Tilman Eichstädt, bbw Hochschule Berlin サプライチェーン・マネジメント教授
2022年4月26日
概要:ドンバス地方やウクライナの他の地域の町々がウクライナ戦争の第二段階にさらされる中、ドイツや他のヨーロッパ諸国はロシアの侵略への効果的な対応策を見出すのにいまだ苦慮している。本コラムでは、交渉分析(negotiation analysis)や非協力ゲーム理論を用いて、輸入税や関税が紛争期間を左右する非常に有効な手段となりうることを主張する。これらを明確な段階的アプローチで実施すれば、ロシアに戦争を終わらせる時間的圧力を高め、さらなる行動の信頼性を高めることができるだろう。
編集部注:このコラムは、戦争の経済的影響に関するVox討論会(https://voxeu.org/debates/economic-consequences-war)の一部です。
複数の経済専門家が現在のロシアからの石油とガスの輸入をドイツとEUが減らす為のより積極的な対策を求めている(例:Chepelievら2022、Chaneyら2022a)。この輸入が国家としてのロシアとその現在の戦争の資金調達に大きく貢献しているからだ。500人以上の専門家が、石油の禁輸とガスの輸入関税を求める請願書に署名した(Chaney et al.2022b)。さらに、ドイツの幅広い経済学者のグループは、広範なマクロ経済モデルに基づき、ロシアの石油とガスの輸入の全面禁輸によるドイツへの悪影響はそれほど大きなものではないことを示している(Bachmann et al.2022年)。また同時に、ロシアの石油とガスの輸入に懲罰的な関税を設定することは、そのコストのかなりの負担がロシアにかかるため、有益であることを強調している一連の研究が発表されている(Hausmann 2022, Gros 2022, Sturm 2022)。この研究をさらに進めて、我々は非協力的なゲーム理論や交渉分析を適用し、これらの手段がマクロ経済や貿易理論の観点から有意義であるだけでなく、より迅速な紛争解決を効果的に推し進めることができるものであることを示す。
ゲーム理論は1950年代に米ソ冷戦における紛争戦略の分析で最初のブーム期を迎えたが、現在のロシア-ウクライナ-欧州/NATOの紛争にも共通する部分があるので、これらの知見を理解することは有益である。この期間の研究から得られた最も重要な成果のいくつかは、ノーベル賞受賞者T・C・シェリングの有名な言葉「敵を拘束する力は自らを制する力にかかっている」(Schelling 1960)に要約されている。プーチンが予想していたよりも明らかにはるかに多くのウクライナ人が命を賭して踏ん張っていることによっても、この言葉の正しさは示されている。同じ頃、同じ紛争をめぐって、プーチンはNATOのさらなる拡大に関して西側諸国と交渉している。しかし、この交渉の中でドイツのような重要なメンバーは、ロシアからの石油やガスの依存度を減らすという明確な道筋へと自らを公式に縛ることをいまだに強くためらっている。このようにしてドイツの迷走は、紛争全体におけるプーチンの立場を強めている。
これまでドイツの経済学者たちの間の議論は、純粋なコスト・ベネフィットの議論に重心が置かれてきた。それがドイツにどれだけのコストを負わせるのか?それがどの程度、戦争を止められるのか?この対立の中においては、科学的な議論は残念ながら戦略的紛争におけるコストとリスクを引き受ける意思という極めて重要な戦略的・戦術的要素を無視している。
