経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

タイラー・コーエン「ジョナサン・ハイトとの会話(抜粋)」

[Tyler Cowen, “My conversation with Jonathan Haidt,” Marginal Revolution, March 28, 2016]

bk_213_DSC_0054(1)

書き起こしとポッドキャストだけで,動画はなし.このフォーマットでさらにシリーズを続けていく予定だ.ジョナサンは絶好調だった.ちょっとだけ抜粋しよう:

コーエン:すごく根本的な問いに話を移すと――左翼の人らと右翼の人らのことなんだけどね.ここではとりあえずアメリカに話をしぼっておこうか.人間として,彼らって右左以外でどこがどうちがうと思う?

あるいは,なにかほぼ偶発的なトリガーがあって,それで特定の要素をもった人らが左翼にいって,それと別の要素をもった人らが右翼にいってるけど,それがなければ同じ服を着て配偶者を同じように扱うのかな? 彼らって根本からちがうの?

ハイト:根本からちがってるわけではないけれど,素質はちがうね.ぼくに言わせると,過去50年から100年の心理学でいちばん重要な発見は,測定できることはなにもかも遺伝性だってことでね.いろんな遺伝係数は 0.3 から 0.6 の間におさまってる.つまり,一定の想定のもとで,変異の30~60パーセントは遺伝子で説明できるわけ.説明できる変異としていちばん大きい.

ぼくとコーエンが双子で,生まれたときに別々の家庭に引き取られて育てられたとしようか.それぞれの家庭で宗教もちがうだろうし,教会なりシナゴーグに通う頻度もちがうだろうけど,独り立ちするころには,ぼくもコーエンも〔共通した遺伝子の〕脳がもつ自然な信心のレベルに収束するはずだ.

政治も同じで,右に行くか左に行くかは遺伝子で決定されてはいないけど,素質はある.

こんな話や:

コーエン:かりにいま,たとえばかのオハイオ州で,二大政党の支持が拮抗してるとしようか.で,自然な場面で人に会ったとする.相手が左翼か右翼かを推測というか予測するとき,どれくらいの確率で当てられると思う? 偶然なら 0.5 だけど.

ハイト:たぶん,0.58, 0.57 ってところかな.人ってものすごく多様だから.

こんな話や:

コーエン:こういうのはハイトの理論を部分的に検証できるかな――いろんな文化に目を向けて,こう訊ねるんだ,「身なりを整えてるのはどんな人で,カレンダーや切手をたくさんもってるのはどんな人だろう?」 で,その人たちが典型的に保守派かどうかを計る.これは検証になる?

ハイト:うん,なるだろうね.

こんな話や:

コーエン:〔じぶんの子供時代とくらべてアメリカは寛容になったという話に続けて〕同性愛の人たちにとっては,少数派ぜんぶにとってではないだろうけど,でも多くの少数派にとっては,これはすごくいいことだよね.もし道徳のあり方が根本からいくつかの重要な点でここまで非合理または没合理だとしたら,ぼくらは〔道徳・社会規範に関して〕いつでもやりすぎたりやらなすぎたりしていて,目標にずばり的中することはありえないんじゃない?

たぶん,アメリカがもっと寛容になるには,規範はかなりざっくりと粗雑で,大げさになる必要があるんだろうね.それで,この政治的正しさがでてきてるんだろう.たしかにひどいもんだけど,でも,もしかして,〔寛容になるという〕目標に達してなかった昔にくらべればわるくないんじゃないかな.

ジョナサンはいい回答を返してくれたけれど,ここで抜粋するには長すぎる.

コーエン:かりに,自分がブラウン大かイェール大にいて,学生がラクロスチームをつくったとしようか.チームの名前は「ブラウン・レッドスキンズ」になって,学生たちはなにかチームの儀式をやるんだけど,それが一部の人たちを逆なでしてしまう.彼らの意図がどうであれ,ブラウン大なりイェール大はこれに介入して,「それはいけない」と言うべきかな?

ハイト:「ブラウン大なりイェール大が介入してやってはいけないことを指図する」には大きな線引きがあるね.一般的には,ダメだと思う.一般的に,こういう――

コーエン:介入すべきじゃない?

ハイト:介入すべきじゃない.大学当局が介入して物事を変えていいと言える場合はきわめて限定されているべきだ.介入することじたいが,あの「いらつかせ」(マイクロアグレッション)文化を助長してしまう.つまり,こうした当局・権威に訴えるよう学生を仕向けてしまう.「いらつかせ」について書いた文章の要点は,近頃の若者が道徳的に他人だのみになっているってことでね.

こんな話や:

コーエン:ハイトが言ってることの類推をもうひとつやってみたいんだけどね.さっき軍隊の話がでたけど,民間企業を考えてみよう.ブラウン大やイェール大は,ある意味で民間企業だ.元祖はハーバードだね.ぼくとしてはこれを「言論の自由への制限」とは呼びたくなくって,表現が合ってないと思うけど,ともあれ,こういう表現を使うとすれば,企業,職場では言論の自由に制限があるよね.

ちょっとウォータークーラーにいって一休みしてるときに,あれこれと人のいやがることを言っていたら,やめるように言われるだろうし,やめずにいたらそのうち解雇される.ぼくとして,これはなにもおかしくないと思う.で,ブラウン大やイェール大やハーバード大をふつうの企業と同じように考えるとしてもなお,ああいうたわごとであっても,大学にはふつうの企業より多くの言論の自由がある?

ハイト:うん,あるべき.企業というのは,社会で能率を上げるよう組織されるわけでしょ.ちょうど軍隊では部隊の結束が優先事項とされるように,企業の目標はみんなに自分の価値を表現させたり互いを批判させ合うことにはなくって,いっしょに働いてもらうことにある.

他にももっといろんな話をしてる.LSD とか,ジークムント・フロイト(過大評価それとも過小評価)とか,セシル・ローズとか,ジョナサンが学部の入学審査をどう変えたかって話とか,行動経済学はじゅうぶんにその可能性を実現してるかって話とか,アダム・スミスとか,反倹約主義 [antiparsimonialism] とか,心理学における〔実験の〕再現問題とか,ジョナサンが昆虫食を楽しむかどうかって話とか.


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください