマンスと社会進歩の測定に関する委員会を含むいくつかの研究の試みは、長きにわたってこの難問を調査してきた。(Stiglitz et al. 2009)

測定されたものは管理される傾向にあり、そしてそれゆえにGDP統計の優先順位はマクロ経済政策や金融安定化政策に適用される注意とリソースの不均衡をより強化する傾向にある。これにより,技能開発,労働市場,投資家と企業のガバナンス,社会的保護,インフラ,基礎的サービスといった,経済活動のパターン形成,特に成長のプロセスと果実への社会的参加の幅広さにとって重要な役割を果たす構造的な政策分野における制度と政治的インセンティブの強さと平等性よりも,全体としての経済活動に重きが置かれてしまう。

明らかにこのことが理由の一つとなり,包摂的な成長に関するコンセンサスは,集団としての希求から,多くの経済政策決定者の考え方を形作る標準的なモデルや彼らが設定する優先順位を変える協調した行動へと進歩するにはいまだ至っていない。

2018年の1月に、ダボスでの世界経済フォーラム年次総会で、”Shaping the Future of Economic Progress”とよばれる構想[4]が国家経済パフォーマンスの包括的な指標、「包摂的開発指数」すなわちIDIを発表した。(World Economic Forum 2018) IDIは、ほとんどの市民は自国の経済発展をその経済において生産された財とサービスの量(GDP)によってではなく、家庭の生活水準によって評価するという気づきに基づいている。これは、収入や雇用機会、経済的な安全保障、生活の質を包含する多次元的な現象である。

われわれはGDPの成長を、生活水準の広範な進歩である最終的な社会的成功尺度への手段(決定的に重要ではあるが)であるという意味において、国家経済パフォーマンスのトップレベルの尺度として理解することができる。それゆえに、政策立案者と市民は同様に、代わりのあるいは少なくとも補完的な、共有された社会経済的な進歩における進歩のレベルと割合を測定するボトムレベルの尺度から恩恵を受けるだろう。

IDIは103の国に対してボトムレベルの報告カードを提供している。それは3領域(経済成長と経済発展、包摂性、世代間の平等と持続可能性)における12の指標というより広範な一連の尺度に基づいている。

IDIの競争的なデータは、包括的な社会経済的な成長と生活水準の中央値の向上を生み出すためには強力なGDP成長率のみに頼ってはならないという決定的な証拠を提供している。一人当たりGDPの成長は、雇用、所得の不平等、資産の不平等、家計収入の中央値、公的債務および炭素強度に関連するものを含むIDI指標の4分の3のパフォーマンスと、弱く相関している。

このことは過去5年間のIDIの傾向について考えるとより明確になる。3か国を除くすべての国がこの期間にGDPを成長させたが、29か国のうち10か国しかIDIの「包摂性」の柱において明確な成長を示さなかった。包摂性は大半の国(29か国中16か国)で悪化し、残り3か国ではこの指標は変化しなかった。このパターンはGDPの成長とIDIの「世代間の平等と持続可能性」の柱でも繰り返されており、成長性の最も強い国のグループであってもその傾向がある。

発展途上国のデータはGDPの成長と包摂性の間の同様の無関係性を示している。過去5年間のGDP成長率のパフォーマンスの上位二つの分位の30か国のうち、6か国しか同様に包摂性の指標の大半で好成績を残さなかった一方で、13か国は平凡であり11か国の成績は悪かった。

GDPの成長は、市民が究極的にはそれに基づいて自国の経済的な成功を判断する生活水準における広範囲に根ざした進歩の達成の、必要条件であるが十分条件ではない。このメッセージは、グローバルな経済成長が最終的により堅調に回復しているときに留意することが重要である。政治的およびビジネスのリーダーは、高成長が、近年多くの国の政治をかき乱してきた社会不満に対する万能薬となることを期待してはならない。

人々と生活水準を国家的な経済政策と国際的な経済統合の中心に置く新しい経済発展のモデルが必要とされている。(Samans et al. 2017) 多くの国には、同時に経済成長と社会的な包摂性を増大させることができる莫大な利用されていない潜在能力がある。しかし包摂的な成長の好循環をより完全に活性化するには、以下のことが必要である。

  • 経済における制度や構造政策の生態系を強化する努力として、構造的な経済改革を再考すること。それらは生活水準における広範囲に根ざした進歩と高成長を導くうえで重要な役割を果たす。また、
  • 社会の経済発展の最終的な尺度である政策立案者の業績を改善し、政策立案者の業績にインセンティブを与える国家経済の成功の広範な指標を採用すること

多くの国の暗黙の所得分配制度は、著しく低迷しているか、あるいは比較的未成熟であるが、これは資本主義の鉄の法則のためというよりはむしろ、政策の重要な部分には注意が払われていないためである。不平等は政策決定者にとって主に内在的というよりむしろ外生的な課題である。技術進歩と、すべての人の生活水準の上昇を支える国際的経済統合の両方の能力に対する国民の信頼を維持するためには、それを認識し、優先順位を付け、測定する必要がある。

 

参照

IMF (2018), World Economic Outlook Update January 2018: Brighter Prospects, Optimistic Markets, Challenges Ahead.

Samans, R, J Blanke, G Corrigan and M Drzeniek Hanouz (2017), “Rising to the Challenge of Inclusive Growth and Development”, in Inclusive Growth and Development Report, World Economic Forum.

Stiglitz, J, A Sen, J-P Fitoussi (2009), Report of the Commission on the Measurement of Economic performance and Social Progress, Commission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress.

World Economic Forum (2018), Inclusive Development Index, World Economic Forum.

