5.2.6: ルイ・ナポレオンとグローバー・クリーブランド: これは驚きではないはずだ。富と名誉と血縁で閉じられた貴族制がなくなると――〔社会階層の〕上昇移動が可能になると――全面的に人を平等にする社会主義は北大西洋でそれほど魅力的な思想ではなくなっている。最初にこれが見られたのは、1848年のフランスでのことだ。当時、都市の職人たちに完全な雇用を提供するために課税されることをフランス人の圧倒的大多数が望んでいなかったのをアレクシ・ド・トクヴィルは発見している。失業者に機会を提供することよりも自分たちの財産の方を大事にして、トクヴィルと同じく社会主義に反対する側にいたのだ:
商業の荒廃、国民皆兵戦争 [universal war]、社会主義の恐怖によって、[フランスの第二]共和政はますます農村部で憎悪されるようになっていった。この憎悪がとりわけ強く現れたのが、秘密投票だった。有権者たちは(…)21県で(…)[廃絶された]君主制を代表しているように見えた男たちを選出した(…)
ようやく、話は六月暴動〔パリ蜂起〕[1848年]にいたる。この暴動の目的は政府の形態を変えることではなく、社会体制を一変させることにあった(…)自分たちの差し迫った生活条件から逃れ出ようとする労働者たちによる盲目で粗野ながらも強力な努力だった。そうした生活条件は不法な抑圧なものとして描き出されていた。やがて安楽な状況にいたる道を武器によって開こうと彼らは苦闘していたが、その安楽は空想にすぎず、彼らはその空想に酔っていた(…)。富の格差は道徳の性質に反したものでありいまの社会の福祉状況は自然に反しているのだと彼らは吹き込まれていた。
周知のとおり,反乱の発端となったのは〔失業者救済のために政府がつくった〕国立作業場の解散だった.(…)
フランス各地から数千もの人々が我々の救援に駆けつけていた(…).鉄道のおかげで,なかには50里もの遠くからすでに到着している人々もいた.(…)この男たちは社会のあらゆる階級が無差別に入り交じっていた(…)農民,商店主,地主,貴族が同じ隊列にまとまっていた(…).比類ない熱情をもって彼らはパリに押し寄せてきていた:我々の革命史でも異様で前例のない光景だった.(…)叛徒らは戦力の補充ができない一方で我々はフランス全土に予備軍がいた.最後に勝利するのは我々だということは明らかだった.
(引用文の翻訳はトクヴィル『フランス二月革命の日々』(岩波文庫,喜安朗=訳,pp.236-7; 265-6)を参考にした )
1848年のフランスではこれは事実だった。また、1896年のアメリカでも同じく事実だった。1896年から、イリノイの重要な浮動票もオルトゲルドを望まなくなっていた。1896年にオルトゲルドはイリノイ州知事職の再選かなわず、しかも運動失調症の診断を下される。1899年にはシカゴ市長に出馬するも脳出血を起こし、1902年に54歳で死去した。
クラレンス・ダロウはその後も法曹界でのキャリアを続け、進化論を弁護し、高校教員を弁護し、殺人犯を弁護し、職業別労働組合役員の弁護をした――同時に、大企業も弁護した。ダロウの友人には左派の民主党員もいれば労組を組織している人々もいたし、セツルメント運動に関わる人々もいた。友人たちはダロウの行動に困惑した。ダロウは彼らの疑問にこう答えている:
賄賂の助けを借りて規則・条例を彼らが手にしていると知っていながら、この企業、この人々の弁護役を引き受けた。普通の商業や法曹の倫理基準でみれば、私は正しいことをした(…)。我々どちらの側の人間がともに信じるもっと高次の法で判断すれば自分を正当化しようもないことに私は満足している。自分が盗人も同然であることにも満足している。金を働いて稼ぐのではなくただ金を手に入れる機会があるから手に入れている男たちから私は金をもらっているのだ(…)。私は、彼らが金をとったあとに残された機会を利用することにした。体制から手に入れられるものを手に入れて、それを利用して体制を破壊しようと思ったのだ。私は友人も金もなしにやってきた。異端の考えを唱えながら生きていける元手を社会はこういう人間に与えはしない。現状のままの社会で生きていくかさもなくば死ぬか、そのどちらかを無理強いされるのだ。私は、まだ死は選ばない。もしかすると、死ぬ方が最善なのかもしれないが(…)
伝統的な二大政党それぞれの良いところどり [triangulating] により選挙で勝てる民主党をつくるというオルトゲルドの意見をダロウも共有していた:
かねがね私はウッドロウ・ウィルソンを尊敬し、[彼の後継者である]共和党の大統領[ウォレン]ハーディングに不信を抱いていた。政府のさまざまな事柄に関して、2人についての私の見解はそれなりに正しかろうと思う。とはいえ、学者にして理想家のウィルソン氏とクエーカー教徒のパーマー氏は、[ユージン・V]デッブズを牢屋に放置した。そして、ハーディング氏とドーハティ氏が牢屋のドアを開いたのだ(…)。
0 comments