ゲーム理論は極めて抽象的であり、しばしば形式化された限定的なものである。しかし現在の紛争においては、決断や行動が紛争全体や関係者の意思決定にどのような影響を与えるかを理解することは有益である。そのため、非協力ゲーム理論や交渉・折衝の広範な分析から得られた知見を用いることで、意義ある手順や逆効果な手段を理解することができる。
重要なゲーム理論の知見とそれからの提言
ゲーム理論家は「消耗戦」をモデル化してきたが(Kennan and Wilson 1990 など)、現在の(ウクライナの)戦場の状況は「消耗戦」の特徴を持つ膠着状態に陥る可能性が非常に高いようにみえる。シェリングの分析と同様に、シグナリングが重要な役割を果たすだろう。この状況では、どちらの側が長い消耗の局面に耐えられるだけの資源をより多く持っているかを理解することが重要である。その意味で、ウクライナへの武器や食糧の供給、さらに難民の救済は、ただウクライナの立場を支えているだけである。ロシアから技術やドルの供給を断つことは、ロシアが侵略を維持することを難しくさせるものである。ロシアの石油とガスの収入を制限することは、故に紛争を終わらせるために不可欠なことなのだ。
交渉モデルの中の最も重要なコンセプトの一つがAriel Rubinstein (Rubinstein 1987)によって開発された。彼は時間をかけた継続的な交渉モデルのコンセプトを導入し、分かりやすく直感的な結果を導き出した。「もし結果に至るまでの時間的圧力が一方にとってより大きければ、交渉の中で他方よりも大きな譲歩をすることになる」というものである。この発見は現在進行中の戦争にも、将来の長引きかねない和平交渉にも重要である。欧州によるロシアの石炭、石油、ガスの輸出への更なる制限はロシアへの外貨流入を制限し、同国の政治的意思決定者に対する時間的圧力が高めることが示されている(Kennedy 2022)。
交渉理論のもう一つの重要な発見は、リスク回避が交渉に与えるインパクトについて考察している(Roth 1985)。この結果は、様々な環境下において頑健であり、リスク回避的な当事者が常に不利な立場になることを示している。この結果は、特にドイツの政治家にとって重要である。彼らはコミュニケーションにおいて、ウクライナ支援のためにリスクやコストを引き受ける意思よりも、ドイツ経済への懸念を強調することが多いのだ。このようなアプローチによって、ドイツは欧米に対するプーチンの立場を強化することになっている。
非常に重要だが残念なゲーム理論の知見がMyerson-Satterthwaiteの定理(Myerson and Satterthwaite 1983)に隠されている。これは、情報が双方にとって非対称的な非協力交渉ゲームにおいては、合意を確実にする効率的なメカニズムは存在しないというものだ。簡単に言うと、両者共に相手側が交渉対象をどの程度評価しているのか完全に把握していない場合、たとえ合意の余地があったとしても、交渉が決裂するリスクが常に存在するということである。具体的には、ウクライナとロシアの平和交渉で両者が十分に納得できる合意の可能性があっても、それが実現するはずだと期待することはできないということだ。これはNATOやEUの代表と共に、中国など解決に利害を持つ他者も巻き込んだより広範な和平交渉の舞台は考慮する価値があるということを意味する。
交渉分析の観点からのヨーロッパとドイツのオプション
交渉分析は主にHoward Raiffaによって、行動分析を含み、ゲーム理論的推論の利用を交渉におけるより実際的な応用に拡大することで確立されてきた(Eichstädt et al.2016)。ではヨーロッパとドイツは、ロシアへの経済制裁を巡る行動の効果を最大化し、プーチン政権にとって早期の和平協定をより魅力的にするためにはどうすればよいのだろうか?
