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アントン・ハウズ「国家の作り方:中世イギリスに王として転生したあなたは、近代国家を作ることができるだろうか?」(2020年8月28日)

How to build a state
Words by Anton Howes, Works in progress, 28th August 2020

歴史を通じて、国家は、権力の維持に苦闘している。資金を調達したり、市民を統治するためには、民間の護衛管1 や〔民間人の〕用心棒に頼らざるをえなかったのだ。国家は、どのようにして今日の形態に移行したのだろう?

人は、政府が今日のような官僚制度をずっと昔から備えていたと簡単に想定してしまう。17世紀における〔特定利権者への〕独占権の広範な付与や、強大な権力を備えた領土保有貴族のような政治制度は、今より腐敗していた単なる時代遅れの異物のように見えているだろう。19世紀半ばになるまで、政府が医療や教育にほとんど関与していなかった事実は、人々の脳裏からは欠落してるか、我々の先祖達が(戦争に飢えた騎士階級や責任を負うべき貴族に)搾取されていた帰結に過ぎないと思われているだろう。

しかしながら、現代生活のあらゆる側面に公務員が関与している、今日の官僚国家は、比較的最近の発明である。官僚制度がなかった世界では、今と比較すれば国家は行使能力(state capacity)を欠いていたので、当時の君主が持っていた、今とは異なる政策手段を知るのが難しくなっている。

もしあなたが、西暦1500年のイギリスに国王として転生し、王座に就いたとしよう。国のトップになったあなたは、新規な体験や贅沢さに飽いてしまって、大多数の一般人男女の生活を気に病むようになるかもしれない。しかしながら、もしあなたが医療制度を作ろうとしたり、あらゆる子供を対象とした自由で普遍的な教育制度を創設しようとしたり、警察組織(ロンドンでは1829年に設立されたが、国の残りの地域ではさらに遅れて設立されている)を作ろうとしても、成功手段は絶対的皆無である。

まずあなたは権力の維持に苦闘することになるだろう。「学校に資金を出すのじゃ」と言ったとしよう。誰かに支払わせねばならない。貴族は? ヨーロッパの多くの国では、貴族は課税を免除されていた――なので、あなたは即座に王座と首を失うだろう。もし、あなたが貴族に税を課すことに成功し、さらに貴族の支援なしに奇跡的に反乱を鎮圧できたとしよう。あなたは税を取り立てないといけない、どうやって? 税の徴収を可能としている中央政府機関は、全く存在していないのだ。どのくらい税を収めるべきなのかを計算したり、税を収めない人を監査したり、物理的行為として徴税を行ったり、集めた税金を保管して保護するのには、相当の人手が必要だ。むろん、徴税仲介者が、集めたお金のほとんどを着服してしまう可能性が高いことは言うまでもない。

1500年の君主であるあなたは、「委任」に大きく依存せざるをえないだろう。経済史家のジャレッド・ルービンが強調するように、どんな統治者であれ、統治を拡大するためには、代理・仲介人を必要としている。こういった代理・仲介人は、あなたの用心棒としては、重火器で武装した大きなガタイのゴロツキとして具現化するだろう。統治正当性のイデオロギーを拡散したり、あなたの命令に正当性を付与したり、あなたへの従順を社会規範としてさらに幅広く拡散する人材は、「地方の役人」、「法曹家」、「聖職者」として具現化するだろう。ここで極めて重要なのが、〔あなたの統治正当性を〕伝播する代理・仲介人は、いかなる犠牲を払ってでも味方に付けておく必要があったことである。故に、貴族の為の免税があったのだ。こういった貴族の多くは、私兵を養うだけの財力を保持していたが、あなたの前任者の誰か一人が、彼ら貴族の直系尊属に、免税特権を付与していたかもしれない。

例えば、ジャンヌ・ダルクの村は、ジャンヌがフランス王の軍事的財産を回復する役目を果たしたことで、永久に課税を免除されている。聖職者は、国民の目に〔統治の正当性に対して〕神の承認を与えることができたので、政府を支配することが多かったのである。中国で、皇帝達が、自身を多数の宗教のトップに、可能な限り入念に配置しようとしたのは不思議でも何でもない(イエスが「王の中の王」であることを強調したキリスト教が、折に触れて帝国から禁止された理由の一つでもある)。経済史家のマーク・コヤマとノエル・ジョンソンが論じているように、支配者が、しばしば宗教の異端者や異教徒を根絶やしにしようとした理由の一つが、宗教的正統派のご機嫌取りに傾注することに起因していた。

しかし、徴税のような国家の中核的活動は、〔統治権を正当化する〕伝播者のご機嫌取りだけでは不可能なので、君主権限の移譲に大きく頼ることになっていた。君主の代理人たる官僚制度の整備は非常に手間がかかったため、存在しておらず、部外者を徴税活動に委任させるのが、遥かに安易な手段となっていた。1500年のイギリスだと、都市部の人口は総人口のわずか3.6%だったので、人口の大部分を占める農耕社会から徴税するには、当地の地方貴族に農夫への課税を任せるのが最も合理的手段となっていた。現地の人であれば、その地域に詳しく、土地からの生産物に対して〔中央と比較して〕相対的に容易に課税できからだ。〔地方貴族から生産物を〕隠すのは簡単なことではなかった。そして、民間人を税金徴収担当者(tax farmer)にしていたが、彼らは集めた税金の一部をピンハネして報酬とするのが可能となっていた。これは腐敗である。しかし、他に徴収手段がないことを考えると、必要悪であり、合法的とさえ見なされていたのである。

