アレックス・タバロック「ゲイリー・ベッカー最大の失敗とは?――犯罪抑止をめぐる2つの考え方」

[Alex Tabarrok ”What Was Gary Becker’s Biggest Mistake?” Marginal Revolution, September 16, 2015.]

Becker

計量経済学者の Henri Theil が,こう言ったことがある――「モデルは使うものであって信じるものではない.」 ぼくは合理的行為者モデルを使って限界変化について考えるけれど,ゲイリー・ベッカーはそのモデルを本気で信じていた.昔,ベッカーと夕食で同席していたとき,ぼくがこう言った.「極端な刑罰はひどい貧困と憎悪につながりかねませんよ.そこから逆効果が生じるかもしれません.」 ベッカーは,どちらの論点も受けいれなかった.ぼくが逆効果の例を挙げるたびに,だったらさらに刑罰が必要だとベッカーは返すばかりだった.だんだん議論が過熱していった.やがて,ジム・ブキャナンとライアン・カプランがテーブルの向こう側からやってきて,議論に加わった.忘れられない一夜だ.

あの夜の一件の子細について持論を擁護してもらおうにも,ベッカーはもうこの世にいない.でも,彼が考えていたことなら,偉大な論文「犯罪と刑罰: 経済学的アプローチ」(PDF) を読めばわかる.有名な一節で,ベッカーはこう論じている――刑罰を受ける確率が低いことと,つかまったときの刑罰がきびしい水準なのを組み合わせてもそれはそれで最適な刑罰システムになる:

違法行為の供給量が pf のみに左右されるとしよう.つまり,違反者はリスク中立的だとしよう.このとき,p が低下しても,それと等しい分だけ f のパーセントが増加してこれを「相殺」すれば,pf は変化せずそのままになる.

(…)有罪となる確率が増加すると,自明ながらこれは公共と民間のリソースを吸収する.つまり,警官・裁判官・陪審員などの増加という形で,リソースを吸収する.その帰結として,この確率が「相殺されて」低下すると,自明ながら,犯罪対策への支出が減少する.そして,予想される刑罰は変化していないので,損害の量にも刑罰のコストにも,これを相殺する「自明な」増加は生じない.その結果として,警官その他の支出を低く保ちつつ有罪となった者たちへの厳罰を課すことによって相殺するべしとの持続的な政治的圧力が生じやすくなる.

アメリカでは,まさにこの実験を試みている.うまくはいかなかった.1980年代はじめに,アメリカでは犯罪の処罰が劇的に増えた.でも,これは罰せられる確率を高めるよりは収監年数を伸ばすことでなされた.理論上は,そうすれば犯罪は減り,犯罪抑制コストが減り,牢屋にいる人数を減らすことにつながるはずだった.実際には,犯罪は増加し,その後,収監以外の理由で減少した.いちばん目を見張るのは,厳罰化を試したところ,犯罪抑制コストの支出は増え,牢屋にいる人数はさらに増えたってことだ.

どうして実験は失敗したんだろう? 収監期間を長くしても予想されるほど犯罪が減らなかった.そのわけは,犯罪者たちが未来を考えるのが得意じゃなかったってことにある.罪をおかすタイプの人たちは,先を見通すのになにかと問題を抱えているし,うまく自分の感情を制御したり衝動を抑制したりできない.ことに及ぶかどうかというその瞬間に,意思決定の計算から未来の刑罰の脅威は消え失せてしまっている.そのため,刑期を長くしても犯罪は(あまり)抑止されず,たんに牢屋に人をあふれかえすことになったわけだ.あたかもそれではまだまだ十分に酷くないとでも言うかのように,刑期の長期化は再犯率を高めた.刑期が長くなった分だけ,同じ犯罪者仲間と接する機会が増え,また,重罪犯が市民社会にふたたびとけこむのがますます難しくなったからだ.

犯罪者たちを合理的行為者として考えるかわりに,子供として考える方がいい.そこで,子育てへの「ベッカー式アプローチ」を考えてみよう.子供に罰を与えるのはコストがかかる.そこで,そのコストを減らすために,たいていの場合には子供のおいたを見過ごしておいて,ここぞという都合のいいときには子供にしっかりとゲンコツをくれてやるなり,部屋に閉じ込める時間を長くしてやるなりしよう.もちろん,このやり方はひどい結果になる――というか,これこそが,のちのちの人生で犯罪行為につながるアプローチに他ならない.

じゃあ,推奨される子育て方はどんなものだろう? 尻叩きや閉じ込めや反省をめぐる論争に立ち入るのはやめておきたい.ただ,いろんな助言に共通しているのは,不適切な行動の結果はすばやく明快に首尾一貫しているべきだということだ.〔子供のおいたに対する〕すばやい反応が役立つのは,子供が「〔先のことは得も損も価値を割り引いて考える〕高い割引率」の持ち主だからってだけではない(高い割引率というよりも,未来のいろんな自分たちを一貫した全体に統合する難しさと考えた方がいいけれど,ここでは簡略に「高い割引率」としておく).それだけじゃなくって,もっと大事な理由として,すばやい対応をした方が子供が自分の行動とその結果の関係を理解しやすくなるからだ.ベッカーの先人に,ベッカリーアがいた.ベッカリーア理論では,人々は犯罪と罰を結びつけることを学習しなくてはならないと考える.反応がすばやくなかったら,ちょうど科学者たちと同じように,子供たちも,原因と結果を学習するのが難しくなってしまう.すばやい反応は,認知への負担を軽減し,行動の結果を明快にする1つの方法になるわけだ.

