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タイラー・コーエン 「『無料の昼飯なんてものはない』の言いだしっぺは誰?」(2004年5月2日)

●Tyler Cowen, “The origins of TANSTAAFL”(Marginal Revolution, May 2, 2004)


「無料の昼飯なんてものはない」(“There Ain’t No Such Thing as a Free Lunch”;略してTANSTAAFL(「タンスターフル」と発音))という表現があるが1、この表現の初出はロバート・ハインラインの『The Moon is a Harsh Mistress』(邦訳 『月は無慈悲な夜の女王』)だとずっと思い込んでいた。「いや、ミルトン・フリードマンが使い出したんだ」という意見もあるようだが、 どちらでもないようだ。詳しくはこちらを参照してもらいたいが、サンフランシスコで発行されていた新聞(San Francisco Newsの1949年6月1日号)が言いだしっぺのようらしい。さらには、フリードマンよりも先にアルヴィン・ハンセン(Alvin Hansen)2がこの表現を使っていたということだ――ハンセンは、文法的に見てより適切なTINSTAAFL(“There is no such thing as a free lunch”)という表現を用いていたとのこと――。

  1. 訳注;この表現の意味するところについて、ジョージ・スティグラーは『現代経済学の回想』の中で次のように説明している。「・・・(略)・・・このスローガン(『無料の昼飯などというものはない』)は、常連たちに彼らの昼飯の間中ほとんどひっきりなしに飲ませてしまおうとして、サンドイッチ一皿に「昼飯無料」と書いた、古めかしい酒場の貼り紙からとってきたものと思われる。もちろん、この昼飯代は酒の価格にのせられており、そこでこのスローガンとなったのである。しかしこのことは、それよりもっと深い意味のことを語っている。意識的欲望の対象となるものは希少であるに違いない。すなわち、誰も呼吸する空気を意識して欲しいと思わない。あるいは下手な冗談を聞きたいとは思わない。希少なものは高くつく。もしそうでないと、すべての人々は希少なものをもう希少でなくなるまで手に入れるであろう。したがって希少なもの、および所有する価値があるものは、手に入れようとすると誰にでも高くつくのである。希少なものはそれを手に入れる者には無料ではなかったのであり、したがって、その人がそれをただで配ったとすれば、それを受け取るものは、それと引き換えに価値のある何かを与えることになるのである。昼飯には、主人に品物を注文するか、主人を次の機会に招待するか、あるいはうんざりするような話を忍耐強く聞いてやるかして、ともかく価格が支払われるだろう。・・・(略)・・・ただの昼飯はないということは、経済学とは選択を含んだ合目的的な行動の研究である、というもっとも広く採用されている経済学の形式的定義の本質に迫るものである。生存であれ、暖をとることであれ、仲間付き合いであれ、うんざりすることを避けることであれ、あるいは昼飯であれ、そこには目的が必要である。そこにはまた、あることをいつするのか、それをどのようにするのか、あるいはそれをどんな方法で(どんな資源を使って)するのか、あるいはだれとするのか、という選択がなければならない。大まかにいえば、ただの昼飯はないということが経済学の本質なのである。」(pp. 237~238) []
  2. 訳注;アメリカを代表するケインジアンの一人 []

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