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タイラー・コーエン「イスラエル兵士の死と誘拐の限界代替率はいかに」

Tyler Cowen “What is the implied MRS for dead vs. kidnapped Israeli soldiers?” (MarginalRevolution, August 8, 2014)


もし攫われた兵士がある特定の車の中にいると分かっている場合、その車のエンジンに向けて砲撃を行うことは許容されるとアミドロール氏は語った。「その兵士の命を確実に危険に晒すことにはなるが、彼を殺そうと意図するわけではありません」とは彼の言だ。

そうした形で兵士の命を危険に晒すことは道徳上許容されうるのかと問われると、アミドロール氏は次のように答えた。「戦争ってのが白か黒かとなかなか割り切れるものじゃないのは御存知でしょう。兵士たちは戦場に多くの危険があることを知っていなければならず、そしてこれはそうした危険のうちの一つです。」

これはイスラエル兵に関する話題なのだけれど、より一般的にはハンニバル手順と言われるものだ。その根底となる考えは、敵に捕らわれたイスラエル兵一人は最終的に1000人かそれ以上のパレスチナ人収監者と取引されうるというものだ。兵士が誘拐された状態が続くことは、イスラエル市民にとっては兵士が死ぬ場合以上に許容できない状況となる可能性があり、もちろんながら将来の兵士たちの士気にとってはそれ以上に大きな被害となる。

ハンニバル手順が全員に受け入れられているわけじゃない。

「この手順は道徳上の欠陥を抱えています」と語るのは、軍法の専門家で元軍法会議裁判官でもあるハイファ大学のエマニュエル・グロスだ。「兵士を人質状態から解放するための支払いを避けるためだけに、その兵士の命を危険に晒す権利など私たちにはないのです。」

その代わり、とグロス氏は言う。イスラエルは誘拐者たちの増長した要求に対してより強硬な立場を取るべきなのです、と。

この政策に対する中位(メジアン1 )の兵士あるいは兵士候補たちの意見は、中位のイスラエル市民の意見と比べてどの程度同じものなのだろうか。哲学的な読者は、生きることを諦める人間は自らを害しているのだと言えるかどうかという古くからの難問ついての議論、これは特にデレク・パルフィットたちが論じているテーマだが、それとの関連についても指摘することだろう2

全文はここから読めるけれど、最初から最後まで興味深い。

  1. 訳注;投票理論でよく使われるが、要は一人一人の意見を同軸上(左右とか肯定・否定とか)で並べた場合に、人数で見てちょうど真ん中に位置する人のこと。現実的な妥当性はともかく、投票では原則的に中位者の意見が採用されるとされており、コーエンがここで中位者と述べているのもそうした意味だと思われるので、ここでは代表意見と読み替えてもいいのかもしれない。 []
  2. 訳注;イスラエル人全体を一体と見た場合、ハンニバル手順は兵士の生存を諦めており、自らを害していると言えるのではないかということを言いたいのかもしれない。 []

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