ノア・スミス「安倍晋三のもとで大きく変わった日本」(2022年6月4日)

[Noah Smith, “The Japan that Abe Shinzo made,” Noahpinion, June 4, 2022]

この半世紀で最重要の首相がもたらした3つの大きな変化

今回で,日本に関するシリーズは5本目になる.これが最後だ.第1回目翻訳)では,日本の生活水準が低めなことを嘆いて,現金ベースの福祉政策を提案した.第2回目翻訳)では,日本が経済成長を加速させるのに使えそうな産業政策をいくつか提案した.第3回目では,日本の停滞した企業文化とその直し方を論じた.第4回目では,日本のポップカルチャーに関する2冊の本の書評を書いて,日本が経済面で衰退しつつもそのポップカルチャーが世界を制覇したあらましについて述べた.


この20年というもの,定期的に日本を訪れている.でも,今回の日本旅行ではとくに強い印象を受けた.2002年にはじめて日本に来たときから,この国の感触が大きく変わっていたんだ.お店や建物だけじゃない――というか,大都市の建設ブームはたしかに本物だけど,そうした変化のなかではいちばん小さなものかもしれない.それに,パンデミックの名残だけでもない.考え方やライフスタイルや文化がまるっきりちがってる.

ここのところを注意深く考えてみて気づいたんだけど,日本に起きたいろんな変化は,つきつめると3つの大変化に要約できる:労働力の拡大,移民流入と多様性の増加,国際的な安全保障領域でみずからを主張しようという意思,この3点だ.こういう大きな変化がただひとりの人間の手で起こったわけもない.でも,3つの変化はどれも,戦後日本で最長の任期をつとめた首相のもとで起きた政策の転換に直接にさかのぼれる.その人物こそ,安倍晋三だ.

2012年の暮れに安倍が首相の座についたとき(首相になるのはこれが2回目で,こちらの方がずっと影響は大きかった),彼が引き継いだのは深甚な苦難のさなかにある国だった.土地・株式バブル崩壊からは20年以上も経っていたけれど,00年代に少しだけ経済成長が息を吹き返した程度で,ずっとかつての水準にまで回復しないままだった.人口は急速に高齢化が進みつつ縮小し,生産性の伸びは停滞し,日本の代表的な旗艦企業の多くは世界市場のシェアを失なっていった.これらすべてが,大きな要因になっていた.そして,2011年には大災害がおきた――大地震と大津波でおよそ1万6000名もの人々が亡くなり,原子力発電所は破壊された.ひとつの都市が被曝し,原子力発電に対する反発が人々の間に広まった.

安倍は,この船を建てなおすのをみずからの課題にすえた.その手段のひとつが,「アベノミクス」という大胆な経済改革パッケージだった.さらに,水面下でもっと目立たず進められた施策もあった.そちらの方が,最終的にはもっと影響が大きい.でも,それで終わりじゃない.安倍は他にも課題を設けていた――日本の戦後平和主義を捨て去り,日本を「普通の国」にもどして世界の安全保障枠組みのなかで地歩を占める,という課題だ.

日本の外国向け新聞に携わっている人たちの多くは,この後者の目標をみてすぐさま安倍のことをファシスト判定した(ところで,日本に関するニュースでああいった日本の外国向け新聞を頼りにしているアメリカ人は,あまりに多すぎる).でも,実際には,安倍は市民的ナショナリストだ――安倍は,自分にできる方法ならなにを使っても自国をいっそう強くしようと望んでいる人物だ.現に,安倍は日本をいっそう強くした――女性の雇用を促進し,日本をさらに多くの移民たちに開いた.それに,その過程で日本をいっそうリベラルにすることもしばしばだった.

安倍についてもっと読みたければ,トビアス・ハリスによる伝記『聖像破壊者:安倍晋三と新しい日本』(邦訳なし)を強くおすすめする.安倍の在職期間は8年に過ぎなかった――日本の基準では長期だけれど,合衆国の基準だと平均的だ.でも,彼が首相の座を降りたとき,日本は大きく変わっていた.いろんな点で,いまや日本は「安倍の日本」だ.そして,これから数十年にわたって「安倍の日本」でありつづけるだろう.

