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ノア・スミス「今年の経済学批判セレクション」(2021年10月25日)

[Noah Smith, “This year’s econ critics make a few good points,” Noahpinion, October 25, 2021]

ついでにダメな批判も少々.


このブログを10年前にはじめたとき,ぼくは経済学の大学院生で,自分の研究分野(とくにマクロ経済学)の欠陥や短所をあれこれと指摘するのに熱心だった.そのうち,言うべきことは言い尽くしたなと思うようになって,とりあげる話題を他のものに移していった.ただ,他の人たちが経済学の分野にしかけてるいろんな攻撃を観察して――さらにレフェリー役をやって――すごすのは,いまでも楽しんでる.そういう攻撃のなかにはしごくもっともなものもあるけれど,経済学の業界がその批判者たち(内部のも外部のも)に耳をかたむけて過去10年でどんどん改善してきたおかげで,批判者たちがそれについていけなくなってる場合もよくある.2~3ヶ月ごとに,長文を執筆して――たいていイギリスの新聞に載るんだけど――こんなご高説をたれる:「経済学は科学ではない」「経済学には予測力がない」「経済学はたんなる自由市場の応援団にすぎない」などなど.で,毎年毎年,ぼくは『ブルームバーグ』のコラムで辛抱強くその手の話がおおよそナンセンスである理由を解説してる.

今年は,経済学がもっと実証的な方向に進歩を遂げている格好の例を示すノーベル経済学賞が出たことで,古くさい定番の批判以外にも,もっと興味深くて細やかに考えてる批判がいくらか出てきてる.そこで,そういう批判をいくつか紹介して,ぼくの考えを述べようと思う.

他分野からの批判

コロナウイルスのパンデミックがはじまっていらい,経済学者たちと疫学者たちとのあいだで議論の応酬がときどきおこってる.これはごく自然なことだ.どちらの分野も比較的に類似した現象を扱っているからだ――つまり,人間の大集団が相互にやりとりした結果としてなんらかの計量化可能な結果をもたらすのを扱っている.どちらの分野でも,対照実験の実施はむずかしい.そこで,自然実験・各種の経験的な相関・理論を研究者たちはあれこれと組み合わせて,こちらの方を頼りにしている.なので,この2つの分野の研究者どうしがお互いを発見していく様子は見ていておもしろかった.

Twitter のスレッドで,今年のノーベル賞をとった実証経済学の《信頼性革命》に疫学者の Ellie Murray が冷や水をかけようとしている.少しばかり抜粋しよう:

これを言うと #econtwitter の人みんなの怒りを買わずにすまないだろうけど,でも言ってみるね…

すばり言わせてもらうと,経済学の論文を読めば読むほど,「信頼性革命」が首尾よく進んでるとかいう話にますます懐疑的になってきてるんだけど.[元ツイート

はいはい,経済学は〔気分ではなく数字で「これくらい」と〕同定しやすい結果・効果に関心を注ごうとしてるし,もちろん,他のどの分野よりもそこはがんばってる.でも,私が読んだどの論文も,あからさまに未対応の問題を抱えてるように思える:つまり,欠落変数だとか,合流点バイアスだとか,因果関係で推定される不明瞭な効果量であるとか,不正確な解釈などなど(…)[元ツイート

このダメ出しの一斉砲火を発端に,具体的な論文について興味深い議論が百出してもおかしくはなかったんだけど,そうはならなかった.Murray は念頭に置いてる問題含みの論文を「これだ」と名指しするのを丁重に断った.一方で,うまくやってる論文の具体例があったら出してみてという彼女の要望に応えた経済学者たちは,ほんの一握りだけだった.

おそらく,これにはひとつ理由がある.たんに,Twitter での議論はあっさりと質の悪い罵倒祭りに堕しやすいというだけではないと思う.実証的な研究では,「これがあれを引き起こしている」とつきとめるために一連の仮定をおいて,いつもそういう仮定に依拠している.たとえば,最低賃金をどこかの州が引き上げたとしよう.で,そのあと,雇用が減少しなかったとする.このとき,その州の政策はどこからともなく現れたも同然のランダムな意思決定に実質ひとしいと,キミなら想定するかな? それとも,州の経済が好況に向かっていてどのみち賃金が引き上げられるのを実は州政府が知っていて,最低賃金引き上げが賃金上昇につながったかのように見せかけるように政策を変更したんじゃないかって懸念するかな? そして,その州と他の州とを比較するとき――あるいは他のいろんな州を組み合わせて合成した架空の州と比較するとき――それは適切な比較になっているんだろうか,それとも,最低賃金を引き上げた州は,そもそも雇用へのマイナスの影響を被りにくかったんだろうか?

