サイモン・レン=ルイス「学部生向けの経済学教育も21世紀に」

[Simon Wren-Lewis, “Undergraduate economics teaching moves into 21st century,” Mainly Macro, September 19, 2017]

CORE経済学カリキュラムのねらいは,数十年むかしの経済学じゃなくて今日の経済学を反映させた経済学入門を提供することだ.正当にも,ジョン・カシディに賞賛されている.すぐれたカリキュラムだとも思う.たんに初年度の学部生向けとしてすばらしいだけじゃなくて,経済学に関心をもった一般人向けとしてもすぐれている.どんなものかちょっと味見をしてみたい人は,このプロジェクトの主導者2人が書いた短い解説を一読してみるといい.

他の人たちと口を揃えて賞賛の言葉を書き連ねるかわりに,ここでは1つ問題を考えてみたい――学部初年度の教科書が明らかな市場の失敗の具体例になっているのはどういうわけだろう? ここで念頭に置いてる失敗とは,教科書が現行の経済学を教えられずに数十年むかしの経済学を教えている現状のことだ.標準的な初年度向けの「経済学概論」教科書をぱらぱらめくってみよう.なるほど現代のネタも盛り込まれているけど,通常はあとの方の章に回されていて,その前に基本的なモデル/枠組みが次から次へと解説されている.30年かそれ以上もずっと変わってない項目が続く.その結果として,教科書は概して退屈なうえに,意義がなさそうで分厚すぎるものになりがちだ.(これはざっくりした一般論なので,きっと例外もあるだろう.)

私の説を,経済学ジャーゴンぬきの平易な英語でどうにか説明してみよう.教科書を最終的に消費するのは学生たちではあるものの,選ぶのは教師たちで,彼らがコース用の教科書を決める.じゃあ,どうして経済学概論を教える人たちはあまり退屈じゃない最新の内容の教科書を要求しないんだろう?

想像してみよう.誰かが,CORE 教材みたいなものを書いたとする.出版社は(いまの慣例どおりに)その原稿をいま経済学概論を担当している人たちに送りつけてコメントを求める.経済学概論の担当教員たちから返ってくる反応の相当な割合は,こんな具合になるだろう――「面白いですね.ただ,序盤にはここ5年ほどぼくが教えてきた内容を入れてもらうのはどうでしょうか.」 当然ながら,教員たちはコースの内容を完全に書き換えたいとは思わない.おそらく,なじみのない内容を学ぶのもいやだという人たちもごく一部にはいるだろう.

出版社は著者にこう伝える:「いまのままだと出版は無理ですね.でも,最初の方を伝統的な内容にしてもらえれば,ひょっとするといけるかもです.」 これが市場の失敗だという理由は,出版社がいま経済学概論を教えている教員たちに目を向けていて,いつか教えることになるだろう人たちやもっと最新の内容を入れるのに前向きな人たちの方を見ていないからだ.保守的になる要因はそれだけではなく,市場を支配している大物・有名学者たちにとっては,新しい素材を終盤の章に追加する方が,まるごと一から教科書を書き直すよりずっとかんたんだという事情もある.

もっと続けてもいいけれど,もう十分に我が同僚たちに失礼千万なことを言ってしまっている.CORE について,他に具体的なことを2つ付け加えておこう.1つ目は,これが明らかに主流派だという点:多元主義的な教科書ではないので,多くの異端派経済学者の好みではないだろう.おそらく,これは避けようがない:経済学は主に職業教育であって,リベラルアーツ科目ではないからだ.(なんて言ってると,また怒らせる人を増やしてしまいそうだ.) ただ,現代マネタリスト理論 (MMT) の人たちがこの教科書を見て「じぶんたちには合わない」と書いているのには驚いた.前にも書いたように,MMT はようするに私のいう「共通見解の政策割り当て」(Consensus Assignment) ぬきの標準マクロだというのが私の持論だ [1].そこで,ちょっと調べてみた.

政府ファイナンシングに関するセクション (14.8) にこう書いてある:

「財政赤字になっているとき,政府は歳入と歳出の差額を埋め合わせるべく借り入れなくてはならなくなる.政府は国債を売ることで借り入れる.」

これは正確でないし,現代マクロを踏襲してもいない [2].私のような経済学者なら,ここにはハイパワードマネーの量の変化という観点を政府の予算制約に入れる.(貨幣が登場しないとしたら,それはその論文では簡単のために貨幣のない世界を扱うのを明示的に選んでいるからだ.) ようするに,政府は貨幣をつくりだすことで歳入と歳出の差額をうめることができる.このセクションで貨幣を無視しているのは明らかに手落ちだ.セクション 10 の議論を見ればその点ははっきりわかる.だが,この手落ちは正されるべきだ [3].これを脇に置くと,もうすっかり私は CORE で採用しているマクロ経済学アプローチのファンになってしまっている.Carlin & Soskice による教科書の簡素化バージョンだからだ.インフレーションについて語る方法として「一貫した主張」アプローチが私は気に入っている.このアプローチでは,インフレが持続的に上昇するには賃金と物価両方のインフレが必要だという初歩的な要点を強調する.近頃,金融政策担当者がずっと忘れ続けている要点だ.

LM 曲線を放棄して明示的に中央銀行の政策について語るのが私の好みだというのを思い出す読者もいるかもしれない.あと,いまや貨幣の伝播メカニズムの一部に銀行が取り込まれているというくだりも気に入っている.大半の教科書がいかに時代遅れかよく現れている箇所があるとすれば,それは相変わらず LM 曲線貨幣乗数を使っているところだ(ちなみに「時代遅れ」はいちばんマシな言い方で,なんならまるっきり見当違いと言ってもいい).

ぜひとも,CORE にはこのまま成功を続けて欲しいと思う.いい加減に,初年度の学部生たちを退屈させて混乱させるのはやめる頃合いだ.学生たちの思考を触発し,今後学生たちが直面するだろう現実世界の無数の経済問題を扱えるようにする経済学の考えを理解してもらえるようにしよう.


[1] 「共通見解の政策割り当て」では,金融政策にはマクロ経済の安定化を,財政政策には政府債務の安定化を割り当てる.

[2] Blinder & Solow とともに Carl Christ に触発された研究にまでさかのぼってもいい.政府の予算制約を適切にまとめそこなっているのは CORE だけでなく他のあれこれの教科書も同様だという点も言い添えておいた方がいいだろう.

[3] いまや誰もが知っているとおり(それに MMT でもはっきり述べられているように),貨幣ファイナンシングには限界がある:多過ぎればインフレを強める.ただ,教員たちがこれを内面化するあまりに貨幣ファイナンシングを無視するようではいけない.とくに,この話をすると「赤字をまかなうためには政府はお金を貸してくれる相手を見つけないといけない」という印象を与えてしまう.政府が自国通貨を制御している場合にはとても誤解を招く不正確な考えを信じ込ませてしまう.独立した中央銀行がある場合には,話はいっそうややこしくなるけれど,ここでも,それを言い訳にして貨幣ファイナンシングを無視するのはいただけない.

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