ニック・ロウ 「『過去は過去』・・・とは限らない」(2010年11月11日)

●Nick Rowe, “Bygones are not bygones”(Worthwhile Canadian Initiative, November 11, 2010)


スティーブ・ワルドマン(Steve Randy Waldman)が毎度の如く、深遠で独創的な洞察に溢れたエントリーを書いている(続編はこちら)。読者の思考を刺激せずにはおかないが、以下では(彼のエントリーに触発されて)私自身の内から湧き起こってきた考えを書き留めてみるとしよう。

ワルドマンは、「テクノクラート」vs「モラリスト」という対立図式を立てて論を展開しているが、私としてはそのことを争点にするつもりはない。私が取り上げたいのは、「帰結主義的なモラル」vs「非帰結主義的なモラル」という問題だ。結論めいたことを予告しておくと、こういうことになる。「経済学」においては、過去は永久に過去である。しかし、経済学者が研究の対象とする「経済」においては、過去は必ずしも過去ではないのだ。

ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(William Stanley Jevons)と言えば、1870年代に経済学の世界に「限界革命」を引き起こした立役者の一人だが、彼は次のように語っている。

「財を生産するために一旦投入された労働は、その財の将来の価値に対して何の影響も持たないというのが事実なのである。それ(財を生産するために投入された労働)はもう過去のものであり、永久に失われてしまったのだ。商業においては、過去は永久に過去なのである(In commerce bygones are forever bygones)。事物の価値を判断しようとするどの瞬間においても、その事物が将来的にどのくらいの効用をもたらしそうかに照らして判断が下されるのだ。」

「過去は永久に過去」(“bygones are forever bygones”)という有名なフレーズには、労働価値説を含めた(財の価値の決定に関する)生産費説を批判する意図が込められている。財を生産するためにこれまでに(過去に)どれだけの労働やその他の資源を費やす必要があったかは、財の価値を左右しない。将来的に財を消費することから得られる(限界)効用こそが、財の価値を決めるというわけだ。しかしながら、ジェヴォンズのこのフレーズは、(財の価値の決定という問題にとどまらず)経済学者の全般的なものの見方をうまく捉えてもいるのだ。

(ちょっとした脱線。このエントリーを書くためにジェヴォンズが実際のところどう語っていたかを自分の目で確かめてみるまでは、ジェヴォンズは「経済学においては、過去は永久に過去なのである」と語ったものとずっと思い込んでいた。)

経済学者のものの見方によると、ヒトは将来を見据えて意思決定を行う帰結主義者だと想定される。つまりは、ヒトはいかなる瞬間においても将来的に(それ以降に)最も大きな便益をもたらすと予測される行動を選択し、時が経過するにつれてまた一から選択を評価し直すというのを絶えず繰り返すものと想定されるのである。経済学者が政策提言を行う時にも、大抵は帰結主義者として振る舞う。将来的に最も大きな便益をもたらしそうな政策を勧めるのだ。経済学者は、実証的な分析を試みる時でも規範的な分析を試みる時でも、どちらでも帰結主義者なのである [1] … Continue reading

しかしながら、経済学者が研究の対象とする「経済」は、帰結主義の原理に貫かれているわけではない。世の中の人々は、必ずしも帰結主義者として振る舞うわけではない。

例えば、経済学者が研究の対象とする「契約」(例. 債務)について考えてみよう。私が100ドルのお金を借りていて、その100ドルを返済するのはなぜなのだろう? その理由は、100ドルを過去に借り入れたからである。私にお金を貸した相手(貸し手)の方が私よりも100ドルを将来的にうまく使うに違いないと考えて、100ドルを返済するわけでは決してない。私がその貸し手から過去にお金を借りたことを2人がともに忘れてしまったとしたら、私は決して100ドルを返済することはないだろう。

例えば、経済学者が研究の対象とする「所有権」(ないしは、所有権の移転)について考えてみよう。私がマイホームを持っているとしたら、その理由は私が過去にその家の所有権を買い取ったからである。私が過去にその家を買い取った事実が(私も含めて)すべての人々の記憶の中から消え去ってしまったとしたら、仕事終わりに私がその家に戻ることは決してないだろう。

つまりは、こういうことだ。もしも過去が永久に過去になってしまったとしたら、経済は立ち行かなくなってしまう(存立し得なくなってしまう)のだ。

いずれかの政策の中からどれかを選ぶとするなら、これから先の将来にもたらされる便益が一番大きそうな政策を選ぶだろうか? その政策の恩恵が過去に不始末によって経済を混乱に陥れた人物にも及ぶかどうかというのは、その政策を選ぶかどうかの判断を左右するだろうか?

References

References
1 訳注;ヒトがどう行動するかという問題(実証的な分析)についても、どのような政策を採用すべきかという問題(規範的な分析)についても、帰結主義的な観点に立つという意味。
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts