ノア・スミス「《前の戦争》を戦いがちな思考のクセ――ウクライナ情勢とインフレについて」(2022年2月14日)

[Noah Smith, “Last War Brain,” Noahpinion, February 14, 2022]

「事実が変われば,私は考えをあらためますね.貴殿はいかがです?」――ジョン・メイナード・ケインズが言ったとされる言葉.

2000年代に,アメリカ合衆国は致命的なとんでもない過ちを2つおかした.ひとつめ,2003年に,大義もなく,相手からの武力挑発があったわけでもなく,イラクに侵攻して占領したこと.無辜の民衆を数十万人も殺し巨額のコストを費やしたのに加えて,20世紀後半にアメリカが築き上げてきた国際的な正当性と指導力の多くを,イラク侵略・占領によって喪失してしまった.国境侵犯の国際的な規範の効力を弱め,アメリカ一極主導の世界秩序の弱体化を速めてしまった.ふたつめ,アメリカ経済で金融化が監督されないままに営まれるのをゆるしたことで,世界金融危機につながり,大恐慌いらい最悪の景気後退をもたらした.さらに,危機後に十分な財政刺激を採用しなかったことで低迷する経済からみんなを救い出すのに失敗し,景気後退をいっそう深めて2年も余計に長引かせてしまった.こうしたことによって,中国に対するアメリカ経済と産業の低下を速めてしまった.

この2つは重大な過ちだった.いまだに,その余波が感じ取れるほどだ.自ら墓穴を掘って招いたこの双子の災厄から,多くのアメリカ人は次の2つの教訓を学んだ:

  • アメリカ合衆国が海外の紛争に関与するのは,つねに外交政策の組織と軍産複合体の過剰な攻撃性によって突き動かされているためであり,そうした事情に絡め取られるのを避けるべきだ.
  • 財政赤字やインフレを政府はけっして恐れてはならない.むしろ,いつでも雇用をいっそう増やすようつとめるべきだ.

イラク戦争や大不況に当てはめたときには,こうした教訓はすごく理にかなっているように思える――自明に近いとも思える.でも,どちらの教訓も,だいたいの場合に当てはまるわけではない.10年経過したいま,ぼくらが直面している安全保障の難題と経済の難題は,どちらも2000年代に直面していたものとは根本的にちがっている.あの頃の失敗の教訓に学びすぎてしまったあまりに,同じくらい悲惨な真逆の間違いをやってしまうおそれがある.

ウィンストン・チャーチルは,かつてこう言った――「将軍連中は,いつも決まって前の戦争を戦う支度をしているものだ.」 でも,こういう間違い方は,高級将校の専売特許じゃない.《前の戦争脳》問題に対処する唯一の解決法は,現実に働いているより深い原理をよりよく理解し,各種の条件がいまどうなっているのかを正確かつ広い視野で評価することだ.なにも考えずにとにかく前にやってしまったことの逆をやるんじゃなくて,理性を働かせなくてはいけない.

ロシア,ウクライナ,イラクの影

ここ数週間,ロシアはウクライナ近辺に兵力を劇的に増強してきた.土壇場になって兵を引く決定を下すこともまだありうるけれど,侵略の脅威は明らかに大きくなっているし,ウクライナ政府もウクライナ人も,この脅威を深刻にとらえてる.(関心がある読者は,この危機をリアルタイムで伝えているジャーナリストたちのリストを Twitter でつくってあるので,参照されたい.)

ロシアによる侵攻は,明白で見誤りようのない武力侵略だ.なのに,進歩派のなかには,「ロシアが兵力を増強してるのは西側の敵意に対する反応だ」と主張してる人たちがいる.たとえば,イギリスの社会主義政治家ジェレミー・コービンがちょうど公開した動画では,今回の危機が NATO のせいだと非難している:

下記の動画は,こんなタイトルの生配信で大きく取り上げられた:「ウクライナでの戦争を止めよ:NATO の拡大を止めよ」 (‘No War in Ukraine: Stop NATO Expansion’)
元ツイート

もちろん,これは馬鹿げてる.NATO が最後に拡大したのは 2009年のことだ.たしかにウクライナとグルジアの加盟という考えは浮上したけれど,保留されたまま,10年にわたって真剣に検討されずにきた.2014年にロシアが侵攻したとき,ウクライナは EU 加盟を考えていたけれど,NATO 加盟は考えていなかった――そして,いまはどうかと言えば,そのどちらも俎上に載せられていない.一方,ポーランドやルーマニアといった東欧の NATO 諸国にアメリカが展開した部隊は,総数で 6,000人に満たない――ウクライナ国境にロシアが集めた 13万人の兵員に比べて微々たるものだ.軍事行動を支えるものにはとうていなりっこない.

