アンドレア・プラト 「金融規制の政治経済学」(2009年3月9日)

現状の金融規制に欠陥があるのは間違いない。しかしながら、ルールが今のままであっても、規制当局は手持ちの情報を使ってもっと積極果敢で迅速な対応をとれたはずである。ルールがどんなに優れていても、規制当局者がそのルールを忠実に執行するインセンティブを持たなければ宝の持ち腐れだ。規制当局はこれまでに知り得た情報を公開して、規制対象となる業界との「人的なつながり」の実態について公表すべきである。そうすれば、金融規制の分野で「規制の虜」と呼ばれる現象が起きる可能性がどれくらいかを評価できるようになるし、その可能性を抑えることもできるようになるのだ。

●Andrea Prat, “A political economy view of financial regulation”(VOX, March 9, 2009)


今回の金融危機で大きな打撃を受けたのは、金融市場だけにとどまらない。金融システムを監視・監督する役目を果たすはずの金融規制に対する国民の信頼も地に落ちることになったのだ。金融システムの安定性を確保するためにルールをどう変えたらいいかについて活発で示唆に富む議論が繰り広げられている最中だが、ここではちょっと視点を変えて政治経済学的な観点からこの問題に切り込んでみることにしよう。

金融危機に見舞われた多くの国における金融規制の体系は、時代遅れどころか、最先端というにふさわしい特徴を備えていた。しかしながら、規制が効果を上げるかどうかは、(法律をはじめとした)ルールの質だけに依存するわけではなく、そのルールを執行する立場にある人間(規制当局者)のインセンティブにもかかっている。この点でとりわけ肝心なのは、規制当局が規制対象となる業界(民間企業)の虜(とりこ)になってしまう可能性――いわゆる「規制の虜」(regulatory capture)と呼ばれる現象 [1] … Continue readingが起きる可能性――であり、この可能性については公的規制をテーマとするテキストの中でも大きな関心が寄せられている(Laffont&Tirole 1993) [2]原注;ラフォン&ティロールの共著であるこの本の第5部は「公的規制の政治学」(The Politics of … Continue reading。さらには、規制当局が独立性を欠いているようだと、好ましからぬ結果が招かれることを指し示す実証的な証拠も大量にある(Dal Bó 2006)。

金融規制の分野における現状のルールを改善する必要があるのは、疑いない。しかしながら、ルールを執行する立場にある規制当局者が直面しているインセンティブも同時に分析の対象に含める必要がある。規制当局者がルールを忠実に執行するインセンティブを欠いていたり、ルールに反する誘惑に晒されているようなら、ルール自体がいかに優れていても茨の道が待っているだろう。

規制当局は、今回の金融危機の過程で金融機関の虜になってしまったのだろうか? どうだったのかを探るために、2つの問いに検討を加えてみるとしよう。

規制当局は、既存のルールと手持ちの情報をフルに活用したか?

ルールが今のままであっても、規制当局は手持ちの情報を使ってもっと積極果敢で迅速な対応をとれたはずというのが私の判断である。そのことを裏付ける何よりも典型的な例は、バーナード・マドフ(Bernard Lawrence Madoff)が仕掛けた金融詐欺事件である。米国証券取引委員会(SEC)は、詐欺が行われている可能性について事前に情報を得ていた。マドフが巨大なポンジ・スキームに手を染めている可能性について、信頼できる情報源から密かに何度も繰り返しリークがあったのである。それに加えて、SECはこの問題に対処するための揺るぎない法的な権限も手にしていた。証券詐欺規制法がそれである。それにもかかわらず、こんなにも大規模で古典的な手法の違法行為がどういうわけだか見逃されてしまったのだ [3] … Continue reading。イギリスに目を向けると、ポール・ムーア(Paul Moore)による内部告発の例がある。イギリスの大手金融会社であるHBOSでリスク管理部長を務めていたムーアは、同社がリスクを過剰に取り過ぎていると内部告発を行ったのである(内部告発を行った後に、ムーアは同社を解雇された)。信頼できる情報源から警告が寄せられていたにもかかわらず、英国金融サービス機構(FSA) [4] … Continue readingは、重大な問題に発展しかねない事態にどういうわけだか真摯に向き合わなかった。FSAがムーアの内部告発の直後に断固たる対応をとっていたとしたら、HBOSを救済するために何十億ポンドもの公的資金が投じられずに済んでいた可能性がある。規制当局は、個別の金融機関に経営戦略の変更を強いることなどできなかった(そんな権限なんて持ち合わせていなかった)という反論もあるかもしれない。しかしながら、FSAにしても、SECにしても、手持ちの情報を基にして、国民に警告を発するくらいは少なくともできたはずである。株主や貸し手、預金者たちに向けて、自分と関わりのある金融機関が負っているリスクについて明確な警告が発せられていたとしたら、今頃どうなっていたろうか?

規制当局は「利益相反」の問題をどの程度抱えているか

どの公的機関も、「独立性を確保する必要性」と「優秀な人材を確保する必要性」とのトレードオフに直面している。中でも金融規制の分野は、「利益相反」(conflict of interest)の問題に晒される可能性がとりわけ高そうに見える。例えば、HBOS――内部告発をしたポール・ムーアを解雇した会社――のCEOだったジェームズ・クロスビー卿(James Crosby)は、2004年から2006年にかけてFSAの副長官とHBOSのCEOを兼務していた。言うなれば、規制される側の企業のトップが規制当局を監視していたようなものだ。他の分野――例えば、競争政策の分野――だと、到底考えられない事態だろう。マイクロソフト社のCEOが(独占禁止政策を取り仕切る)米国連邦取引委員会(FTC)の委員に任命されるなんてことがあり得るだろうか? 規制当局と規制対象となる業界との間に存在する「人的なつながり」の例は、これだけにとどまらない。FSAの非常勤委員8名のうち3名は、今(2009年時点)でも民間の金融機関で働いているようなのだ [5]原注;その3名というのは、ピーター・フィッシャー(Peter Fisher)、デビッド・マイルズ(David Miles)、ヒュー・スティーブンソン(Hugh … Continue reading。規制対象となる民間の企業と人的な交流(つながり)を持つのは避けられない面もあるが、規制対象となる企業のトップをFSAの委員に据える必要性は果たしてあるのだろうか?

