タイラー・コーエン 「もう一人のバラク・オバマ」(2011年7月19日)

●Tyler Cowen, “*The Other Barack*”(Marginal Revolution, July 19, 2011)


今回取り上げる一冊は『The Other Barack』だ。著者はサリー・ジェイコブス(Sally H. Jacobs)。副題は「オバマ大統領の父親の大胆にして無謀な生涯」(“The Bold and Reckless Life of President Obama’s Father”)だ。とは言っても、「我らがオバマ」(「我らが大統領」)のことはとりあえず忘れることにしよう。この本は「植民地主義」に「1960年代という時代」、「異人種間の交際」、そして何よりも「東アフリカのインテリ層の実態」といったテーマについての年代記としても読める。一人の人間の伝記としても優れた一冊だが、今しがた言及した話題についても非常に巧みに取り扱われているのだ。本書では湿っぽい場面にあちこちで出くわすことになるが、その中の一つを引用しておこう。

突然のように上昇軌道に乗ったかに見えた彼のキャリアも始まりと同様にその終わりも突然のようにやってきた。アメリカから(ケニアへと)帰国してきてから6年後のことだ。(シェル石油でのエコノミストとしての)前途有望な職を失い、その次にありついた職もクビになった。こうして彼のキャリアは突如にして行き止まりにぶち当たることになる。3度にわたる結婚はいずれも失敗に終わり、自分の子供と口を聞ける機会も滅多にない。蓄え(お金)も底を付き、相棒の(スコッチ・ウイスキーの)ジョニー・ウォーカー(黒ラベル)にすがる一方。夜な夜な知人の家を渡り歩いては泥酔して床に崩れ落ちる始末。ホテルのシングルルーム(一人部屋)がバラクの長年にわたる住まいとなった。劇的なまでの転落人生だ。

・・・(略)・・・「彼は犯罪を犯したわけじゃない。これといった間違いをやらかしたわけでもない。レース(勝負)を最後までやり遂げられなかったんだ。『どんなレース(勝負)であれ一旦始めたからにはともかくも最後までやり遂げなければならない』。幼い頃に学校で何度もそう繰り返し教えられたものだが、彼はレースを最後までやり遂げずに終わった。バラクは途中で崩れ落ちてしまったんだ」。

バラク・オバマ・シニアはハーバード大学(経済学部)の博士課程で2年間を過ごし、そこで計量経済学の専門的な訓練を積んだ。その絡みで本書ではエドワード・チェンバリン(Edward Chamberlain)やロバート・ドーフマン(Robert Dorfman)、ロジャー・ノル(Roger Noll)、サミュエル・ボウルズ(Samuel Bowles)、レスター・サロー(Lester Thurow)、ジョン・ダンロップ(John Dunlop)といった面々もチョロッとだけ顔を出す。バラクは「経済発展に関する特産品理論」の計量経済学的な検証というテーマで博士論文を書くつもりだったが、博士課程に進学してから2年後に学費の援助が打ち切られたために志半ばにして大学から(そして最終的にはアメリカからも)去らねばならなかった。「バラクには重婚の疑いがある」ということで大学当局の逆鱗に触れ、結果的に大学から追い出される格好となったというのがどうやら真相のようだ。何ともひどい話だ。

石油会社の「シェル」やケニア運輸省でエコノミストとして働いていた頃の話や交通事故で骨折して4ヶ月にわたる牽引療法を余儀なくされた時の話 [1] 訳注;バラク・オバマ・シニア(オバマ大統領の父親)は何度か交通事故に遭っており、人生の最後も自動車の交通事故で終えている。をはじめとして、ケニア国内の政治論争への関与や都市プランナー(都市計画家)としての実績、そして女性の口説き方などなど他にもバラクにまつわる興味深いエピソードが目白押しであり、非常に細かいところまで綿密に調べ尽くされている一冊となっている。

東アフリカ事情に興味がある向きには文句なくお薦めの一冊だ。デイビッド・ガロウ(David Garrow)もワシントン・ポスト紙で本書を書評している。あわせて参照されたい。

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1 訳注;バラク・オバマ・シニア(オバマ大統領の父親)は何度か交通事故に遭っており、人生の最後も自動車の交通事故で終えている。
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