 

[1] dashboardとは本来「(自動車などの)計器盤」のことであるが、比喩的にこの単語が用いられていることを考慮し、ここではdashboard of indicatorsで「一連の指標」と訳した。

[2] 炭素強度(炭素集約度などとよばれることもある)とは、国内で排出された二酸化炭素量を一次エネルギー総供給量で割った値のことである。なお、一次エネルギー総供給量をGDPで割った値をエネルギー強度とよび、二酸化炭素排出量は次のように計算できる。

二酸化炭素総排出量
=人口×一人当たり国内総生産×エネルギー強度×二酸化炭素強度
=人口×(国内総生産/人口)×(一次エネルギー総供給/国内総生産)×(二酸化炭素総排出量/一次エネルギー総供給)

[3] A rising tide lifts all boats. (諺)「上げ潮は船を皆持ち上げる」を踏まえた表現。なお、元となった表現は、シェイクスピアの作品『ジュリアス・シーザー』の中に出てくるブルータスの言葉”There is a tide in the affairs of men.”であり、「人のすることには潮時がある」という意味である。

[4] initiativeは訳しにくい単語であるが、「主導権」の意味で合わなければ、「plan(計画、構想)」や「motivation(やる気)」に近い意味もある。

アンドレス・ロドリゲス・ポーセ「問題外の土地の逆襲」(2018年2月6日)

Andrés Rodríguez-Pose, “The revenge of the places that don’t matter“, (VOX, 06 February 2018)


恒常的な貧困、経済的な衰退、機会の欠乏。これらは凋落する地域に不満を引き起こすものである。ところが政策立案者は、成功した集積経済 (agglomeration economies) こそが経済ダイナミズムを突き動かしているのであり、都市再生政策はすでに失敗したと考えている。本稿では、こうした不満のために、これら 「問題外の土地 (places that don’t matter)」 の多くが政治的ポピュリズムの波及という形で反旗を翻している旨を論ずる。こうした動向は、社会的というよりむしろ強い領域的 (territorial) な基盤を持っている。いま求められるのは、潜在性を汲み上げることで、これら 「問題外の」 土地に住む人達に機会を提供するための、より優れた領域的開発政策である。

2008年10月16日、当時シンクタンクCentreForumで働いていた経済学者のティム・レウニグが、リバプールの大聖堂に姿を現した。そして、不安と困惑に包まれたリバプール人の聴衆に告げた。経済的にいえば、かれらが生まれ育った街の時代は、すでに終わっているのだと。イングランド北部の市や郡は 「国内平均や英国で最も成功している町に立ち遅れ」 ており 「都市再生政策は町の再生に [すでに] 失敗している」(Leunig 2008)。

イングランド北部では歴代の政権が開発の促進をめざし大規模な公的支出を行ってきた。しかし、結果は惨憺たるものだった。繁栄を謳歌するイングランド南部と凋落にあえぐ北部の経済的ギャップは、むしろ広まっていたのである (Martin et al. 2016)。開発政策は機能しておらず、したがって停滞や凋落が見られる英国内のこうしたエリアについて、開発戦略の再考が必要となった (Leunig 2008)。

そこで提案された解決策は至ってシンプルなものだった。まず、同国地域であって繁栄を謳歌し活発な展開を見せているところ (ロンドンと南東部) に注力する。つぎに、「リバプール、サンダーランド、等々といったところに住む人達」(Leunig 2008) が、供給された機会から利益を得るため、もっと豊かな土地に移動する。

レウニグは自ら聴衆の面前に姿を現した。この聴衆は、礼節は守るとはいえ基本的に敵意に満ちたものだったろうから、かれの示した勇気は相当なものだといえよう。しかしながら、そんなレウニグも気づいていなかったことがある。それはかれに先立つあるいは後を追う多くの学者も同じなのだが。つまり人々にたいし、かれらがどんな場所で生活し、どんな場所に帰属感を抱いているかなど問題外なのだと告げれば、きっと反発を生むだろうということだ。

ところが世界規模の反発は予想されていなかった方面からやってきたのである。近年 「問題外の」 土地の一部では、置き去りにされた、機会も無ければ将来の見通しも立たないといった感情に抗って、投票権を使った反乱に踏み切るところが増えている。個人間の格差にフォーカスした研究者 (Piketty 2014など) は、こうした反発 – その前例はタイや一部のラテンアメリカ諸国にすでに見られていた (Roberts 1995) – は、富裕層と貧困層の対立となると予測していたかもしれない。しかし実際に起きたのは、立ち遅れや凋落の見られる地域が、繁栄を謳歌している地域と異なる投票を行うという事態だったのだ。

以上のような問題外の土地の逆襲 (Rodríguez-Pose 2018) をわれわれは、英国の2016年ブレクジット投票、合衆国の2016年ドナルド・トランプ選出、2016年オーストリア大統領選挙、2017年フランス大統領選挙、2017年ドイツ総選挙に見いだすことができる。この逆襲は、最も活発な街や地域の繁栄を助けてきた、経済と社会の安定を転覆させかねない気勢を示している。

図 1 選挙における問題外の土地の反発

出典: Rodríguez-Pose (2018).

果たしてこれは驚きか?

世界規模のポピュリズム勃興の相はつとに出ていたのだという主張は今後も絶えないだろうが、政治家や主流派大学人はまだ驚きから立ち直っていない。かれらにとってポピュリズムのこのような膨張はまったく不意打ちだった。ポピュリズムの権力への上昇にも、それが突き付ける挑戦にも、後手後手となった。幾つか例外はあれ、われわれは誤ったタイプの負の外部性に注目し、ある重要な形の格差を見落としてきた。移動に関する個人の能力と意欲を過剰に見積りつつ、数多くの立ち遅れエリアの経済的潜在性を見落とし、あるいは無視してきたのである。