いまや誰もが働いてる

昔からずっと,日本は労働者がすごい長時間はたらく国だった.でも,日本の誰も彼もが労働者だったわけじゃない.多くの女性は,専業主婦だった.バブル崩壊後,多くの若者が労働力から離れて〔求職・就労の意欲をなくして〕ニートになった(NEET とは,Not in Education, Employment, or Training の略で,「就学中でも就労中でも職業訓練中でもない」という意味だ).そうしたニートたちの多くは,親と同居していた.さらに,日本の平均寿命はすごく長いうえに,多くの会社では退職年齢がすごく早期に設定されていたために,数十年も退職生活をおくる高齢者が顕著に多かった.

日本の社会は,労働者とそうでない人たちにわかれていた.このことに,なんにも利点がなかったわけじゃあない.一日中デスクに縛り付けられる必要もなく,多くの若者が(そして熟年・高齢者も!)自由に文化的産物を創り出したり消費したりできた.そうした産物は,90年代以降の日本のアイコンとしてすごく広まった.休暇の旅行で訪れたり,オフィスで働かずに生活できるのであれば,日本はすばらしい場所だった.でも,このシステムはすごく不公平でもあった.それに,すごく非生産的でもあった.そして,長期的には,維持できなかった.

安倍が権力の座についたとき,最初の目標は,日本の慢性的な需要不足を解消することだった.安倍が黒田東彦を日本銀行の総裁に指名すると,黒田は大規模な金融緩和プログラムを実施し,これによって需要が押し上げられ,数十年にわたって続いていたデフレ・スパイラルから日本は(おおむね)抜け出した.また,安倍は農業部門その他でも改革の努力を進めた.これによって,企業の雇用は増えた.これは,雇用統計にはっきりと見てとれる.

その潤滑油になったのが,安倍のメンターにあたる小泉純一郎によるネオリベラルな一連の労働改革だった.これにより,アベノミクスの10年前から,低賃金の契約労働者を雇うのがより容易になっていた.

で,どんな人たちが働くようになったんだろう? ひとつには,若者だ――たしかに紋切り型としてのニート像はまだ存在してるけれど,実物は前よりずっと珍しくなっている.働きはじめる年配の人たちも,前より増えた.

でも,これまでのところ,最重要のグループは女性だ.日本の既婚女性は,かつてなら専業主婦になっていたけれど,働きに出るようになった.その理由は,〔労働力の〕需要だけじゃない.仕事と家庭生活をめぐる日本の文化を変えようと安倍が各種の施策をとったことも,この変化にかかわっている.安倍はひっきりなしに企業をせっついてもっと女性を雇わせようと試み,女性雇用の進捗状況の報告を企業に義務づけたりした.また,幼児教育・保育の無償化のための予算も大量に提供した(これにより,母親たちが以前よりもさらに仕事に行きやすくなった).その結果,働く女性たちの割合は,かつてないほど高くなった.いまや,女性の雇用率は合衆国よりも高い:

(女性の管理職への昇進はもっとペースが遅いけれど,それでも増えてきてはいる.)

雇用の大幅増加で日本の経済問題がなにもかも片付いたわけじゃない.でも,GDP 成長率を加速したのはまちがいないし,それに――企業の収益性も改善しつつ――政府の財政状況も改善した.それで終わりじゃない.日本の文化も変えた.2010年代の終わりまでに,日本の都市部にいて仕事せずにぶらぶらしてる人は,大幅に少なくなった.誰も彼もが,はたらいている.

でも,文化面の最大の変化は,日本社会で女性が果たしている役割の変化だ.専業主婦がふつうだった時代から労働力となってはたらくのがふつうになって,男女の性別役割と男女関係のありかたも様変わりした.この変化をもたらしたのは,10% ほどの女性たちであるにもかかわらずだ.

さらに,仕事の不満を語る女性たちもたくさん増えた.いまや,女性がオフィスにいるのは自然なこととして受け入れられているし,社会に求められてすらいる.そのおかげで,日本の凝り固まった企業文化での待遇に――性差別的なこともよくある待遇に――怒りを表明することを前よりも気楽に感じている女性は大勢いるようだ.かつての時代なら,「不満をこぼすのはやめて,さっさと結婚しなさいよ」とでも言われたかもしれないけれど,誰もが雇用されている世の中では,そうやってにべもなくあしらうのはバカみたいに聞こえるだろう.あしらう当人すら,「自分はバカなことを言ってるな」と思ってもおかしくない.いまや日本の女性たちがみんな雇用されてるなかで,できることなら,真の男女平等を職場につくりだす社会的な勢いがもっとついてくれたらと思う.(もちろん,政府は助けになろうとがんばっていて,管理職の構成における男女の多様性を報告する義務を新たに設けようとしている.)