そのためには、上記のゲーム理論的な知見と、紛争における脅威の適用に関するシェリングの重要なさらなる知見を基にしてゆく。脅威は、相手側がその脅威が実現すると予想した場合に交渉や紛争の予想結果に影響を与えることができる。したがって、紛争当事者のいずれにも脅威の実行を確実にできることが不可欠になる。ドイツはこれまでのところ、ロシアの石油・ガス輸入に対する制裁を控えてきた。ドイツの政策立案者は、こうした制裁、特にロシアの天然ガスに対する制裁を自国が長期にわたって維持できるという確信を持てないでいるからだ。したがって、彼らはそのような脅威には信頼性がないと見なしており、これがロシアの立場を強めている。
これに対してシェリングは、理想的には、脅威をいくつかのステップに分割し、最初のステップは容易に行うことができると同時に将来的にさらなる脅威と損害を与えるステップが課されることの信頼性を高めたものとすることを提案している。このメカニズムは、信頼性を確保するためプロの交渉担当者によって実際にかなり頻繁に適用されており、紛争全体がエスカレートした場合には更なるエスカレーションを可能にしている。例えばドイツの自動車産業においては、調達部門はサプライヤーとの紛争交渉に適用する脅威のエスカレーション経路を明確に定義している。
ドイツとヨーロッパがプーチンとの仮想交渉の席での立場を強化し、ウクライナの和平に向けて圧力をかけようとするならば、ステップ・バイ・ステップで実行でき、信頼性のある脅威のシステムを開発しなければならない。そのためには、断固しかつ検証可能な段階的アプローチに基づいて、石油とガスの輸入を減少させるという非常に明確な道筋を定義し伝える必要がある。最初のステップがとられた事をロシアが確認できるとともに、これがヨーロッパとドイツが断固として行動することの全体的な信頼性を高めてくれる。なので石油とガスの輸入に対して測定可能なレベルでの懲罰的関税を、石油については販売価格の20〜30%、ガスについては依存度が高いため当初は5〜10%という低い水準で課すことを開始すべきである。この措置は観察可能であること、そしてきちんと実行されることが重要である。その上で、大量破壊兵器が使用されて戦争がエスカレートしたり、ロシアの攻勢がグルジアやモルドバなど他の国々に拡大した場合には、関税を引き上げるという明確なルールを設けることができる。このメカニズムにおいては、そのアプローチが前もって明確に伝えられ、進捗が測定可能で、時間が経過する中で観察してゆけることが重要である。さらに、税を長期に渡って課すことも可能だろう。当初は1年間限り、後に2年間から、5年間や10年に渡って。
このようなアプローチは脅威の信頼性を最大化するだけでなく、ロシアが交渉による合意に至るまでの時間的圧力を高め、ヨーロッパ人(あるいは少なくともドイツ人)のリスク回避意識の低下を示唆するものとなるだろう。もちろん、これらの措置はすべて、ヨーロッパ人、ドイツ人、そしてその企業に不利益とコストをもたらすものとなる。しかし、関税収入は消費者への補償、既存のエネルギー税の削減、あるいはウクライナへの支援資金に充てることができるものなのだ。
参照文献
Bachmann, R, D Baqaee, C Bayer, M Kuhn, B Moll, A Peichl, K Pittel and M Schularick (2022), “What if Germany is cut off from Russian energy?”, VoxEU.org, 25 March.
Chaney, E, C Gollier, T Philippon and R Portes (2022a), “Economics and politics of measures to stop financing Russian aggression against Ukraine”, VoxEU.org, 22 March.
Chaney, E, C Gollier, T Philippon and R Portes (2022b), “Stop financing Russian aggression against Ukraine”, stopfinancingwar.com.
Chepeliev, M, H Hertel and D van der Mensbrugghe (2022), “Cutting Russia’s fossil fuel exports: Short-term pain for long-term gain”, VoxEU.org, 9 March.
Eichstädt, T, A Hotait and N Dahlen (2016), “Bargaining power–measuring its drivers and consequences in negotiations”, in International Conference on Group Decision and Negotiation, Springer, Cham, 89-100
Gros, D (2022), “Optimal tariff versus optimal sanction: The case of European gas imports from Russia”, CEPS.
Hausmann, R (2022), “The Case for a Punitive Tax on Russian Oil”, Project Syndicate.
Kennan, J and R B Wilson (1990), “Theories of Bargaining Delays”, Science 249(4973): 1124-28.
Kennedy, C (2022), Russian Oil’s Achilles Heel, Navigating Russia.
Myerson, R B and M Satterthwaite (1983), “Efficient Mechanisms for Bilateral Trading”, Journal of Economic Theory 29: 265-281.
Roth, A (1985), “A Note on Risk Aversion in a Perfect Equilibrium Model of Bargaining”, Econometrica 53(1): 207-21.
Schelling, T C (1960), The Strategy of Conflict, Harvard University Press.
Sturm, J (2022), “The Simple Economics of Trade Sanctions on Russia: A Policymaker’s Guide”, Working Paper.