  • 誤ったタイプの負の外部性。経済地理学や都市経済学の研究が明らかにするところ、集積 (agglomeration) は、それがもたらすあらゆる利点の代償として、さまざまな負の外部性を惹起する可能性がある。従来われわれは、高い地代・混雑・汚染をそこでの主な負の外部性と見做してきた。これらが発展を窒息させる原因となりうるのは確かだが、これまでのところ本当のコストは多くの非集積エリアにおける予想外の社会経済的困窮だった (それが実際のものであれ、あくまでそうした認識に留まるのであれ)。
  • 領域的格差をほとんど関連性のないものと見做していること。ポピュリズム流行以前の格差懸念は、もっぱら個人間の格差をめぐるものだった (Sassen 2001, Piketty 2014)。1970年代以降、富は、ピラミッドの上部に位置し、いよいよ極一部となってゆく個人のもとに集中しつづけており、社会における経済的二極化の激化を生じさせている。だが、ブレクジット投票や、ドナルド・トランプおよびエマニュエル・マクロンの選出について、個人間格差が決定的な役割を果たした旨を示すエビデンスはほとんど存在しない。ポピュリズムが最も支持されていたのは最貧困層のあいだではなく、長い期間にわたり凋落に苦しんでいた貧困地域や貧困エリアの組み合わせだった。反発しているのは問題外の土地であって、「問題外の人達 (people that don’t matter)」 ではなかったのである。個人間格差も依然として問題だが、体制への挑戦は放置されてきた領域的格差から来ている。
  • 個人の移動能力と移動意欲を過剰に見積もっていること。 ティム・レウニグがリバプール人に南東部への移動を奨励した時、つまるところかれは都市経済学における前提を表明していたのである。すなわち、移動能力はタダだと。あるいは少なくとも、職を得るチャンスが限られている土地に留まるより、移動のほうが好ましいと (Kline and Moretti 2014)。しかし移動能力を奨励し、あるいは活発なエリアでの住居確保を容易化しても、そうしたエリアへの移動者数は増加しそうにないようである。立ち遅れや凋落の見られる地域に留まる人達が転居することは、生活する土地への愛着・年齢・十分な技能や資格の欠乏など、他にもあろうがこうした理由のために、なさそうなのではないか。
  • 立ち遅れや凋落の見られるエリアにおける経済的潜在性の見落としていること。問題外の土地はしばしば 「錆びついた地帯 (rustbelts)」 や 「飛行機で上から眺めるだけの州 (flyover states)」 と形容されてきた。経済学者の主張によると、「貧困あるいは非生産的な土地を助成するのは、貧しい人達に資源を移転する手法としては不完全である」(Kline and Moretti 2014)。とはいえ、立ち遅れや凋落の見られるエリアであっても、経済的な潜在性がまったく無いところはほとんどない。かつて立ち遅れていたエリアの多くは今や牽引地域となっている。これにたいし、以前の牽引地域が凋落する例も時折あった。Barca et al. (2012) の主張によると、「中堅エリアおよび立ち遅れエリアの活用されていない潜在性を汲み上げることは、総合的成長を阻害しないばかりか、実に地方レベルと国レベル、双方の成長を向上させる可能性がある」 のである。さらに、支援を必要としている土地から、より大きな繁栄を謳歌しより活発でもある土地へと関心をシフトさせれば、見捨てられた空間に困窮と怨恨が生じ、投票権をとおした逆襲の種を蒔くことになる。

問題外の土地の逆襲に対処する

問題外の土地の逆襲 – ポピュリズムの急速な勃興に反映されたそれ – は、現在の経済政治体制にたいする深刻かつ現実的な挑戦の現れである。賭金は大きい。しかし解決策は僅かだ。

何もしないというオプションはない。この問題の根にある領域的格差は今後も拡大を続け、社会・政治・経済の領域での緊張を高めるだろうから。国内移住が実行可能なのは、レウニグの提案にもあるように、十分な技能を持つ者に限られると思われる。

複数の大規模な集積区に賭けるのも、安全ではない。先進国でも、成長の原動力として大都市がつねに最も活発だとはいえない (Dijkstra et al. 2013)。発展途上国では、成長なき都市化がいよいよ常態と化している (Jedwab and Vollrath 2015)。

権力を脱中心化しつつ発展度の劣る街や地域へ委譲する方策にも、残念な経済アウトカムが出ている (Rodríguez-Pose and Ezcurra 2010)。既存の社会政策と福祉政策に固執すれば、恒久的に依存的な人口集団と領域が生じかねず、これが経済成長を停止させ社会と政治の緊張の高まりにつながる可能性もある。

最も現実的なオプションを提示するのは、立ち遅れ凋落するエリアに向けた開発政策である。これは政策の量の増加ではなく、政策の質の向上を意味する。こうした政策は各領域の潜在的発展性の最大化をめざすものとなるだろう。それは理論とエビデンスの堅牢な基礎づけをもち、人間基盤アプローチと土地基盤アプローチを結合しながら、地方の利害関係者に自らの未来をよりコントロールできるような力を持たせる (empower) ものとなるだろう (Iammarino et al. 2017)。

こうした政策で関連リスクを減少できる保証は無いが、それでも個人や労働者が豊かに栄えるための機会を向上させる絶好のチャンスにはなる。こうした政策オプションを無視すれば、経済的発展機会を迂回したあげく、問題外の土地の逆襲が経済・社会・領域をめぐる長引く軋轢として完全に正当化されてしまうような世界に漂着してしまうかもしれない。こうした事態は、われわれの現在と未来の厚生の礎たる、経済・社会・政治の基盤を侵食せずにはいないだろう。

 

参考文献

Barca, F, P McCann, and A Rodríguez-Pose (2012), “The case for regional development intervention: place-based versus place-neutral approaches”, Journal of Regional Science 52(1): 134–152.

Dijkstra, L, E Garcilazo, and P McCann (2013), “The economic performance of European cities and city regions: Myths and realities”, European Planning Studies 21(3): 334-354.

Iammarino, S, A Rodríguez-Pose, and M Storper (2017), “Why regional development matters for Europe’s economic future”, Directorate-General for Regional and Urban Policy working paper 07/2017, European Commission.

Jedwab, R and D Vollrath (2015), “Urbanization without growth in historical perspective”, Explorations in Economic History 58: 1-21.

Kline, P and E Moretti (2014), “People, places, and public policy: Some simple welfare economics of local economic development programs”, Annual Review of Economics 6: 629–62.

Leunig, T (2008), “The regeneration game is up“, The Guardian, 13 August.

Martin, R, A Pike, P Tyler, and B Gardiner (2016), “Spatially rebalancing the UK economy: The need for a new policy model”, Regional Studies 50(2): 342-357.

Piketty, T (2014), Capital in the twenty-first century, Harvard University Press.