こんな具合に,安倍の首相在職期間は,日本のバブル崩壊後の時代に終わりを告げるものとなった――築き上げられた富の上で企業と家族とがゆるやかに坂を下っていく夢のような長い時代は,こうして終わった.日本は,ふたたび動き始めた.

日本の軍事力が復活した

2つ目の大変化は,日本の軍事力と安全保障態勢を安倍が改革したことだ.首相就任にあたって,憲法改正の意図を安倍は公言していた.なかでも,軍事力の保持を禁じ交戦権を放棄している有名な憲法9条の改憲だ.世論によって,安倍は憲法改正こそできなかったものの,2014年に「解釈改憲」によって「集団的自衛」が許容されるようにしたことで,その目標の多くは達成された.

真の平和主義は,現代世界では実行できない.少なくとも,東アジアのように脅威に満ちている地域では無理だ.そこで,日本はこれまでもずっと戦争放棄と陸海空軍を「解釈」して自衛隊は許容されるものとしてきた.自衛隊の実態は,軍隊だ.ただし,法によっていろんな点で自衛隊は制限を受けている.さて,安倍による憲法9条の解釈改憲で,この軍隊は前よりもはるかに制約が減った.

そのひとつの側面が,日本の再軍備だ.軍事支出を現行の GDP の 1.1% から 2% にまで大幅に増やすことを与党はのぞんでいる.2% は,世界の平均に近い.もしかすると,中国のそれよりも大きいかもしれない.再軍備には,「反撃能力」も含まれる――反撃能力と言っているのは,ようするに,敵国領土内にあるミサイル基地をつぶすミサイルのことだ.

また,日本は武器輸出をはじめる準備も進めている:

じゃあ,ふたたび交戦できるようになった日本が戦うかもしれないのは,どんな種類の戦争なんだろう? 当然だけど,自国領土が攻撃されたときには,自衛戦争をやることになる.でも,それは解釈改憲の前も同じだ.それに,なんらかの帝国主義的な征服戦争に日本が着手する確率なんて,消え入りそうなほどに小さい.そんなことをする経済的・政治的な理由がひとつもないばかりか,かりに侵略に乗り出したところで,近隣諸国にはそれに抵抗するだけの力がある.

ぼくの理解では,以前とのちがいは次の点にある――地域内の他国を防衛する戦争に日本が参加するかもしれないって点だ.とりわけ重要な国は,台湾だ.近年,中国による征服から台湾を防衛したいという意向を,以前よりもはるかに強く日本の指導者たちが語るようになっている.中国が台湾を侵略すれば,日本にとって「存立危機事態」に該当すると,2021年に麻生太郎副総理は発言している.この発言と基調を合わせた記述が,最近の防衛白書にもある.同じ頃,とある防衛副大臣はこう発言している.「民主国家として台湾を守るのは」必要不可欠だ,って.

この目的のために,日本と台湾のあいだにある琉球諸島の各地に日本は基地を建設してきた.ようするに,これは中国の「接近阻止・領域拒否」(A2/AD) 防衛戦略を対中国にひっくり返したバージョンだ.また,日本は,事実上の同盟を地域内の各国と結ぶことを模索しはじめてもいる.その筆頭は,四ヶ国戦略対話の一環となるインド・オーストラリアとの同盟だ.さらに,日本はベトナムにも接近している.

日本の大衆はどうかと言えば,平和の理想を奉じる信条はいまも広く見られるし,9条がもたらす平和主義のうわべを尊ぶ気持ちも同様だ.でも,同時に,多くの強力な隣国(中国・北朝鮮・ロシア)に日本が脅かされているという認識も広まっている.そして,ここが大事な点なんだけど,自分たちの国が世界秩序のなかでどんな位置を占めているかっていう日本人の認識も変わってきているのかもしれない――もはや,国々どうしの紛争からひとり孤絶した平和主義の島だとは認識せずに,権威主義的な帝国たちが他国を食い物にするのに反対する自由主義秩序の一角を占めているという認識に変わってきているのかもしれない.東京を歩くと,いたるところで人々がウクライナを支援しているのを見かける.今回の旅行で,これには驚いた.合衆国で見かける支援よりもずっと多い.

こうした態度は,日本の新しい首相・岸田文雄への人々の支持が高い水準にある点にも反映されている.岸田は,中国に対してタカ派的だと広く考えられている.