このように、あなたの統治者としての能力は、完全に「見返り」に支配されており、あなたの前任者によって行われた「取引」によって厳格に制限されていたのである。都市には憲章が付与され、様々な自治権が与えられ、その見返りとして都市の構成員内から税金が徴収されていた(商業や工業は、土地より課税が困難となっており、〔徴税対象の〕構成員との多量の「同意」が必要となっていた)。むろん、王国の防衛のために、追加の税金が必要な場合もあった。そのような場合だと、統治者は議会を招集することになっていた。議会によって徴収された税金は、少し紛らわしいが「補助金」と呼ばれていた。しかし、なぜそう呼ばれていたか? 文字通り「補助」金だったからだ。貴族の代表者や、その他様々な〔権威を〕伝播している代理人達が議会に集り、単発の臨時目的の為に君主に供与された、特例の補助金だった――しかも議会に集められた代理人達には、政策への発言権が与えられていた。

イングランドでは1689年にクーデターが起こってから、初めて〔議員が〕議会がいつでも好きな時に開けるようになっている。それ以前だと、議会は支配者の気まぐれで招集され、些細な諍いであっても解散させられている。例えば1621年に、ジェームズⅠ世は、自分の継承者とスペイン王女との婚姻を計画していた。議会はこの件で議論する権利があると主張し、嘆願書を国王に送っている。これを耳に挟んだジェームズⅠ世は、議会の議事録を要求し、議事録から不快な表明部分を破り取り、議会を速やかに解散させている。むろん、この解散による否定的側面は、ジェームズは、議会からの補助金を得ることができなかったことにある。

このように、統治とは、「取引」をすることであり、継承した「取引」の抜け穴を見つけ出す非常に私的な案件であった。典型的な支配者は、基本的に中世からの均衡状態に陥っていたため、支配者としての能力(国家の統治能力)を高めるのは容易ではなかった。政策を課すには金がかかるが、金を調達するには政策を課す必要がある。この鶏と卵のパラドックスからの脱却には、何世紀にもかけての抜け目ないリーダーシップが必要だった。これを最も達成した支配者達は、今日の基準ではどうしようもないまでに腐敗しているように見えるだろう。

歴代の君主達が、議会からの干渉を受けずに追加の資金を得るために、まず最初にやったのが、「君主には商業や産業に独占権を付与できる古代からの特権がある」と根拠なく主張した上での、この特権の悪用であった。最終的に、君主らは、金を払ってくれる人には誰であれ、この「独占権」を付与し、悪質な行為を規制するとの名目で賭博カードや酒場のような産業の独占権を確立させた。君主らは、騎士の爵位や称号をも売り払った。1670年に、チャールズⅡ世は、カソリックに改宗し、プロテスタントのオランダ人を攻撃する密約を、フランス人との間に結んでいる。この密約の見返りは全て金銭であった。君主らは、煩わしい議会を招集しなくて済むなら何でもしたのだ。最も「効果的な」支配者は、場合によっては、もはやマフィアのボスに近しい存在であった。例えば、エリザベスⅠ世の憤りを見てみよう。1559年、イギリスの商船団は、毛織物を満載して、アントワープの定期市に向かっている。女王は、商船の出港停止を命じたが、命令は無視され船団はそのまま出港している。女王は、まだ物品税を課す権力を保持していなかったので、商人達から「借金」を強制供出させることが不可能となっていたのだ。2

もっとも、皮肉なことに、君主が国家能力の中央集権化に最も貢献することになったのは、彼らが権力を失墜した時であった。イギリスでは議会の支配において、「国家の行使能力」が最も急速かつ決然と上昇し始めている。まず最初1650年代に、議会は君主制を一時的に転覆させ、その後1680年代後半にはウィリアムⅢ世の権利を剥奪している。フランスでも同様に、フランス革命以後に、国家の行使能力は着実に上昇しており、3世紀にも渡ったジャンヌ・ダルクの村への恒久的な免罪措置は、ついに廃止された。

当時の議会は、近代民主主義的な意味での代表権を欠いていたが、増税や政策変更によって、以前の君主が締結した取引を取り消すことができ、疑う余地のない正統的権利を有している。議会はこの権力の行使過程で、市民や臣民の古代からの自由権を踏みにじることになった。強圧的でありながら、議会は、君主とは異なり、〔政策の〕変更の強制がはるかに容易であることを発見している。18世紀において、戦争の必要性に突き動かされた時、議会の構成員が同意していた事実が、数十年前の君主にとっては想像もできなかったような方法で歳入を調達できることにあった。19世紀になり、国家が、教育・衛生・警察などの分野に関与することを望む人々は、ロビー活動を行うことになるが、最終的な受け皿になったのは、議会であった。

このように、何世紀にもわたる流血、汚い取引、汚職、そして我々が今日の国家を作る為に行った選挙運動を経て、国家はその能力を行使できるようになったのである。なんらかの他の方法で達成できたと考えるのは困難である。

著者紹介:アントン・ハウズは経済史家である。著作に“Arts and Minds: How the Royal Society of Arts Changed a Nation(芸術と精神:英国王立技芸協会が変えた国家)”がある。ここで購入可能。彼のツイッターはここでフォロー可能。

  1. 訳注:主に近代国家以前に、国家によって限定的に権力を与えられた準官吏や民間人のこと []
  2. 訳注:当時、アントワープはヨーロッパ最大の貿易港となっており、様々な貿易財がアントワープを経由してやり取りされていた。しかし、アントワープはスペインの支配下にあり、イギリス王室はスペインと対立していたので、アントワープでの自国の商人の貿易活動の規制を求めていた。しかし、女王は規制する手段を持っていなかった。この事実を指摘しているではないかと思われる。 []

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