サイモン・レン=ルイス「いまだに緊縮はよい考えだったと思う人なんているだろうか?」(2020年4月7日)

[Simon Wren-Lewis, “Who still thinks austerity was a good idea?” Mainly Macro, April 7. 2020]

〔こんな新聞記事を想像してみよう〕もうすぐ2020年も秋を迎える.検査/追跡・隔離の新体制がとられ,一部地域がときおり封鎖されている.これはうまくいっているようだ.経済は,第2四半期に前年比 30% の GDP 下落のあとに回復し始めている.だが,この景気回復はメディアが伝えているものとは異なる.GDP の減少と政府による支援策実施にともなう当然の帰結として,政府の財政赤字は大幅に増えた.メディアはもっぱらこの赤字について語っている.こうしたメディアの懸念に対応して,政府は今後5カ年にわたって政府支出を削減すると公表する.ただし,国民保健サービス (NHS) は「守られる」とのことだ.

政府支出削減のくだりを読んで,「まさかそんなことはないでしょう」と思った人もいるだろう.私も同感だ.だが,グローバル金融危機 (GFC) のあとにイギリスや世界のあらゆるところで起きたのが,まさにこれだった.グローバル金融危機は第二次世界大戦後で最大の景気後退をもたらした.その景気後退と政府による経済支援策の結果として,赤字は急激に増加した.これは戦後でも記録的な赤字だった.同じように,今後3ヶ月の赤字も記録的に大きなものとなるだろう.経済を支援する今日の方策に相当する当時の政策を,ジョージ・オズボーン〔GFC 当時の財務大臣〕は非難した.赤字が増えてしまうというのがその理由だった.そして,メディアはオズボーンの言を踏襲して,経済の回復ではなく赤字増大を主な関心事にしてしまった.

もちろん,GFC と今日の状況はそっくり同じではない.2009年に必要だったことと実際に起きたことは,需要不足に対処するための標準的な財政刺激だった.他方,今日の私たちが目標としているのは,対人距離の維持(ソーシャルディスタンシング)の結果として生じる苦難を乗り越えるために人々に財政支援を行うことだ.ごく普通の財政刺激策は,今日の状況では有用さに限度がある.多岐にわたる消費財に人々がお金を使うのを妨げているのが,いまの状況だからだ.(それでも,貧しい人たちに即座に給付を行うべき理由はある.) だが,GFC と今日の状況とで共通しているのは,どちらも,GDP の低下による影響と合わさって,政府の赤字が大幅に増加する点だ.

ひとたび〔パンデミックによる〕死者数が減り始めるなり赤字に固執し始めるのは,どうかしている.GFC のあと産出の減少が止まったとたんに赤字に固執するのがどうかしている所業だったのと同じだ.公共投資を急激に削減することで,オズボーンは2010年から2013年までの景気回復を遅らせてしまった.NHS は守られるという考えは,古典的なごまかしだ:高齢化や技術変化その他の周知の要因があるなかで,NHS はGDP を上回る速度で伸びなければ頑健なものにならない.下記の図が示すように,過去10年間に政府は GDP 比でみた医療支出の割合を縮小させてきた.いま平時の負荷に耐えられなくなっている制度が,その結果うまれている.また,同じく下の図からわかるように,医療支出の金額を〔物価変動で調整した〕実質で見ると,実質の支出を増やすだけでは本当に NHS を保護するのに足りない.

▼ イギリスの医療公共支出――実質支出と GDP 比,1949/50年~2018/19年
〔※青い線は,GDP に占める割合でみた公共部門の医療支出(左軸),赤い線は公共部門の医療支出の実質値(右軸)〕

医療支出がこうして縮小した結果は,今日の状況に見てとれる.病院はパンデミック対応に苦しみ,他の重要な業務〔治療?〕が遅延している.「NHS を限界以上に運用する」とはどういうことなのか理解するには,ぜひともクリス・クックによるこの記事〔「許容量の限界に達した NHS」〕を一読することをすすめる.だが,2010年いらい,「緊縮やむなし」と私たちはひっきりなしに聞かされてきた.「赤字を減らすことが主要な経済的目標だから」だと.その後の研究で示されているように,主流メディアのほぼすべてが,赤字をめぐる当初のパニック創出に力添えしたばかりか,経済の成功度をはかる主要なテストに赤字削減度合いを使いつづけてきた.

アメリカとイギリスの学者たちは,多大な労力を注いで,緊縮を支持するあらゆる論証を首尾よくたたきのめしてきた.たとえば,連立政権がみずからの行動で資金調達の危機を回避したばかりだったのに,当時政府は資金調達危機がすぐそこに迫っていると語っていた.これにはなんの根拠もなかった.せいぜい,金融街の人々が破滅・破綻を予言していただけだった.イギリス国債の供給が増えているからというのがその予言の理由だったが,彼らは国債需要も増加しているのを無視していた.こうした金融街の人々は間違っていて,私たちが正しかった.なぜなら,イギリス政府の債務にかかる利率は低下したからだ.このブログの初期のポストで指摘したように,中央銀行が(量的緩和の一環として)政府の債券を大量に買っているイギリスのような国で,資金調達危機に苦しむことはありえない.標準的なケインジアン経済学とあわせて,これは緊縮必要論をマットに沈めるパンチだった.ところが,メディアはおかまいなしに懸念論をつづけた.