ある意味で,安倍政権はこうやってバブル以後の時代を終わらせただけじゃなく,もしかして第二次世界大戦後の時代も終わらせたのかもしれない.日本のファシスト帝国主義侵略の遺産は,間違いなく,今後もある程度までは日本につきまとうだろう.最終的な敗戦の痛ましい記憶も,同じく残りつづけるだろう.でも,そうした記憶が日本のありようを永遠に定義しつづけるはずもなかった.どこかの時点で,ふたたび普通の国家に戻るのはわかっていた.そして,普通の国には,軍隊と軍事同盟があるものだ.

移民と多様性

経済に活力をとりもどし,軍隊の役割を再定義すること――この2つが,安倍が首相の座について約束していた2つの大変化だ.でも,彼がもたらしたいちばん顕著な変化は,みんなに気取られないままもたらされていた.安倍のもとで,移民と多様性に関する日本の姿勢は,まるっきり変わった――もしかすると,もう元には戻れないかもしれない.

第二次世界大戦後の日本は,一部の紋切り型で考えられているほど閉鎖的でも外国人ぎらいでもなかった.そうした日本像は,実態とはほど遠い.でも,移民をほんのわずかしか受け入れていなかったのはまちがいない.縮小し高齢化が進む人口に対応するために移民の受け入れを増やすよう,長年にわたって経済学者・ジャーナリストたちは政府に求め続けてきた.でも,政府はそれに抵抗していた.

それも,安倍で変わった.安倍が政権をとると,日本ではたらく外国人労働者たちの人数は指数関数的に増えはじめた.

当初,これは裁量的な行政政策による増加だった.でも,やがて,安倍政権は移民受け入れを制度化する政策を実施していった.2017年に,安倍政権は永住権へのファーストトラックを設けた.その狙いは,熟練労働者を日本に入れることにあった.2018年には,政権はゲストワーカー制度を設ける.これには,永住権獲得への道筋も含まれていた.こうした制度は,他の先進国でとられている移民政策と大枠で似ている.

安倍がはじめた移民受け入れの時代は,すでにはっきり見てとれるかたちで日本を変えはじめていた.東京は,紛れもない国際都市らしく感じられる.すでに 2018年には,東京で成人年齢に達する人たちの8人に1人は日本生まれではなかった.あちこちの街角で外国語が話されているのを耳にするのも,ありふれたことだ.

当然,最近まで多様性に対応しなきゃいけない事態になれていなかった国にとって,これは大きな社会的課題だ.案の定,ハーフの日本人の運動選手や美人コンテスト勝者は本当に日本人なのかって論争が,すで交わされている.でも,全体として,外国人を社会に織り入れるのを歓迎する人たちの方が,そうした論争で優勢のようだ.2020年には,クルド人移民を警察が不当に扱ったことに対して,「黒人の命を守れ」(BLM) スタイルの抗議集会すら,各所で起きていたほどだ.わずかながら,公職に立候補する移民も現れている.

コロナウイルスによって,海外からの労働者の流入は途絶えたけれど,安倍による移民受け入れ政策は存続しているため,いずれ流入は再開するだろう.こうして,日本の相貌は,いっそう変わっていくはずだ.各地の都市も,東京と同じ変化を経ていくことだろう.移民たちをなんらかのかたちで社会に統合する文化的・政治的・経済的な制度を,日本は発展させていかざるをえない.

そうなると,まちがいなく,世間の人たちの論議はますます増えていく.ヨーロッパ諸国で起きたのと同じことだ.ある程度までは,移民排斥派による反動も起こるだろう.どんな国でも,それは起こる.でも,反移民の心情が他の国々では失敗したのに日本でだけは成功するとは,ぼくは考えていない.紋切り型の日本像とちがって,この国ははるかに自由主義的で開かれている.

ともあれ,結局のところ,スイッチを切り替えてこの途方もない変化をはじめたのは,安倍だ.日本史上に例のない人口動態の危機に直面して,安倍は前例のない方法で日本を変えることを選んだ.国の弱体化をとるか,それとも〔移民を増やして〕人口の変化の痛みをともなう不確実さをとるか――この選択に直面して,安倍は日本を豊かで強いままにする最良の見込みがあった選択肢を選んだ.

最終的には,これが安倍の遺産になるだろうと,ぼくは思う.経済的要因・地政学的要因・人口動態的要因によって,日本が永続的な衰退を経てものの数にも入らない存在になりかねない状況にあったなかで,日本を伸び代のある存在にしつづけるためにやるべきことを,安倍はやった.それがもたらすさまざまな影響の全貌は,長らくわからないままだろう.でも,すでに,この国はかつてとちがってきているのが感じ取れる.旧時代は終わった.新時代が花開きつつある.

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