Rodríguez-Pose, A (2018), “The revenge of the places that don’t matter (and what to do about it)”, Cambridge Journal of Regions, Economy and Society 11(1): forthcoming.

Rodríguez-Pose, A, and R Ezcurra (2010), “Does decentralization matter for regional disparities? A cross-country analysis”, Journal of Economic Geography 10(5): 619-644.

Sassen, S (2001), The global city: New York, London, Tokyo, Princeton University Press.

 

エドワード・グレイザー, ジャコモ・ポンツェット「投票ブースにおける根本的誤謬」(2017年9月18日)

Edward Glaeser, Giacomo Ponzetto, “Fundamental errors in the voting booth“, (VOX, 18 September 2017)


つとに心理学者は、我々がひとびとの行為を状況よりも生得的な特性に過剰帰属させてしまうことを実証してきた。本稿では投票者としての我々がこの「根本的帰属誤謬 (fundamental attribution error)」に陥るとき、政治家の成功を、再当選に値するような属人的特性へと過度に結び付けてしまうことを示す。この誤りには通常時における政治家のインセンティブを改善する可能性がある。とはいえ本理論は、制度改革の欠乏や、報道の自由にたいする要望の減少ならびに独裁制の選好といった粗雑な制度的選択も説明する。

2017年4月、トルコの投票権者は現職のレセップ・エルドアン大統領の権力を相当に強化する憲法レファランダムに賛同した。モスクワとマニラでは、権威主義的な指導者が強力な大衆的支持のもとで統治を行っている。直近の合衆国大統領選挙でも、多くのアメリカ人がこれらと似通った流儀のリーダーシップへの嗜好を顕わにした。

政治理論家とくらべると、多くの投票権者は行政権力にたいする制約への関心が遥かに薄いように見えるが、それは何故だろうか? 1930年代のドイツ・オーストリア・ハンガリー・スペインにおいて、あれほど多くの市民が独裁制への要求を表したのは何故だろうか? 大衆的な権威主義受容のひとつの説明として、投票権者は 「根本的誤謬」 に陥っているというというものがある。投票権者はこの誤謬に導かれ、政治家の挙動はインセンティブや状況などではなく、生得的な特性によって決定付けられていると信ずるようになる。この誤謬に導かれた投票権者は、民主制インセンティブの価値を過小評価し、優れた成果を収めている現職者の生得的な性質を過剰評価するようになる。

根本的帰属誤謬

心理学者はほぼ50年もの長きにわたって、つぎの前提を裏付けるエビデンスを整備してきた。すなわち、傍観者はアウトカムの原因を、状況的要因ではなく、生得的な属人的特性に帰す傾向があるという前提だ。なお、ここでいう状況的要因には運不運とインセンティブの両方がふくまれる。嚆矢的研究のなかでJones and Harris (1967) は、被験者にたいし、カストロを支持するエッセイ、カストロに反対するエッセイ、これら両方の執筆を命じた。その上で観察者には、執筆者はカストロの支持に回るよう指示されている旨が伝えられた。それでもなお、観察者は執筆者にたいし生得的なカストロ支持感情を認めたのである。

固定した属人的属性の役割を過剰に強調する傾向はあまりに基本的なものなので、それは 「根本的帰属誤謬 (fundamental attribution error)」 と呼ばれるようになっている (Ross 1977)。この仮説のニュアンスをめぐって心理学者はしばしば論争を繰り広げてきたが、投票権者が現職者にたいし、過剰な評価を与えたり、現職者のコントロール外で起きた出来事について非難したりすることについては、ほとんど疑問の余地がないようだ。Wolfers (2007) の発見によると、アメリカの投票権者は、恵まれた産業トレンドや石油価格高騰といった幸運な経済変動の分も現職知事の評価につなげていたという。

我々の新たな論文では、この 「根本的誤謬」 を古典的な政治エイジェンシーモデルに導入しつつ、それにより独裁制を支持する意欲の過剰、および権力への制約 (たとえば自由で独立した報道) を確保すべく闘争する意欲の過小がうまく説明できることを示した (Glaeser and Ponzetto 2017)。なにより投票権者にはこの誤謬に抗うべき理由がほとんどない。その原因は、投票権者には政治知識に投資するインセンティブがほとんどないことと、短期的に見るならばこの誤謬は便益ももたらし得ること、この両方である。

政治エイジェンシーと独裁制への要望

じつのところ根本的帰属誤謬には、政治家が通常の状況で直面するインセンティブを強化するという陽の側面がある。合理的な投票権者は、望ましからぬ成果が運不運やその他の一時的な状況を反映している可能性が十分あることを理解している。そのため、かれらは凡庸な成績も寛容に受け入れるかもしれないが、こうした寛容性は政治家に凡庸であれと勧めるものともなりうる。根本的帰属誤謬に陥っている投票権者は、成果の乏しさを全面的に政治家その人に帰責するので、失態の選挙的コストを引き上げ、行動の改善を誘発する。

通常時には、この半合理的性も無害あるいは有益でさえあるかもしれないが、憲法の書き変えが行われる場面では、根本的誤謬のコストは膨大になりかねない。ちょうどナチスドイツの時代にその可能性があったように。優れた成果を収めており、もっと恒久的な権力を自らに与えるように規則を書き変えたがっている政治家、これを考えて見よう。現実には、この現職者の成績は運不運とインセンティブの組み合わせを反映したものだろう。そしてこのインセンティブを生みだすのは再当選を求めるかれの願望である。ところが根本的帰属誤謬に導かれた投票権者は、この指導者の成功が生得的で不変の能力と善意のおかげだと考える。能力と善意は、一時的に選出されているにすぎないこの指導者が恒久的な独裁者となれば、この先も力を持ち続けるだろう。

合理的な投票権者ならば、制約無き権力は腐敗するだろうこと、指導者の成績にしても選挙インセンティブが無くなってしまえば劣化してゆくだろうことを認識しているはずだ。しかし根本的帰属誤謬に陥っているとき、投票権者は指導者の過去の成績が未来の卓越を保証すると信じ込んでいる。かれらが信頼しているのは人物であり、制度ではない。だから民主制を廃止し、「大人物 (big man)」 で挿げ替えることをすんなりと受け入れるだろう。

