●David Beckworth, “The Penske View of Macroeconomic Policy”(Macro Musings Blog, June 23, 2015)
ペンスキー社のトラックを運転すると、マクロ経済政策について多くを学べる。ちなみに、私は3年前に運転済みだ。テキサス州からテネシー州へと引っ越すために、ペンスキー社のトラックをレンタルしたのだ。私がトラックを運転し、妻は我が家の車を運転して後ろに続いた。出発してすぐに気付いたのだが、トラックのエンジンにはガバナー(調速機)が取り付けられていて、最高でも時速65マイルまでしか出せない仕様になっていた。本来の能力を大きく下回る速度で走らざるを得ず、そのせいで実にストレスが溜まる旅を強いられた。特に厄介だったのは、丘越えだ。丘に差し掛かってトラックの速度が落ちるのを防ごうとしても、ガバナーがあるせいで十分に勢いが付かない。やっとのことで丘を越えて、これまでの遅れを取り戻そうとしても、それは無理ときている。時速65マイルが上限で、それより速くは走れないからだ。私のノロノロ運転にイラついている様子の周囲のドライバー達。そのうちの一人が(すぐ後ろで我が家の車を運転していた)我が妻だった。私よりもトラックをうまく操れると判断したらしく、運転を交代することに(私は我が家の車を運転して、妻が運転するトラックを追走することに)。その結果はどうだったかというと、確かに妻の方がトラックをうまく操ったと言えるかもしれない。・・・が、それでどれだけの違いが生まれたろうか? ほんの僅かの違いに過ぎない。というのも、妻もまた、私と同じ制約に従わねばならなかったからだ。時速65マイルという速度の上限に。結局のところ、当初の予定から大幅に遅れて目的地に到着ということになりましたとさ。
我ら夫婦が体験した以上のエピソード――「我らのペンスキー体験」――と、過去7年間(2009年~2015年)にわたるマクロ経済政策の運営実態との間には、似たところがたくさんある。アメリカ経済は、ペンスキー社のトラックと同じように、本来の能力を大きく下回ったままの状態に長らく追いやられる羽目になった。それは同時に、「完全雇用」という目的地にたどり着くまでに、大方の予想よりもずっと長い時間がかかることを意味している。
丘に差し掛かるのに伴って、減速するトラック。それと同じように、大不況(グレート・リセッション)という名の丘に差し掛かるのに伴って、アメリカ経済の景気は減速。その結果として、産出量ギャップが生じることに。それに加えて、アメリカ経済の前に立ちはだかった丘は、我ら夫婦の前に立ちはだかった丘よりも、ずっと難物(勾配が急)だった。アメリカ経済は、減速するだけにとどまらなかった。途中でピクリとも動かなくなったかと思うと、坂を転げ落ち始めたのだ。幸いにも、ブレーキが利いてアメリカ経済は再び前に歩み出し、どうにかこうにか丘越えを果たした。しかしながら、丘を越えた後にも大きな問題が待ち構えていた。これまでの遅れを取り戻すために、マクロ経済政策の後押しで急加速・・・といきたいところだったのだが、そうはならなかったのだ。マクロ経済政策は、産出量ギャプを埋められるだけの総需要(名目支出)を喚起するには至らなかったのである。
マクロ経済政策(金融政策および財政政策)には、総需要(名目支出)の伸びを完璧にコントロールできる力まではなくても、総需要の伸びに対して重大な影響を及ぼせるだけの力が備わっている。・・・はずだが、丘を越えた後のアメリカ経済では、総需要が(それまでの失速を挽回するかのように)一時的に従来よりも速いペースで拡大するようなことはなかった。かような事実は、ペンスキー社のトラックと同じように、マクロ経済政策にも「ガバナー」が取り付けられていた可能性を仄(ほの)めかしている。
その「ガバナー」とは一体何か? Fedに課せられた2%のインフレ目標がそれだ。それまでの失速を挽回するために、金融政策および財政政策を通じて総需要の伸びを一時的に急加速させようとしても、2%のインフレ目標という「ガバナー」がそうはさせない。総需要の伸びを一時的に急加速させようとすれば、それに伴ってインフレ率が目標である2%を上回るだろうからだ。
一例として、次のようなシナリオを想定してみるとしよう。総需要(名目GDP)を従来のトレンド(趨勢)――CBO(米議会予算局)推計の自然失業率(完全雇用状態)が達成されたと想定した場合の名目GDPの水準の近く――に再び戻すために、Fedが2009年第3四半期に入って果断な金融緩和に乗り出し、その結果として総需要の伸び率が年率換算で7.5%にまで跳ね上がったとしよう。(1980年代半ばから2000年代にかけての)大平穏(グレート・モデレーション)期における総需要の伸び率(年率)を平均すると5%近辺だったことを考えると、かなり急速なペースでトレンドへの復帰を目指すかたちになる。過去のデータから割り出された歴史的な関係 [1] 原注;GDPデフレーターの変化率を被説明変数、名目GDP成長率の足元の値およびラグ値を説明変数とする回帰式。に照らすと、総需要の伸び率が年率換算で7.5%にまで一時的に跳ね上がったとしたら、それに伴ってインフレ率も一時的に跳ね上がることだろう。以下の(右側の)グラフに図示されているように、インフレ率が2年余りにわたって高騰を続けることになったろう。
しかしながら、Fedに2%のインフレ目標が課されている限りは、上の図のようにインフレ率が一時的に高騰するようなことはあり得ない。イスラエルの例が実証しているように、危機の後にはおそらくそうなる必要があったにもかかわらず。トラックの比喩を使わせてもらえば、丘を越えるのに伴って減速を余儀なくされた後には、平地で一時的に急加速して、それまでの遅れを挽回する必要があるのだ。総需要(名目GDP)の伸びを安定した軌道に乗せるためには、そうする必要があるのだ。
