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ダイアン・コイル 「ジェームズ・スコット(著)『Seeing Like A State』を再読して」(2015年9月6日)

●Diane Coyle, “On Seeing Like A State”(The Enlightened Economist, September 6, 2015)


ステファノ・ベルトロ(Stefano Bertolo;@sclopit)がツイッターで慨嘆している。

sclopit:別のニュース。政策の立案を担当する若手官僚の面々と数日ほど一緒に過ごす機会があったのだが、誰一人としてジェームズ・スコット(James Scott)のあの本(http://t.co/vX6k4IxxNE)のことを聞いたこともない様子。

早速本棚に手を伸ばして(「あの本」こと)『Seeing Like A State』にざっと目を通す。何がテーマとなっているかは副題からある程度窺い知れる。「人々の暮らしを良くしようとして企てられたある種のスキーム(計画)が失敗するに至ったのはいかにしてか?」。本書では理想主義的な(トップダウン型の)国家主導のスキーム(計画)の数々が詳細に取り上げられている。ニエレレ大統領による(タンザニアの)ウジャマー村構想、ル・コルビュジエの唱える理想都市を範としたブラジリアの都市計画――ジェイン・ジェイコブズが讃える(自生的な成長を遂げる)有機的な都市とは正反対の例――、そして旧ソ連における農業集団化などなど。


『Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed』 (The Institution for Social and Policy Studies)

本書ではそれぞれの計画がいかにして失敗に終わったかが個別に分析されているが、その分析を通じてすべての事例に共通するテーマが引き出されている。その場その場の具体的な事情(文脈)を無視して過度の抽象化に手を染めるという「ハイ・モダニズム」。いずれのケースもかような「ハイ・モダニズム」の失敗例という共通点を持っているというのである。本書では「ハイ・モダニズム」の意味するところについて次のようにまとめられている。「科学や技術の進歩、生産の拡大、人々のニーズ(欲求)の着実な充足、(人間の本性も含めた)自然の支配。そしてそして。自然法則に関する科学的な理解に裏付けられた社会秩序の合理的な計画。かような一連のあれこれに対する確固たる――人によっては「頑迷な」とまで形容するかもしれない――自信を特徴とする〔のがハイ・モダニズムである〕」。20世紀の経済学の中にも棲息する(最も傲慢にして最も魅力に乏しい)同類さん、一歩前に出でよ!

「本書では国家の役人が画一的で型にはまった単純化を押し付けようとしてあちこちで失敗が繰り返されてきたことを見てきた」。元凶は「功利主義の立場に立つ商業および国家財政の論理」にあり・・・・、とはスコットの言だ。(多様性に富んだ大勢の人々が関与する)大規模な社会プロセスはあまりに複雑過ぎて計画には向かないのだ。実践知/ローカル・ナレッジ(具体的な経験に裏付けられた現場の知恵)/その場その場でのアドリブを讃えよ・・・、とはまたまたスコットの言だ。

とは言え、スコットは「(数々の計画を駆り立てる動因となった)理想主義なんて捨て去ってしまえ」と訴えているわけでもなければ、「『市場』に何もかも任せてしまえ」と唱えているわけでもない。スコットは己の言い分を以下の四つの経験則のかたちにまとめている。

  • 歩みは小刻みに(漸進的な改革を心掛けよ)
  • やり直せる余地を残しておけ
  • 予想外の出来事(想定外)に備えておけ
  • 現場の創意工夫を頼りにせよ

「政策当局者の面々に告ぐ。自分たちは全知である(何もかも知り尽くしている)一方で、現地の住民(被治者)は無知である(何も知らない)なんて思うなかれ。抽象的な市民像(同質的な「市民」)を拵えて計画を立てるなかれ。その場その場の個別的な事情(文脈)にすべてがかかっている(計画の成否は計画の対象先を取り巻く特有の事情とうまく折り合いをつけられるかどうかにかかっている)ことを心に刻んでおくべし」というわけだ。

『Seeing Like A State』が出版されたのは1998年。それ以来、現実の乱雑さ/複雑さに注意を向けた著作が続々と出版されるに至っている。最近出版された中だと、コランダー(David Colander)&キューパース(Roland Kupers)の 『Complexity and The Art of Public Policy』が優れた一冊だ。言うまでもないだろうが、『Seeing Like A State』で扱われているテーマそれ自体の歴史は古い。少なくともハイエクの1945年の(アメリカン・エコノミック・レビュー誌に掲載された)論文 “The Use of Knowledge in Society”(「社会における知識の利用」)1にまで遡れるものだ。ハイエク以来のテーマを見事な小説として昇華している作品もある。フランシス・スパフォード(Francis Spufford)の『Red Plenty』がそれだ。

これまでに『Seeing Like A State』を読む機会がなかったという人。(ステファノに同意するのだけれど)本書は必読の一冊だよ。

  1. 訳注;ハイエクのこの論文の邦訳は『ハイエク全集 Ⅰ-3 個人主義と経済秩序』や『市場・知識・自由-自由主義の経済思想』の中に収録されている。 []

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