野党は当初,赤字削減と景気回復維持という2つの目標のバランスをどうにかとろうと試みた(見当違いなバランスだった――景気回復の方が優先されるべきだった).だが,野党はこの試みを放棄した.赤字削減が唯一の選択肢だとメディアが判定したからだ.メディアの大多数がいっそう赤字に固執していく一方で,学者の意見はその逆方向に動いていった.緊縮に反対する学者は最初のうちはほどほどの多数派だったのが,そのうち圧倒的な多数派に変わっていった.下に引用しているのは,「オバマの景気刺激パッケージがいいアイディアかどうか」について2014年にアメリカの学者に訊ねた回答結果だ.

▼ 問い B: ARRA の経済的帰結を――財政支出をまかなうための増税・それが将来の支出におよぼす影響など将来見込まれる影響の経済的コストも含めて――考慮に入れると,景気刺激策の便益はそのコストを上回る結果となる.(専門家パネルは,2012年2月15日にもこの問いに投票している.前回の結果はこちらを参照.〔左側は「強く賛成」~「強く反対」および「意見なし」の回答分布を示す.右側は,それに回答者の確信度で重み付けをしたもの〕

当時すでに大学の経済学者たちのあいだでは「緊縮はとてつもない過ちだった」というのは明らかな共通見解だったにも関わらず,メディアは赤字削減の推進を継続した.これは,2015年総選挙で保守党が勝利するのに大きな役割を果たした.「実質賃金が前例のないほど下がっているですと? いやいや経済は堅調ですとも,なにしろ赤字が減っておりますからな」――そんな奇妙な物語がメディアを支配していた.

2015年以後,オズボーンと彼の後継者は緊縮を継続し,ただでさえ悪化していた NHS の状況をさらに悪くした.ジョナサン・ポーツが述べているように

「この10年間の緊縮プログラムは,COVID-19危機が医療・社会・経済にもたらす帰結のいずれにも用意を調えることがなかった.その逆に,緊縮プログラムによって私たちは必要以上に脆弱になってしまった.」

2016年に実施されたパンデミック・シミュレーションの「オペレーション・シグナス」で突き止められた失敗が改善されなかった理由は,緊縮だ.これは,いまなお政権についている政党の政治家たちの失敗であるばかりか,イギリスメディアの失敗でもある.この点を理解するのが重要だ.この失敗のコストは,NHS をおそろしく脆弱にした点にとどまらない.イギリスの平均的な世帯あたりでおよそ 1万ポンド相当のリソースを喪失させたのも,この失敗のコストだ.一部の経済学者たちがいま論じているように,もしも緊縮が潜在的 GDP を恒久的に低下させているとすれば,そのコストはいっそう大きなものとなるだろう.

歴史は繰り返すだろうか? パンデミックから経済が完全に回復しきらないうちに,ポール・クルーグマンが「財政赤字ガミガミ屋」と呼ぶ人々によって,政府が赤字削減策をとらざるをえなくなりはしないだろうか? イギリスでは,そうならないと私は思っている.理由はいくつもある.第一に,2020年のボリス・ジョンソンは,2010年のデイヴィッド・キャメロンとはちがう.第二に,多くの人々が緊縮の過ちを学んでいる.第三に,2010年の状況は,人々に「緊縮こそなすべき正しい行い」だと受け入れさせるのにとりわけ好都合だった.

長年にわたって緊縮が国民の支持を広く集めた理由はいくつもある.第一に,当時は金融危機が起きたばかりだった.そのため,「金融市場は気まぐれな神のようなもので,この神のごきげんをとらなくてはならない」という考えが強かった.第二に,消費者たちはすすんで貯蓄を殖やし借り入れを減らしていた.そのため,政府も同じようにすべきだという考えは常識のように思われた.有権者と政治家のどちらもそう思ったのだ.1930年代にケインズによってその恐ろしさが示されたのが,まさにこの考えだ.第三に,イギリスとアメリカでは,緊縮を押し立てた右派政党は,赤字が増えていく局面で野党だった.だが,どちらもいま政権についている.

おそらく,コロナウイルスの災いから経済が完全に回復しきったとき,各国の政府はやがて増税する必要が生じるだろう.だが,その論議はずっと後になってからやることであって,対人距離の維持と隔離の影響を受ける人々を支援するのに政府ができるかぎりの手を打ち,ひとたびそれが終わったなら経済の回復をたしかなものとするのを,止めるべきではない.赤字をめぐってパニックをきたしたがっているメディアの人々には,自分たちのセイレーンの歌声が10年前にどんな打撃を与えたのか,思い出してもらう必要がある.

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  1. わかりやすい翻訳で普段より楽しく読ませていただいております。
    > 経済の敬服ではなく赤字増大
    回復でしょうか。

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