それどころか,ウクライナをめぐってロシアと戦争に突入するのを考えているとおぼしき人間は,アメリカ政府に一人もいない.ウクライナ防衛の軍事行動をとる可能性をバイデンははっきりと否定しているし,ウクライナからアメリカ市民を対比させるために合衆国部隊を送り込むのを拒否している.それなのに,アメリカが対ロシア戦争の準備を整えつつあるかのように語る左翼の人たちがたくさんいる.先日,バーニー・サンダースはこう発言した――ワシントンでは,「好戦的な修辞」や「おなじみの〔戦意鼓舞の〕ドラムビート」が聞こえるんだそうだ:

戦争の前には決まって強まる好戦的な修辞やおなじみのドラムビートをワシントンで耳にして,私はきわめて懸念しています.「強さを示す」べきだ,「タフに出る」べきだ,「妥協」するべきでないと要求する,ああいった言葉のことです.

そういうドラムビートや修辞を誰が言っていてどこから聞こえてきているのか,サンダースは具体的になにも言っていない.

他方で,The Nation のライター Jeer Heer は,奇妙な主張をしている.ロシアと戦争したくないというアメリカ人の意向が,政策担当者や政治家たちのあいだでは「ほとんど聞こえてこない」と彼は言う:

ここで興味深いことがある.65歳以下の人口は(つまりアイゼンハワーが大統領だった時代のあとに生まれた人たちのあいだでは),どの年齢層でも,紛争に突入しないでほしいとのぞんでいるのに対して,メディアや政策界隈や政界ではそうした意見がほとんど聞こえてこないのだ.[元ツイート

この奇妙な主張を支える論拠はなにもない.それどころか,ぼくが知るかぎり,ロシアとの戦争を求めている大物政治家は一人もいないし,ロシアとの戦争を支持してる大手の報道機関もひとつもない.あのフォックスニュースも,ロシアとの紛争に強く反対してる.これは,トランプの大統領選勝利いらいの親ロシア寄りの姿勢と整合してる.

The New Republic に文章を寄せた Michael A. Cohen は,コラムまるまる一本を費やして,ウクライナに関して「なにかする」よう要求している人たちに反論していながら,「なにかする」ようのぞんでるっていう人たちの名前も,記事も,リンクひとつも,まったく提示していない.

一方,右派にも,まったく同じ藁人形をまったく同じように非難している人たちがたくさんいる.『ワシントン・ポスト』で Sohrab Ahmari はこんな風に書いてる

ウクライナをめぐって,合衆国はロシアとの戦争に入ることはできないし,そうすべきでもない.この水曜の記者会見でバイデン大統領はこの逃れようのない事実を述べた――これを受けて,外交政策のタカ派は憤慨している(…)

案の定,家にいながらマッカーサーにでもなったつもりの人々は,怒りを爆発させている.「あのパフォーマンスには,きわめて不穏な部分がたくさんあった」と National Review の Rich Lowry はツイートしている.「とくにロシアに関する部分は.」 テッド・クルーズ議員は,こう発言している――大統領は「ウクライナ侵攻の青信号をともすことで世界を震撼させた.」 また,わたしがかつて働いていた Wall Street Journal 論説ページでは,西側がウラジミール・プーチンを抑止できなかった要因として,成果なく20年を費やしたすえにアフガニスタンを放棄したバイデン大統領の決定を挙げている

それでいて,Rich Lowry はウクライナをめぐるロシアとの戦争をはっきりと否定している.『ウォールストリートジャーナル』 は制裁と武器販売を推していたが,戦争は推していなかった.それに,テッド・クルーズが好んでる抑止の手法は,ロシアからのノルドストリーム2 パイプラインの停止だ.ぼくにわかるかぎりでは,Amhari が「家にいながらマッカーサーにでもなったつもりの人々」の誰一人として,実際に戦争を支持してはいない.

じゃあ,こういう人たちはいったいぜんたい誰を論敵にしてるんだろう? ウクライナをめぐって合衆国がロシアと戦争に突入するのを言い立ててるのなんて,Twitter にいるごく一握りの無名の人たちくらいしか見つけられない.さっき参照した進歩派たちは,自分の脳内にしかいない虚構の論敵を相手にシャドーボクシングをしてるんだ.