専門性にたいする投票権者の不信

合理的な投票権者は、経済的な出来事を解釈して、リーダーシップから運不運の影響を腑分けすることの難しさを理解する。その帰結として、かれらは好況と不況の原因の腑分けを助けてくれる独立した専門家や報道の自由に価値を見いだす。ところが、最近のある世論調査の発見によると、アメリカ人の53%、そしてトランプ支持投票者の71%は、「政府の為すべきことは、所謂 『専門家』 よりも一般的なアメリカ人のほうが良く理解している」 との意見に同意している (Edwards-Levy 2016)。

根本的帰属誤謬はこの専門性への不信も説明する。誤謬に陥った投票権者は独立的な専門家の必要性をほとんど認めない。自分の経済的困難は、ホワイトハウスが無能なのか、かれらの運命に無関心なのか、そのどちらかの反映だと信じているからで、労働需要の広範なシフトを反映したものだとは考えていない。根本的帰属誤謬に陥った投票権者は、国を動かしているものの正体を自分は知っていると自信過剰なまでに信じ込んでいる – つまり政治的リーダーシップの質だ。その帰結として、かれらはシグナルからノイズを分離する試みにほとんど価値を認めないのである。

大衆的政策の誤り

根本的帰属誤謬は投票権者の政策選好を説明する手掛かりにもなる。たとえば交通の分野だと、この誤謬は投票権者をして、他の人の行動は比較的固定したものであって、インセンティブの結果ではないと信じ込ませる。その帰結として、かれらはピグー税により有害な行動が実際に削減できることを疑うだろう。中心的な都市における渋滞課金 (congestion charge) といった古典的なピグー税と直面したとき、投票権者は支払う料金が高くなるという陰の側面は認めるだろうが、移動時間の削減という陽の側面は認めないだろう。

初めスウェーデンの投票権者はストックホルムにおける渋滞課金に敵対的だった。しかし2006年になると、試験的に料金が導入される。ドライバーは交通量の削減を体感し、レフェランダムが開催されると、中心的都市の住人はこの課金を支持した。この世論のシフトにたいする説明としては、投票権者は初め課徴金が行動を変化させる力を疑っていたが、ドライバーがこのインセンティブの変化にどのように対応するかを目の当たりにして考えを改めたというのが、最も自然である。

ドライビングパターンは比較的固定していると考えているばあい、投票権者は新しい交通インフラストラクチャーの便益を過剰評価することにもなるだろう。かれらは同じ交通量がより大きな道路空間にわたり拡散されると期待し、その帰結として自らに便益があると考える。初めDowns (1962) が主張し、つづいてDuranton and Turner (2011) が実証的に示したように、車両走行距離 (vehicle miles travelled) は高速道路の敷設にともない急速に増加する。その帰結として、新たな高速道路の便益もドライブの増加のために急速に消滅してしまう。この行動反応の予見を怠ることで、投票権者は敷設を過度に好み、課金にたいし過度に懐疑的になる。

結論

経済学者は、人はインセンティブに反応するという思想を注入されている。マクロ経済学の基礎クラスでは、物価の行動に作用する形態を学生に教え込む。だからおそらく我々は驚くべきではないのだ。経済学者ならぬ人が、つまり物価を行動に結び付ける数々の曲線を何ヶ月もかけて潜り抜けた経験などない人達が、人間の行動はもっと不可変的なものだと信じていたとしても。

根本的帰属誤謬が投票権者をミスリードしているならば、憲法の変更はゆっくりと、そしてその時の現職者のキャリアとは切り離して行われるべきだ。投票権者は指導者の生得的な性質を誤って過剰評価するのだから、どんな指導者による独裁制でも支持する可能性があるのだが、それでもなお、平均的な指導者は 「玉石混淆 (mixed bag)」 だと正しく理解しているので、抽象的な地平では独裁制に反対するかもしれない。その帰結として、投票権者は現任の大統領を利する憲法の変更について考察するばあいには、誰とは知らぬ将来の大統領を利する憲法の変更について考察するばあいより、はるかに誤謬に陥りやすくなる。憲法の変更は、それが現職者の助けにならないくらい十分にゆっくりとしたものならば、誤謬を回避できる可能性が高くなる。往々にしてそうであるように、時間は合理的意思形成の友なのである。

根本的帰属誤謬が通常の政策立案をめぐる意思形成を妨げる傾向は、政策実験の増加をつうじて覆しうる。ストックホルムの住人は渋滞課金がドライブ量を削減することを理解するようになった。それはかれらが渋滞への価格付けを経験したからだ。大型高速道路の敷設など、施策の中には実験に向かないものも一部ある。そうしたばあいは近過去からのエビデンスを強調することが、我々の取り得る最善の方策となる。

根本的帰属誤謬はあらゆる専門家にたいする警告を含んでいる。それは報道機関の専門化か、大学研究機関の専門化かを問わない。たとえ我々が我々の知識に確信を抱いているにせよ、一般の投票権者はそうではない。その帰結として、我々は絶えず自分達の価値を証し立ててゆかなければならないのだが、おそらくその最善の手段は、もっと多くの客観的な事実を提供し、イデオロギーの提示はもっと少なくすることである。

参考文献

Downs, A (1962), “The law of peak-hour expressway congestion”, Traffic Quarterly 16(3): 393-409.

Duranton, G and M A Turner (2011), “The fundamental law of road congestion: Evidence from US cities,” American Economic Review 101(6): 2616-2652.

Edwards-Levy, Ariel (2016), “Americans don’t think the government needs ‘experts’”, Huffington Post, 12 December.

Glaeser, E L and G A M Ponzetto (2017), “Fundamental errors in the voting booth”, CEPR Discussion Paper No. 12206.

Jones, E E and V A Harris (1967), “The attribution of attitudes”, Journal of Experimental Social Psychology 3(1): 1-24.

Ross, L (1977), “The intuitive psychologist and his shortcomings: Distortions in the attribution process”, Advances in Experimental Social Psychology 10: 173-220.