――などなど.ようするに,ありていに言って,実証的な論文がおいているいろんな仮定・想定がすべて成り立っていると確実に証明するのは不可能だ.その理由の一部を解説したいい論文を Ed leamer が書いている.ただ,この問題はもっと一般的だ.かりに仮定・想定をすべて証明できるとしても,そもそも仮定・想定をおかなきゃいけないわけでもない.

じゃあ,どうすればいい? できることと言えば,自分の分野にいる他のみんなに向かって,自分の仮定がありそうなものだと論証することくらいだ.その論証にみんなが納得すれば,論文は掲載してもらえる.それだけだ.実証的な研究分野なら,これはどこでも変わらない.実証系の経済学セミナーに参加すれば,その時間の大半は,経済学者たちが発表者に自分の仮定を正当化するように迫っては発表者がみんなを納得させようとがんばるのに費やされてるのを目にするはずだ.経済学の厳密さの基準に本気で関心がある疫学者は,そういうセミナーに何度か参加してみればいいよ.

〔Murray への〕リプライで経済学者たちが指摘しているように,実証研究の質を改善すべく経済学業界では活発な努力がおおいになされている(というか,今回のアングリストとインベンスの受賞理由は,大部分がそこにある).《信頼性革命》がとっくに完了したと経済学者たちが思っているものと Murray は受け止めているようだけど,それは大々々間違いだ:

これと対照的に,信頼性革命はすでに成功裏に終わっていて,なすべきことをなしとげたというのが,経済学でのほぼ総意らしい.

つまり,いまの経済学研究は信頼できるしそうした研究の結論は事実だと受け取っていい(少なくとも「ビッグネーム」学術誌では)と経済学業界では考えているようだ.[元ツイート

同定の仮定を正当化し研究手法を改善しようと経済学者ががんばってる最高品質の例を読みたければ,Scott Cunningham のブログをのぞいているといい.なかでも,最低賃金に関する近年の論文をとりあげてる記事を最初に読むのがおすすめだ.

ただ,事態を改善しようと経済学者たちがどれだけがんばるにせよ,外部の視点からの助力はいつでも当てにできる.Murray が「不明瞭な」効果量や「不正確な」解釈や「欠落した」変数について不満を言うとき,彼女が言っているのはこういうことだ――「自分が読んだ経済学論文で著者が展開している論証に,自分は満足しない.」 実にけっこう! その解決策には,Murray のような人たちがもっとたくさんやってきて,実証系の経済学論文を批判してくれればいい.そうやって,経済学者たちがそういう新しい異論に取り組まざるをえなくさせるのが,解決策だ.

というか,それこそが《信頼性革命》の眼目だ.あれがあんなに重要ですばらしい理由もそこにある.Murray のような疫学者たちが経済学の論文を読んで,そこにある実証戦略の潜在的な問題を突き止められるという,まさにそのことが大勝利の証なんだ.かりに Murray が DSGE の〔もっぱら理論的な〕論文を読んでも,どこから手をつけていいやら見当もつかないだろう.《信頼性革命》のおかげで,経済学者たちはお互いに意思疎通できる言語が身についたし,他分野のかしこい人たちとだって,因果関係と同定の難問を語らえるようになった.だからこそ,《信頼性革命》は称えるに値するんだ.この革命にけっして終わりがないとしてもね.

「マクロにいいところなし」という批判

さて,お次の批判――経済学がますます実証的になり,いっそう信頼できるものになってきているとしても,因果関係の同定が困難なためにマクロ経済学はいまだに非科学的で信頼できないというのが,その内容だ.

物理学どころかミクロ経済学ともちがって,伝統的なアメリカのマクロ経済学は対照実験もままならない.

だから,〔「現実には P をやって Q が生じたけれど,もしも P がなかったらどうだっただろう」という〕反事実仮想が解決しにくい.だから,ソ連の親戚〔計画経済〕よりもアメリカのマクロ経済学の方がいくらか科学的だとは思わないんだよ.[元ツイート

ぼくも長年にわたって同じような主張を言い続けていたから,ここで同じ基本的な前提を長々と論じるのはよしておこう.なんなら,現時点のぼくならこう論じる――マクロ経済学とは,「信頼できる因果関係の同定がなしえない経済現象の研究」だと定義してもあながち間違いじゃない.「マクロ」と「ミクロ」はどう区別されてるのかって Ellie Murray が問いかけたとき,ぼくはこのことを考えた.