その論敵の正体を見破るのは,そんなに難しくない:正体は,イラク戦争だ.ブッシュ政権があの災厄を起こす支持を取りつける際に,タカ派メディアやタカ派の外交政策装置がどう手助けをしていたか思い返してみれば,進歩派の人たちが同じことを繰り返させないように防止に回っているのがはっきりわかる.

当時と今とですっかり変わったのは,事実だけだ.イラク戦争とウクライナ情勢とでは,まるで別物に見える.2003年当時,どんなかたちでも自国にとって脅威になっていなかった国に侵攻する恐れがあったのは,合衆国だった.今はどうかと言えば,なんら脅威になっていない国に侵攻する恐れがあるのは,ロシアだ.いま折れん議されてる合衆国の行動といえば,ロシアに対する制裁の強化であり,ウクライナの自国防衛の助けになる武器の供与であり,NATO 諸国にいる合衆国の兵力を増強してプーチンがウクライナ侵攻を思いとどまらせることだ.

こうした行動はどれも理にかなった対応だ.Foreign Policy の文章で,ロシアによる侵攻を避ける方法を模索するなら進歩派はウクライナを支援すべきである理由を,Terrel Starr が解説してる.「軍事的侵略や帝国主義をやれる国はアメリカしかない」と考える幻想に陥っている人々を,Starr は厳しく非難してる:

歯止めをかけるべしと主張し,いかなる軍事行動にも反対している議員たちを尊敬はしているが,合衆国の帝国主義を健全に批判しながらも彼らはロシア側の植民地支配の歴史と現在についてほとんど理解してもいないし論評もしていないのではないかと私は懸念している.

たとえば,プーチンが NATO を懸念するのは妥当だと主張したとき,NATO の同盟が一方的に拡大したのではないという事実をバーニー・サンダース議員は無視している.NATO に加盟したかつてのワルシャワ条約機構や旧ソビエトの共和国各国は,ソ連の実力行使によって強制的に占領された経験があったから――さらには、それ以前にもロシアの帝国主義の犠牲になった経験があったから――加盟したのだ.ウクライナのホロドモール大飢饉から,1956年のハンガリー動乱へのソ連の介入まで,モスクワ主導による帝国主義的な残虐行為は,共通してこの地域でなされた.(…)ヨーロッパにおけるソ連の帝国主義は,はじめからまぎれもない現実だった.戦前のポーランドとフィンランドの再征服から,東ヨーロッパの多くの地域のい継続的な占領まで.

合衆国だけが帝国主義国家なわけではない.ワシントンが引き下がればモスクワも北京も模範的な優等生に一変するわけではない.

言い換えると,ある原則がはたらいているってことだ.その原則とは,「国境は侵犯されてはならない」「他国を侵略してはならない」「諸国のコミュニティは征服の脅威にさらされている国々を支える助けになれる」という考えだ.敵をすべて打ち負かし親米国家を据えてもなお,イラクが合衆国にとってあれほど無残な戦争になった理由は,この原則で説明される.ぼくらは,「他国を攻撃し侵略してはならない」という原則を破ったんだ.

そして,いまこの原則を破ろうとしているのはロシアであって合衆国じゃない.だからといって,ロシアの侵略を止めるためにぼくらが戦争に入るべきだって話にはならない――それどころか,戦争に入るべきではない.そして,真剣に考えてる人たちの誰一人として,戦争に入るべしなんて主張していない.一方,制裁で脅しをかけたり,ウクライナ人に武器を供与したりといったことは,ロシアによる侵略を抑止する方法としてすごく理にかなったものに思える.

インフレ,金利,緊縮の影

さて,ここでギアを切り替えて,経済に話を移そう.〔世界金融危機後の〕大不況では,ぼくらは財政緊縮に足を引っ張られた――経済刺激策はあまりに小さすぎたし,その後は2011年にイデオロギーを動機にした緊縮への転換がなされた.一方,FRB は非伝統的金融政策によって繰り返し前例のない対応をとって経済を勢いづけようとしたけれど,金融政策のタカ派はこれに反対した(けどそれは成功しなかった).タカ派は,量的緩和によって歯止めのかからないインフレになると(間違った)警告を発していた

さて,今日のぼくらがいる状況は,それと大ちがいだ.2010年~2012年のもたもたした景気回復とちがって,実体経済は間違いなく沸き立ってる.オミクロン株の脅威があってもなお,アメリカ経済は前の四半期に 6.9% という目ん玉飛び出る成長率を見せたし,雇用も急激な V字回復を示している:

それに,大不況の後遺症とはちがって,いまぼくらが直面してるのはかなりのインフレだ.物価は 7% 前後で上がってる.これは,10年前に基調だった率の3倍以上だ:

つまり,現状は大不況とは似ても似つかない.基本的なケインジアン経済学では,経済が低調でインフレが低いときには財政刺激と緩和的な金融政策によって総需要を増やせると考える.でも,経済が好調で急激にインフレが進んでいるときには,財政緊縮と引き締め的な金融政策で総需要を抑え込むのをケインジアン経済学は考える.