Wolfers, J (2007), “Are voters rational? Evidence from gubernatorial elections”, mimeo, University of Michigan.

 

ブヒン & ハザン「人工知能の新たな春:初期の経済状況」

[Jacques Bughin & Eric Hazan, “The new spring of artificial intelligence: A few early economies,” VoxEU, August 21, 2017]

人工知能の登場は1950年代にさかのぼる。以来、やたらと持ち上げられては「冬の時代」を迎えるのを幾度となく繰り返してきた。本コラムでは、10カ国 3,000社以上の上級管理職の調査にもとづいて、人工知能がいまどのように新たな春を経験していて、普及・浸透しているということを述べる。また、我々著者2人は、人工知能によって企業レベルでの生産性向上と利益増加がもたらされうるとともに、一部で予測されているほど雇用のダイナミクスは悪くないかもしれないことを論じる。
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伊藤匡・中村良平・森田学「卸売業者、間接輸出、地理および経済の範囲:日本における企業取引データからの証拠」(2018年2月13日)

Tadashi Ito, Ryohei Nakamura, Manabu Morita “Wholesalers, indirect exports, geography, and economies of scope: Evidence from firm transaction data in Japan” VoxEU, February 13, 2018

 

要約

地方の企業は、生き残るために仲介者として卸売業者を利用しながら、輸出市場を見つけなければならない。このコラムは直接輸出が製造業者と卸売業者の距離に負の相関を持っている可能性を伴いながら、このタイプの間接輸出活動が主に都市圏から起こっているということを示すために、日本における輸出活動のデータセットを利用する。卸売業者の生産性(製造業者の生産性ではない)は、これらの間接輸出の可能性と関連してきたが、このことは卸売業者が適した製造業者を探していることを示唆している一方で、逆もまた然りというわけではない。

 

本論

日本を含む多くの国の中心的な政策目標の一つは、停滞している地域経済を再活性化することである。若年層の間での低い出生率と、地方から都市への移住に対する選好は、未だに縮小し続けている地方経済において、企業が地方において拡大したり、あるいは生き残ったりすることさえもますます困難にしている。それらの企業や政府は、ますます海外市場を模索しつつある。

われわれは、卸売業者が経済活動において重要な役割を果たしているということを知っている(Ahn et al. 2011, Bernard et al. 2010, or Crozet et al. 2013) 。このことは卸売業者が多くのビジネス取引に関わっている日本において特に当てはまる。しかしわれわれは製造業者の海外での販売における卸売業者の役割について十分に知らない。日本における企業取引に関する独自のデータセットを用いることによって、われわれは地域経済における製造業者からの間接輸出における卸売業者の影響について調査することができた。より具体的には下記のとおりである:

 

  • どれだけの割合の輸出品が卸売業者によって仲介されているか。また、地元の製造業者の輸出品を仲介する卸売業者の場所はどこか。)

 

  • 製造業者と卸売業者の関係には限界[1]の距離があるか。これは地域経済にとって特に重要な問題である。)

 

  • 製品という観点で、製造業者と卸売業者の間にはどのようなマッチングが存在しているのか。われわれの当初の想定では、選択的なマッチングが存在し、そのなかで高生産性の製造業者は高生産性の卸売業者を通して輸出するだろう、というものであった。データは異なる像を示した。

 

  • 範囲の経済の効果は存在するか。すなわち、卸売業者は多くの生産者からの多くの種類の財を輸出するため、輸出の固定費用を拡散させることが可能なのか。このことによって、製造業者は卸売業者を通して輸出しやすくなっている。[2](Akerman 2016)

 

データと方法論

われわれは、株式会社東京商工リサーチ(TSR) が作成した企業間の日本国内の取引に関する独自のデータセットを用いた。データセットには、約80万社の住所、設立年、従業員数、売上高、利益などの基本的な企業の情報が含まれている。また、約400万件の、それらの企業間の購入や販売の取引に関する情報もある。

われわれは製造業者による卸売業者に対する販売の取引データを抽出した。もし製造業者の輸出状態が”yes”として記録されていれば直接輸出としてカウントしたのに対し、製造業者の回答が”no”であるが製造業者が製品を販売した卸売業者が輸出した状態である場合には、間接輸出として定義した。

これは非常にゆるい定義であり、この定義は卸売業者が単に仲介者として行動する間接輸出の真水の数量を過大評価するだろう。しかしながら、入手可能な情報を考慮に入れると、これが最善の方法であり、また、同じデータセットを利用した研究者がしてきたことを反映している。(たとえばFujii et al. 2016など)

われわれは労働生産性と全要素生産性[3](TFP)の両方を生産性の尺度として用いた。TFPを計算するために、われわれは経済産業省(METI)によって実施されている企業活動基本調査を利用し、TSRの取引データセットと照合した。

 

主要な発見

  • 16万4329社の製造企業のうち、5%が製品を直接輸出しており、14.5%が卸売業者を通して間接的に輸出している。卸売業者を通して間接的に輸出している製造業社は、主に大都市圏とりわけ東京に位置していた。

 

  • 取引の平均距離は約198kmであったのに対し、間接輸出の取引の平均距離は約227kmであった。このことは、財を間接輸出する卸売業者に到達するために、製造業者は追加的な30kmを乗り越えなければならないことを示している。

 

  • 最も顕著なことには、卸売業者の生産性には、製造業者の生産性と相関性がなかったのに対し、間接輸出の可能性と正の相関性があった。この発見は、製造企業が潜在的な卸売企業を探しているというよりむしろ、卸売企業が潜在的な製造企業を探しており、卸売企業は探すコストを埋めるのに十分な生産性が必要であるということを示唆している。

 

  • われわれはまた、範囲の経済の効果に関する証拠を得た。

 

編集者メモ:このコラムの主な研究は、日本の経済産業研究所(RIETI)のディスカッションペーパーとして最初に登場したものである。

 

参照

Akerman, A (2018), “A Theory on the Role of Wholesalers in International Trade Based on Economies of Scope”, Canadian Journal of Economics 51(1).