「経済系 Twitter」ハッシュタグがあるけど,このタグにいる誰かで,「マクロ」経済学と「ミクロ」経済学のちがいを5歳児相手に教えるみたいに解説してくれる人,いないかな?

ちがいがわかってるつもりだったけれど,キミらの話を見れば見るほど,こんな感じになるんだもの→🤔ハァ? [元ツイート

伝統的に,「マクロ」といったら景気循環と長期的な成長の研究で,「ミクロ」はそれ以外のぜんぶだ.ただ,このちがいは,研究の主題がどれくらい「大きいか」とほぼ関係ない.開発経済学は経済成長と重なる部分が大きいし,税制政策は景気後退と同じくらい系統的に重要だけれど,開発も税制も「ミクロ」に分類されてる.ほんとの相違点は大きさじゃなくって,証拠がどれくらい優れているかってところにある.開発だったら対照実験をやれるし,税制政策だったらすぐれた同定の仮定を立てられる(e.g. なんらかの税によってさまざまな企業が影響を受けたとき,企業それぞれの影響の度合いの差を研究できる).でも,好景気やバブル崩壊や経済成長全体は一度になにもかもに影響するから,なにによってなにが引き起こされたのかを扱うのがずっと難しい.

でも,だからといって,いっさい取り扱うべきじゃないって話にはならない.たしかに,自分の分野ではしっかりした証拠がほとんどないのを言い訳に使って,説明責任なしの理論の世界に姿をくらませるマクロ経済学者たちも一部にはいる.でも,この痩せ細った土壌から手に入るかぎりの証拠を集めて知見を得るのに力を尽くしているマクロ経済学者は大勢いる.

ぼくの見るところ,そうした尽力の最たる例がカリフォルニア大学バークレー校のエミ・ナカムラとジョン・スタインソンだ.この二人の尽力に対していずれノーベル経済学賞が贈られる日が来なかったら,ぼくはすごく驚く.2年ほど前,この二人は「マクロ経済学における同定」という論文を出した.この論文では,マクロ経済学分野での課題を並べて,それを乗り越えていくいくつかの方法を提案している.簡潔に要約してしまうと内容の正当な紹介にならないけれど,基本的な結論はこれだ:マクロの証拠はよくないので,ミクロ経済学から得られた証拠を使うべし.自分のマクロ理論がミクロ経済学の証拠と矛盾しないようにすること.自分のマクロ理論の内容が,消費者行動などの信用できる研究でわかっていることと矛盾しないようにすること.

ナカムラとスタインソンが提案しているアプローチで,問題が完全に解決するわけではない.マクロ経済学に独自の《信頼性革命》は起こっていない.でも,二人のアプローチは助けにはなる.これによって,ミクロ経済学による信用テストに通らないモデルをマクロ経済学者たちはゴミ箱に放り込めるようになる.それでもなお,競合する仮説・理論はたくさん手元に残るけれど,前よりはずっと少なくなる.

というわけで,マクロはむずかしいけれど,少なくともいまマクロ経済学者たちは正しいことをやろうと試みてはいる.そっちの穏健で漸進的なアプローチの方が,もったいつけてるくせに空疎なナマクラな他の選択肢よりも好ましいとぼくは思う.

思想史からの批判

さらに,今年は業界内部からもおもしろい経済学批判が出てきた.これは,現代の経済学が古典的な著作を無視することで自ら損をしているのかどうかをめぐる論争だった.

Branko Milanovic: 社会科学で唯一〔経済学だけが〕分野の創始者たちに無関心だ.そのせいで〔経済学は〕車輪の再発明をしては「これは新しい」と主張するのを永久に続けてしまう.[元ツイート

Florian Ederer: 経済学で読む値打ちのあるもののほぼすべては,大学院生向けの教科書で紙幅を割いて網羅されている.

今わざわざ〔ニュートンの〕『無限に多くの項を持つ方程式による解析について』を読んで微分を学ぶ人なんていない.

元になった古典の著作を読みたいという人には,ぴったりの分野がある:比較文学だ.[元ツイート

この論争は,トマス・クーンのいう「パラダイム前」の局面にいまも経済学がとどまっているのかどうかっていう論争に発展してもおかしくなかった――つまり,「いろんなアイディアが分野を支える堅固な基礎をなしているのかどうか」,「経済学者は近年のあれこれのアイディアをゴミ箱送りにして,もっとうまく行くものを築きあげるべくケインズやハイエクやマルクスやスミスからいろんな着想の元ネタをかき集める作業にもどるべきなのか」という論争になってもよかった.そんな論争なら,きっと興味をそそる内容になっただろう.