「我らのペンスキー体験」は、多くの面々の悩みの種となっている二つの疑問を解くヒントを投げかけてもいる。つい最近もジョージ・セルジン(George Selgin)が問いかけているが、「Fedによる量的緩和プログラムが堅調な景気回復につながらなかったのはなぜか?」というのが、まず一つ目の疑問だ。量的緩和プログラムには、そもそもそのような(堅調な景気回復を後押しする)力が欠けていた・・・わけではなく、2%のインフレ目標という「ガバナー」が邪魔をしたというのがその答えだ。ペンスキー社のトラックでは最高でも時速65マイルまでしか出なかった(時速65マイルが速度の上限だった)ように、量的緩和プログラムを通じて生み出せる総需要の伸びにも2%のインフレ目標という「ガバナー」のせいで上限が課される格好になったのだ。別様に表現すると、「量的緩和プログラムは、あくまでも一時的な金融緩和に過ぎない」とマーケットから見なされたわけである。総需要の伸びを加速させるためには、量的緩和プログラムを通じて市中に注入された資金の一部が回収されることなくそのまま放っておかれるに違いないとの予想を醸成する必要があったのだ。
誤解のないように付け加えておくと、2%のインフレ目標は、量的緩和プログラムを通じて生み出せる総需要の伸びに上限を課すかたちになりはしたが、Fedが量的緩和プログラムを通じて景気の減速を防ぐ障害にはならなかった。Fedは、「2%のインフレ目標」を2%のインフレ率を上限値とする政策枠組みと見なして、インフレ率を1~2%の範囲に収めようと試みているのが実態のようだ。そうだとすると、Fedによる量的緩和プログラムは、総需要の伸びを加速させることにかけては(2%のインフレ目標のせいで)制約を課されてはいても、総需要の急落を防ぐ床の役割を果たしたとは言えるだろう。
次に二つ目の疑問に移ろう。「仮にもっと拡張的な財政政策が試みられていたとしたら、どうなっていたろうか?」という疑問がそれだが、これは「私の妻が代わりにトラックを運転したおかげで、何か違いが生まれたか?」と問うのに似ている。妻が運転を代わったおかげで、確かにいくらか違いは生まれたが、その違いもごく僅かに過ぎなかった。妻もまた、「ガバナー」の縛りに服さねばならなかったからだ。それと同じように、財政政策も、金融政策と同様に、(2%のインフレ目標という)「ガバナー」によって縛られている。財政政策を通じて生み出せる総需要の伸びにも、同じく上限が課されているのだ。インフレ率が2%を超えない範囲でしか総需要を喚起できないのだ。Fedのお気に入りの物価指数であるPCEデフレーターで測ると、2009年以降のインフレ率は平均すると1.4%。ということは、財政政策を通じて総需要の喚起を試みるにしても、許容されるインフレ率の上昇幅は0.6%(=2%-1.4%)ということになる。総需要の伸びを加速させて、それまでの失速を挽回するためには、インフレ率が2%を超える状態を2年間は続ける必要がある(上のグラフを参照)。それと比べると、格段に見劣りがする [2] … Continue reading。
2009年以降に米国の政策当局者が必要としていたのは、「新型のガバナー」だったのだ。それまでの失速を挽回するために、総需要の伸びを一時的に加速させる邪魔をしない「新型のガバナー」こそが必要とされていたのだ。「新型のガバナー」の候補となる筆頭は、名目GDP「水準」目標(NGDP level target)だ。名目GDP水準目標を導入するというのは、ペンスキー社のトラックからガバナーを外して、代わりに(車の速度を一定に保つ)クルーズコントロールを取り付けるのに似ている。名目GDP水準目標では、総需要(名目GDP)の伸びに目標経路が定められて、現実の名目GDPがその経路から外れるようなことがあれば、状況に応じて総需要の伸びを一時的に加速させたり減速させたりして、埋め合わせ(目標経路への復帰)が図られることになる。「金融政策と財政政策をどう組み合わせるのが最適か?」という疑問に対する答えは色々あり得るだろうが、その答えがどんなものであろうとも、名目GDP水準目標を欠いたままでは困難な前途が待ち構えていることだろう。名目GDP水準目標を導入すること。それこそが未来に向けて何よりも必要とされている改革なのだ。
ガバナーが取り付けられたトラックを運転してアメリカ国内を移動するなんて経験は、もう二度と御免だ。名目GDP水準目標を欠いたままで深刻な不況に見舞われる [3] 原注;名目GDP水準目標を導入すべき理由は色々あるが、深刻な不況に見舞われる可能性が最小限に抑えられるというのもそのうちの一つだ。なんて経験も、もう二度と御免・・・でしょ?
References
↑1 | 原注;GDPデフレーターの変化率を被説明変数、名目GDP成長率の足元の値およびラグ値を説明変数とする回帰式。 |
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↑2 | 原注;ポール・クルーグマンの指摘が正しくて、Fedはインフレ率を2%に満たない範囲に収めようとしているのだとすれば、財政政策にできることはなおさら限られることになる。許容されるインフレ率の上昇幅は0.6%もないだろうからだ。 |
↑3 | 原注;名目GDP水準目標を導入すべき理由は色々あるが、深刻な不況に見舞われる可能性が最小限に抑えられるというのもそのうちの一つだ。 |
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