金融規制というのは、ルールさえ用意すれば放っておいてもうまくいくわけではない。多くの国の金融システムは非常に洗練されていて、国民に多大な便益をもたらす可能性を大いに秘めている。優秀な弁護士や会計士に頼ることもできる。しかしながら、金融システムがその潜在的な力を存分に発揮するためには、能力が優れているだけでなく、ルールを忠実に執行するインセンティブも備えた規制当局者の存在が欠かせない。必要とあらば問題の所在を徹底的に追及し、規制対象となる金融業界に対して厳しい態度で臨むのも厭わない規制当局者の存在が欠かせないのだ。

今後の課題に目を転じるとしよう。規制当局者が用意されたルールを存分に活用するインセンティブを持つような方向に持っていくためには、どのような措置を講じたらいいだろうか?

  • これまでの実状を知らずして、規制当局が規制対象となる金融機関の虜になってしまうかもしれない可能性を評価することはできない。規制当局は、これまでに知り得た情報を公開すべきである。どういうリーク情報が寄せられたかについてだけでなく、リーク情報に基づいて調査に乗り出した経緯がある場合はその調査結果についても、第三者が確認できるようにすべきである。例えば、HBOSだけでなくそれ以外の金融機関が抱えるリスクの実態について、FSAがどういう情報を得ていたか(あるいは、知り得たか)が明らかになれば、非常に有用な判断材料になるだろう。
  • ルールの厳格な適用が妨げられるおそれがないかどうかを確認するために、規制対象となる金融機関の経営陣との「人的なつながり」の実態――規制当局の委員(および、規制当局で働く官僚)が任命前、委員在任中、任期終了後にそれぞれどのような地位にあったか(あるか)――についても情報を公開すべきである。
  • 規制当局が公開した情報を精査し、その分析結果に照らして「利益相反」の問題に対処するための措置を講じる必要がある。民間(金融業界)とのその時点での人的なつながりだけでなく、将来における人的なつながり(いわゆる「天下り」)も検討の対象になるだろう。その措置の具体的な内容が固まった暁には、国民に向けて大々的に公表すべきである。公益(社会全体の利益)を何よりも優先するのが規制当局の役目であることを改めてはっきりと打ち出すべきである。

成果主義(成果に応じた報酬の支払い)というのは、ここのところあまり受けがよくないようだ。しかしながら、ルールを忠実に執行するインセンティブを規制当局者に持たせる術の一つとして、金融システムの健全性の度合いに応じて規制当局者に支払う報酬の額を変える [6] 訳注;そうすることで、金融システムの健全性を保つことが規制当局者自身の利益(自己利益)にもなるように仕向ける。という大胆な可能性を探ってみるべきだろう。金融システムの健全性(あるいは、その反対に脆弱性)を測る適当な指標についてコンセンサスが得られるようなら、その指標に照らして規制当局者に支払う報酬の額を決める――その指標の変動に応じて、報酬の額を上下させる――という一種の成果主義的な報酬制度を導入する道が開かれることになる。規制当局者が公益を優先するように仕向けることができるかもしれないのだ。

<参考文献>

●Jean-Jacques Laffont and Jean Tirole (1993), A Theory of Incentives in Procurement and Regulation, MIT Press.
●Ernesto Dal Bó (2006), “Regulatory Capture: A Review,” Oxford Review of Economic Policy, 22(2): 203-225.

References

References
1 訳注;規制対象となる企業が規制当局に対して政治的な働きかけを行う結果として、規制の内容が社会全体の利益よりも規制対象となる企業の利益を優先するような方向に歪められたり、規制の適用にあたって手心が加えられたりすること。
2 原注;ラフォン&ティロールの共著であるこの本の第5部は「公的規制の政治学」(The Politics of Regulation)と題されていて、本全体のおよそ3分の1の分量を占めている。
3 原注;2003年に起きたいわゆるスタンフォード詐欺事件についても、信頼できる情報源から規制当局に対して事前に情報がリークされていたことが判明している。
4 訳注;FSAは2013年4月に解体されている。その権限は、金融行為監督機構(FCA)と、イングランド銀行内に設置された金融安定政策委員会(FPC)およびプルーデンス規制機構(PRA)の3つの機関に委譲されている。詳しくは、次の論文を参照のこと。 ●小林襄治, “英国の新金融監督体制とマクロプルーデンス政策手段(pdf)”(証券経済研究, 第82号(2013 . 6))
5 原注;その3名というのは、ピーター・フィッシャー(Peter Fisher)、デビッド・マイルズ(David Miles)、ヒュー・スティーブンソン(Hugh Stevenson)。FSAのホームページにある略歴によると、フィッシャーはブラックロック、マイルズはモルガン・スタンレー、スティーブンソンはエクイタスならびにマーチャント・トラストで、それぞれ要職にあるとのこと。
6 訳注;そうすることで、金融システムの健全性を保つことが規制当局者自身の利益(自己利益)にもなるように仕向ける。
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