Ahn, J, A K Khandelwal, and S Wei (2011), “The Role of Intermediaries in Facilitating Trade.” Journal of International Economics, 84(1): 73–85.

Bernard, A B, J B Jensen, S J Redding, and P K Schott (2010), “Wholesalers and Retailers in U.S. Trade”, American Economic Review, Papers & Proceedings 100(2): 408–413.

Crozet, M, G Lalanne, and S Poncet (2013), “Wholesalers in International Trade”, European Economic Review 58: 1–17.

Fujii, D, Y Ono, and Y Saito (2016), “Indirect Exports and Wholesalers: Evidence from interfirm transaction network data”, RIETI Discussion Paper 16-E-068.

Ito, T, R Nakamura, and M Morita (2017), “Wholesalers, Indirect Exports, Geography, and Economies of Scope: Evidence from firm transaction data in Japan

[1] thresholdには「閾値」という意味がある。ここでは分かりやすく「限界」と訳した。

[2] 原文はAre there are the economies of scope effects? となっているが、恐らくこれは誤りであろう。Are there the economies of scope effects? の意味で訳した。なお、economy of scope (訳:「範囲の経済」)とは、複数の製品をそれぞれの企業で生産するより、同一の企業がまとめて生産した方が、経営資源を共有するため費用を節約できるというものである。

[3] 全要素生産性(TFP)とは、全体の産出の変化率から、労働と資本の投入の変化率を引いたものであり、技術進歩を示す数値として扱われる。

世界の貿易とドル

Emine Boz、IMFリサーチ部門シニア経済学者

Gita Gopinath、ハーバード大学国際学部・経済学部教授

Mikkel Plagborg-Moller、プリンストン大学経済学部助教授

2018年2月11日  VoxEU原文

国際マクロ経済学では通常、貿易パートナー間の為替レートこそが貿易価格、数量、そして交易条件についてもっとも重要であると仮定されている。このコラムでは別の考え、つまりアメリカドルに対しての為替レートこそが最も重要であるというものを支持する証拠を提示する。これは、合衆国が貿易に関わっていない場合ですら請求はドルで行われるのが一般的である為だ。この発見には金融と為替レートについての政策の運営に関する重要な含意がある。

国際マクロ経済学における主導的なパラダイムでは、貿易パートナー間での為替レートの変化は両国の交易条件の変化と結びつけられている。ミルトン・フリードマン(1953)が、価格が生産国通貨では粘着的であったとしても、変動相場制は完全雇用を維持する為のその国の輸入と輸出価格の丁度「正しい」変化を生み出すと主張したことは有名だ。この洞察は、標準的なマンデル-フレミング・パラダイム(Mundell 1963, Fleming 1962, Obstfeld and Rogoff 1995)における中心的な予測でもあって、それにおいては名目為替の減価はその国の交易条件(つまり、輸入価格の輸出価格に対する比率である輸入価格/輸出価格)の悪化へ繋がると仮定されている。つまり、名目為替レートが減価すると、輸入品価格の輸出品価格への比率は上昇すると。これと競っている別の影響力をもったパラダイムの一つ(Betts and Devereux 2000, Devereux and Engel 2003)では、地元(あるいは輸出先)通貨での価格づけを仮定しており、その核心部においては真逆の予測をしている-名目為替レートの減価はその国の交易条件の改善と繋がる、と。そして全世界的にはこれらのパラダイムはその国の為替レートの重要さは世界の貿易におけるその国のシェアに応じたものになっているとしており、それを超えた過大な役割を持つ為替レートは存在しないとなっている。

しかし、最近の証拠は貿易の大部分は明らかに少数の「支配的通貨」において請求されており、アメリカドルが特大サイズの役割を果たしている事を明らかにしている(Goldberg and Tille 2008, Gopinath 2015)。それゆえにCasas et al.(2016)が開発したのが「支配的通貨パラダイム」である。これは、貿易価格はドルにおいて粘着的であり、貿易国のドルに対しての為替レートがその貿易価格、数量、そして交易条件の中心的な要素であるというものだ。コロンビアのマイクロデータを利用して彼らが示した証拠は、その予測に強い支持を与えている。

この三つの価格パラダイムの世界的な重要性を測る為、我々は新しい研究において、世界の大半から取ったサンプルについての調和の取れた輸輸出双方向の各年ごとの単位あたり価値と数量の指標を作った(Boz et al. 2017)。我々の指標は55ヶ国についてのもので、2015年から国によっては1989年までに遡る非常に細分化された国連Comtradeのデータに関する2500 dyads (これは貿易ペアを意味する)以上の貿易の組み合わせを扱っている。我々のサンプルの中の国々は2015年の世界全体の輸出と輸入の91%を占めている。一つ重要な点として、我々はこの指標から一次産品1 を除外している。これはこのパラダイムが粘着的な価格の財にだけ関わるものだからだ。

我々は、生産者通貨や現地通貨による価格付けパラダイムは世界貿易で観測されるパターンと整合的ではない事、しかしデータは支配的的通貨パラダイムをかなり支持している事を発見した。我々のデータは、貿易の価格と数量に大きく影響するのはアメリカドルに対してのその国の為替レートである事を示唆している。これは合衆国が貿易取引に関わっているかどうかとは関係無しに起こっている。貿易のドルでの請求がこれについての説明の重要な部分となっている。

以下では、我々の結論を導いた4つの鍵となる事実について詳細していく。

1.交易条件の二国間の為替レートに対する反応は鈍い

我々は、二国間での為替レートの1%の減価による二国間(非一次産品)交易条件の悪化はわずか0.04%であること事を発見した。その95%信頼区間が[0.02%,0.05%]となるように、これのインパクトはほぼゼロであると推定される。この発見は主要なベンチマーク・パラダイムの予測とは非常に異なったものとなっている。マンデル-フレミング・パラダイムでは交易条件がほぼ1%悪化すると予測するし、現地通貨価格パラダイムなら完全に硬直的な名目価格を前提にして同規模の改善を予想する。しかしこれは、支配的通貨パラダイムとは完全に整合的である。大半の輸入と輸出がドルで請求されるので、一国の交易条件はその為替レートから切り離されているわけだ。

2.  ドルの為替レートの変化は、輸入価格と数量の動きの説明において貿易パートナー間での二国間為替レートの変化を圧倒している。

我々は次に、国々のペアごとでの二国間為替レートの輸入価格と量へのパススルーを推定した。貿易パートナーに対する輸入国の為替レートの1%の減価は、輸入価格の0.76%の上昇につながる(図1)。これは1年の間でのほぼ完全なパススルーを示唆している。しかし、ドルに対しての輸入国の為替レートを加えると、二国間為替レートのインパクトは0.76%から0.16%へ低下する。逆にドルは輸入価格への0.78%のインパクトによって支配的な要因となる。

_図1 為替レートに対する二国間価格レベルのインパルス応答

:図は、輸入国が報告するデータを用いた二国間価格レベルの二国間為替レートと米ドル為替レートに対するインパルス応答の推定をプロットしている。左の推定は、二国間輸入価格の変化を二国間為替レートの変化で回帰する通常のモデルからのもの。右の推定は、説明変数として輸入国のだけでなく米ドルの為替レートを付け加えたもの。エラーバーはdyadでクラスター化した標準誤差による95%信頼区間を表している。

更に、ドルの変動の役割は、ドルでの請求が多い国ほど大きくなる。我々の貿易データをGopinath (2015)による輸入国の国レベルでのドル請求シェアと突き合わせて、輸入の中でのドル請求シェアの10%ポイントの上昇はドルのパススルーの3.5%ポイントの上昇につながる事を発見した。このドルでのパススルーの数字はその国の輸入価格のドル価値に対しての感応度の上昇を表している。

同様に、ドルの為替レートを二国間の貿易数量予測の回帰に加えると、二国間為替レートの係数が大幅に低下する。ドル為替レートの同一期間での数量弾力性は-0.19であるが、二国間為替レートの弾力性は一桁小さい-0.03となっている。請求通貨としてのドルの役割はほんとうに特別であって、価格と数量の回帰においてユーロの説明力にも容易に打ち勝っている。

3. アメリカドルの強さは、アメリカ以外の国々の集計貿易数量とインフレーションの予測の鍵となる要因である。

アメリカドルの世界の他の通貨全てに対する1%の増価は、世界の景気変動を調整した上で、アメリカ以外の世界の国々の間での全貿易数量の一年以内での0.6から0.8%の低下を予測する。

更に、ドルでの輸入請求シェアの大きい国ほど、ドル為替レートから消費者そして生産者価格インフレーションへの高いパススルーを経験する。この発見は伝統的なマンデル-フレミングモデルの観点からではその二国間為替レートの強調故に理解しがたいが、支配的通貨パラダイムにおいては自然に発生するものである。

4. 輸入国の輸入のうちドルで請求されるシェアが国々のペアにおけるドル・パススルー/弾力性の変動の15%を説明する。

我々は次に、パススルー係数におけるクロスdyadでの不均一性が輸入のうちのドルでの請求の比率によってどの程度説明できるのかをみるために、フレキシブル階層ベイズフレームワークを組み立てた。平均のパススルーと不均一なパススルーの要因の統計的有意性についての情報を提供してくれる通常のパネルデータ回帰とは違い、ベイジアンアプローチは為替レートパススルー/弾力性のクロスセクション全体での不均一さと、この不均一性のドル請求との関係を数値化させてくれる。

我々の推定によると、輸入国のドルでの請求シェアが、ドル為替レートの価格へのパススルーのクロスdyadでの変動の15%を説明する。我々はまた、輸入国のドル請求シェアが貿易数量の為替レート弾力性に影響を与える事も発見した。これらの発見は、支配的通貨パラダイムの鍵となるコンセプトである請求に使われる世界的通貨の数値的な重要性を確認している。

結論

我々の発見は、交易条件は為替レートにはわずかしか反応しない事、ドルに対する通貨の価値がどこの国から輸入しているのかとは関係なしにその国の輸入価格と数量についての第一の決定要因である事、そしてドルでの請求の程度がドルの為替レートに対する価格と数量の反応の重要な予測要因である事を明らかにした。我々の推定値の大きさや、我々のデータが世界経済をカバーする程度からして、ショックの国際的伝播や金融や為替レートの最適な政策を分析する際には、支配的通貨パラダイムこそが伝統的なモデリングアプローチよりも実証的により意味のあるベンチマークであろう。

参照文献

Betts, C and M Devereux (2000), “Exchange rate dynamics in a model of pricing-to-market”, Journal of International Economics 50(1): 215-44.

Boz, E, G Gopinath and M Plagborg-Møller (2017), “Global trade and the dollar”, NBER Working Paper 23988.

Casas, C, F Diez, G Gopinath and P-O Gourinchas (2016), “Dominant currency paradigm”, NBER Working Paper 22943.

Devereux, M and C Engel (2003), “Monetary policy in the open economy revisited: Price setting and exchange rate flexibility, Review of Economic Studies 70(4): 765-84.

Fleming, M (1962), “Domestic financial policies under fixed and floating exchange rates”, IMF Staff Papers 9: 369-79.

Friedman, M (1953), Essays in Positive Economics, University of Chicago Press.

Goldberg, L and C Tille (2008), “Vehicle currency use in international trade”, Journal of International Economics 76(2): 177-92.

Gopinath, G (2015), “The international price system”, Jackson Hole Symposium, volume 27, Federal Reserve Bank of Kansas City.

Mundell, R (1963), “Capital mobility and stabilization policy under fixed and flexible exchange rates”, Canadian Journal of Economic and Political Science 29(4): 475-85.

Obstfeld, M and K Rogoff (1995), “Exchange rate dynamics redux”, Journal of Political Economy 103(3): 456-72.

  1. 原文では”commodities”。Commoditiesは必ずしも一次産品を意味するわけではないですが、元の論文のBoz et al. 2017をあたると”we define commodities fairly broadly as HS chapters 1–27 and 72–83 which comprise animal, vegetable, food, mineral, and metal products”とあり、動物、野菜、食品、鉱物、金属となっていますのでわかりやすく一次産品にしています。 []