●Dani Rodrik, “Nonsensical arguments against capital controls”(Dani Rodrik’s weblog, March 08, 2008)
この間、私とアルビンド・スブラマニアンがフィナンシャル・タイムズに記事を寄稿した時もそうだったのだが、誰かがフォーマルな場で「資本規制」という言葉を口にするたびに、そうした考えは狂っているという反論が山ほど返ってくる。彼ら反対論者は、政策立案者が、国境を超える資本移動を食い止めようとする政策に手をつけるべきでないと繰り返し唱えている。しかし彼らの主張をよく見てみると、驚くほど根拠に乏しく、相互に矛盾していることが分かる。
ここではそうした中で典型的な反論を見ていく。
1.「資本規制は汚職とレントシーキングの温床だ。」
おそらくその通り、時にはそうしたことも起きる。しかし、常にそうとも限らないし、対象となる資本規制の種類によって違いがあるのも確かだ。チリの資本流入に対する課税が汚職に繋がったという話や、長年にわたる台湾の資本規制がレントシーキングの温床になっていたという話を、私はまだ誰からも聞いたことがない。政策アドバイザーとしての我々の役割は、汚職のリスクを最小限に抑えながら、本来の目的が達成されるような政策を設計することである。環境外部性、健康、あるいは消費者保護に関する政府の規制は、汚職や民間部門による「買収」の対象となるが、ほとんどの経済学者はこれを、規制をしないのではなく、むしろより良い規制を設計する理由として考えている。これを理解できないような人間は政府に助言する仕事をすべきではない。
2.「資本移動それ自体ではなく、金融仲介機関や借り手のリスキーな行動を誘発している内在的な市場の歪みこそが問題である。そのため、政策というのは、資本移動そのものをターゲットとするのではなく、適切なプルーデンシャル規制を通じて、こうした市場の歪みを直接的にターゲットとすべきである。」
原理的にその通りだが、実際にはそうはいかない。もしも、将来のあらゆる金融イノベーションに対応できるような完璧なプルーデンシャル規制の枠組みを設計できるのであれば、実際に我々は資本移動を直接規制する必要はなくなるだろう。しかし、それができないのだとすると、というよりも確実にできないため、できる限り多くの規制手段を持ち合わせておく必要がある。この問題については銃規制との類比が大変役に立つ。もしも、将来の犯罪者の行動が完全に規制可能であるならば、銃の販売を直接規制する必要はなくなるだろう。人間を殺すのは人間であって、銃ではないというのはその通りだ。しかし我々のほとんどは、銃所有者の行動を完全に規制することはできないことを理性的に認識しているため、直接的に銃を規制することに意味があると考えている。
3.「資本規制はすり抜けることが容易であるため、機能しない。」
確かに多少の規制の漏れは避けられないが、こうした主張をする人々と、資本規制について言及されると抗議の叫びを上げる人々が同じ顔ぶれであるというのは逆説的である。もしも資本規制を少しのコストですり抜けられるならば、単に気にしなければいいだろう。そして、一定のコストをかければすり抜けられるというならば、それは資本規制が上手くいっているということではないか!あるいは、私の共著者であるアルビンドが述べるように、こうした主張をする人々には、資本規制を「解除」すれば資本移動の量が「増える」ことを否定するのかと聞いてみて欲しい。
4.「資本規制は一部企業の資金調達コストを上げることになる。」
え?それこそが資本規制の意義なのだが…。