というか,財政緊縮はすでになされてる――コロナウイルス支援支出が終わって,政府の財政赤字はもう大して増えていないか,あるいはぜんぜん増えていない.名目値で見てもだ:

で,政府支出のものすごい過剰供給は終わった.ケインジアン理論から考えて終わるべきとおりに終わってる.一方,いま下院で止まっているバイデンのインフラ関連法案 (Build Back Better) は,可決されたとしても,それほど赤字を増やさないだろう.財政政策は,いまインフレ促進の脅威になっていない.

他方で,金融政策はまた話がちがう.一部には,「インフレ対応で後手に回っている」と言って FRB を批判している人たちもいる.そういう人たちは,インフレが勝手にすぐさま収まってくれるという希望を強く信じすぎている.FRB はいま急速に方向を転換していて,2022年に7回にわたって金利引き上げをする見込みだ

進歩派のなかには,そうした金利引き上げに激しく反対論を唱えている人たちがおおぜいいる.ルーズベルト・インスティテュートの経済学者たちや,他の進歩派シンクタンクの一部は,インフレ沈静化のよりよい代替案として価格統制という危険なアイディアを提唱している[日本語記事].金融系マスコミにいる多くの人たちは,金利引き上げの求めに激しく反対している

その一方で,マスコミの一部には,MMT みたいな傍流のイデオロギーにいまだに気を引かれてる人たちもいる(権力ある立場にいる人はほんのわずかかゼロだけど).そうしたイデオロギーでは,どんな状況でも赤字支出を増やし減税するよう主張されてる.

『ニューヨークタイムズ』の Neil Irwin が正しく指摘しているとおり,これもまた「前の戦争脳」の事例だ.FRB は金利を引き上げる必要があるけれど,それはすぐさまインフレ率を 2%目標にまで下げるためじゃない――財政刺激が終了し,サービス支出からモノへの支出への偏りが終わり,サプライチェーン制約が解消されるとともに,2%までの低下はいずれなされるだろう.インフレ予想が上がりすぎないようにフタをしつづけ,インフレ予想が上方スパイラルにはまって経済的に破滅的なハイパーインフレを引き起こすことがないようにするために,金利引き上げが必要なんだ.

2010年に FRB に量的緩和の終了を求めていた意見は,過去の経験と支配的な理論に強く背いていた.でも,いま FRB に金利引き上げを回避しろと求めている意見は,火遊びをしている.状況は変わった.ぼくらの対応も,それに合わせて変わらなくちゃいけない.

2000年代は終わった(2010年代もね)

「政策に関する人々の見解は,以前の経験によって形成されてなかなか変わらない」という証拠は,たっぷりある.経済学者の Ulrike Malmendier と Stefan Nagel の研究では,インフレを経験した人々はのちのちにインフレ率の上昇を予想しがちになり,職業生活の初期に株式市場の崩壊を経験した人々はその後の人生で金融のリスクをとることがより少なくなる傾向があることが見出されている.いま影響力や権力のある立場の人々の多くはが若かった頃には,アメリカがいわれもなくイラク侵攻を行ったり,大不況がみすみす長引くにまかされたりしている.そうした経験は,あとあとまで残る.イラクや大不況がああいう失敗になった理由を理解し,そうした原則を2020年代のロシア/ウクライナ問題やインフレ問題に当てはめるためには,強く理性をはたらかせないといけない.

でも,自分の直観をこえて賢く考える義務をぼくらは世界に負っている.2000年代は終わった(2010年代だって終わってる).若い頃に当たり前のこととして学んだことの多くは,その頃には普遍的に思えたかもしれないけれど,実際にはぜんぜんちがう.過去に学んだことの多くは,その時代においてゆく必要がある――むかしの政策にうわべは似てたらなんでもかんでも条件反射して残りの人生をすごすのではなくって,そのときどきの歴史上のエピソードから深い原則を学んでいく必要がある.未来はここにある.ぼくらはいま未来に立っている.

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