動物たちも条件付けで学習できるけれど,人間はもっとうまくやれる.クッキーを盗み食いした子供に罰を与えれば,クッキーの盗み食いは減る.でも,ドーナッツやケーキは? 罰の理由を理解した子供は,新規な状況でも行動の帰結を予想できる.だから,説明と推論によっても,帰結は明快にできる.最後に,首尾一貫した罰は,すばやい罰と同じく,認知負荷を減らすことで学習と理解を改善する.

すばやく明快で一貫した対応は,犯罪抑制でも機能する.子育てと犯罪抑制で同じアプローチがうまく機能するのは,偶然じゃない.なぜなら,問題の大半は共通しているからだ.さらに,どちらの領域でも,すばやく明快で一貫した罰は,厳罰である必要がない.

経済理論では,犯罪は犯罪者の利害関心事と考える.保守もリベラルも,この前提を受け入れている.保守派の主張によれば,コストが高すぎて犯罪が犯罪者の利害関心事でなくなるように,もっと罰を厳しくする必要があるという.リベラルの主張によれば,機会費用が高すぎて犯罪が犯罪者の利害関心事でなくなるように,もっと雇用を増やす必要があるという.でも,犯罪はいつでも利害関心からなされるんだろうか? 合理的行為者モデルは強盗・スリ・インサイダー取引にはうまく当てはまるけれど,公共物破損・放火・酒場での乱闘やさまざまな暴行の多くは,べつに経済的な利得を動機にしてるわけじゃないし,おそらくは合理的な利害関心を動機にしてるわけでもない.

犯罪が合理的利害関心かどうかを調べる単純なテストに,こんなのがある.経済理論では,じぶんの行動について慎重に考える時間を増やしてあげても,平均でみて犯罪に変化は起こらない(ときに,慎重に考えさせた結果,犯罪が減るどころかかえって増えてしまうこともある).これと対照的に,社会化のとぼしい子供として犯罪者を考える理論では,犯罪は人の利害関心ではなく,ものの弾みでやった失敗だと考える.すると,少しでも我に返って考える機会があれば,犯罪は減る結果になる.少年拘置所に勤務するとあるカウンセラーは,こう語っている

うちの入所者の20パーセントは犯罪者です.とにかく,収監しておく必要があります.ですが,それ以外の80パーセントはですね,私はいつも彼らに言ってるんですが,じぶんの人生についてほんの10分でもあらためて考える時間があげられたなら,大半はそもそもうちに来てなかったはずなんですよ.

ThinkingProblems

認知行動療法 (CBT) では,この10分間でどう行動すべきか人々に教える――認知行動療法は,「衝動的に動いてしまう前に10秒数えましょう」ほど単純な話ではないけれど,考え方の根っこは似ている.基本的に,行動刷る前に考えてじぶんの想定をいくらか修正して状況にもっと適したものに変えるように教える.ランダム化対照実験メタ研究から,認知行動療法は犯罪を劇的に減らせることが示されている.

認知行動療法は,軟弱なリベラル式アプローチとラベルを貼られるリスクを犯しているけれど,その一方で,保守派の間でもっと理解・評価が改善されるべき治療的子育て (remedial parenting) と考えることもできる.もっと一般的に言えば,犯罪取り締まりを,「リベラル~保守」つまり「温和~強硬」の単一尺度に押し込めて考えないのが大事だ.たとえば,取り締まりと刑務所はひとまとまりに考えられて,この単一の「温和~強硬」の尺度に置かれることが多い.でも,実は,この2つの施策は別物だ.街中の警官を増員して処罰をすばやく明快かつ首尾一貫させた方がいいとぼくは考えている.でも,街中の警官増員といっしょに実行してくれればもっとうれしいことは他にもある.「対麻薬戦争」の終結や刑期短縮がそうだし,投票・居住・雇用から何百万もの市民を排除してしまう厳しい出所後施策も終わらせた方がいい.

ベッカーと合理的選択理論に,相応の扱いをしよう.ベッカーがはじめて〔この理論を〕書いた当時,多くの犯罪学者たちは,刑罰が犯罪を抑止することを完全に否認していた.たとえば,1994年になってもなお,著名な犯罪学者のデイヴィッド・ベイリーはこう書くことができた

警官は犯罪を予防しない.これは,現代生活でもっとも秘匿されている秘密の1つだ.専門家たちは知っているし,警察も知っている.だが,一般人は知らない.しかし,警察は社会を犯罪から守る最善の力であるかのように装っている.これは神話だ.

ベッカーに触発されて,信用できる実証研究文献が大量に現れた――これには,かくいうぼくの警察(および刑務所)の研究も含まれる.こうした研究により,警察が社会を犯罪から守っているのは神話でもなんでもなく事実だと証明された.合理的選択理論の得点プラス1.でも,警察が抑止になるって話と,刑期20年が抑止になるって話は,大違いだ.合理的選択理論は度を超えてしまった.そして,それにともなって,刑罰のみがあまりにも重視されすぎたばかりか,大量投獄が引き起こす社会の分裂と不公正なしで犯罪を減らせる他の施策が見失われてしまった.

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  1. ベッカーの業績に関して、Black Swanの著者ナシーム・ニコラス・タレブは著書の巻末注記でこう述べている。

    注意して欲しいのは、ゲイリー・ベッカーをはじめとしたシカゴ学派の観念論者の仕事は確証バイアスによって全て台無しになっているということだ。人々が経済的誘因によって行動するシチュエーションをベッカーは早く示してくれるが、そんな物質主義的なインセンティブについて人々が気にしないケース(もっと多い)は示さない。(原書p.323)

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