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サイモン・レン=ルイス「イギリスで景気後退のさなかに財政緊縮をやった事例:1981年と2010年を比べてみると」(2019年8月3日)

[Simon Wren-Lewis, “Fiscal tightening in UK recessions: 1981 and 2010 compared,” Mainly Macro, August 3, 2019]

健康で平穏な生活を守るために,Twitter でのやりとりを控えることにしている.ただ,先日,Andrew Dentance とのやりとりを例外にした.論点は,1981年の財政引き締めが2010年の緊縮とどれくらい同等と言えるのか,という点だ.明らかに,これにはあれこれと話を整理するためにちょっと文章を書くしかない.このあと掲載するいくつかのグラフで,1981年/82年(青)と2010年/11年(赤)がGDP に占める割合でみたさまざまな財政の尺度でどう比較できるか見ていこう.(厳密に言うと,それぞれのグラフが取り上げている財政の尺度が GDP に占める割合を X とすると,青い線が示しているのは1980年/1年の X をその後数年から差し引いたもので,同じく赤い線は2009年/10年の X をその後数年から差し引いたものを示す.データの出典は予算責任局 (OBR) の公共ファイナンスデータバンク〔※OBR のデータはこちらのExcelファイルを参照.〕)

まずは,公共部門の歳入を見てみよう.

〔※訳註: サッチャー政権の1980年とオズボーン政権の2010年を基準の年にして,その後の4年間の変化を示す.たとえば,80/81年度の歳入 GDP 比は 38.6% だった.81/82年度は 41%.すると,41-38.6 で2つの年度の差は 2.4ポイントになる.これが「1」の青い棒だ.以下,82/3年度 (40.7%),83/84年度 (39.6%),84/85年度 (39.3%) も同じように80/81年度の 38.6% を差し引いて基準の年との差を示している.〕

1981年の財政では増税がなされた.この増税には,364名の経済学者の連名で批判の公開書簡が発表された.ただ,この増税はそのあと2年間でほぼ巻き戻されている.これと対照的に,2010年の増税(付加価値税 (VAT) の引き上げ)は GDP 比で見るとこれより小さかったが,その後に巻き戻されていない.

政府の総支出を見ると,これとちがった側面が見える.

サッチャー政権下では,GDP比で見た政府支出の割合はだいたい一定している.だからといって,引き締めがなかったわけではない.失業率が大きく増えるなかで,政府支出の GDP 比は伸びてしかるべきと予想されるにもかかわらず一定していたからだ(この点は Andrew が述べている).それにもかかわらず,2010年との対比は鮮烈だ.オズボーン政権下で,財政引き締めの主要な要素は政府支出〔の減少〕だった.

着目すべき支出項目がある:公共投資だ.

こちらを見ると,サッチャー政権下でもいくらか財政が引き締められているのが見てとれるものの,これもすぐさま巻き戻されている.他方,オズボーン政権下では,財政の削減は年を追って強まっている.最終的にはサッチャー政権下で試みた削減の2倍ほどになっている.

正味の借り入れに着目するとこうした項目を総合的に見られる.

サッチャーの財政引き締めは,だいたい2~3年で巻き戻されている(景気循環で調整した数字を見ると,ほぼ完全に巻き戻されている).オズボーンの財政引き締めは年を追って安定して増えていった.また,サッチャーの最初の2年を見て1981年の引き締めはオズボーンの引き締めと同じくらい厳しかったと結論を下すのも誤りだ.増税が需要に及ぼす効果は,公共投資削減や一般的な政府支出削減よりもずっと小さい.

したがって,景気後退のさなかに政府が公的支出の削減を選んだのは2010年がはじめてというわけではない.だからこそ,ツイートでは「急激に」(‘sharply’) という単語を加えておいたのだ.1981年の事例でわかるように,景気後退のさなかにイギリス政府が財政引き締めを試みたのは2010年が最初ではないからこそ,私のもとのツイートでは公共支出に話を限定しておいたのだ.だが,おそらく1981年と2010年でなにより重要なちがいは,その〔財政緊縮の〕期間だろう:サッチャーが1981年にやった財政引き締めは,1983年までに大半が巻き戻された.2010年の引き締めは年々続いている.景気回復がこんなに低調なのも意外ではない.

それどころか,経済の回復とは過去の傾向を超える経済成長が起こることだと定義するなら――この定義を支持する強い論拠はある――2010年以降に経済は回復していない.同じ定義で語ると,1981年以後に経済の回復はあった.だが,回復がはじまったのは1983年になってのことだ.1981年予算でなされた一時的な財政引き締めは,回復を2年近く遅らせた.ひとつには,引き締めが巻き戻されたことも一因になって,やがて経済は回復した.もちろん,どちらの景気後退期にも金融政策は重要な役割を果たした(金利の引き下げ幅はどちらでも同じくらいだ).だが,サッチャー政権下では金利引き下げは緩慢で,しかも量的緩和はなかった.

1981年の財政引き締めは2010年の緊縮ほどひどくはなかったが,多くの人に多大な苦難をもたらした深刻なマクロ経済の失策だったのは疑いない.また,多くの保守派の心にうちに,2010年を用意する条件を創り出すのにも重要な役割を果たした.保守の政治カタチ,とくに経済問題研究所 (Institute of Economic Affairs) は虚偽の物語を語った.1981年に経済学者たちが書いた公開書簡は間違っていて,サッチャーが正しかったという物語だ.あたかもこれが事実であるかのように彼らは語り続けたので,メディアに登場する評論家たちのなかには,これが事実なのだと信じる者たちも出てきた.これが2010年の緊縮を維持するのになんらかの役割を果たしたにちがいないと私は見ている.


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