あいにく,そこは Twitter で,そんな発展はなかった.かわりに,古典を読むかどうかで議論してた人たちは,自分がそう主張する理由をいっこうにはっきりさせずじまいで,おおよそ,「おまえは無知なだけだ」とお互いにけなしあうのに終始するのを選んでしまった.そこにダニ・ロドリックがやってきて,もののわかった中道を提案した.ロドリックの連続ツイートから少し抜粋しよう:

経済学での古典の効用について,自分がとりたい路線は,@BrankoMilan と @florianederer の中間なんだと思う.経済学も自然科学に似てるという見方は一理ある.つまり,知見が積み重なって進歩していくから,最新の考えを読むだけでいいという話はわかる.[元ツイート

けれど,経済学は自然科学とちがうというのも一理ある.経済学はただ既存のモデルを(垂直に)洗練させるだけで発展するわけではなく,モデルの適応範囲を拡大したり,〔さまざまな事象に当てはめる〕各種の説明のライブラリを拡充させていくことによっても発展する分野だという話も,わかる.[元ツイート

そして,その点で古典は欠かせない.なぜなら,〔「あの古典といえばあのモデルの元祖でしょ」と〕みんなが古典を覚えている個別のモデルの子細よりも,それぞれの古典そのものの方が仮説やその仮説を考えた状況がはるかに豊富だからだ.[元ツイート

スミスやマルクスやマーシャルを読むと,市場全般の仕組みについて MWG からはけっして得られない知見を得られる.だからこそ,説明の主な対象や状況が変わって新しい答えを探し求め出すたびに,周期的に古典が「再発見」されるわけだ.[元ツイート

ようするに,こういうことだ――長大な学術書の内容をほんの数個の単純な方程式に蒸留すると,取りこぼされるものがたくさん出てくる.で,そういう方程式ではどうも経済がうまく説明できないなと判断したときには,元の本にもどってもっとすぐれた単純な方程式をひとそろいつくる助けになる細やかな洞察を探しにいけばいい.

それはそう.でも,古典を読む理由はそれだけじゃない.思想史がなぜ有益かといえば,自分の研究分野の最前線にいた人たちが,まだ答えがうまくつかめない問いとどう格闘したのかを教えてくれるからだ.これは,教科書には教われない.ニュートンが力学を発明しようと取り組んでいたとき,いまみんなが高校で教わるようなすっきりと効率のいいバージョンをいきなり思いついたわけじゃない.暗闇のなかを手探りしながら,まだ誰も定式化していなかったアイディアをどうにかまとめようと,ニュートンは苦闘していたんだ.だから,自分の研究分野の先端をいく研究者になって未知の森の暗がりを自分の手で切り開いていきたかったら,それと同じことを昔の人たちがどうやって当時やっていたのかを知ることで得るところはきっとあるはずだ.

というわけで,うん,経済学者たちが古典を読むまっとうな理由はある.ケインズやスミスやマルクスの時代から経済学が進歩を遂げていると考えている人であってもね.

イギリスの左派からの批判

最後に,古式ゆかしいイギリス左派による経済学批判は今年どんな具合か見ておくとしよう.『ガーディアン』みたいなイギリスの新聞に毎年あきもせず繰り返されてる定番ネタだ.ざっくり言えば,その批判の内容はこんな具合だ:《「新古典派」経済学は科学ではなく,科学をよそおったまがい物で,役立たずなくせに高尚そうに見える数理モデルをもてあそんでいるが,その実,そうしたモデルは,他のみんなを犠牲にして金持ちと大企業のネオリベ政治目的をさらに進めるためにひねり出されたしろものなのだ.》

この批判は強力でしぶとい.なぜなら,ねちっこく分厚いたわごとの餅に包まれた奥に真実というあんこが含まれているからだ.ここでその全部を繰り返すつもりはない.ただ,今年は,イギリスの左派からの批判を繰り出した人物がぼくのお気に入り SF 作家のひとり,Cory Doctorow だった.

新古典派経済学はゴミためだ.価格理論もなければ,インフレの説明もない.モデルはと言えば,どれもこれも完璧に合理的な「経済人」を仮定している.完全情報をもちあわせていて「効用最大化」をする人間を,だ.[元ツイート

経済学者たちの最大の詐術は,自分たちの抽象的で現実ばなれした秘教的「モデル」に政治を従属させることだった――いろんな方程式を小ぎれいにまとめた彼らのモデルのせいで,世界経済危機が何度となく起きて,数十億人が貧困においやられた.[元ツイート

自分で勝手に宮廷魔術師を買って出た連中が世界各国の政府に入り込んで,毎度毎度例によって例のごとく破滅的なまちがいをおかしながらも,そのままその身分を維持してるのは,いったいどうして可能なんだろう? [元ツイート

たんにぼくのお気に入り作家であるだけじゃなく,Cory は存命の思索家のなかで指折りにおもしろい人物でもある(ぼくらのポッドキャスト Hexapodia でブラッド・デロングとぼくがやった Cory のインタビューを聞いてみるといい).でも,Cory はいろんなイギリス左派の面々と交流を続けている.彼らは,強力で単純な物語を売り込んでるけれど,あまりに大外れすぎて,あまり有用な物語にはなっていない.

Cory が経済学について語ってることは,本物の経済学と似ても似つかない.不完全情報は現代経済学の核心をなしている.不完全情報によって市場が機能不全に陥るのを示した理論がノーベル賞をとったのは,20年も前だ.完璧な合理性が行動経済学によって手際よく挑戦を受けて,かれこれ数十年が経っていて,〔そうした業績に〕2002年2013年2017年にノーベル賞が贈られている.近年のノーベル経済学賞受賞者を眺めてみると,無作為化対照実験を使って途上国での反貧困プログラムを研究した人たちだったり,みんなが思ってたほど最低賃金が有害じゃないのを示した実証経済学者たちだったり,貧困と世帯の幸福をはかるよりよい方法をみつけた実証経済学者たちだったり,共有地の問題を研究してる制度経済学者たちだったりする.

一方,たしかに大方の経済学者たちは2008年金融危機を予測できなかったものの,金融危機が金融分野にとどまらず経済に広く波及して破滅的な影響を及ぼしうる仕組みをベン・バーナンキの理論は記述していた.その研究のおかげで,バーナンキは迅速に前例のない量的緩和プログラムと緊急貸付を実施できた.これによって,アメリカ経済と世界経済がはるかに悲惨な災厄に見舞われずにすんだんだ.

だからと言って,なにもかもが申し分ないというわけじゃない.反トラスト訴訟で大企業の雇われ用心棒としてふるまってる産業組織経済学者たちを Cory が指弾してるのは,間違いなく正しい.率直に言って,ああいう行状は,大々的な科学での不正行為の疑いが濃厚で,アメリカ経済学会が調査する必要がある.それに,多くの学部向け教科書は――とくにグレッグ・マンキューの『経済学原理』〔邦題『マンキュー経済学』〕は――経済学の単純化したバージョンを提供しているんだけれど,その内容は近年の研究と足並みが揃っていないし,理論過多・実証希薄すぎるし,自由市場イデオロギーに傾いてる.その点に関する Cory の指摘も正しい.

それに,この問題の解決案は,単純に,よりよい教科書だと Cory が提案してるのも正しい.〔オンラインの経済学教材〕CORE プロジェクトこそ一番有望な代替案だと言ってるのも,正しい.

無料でオープンアクセスの標準的な経済学教科書をサミュエル・ボウルズとウェンディ・カーリンがつくっている.タイトルは「経済」(The Economy) だ.すばらしい.無料だ.そのミッション? 「過去30年間がほんとうに起きていたかのように経済学を教えること」だって.[元ツイート

https://core-econ.org/the-economy/?lang=en

CORE がイデオロギー面でもっと自分の思想信条に近くなるのを Cory はのぞんでいる.でも,CORE の真の長所は――無料だってこと以外で言えば――伝統的な教科書よりも実証を強調してるところにある.ぼくの考えでは,どんなイデオロギーへの傾斜よりもこれの方がずっと重要だ.経済学は証拠に根ざす必要があるってことを子供たちに教えることで,経済の仕組みについていまわかってることとわかってないことを子供たちが理解する助けに,CORE はなってくれる.いま経済学業界で起きてるもっと大きな変化と,このことは大いに連動してる――この変化は,今年のノーベル経済学賞受賞で認められた.

こんなわけで,経済学の問題点を部分的に誤解してこそいるものの,ほんとに存在してる各種問題の解決に向けて進捗をみせてる人たちの一部を Cory は挙げている.

ともあれ,今年の経済学批判の話はこんなところ.来年のネタはもっと増えるのをお楽しみに! いつだって,ネタは年々増えていくからね.


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