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ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』:フランス語版出版に際して、マリアンヌ紙によるインタビュー」(2020年9月11日)

My interview for “Marianne” as “C,A” is published in French
Friday, September 11, 2020
Posted by Branko Milanovic

1.エレファント・カーブが有名ですが、あなたのこれまでの研究によって、一般の人はグローバル化に伴う不平等の進化を見ることができるようになりました。「資本主義」を扱っている新刊『資本主義だけ残った――世界を制するシステムの未来』〔西川美樹訳、みすず書房、2021年〕は、過去の研究の延長線上にあるのでしょうか?

部分的にはそうですね。今回の本でも、間違いなく不平等について扱っています。(私は人生の大半を不平等の研究に費やしてきましたから)。ただ、エレファントカーブの根底にあった、グローバルな不平等は扱っていません。代わりに、米国のようなリベラル資本主義や、中国のような政治的資本主義といった、制度の観点に立っての「国内の不平等」と「上流階級の再生産」に関心を絞っています。

むろん、こういった国内不平等は、新著でも「グローバルな不平等」(第2章)の観点から扱っています。ただ、国内不平等は〔グローバル化によるものではなく国内の〕政治的な背景によって強く左右されると思いますね。私は、所得・富の不平等は、政治・経済制度の組織化の有り様から生じるだけではないと考えています。特に子どもたちに政治・経済制度での優位性を相続させる能力や、経済的支配への影響力を通して、〔不平等は逆に〕その政治的制度を維持する働きも持つと思うのです。リベラル資本主義でこの影響力が強く明示化されているのを私たちは見ることができます。経済的権力を行使してメディア権力を獲得し、次にそれを使って政治的権力を獲得するというよく見られる現象ですね。なぜ、ジェフ・ベゾスは『ワシントン・ポスト』のオーナーで、ドナルド・トランプはアメリカ大統領なのでしょう? ということです。

以上の理由から、この本の最後で、リベラル資本主義に対して提言を行う際に、3つだけの単純な政策提言に絞り込みました。「子供への遺産相続の制限(相続税の強化)」、「私立学校の役割の制限(公立学校をもっと良く、魅力的にする)」、「メディアや政治への金銭的影響の制限」です。

2.「リベラル(自由主義)・能力(メリトクティック)資本主義」と「政治的資本主義」がどう違っているのかについて再度解説してもらえますか?

リベラル資本主義とは、基本的に西洋における資本主義のことです。この資本主義は、「経済基盤(インフラストラクチャー)」が資本主義的(生産手段は民間セクターが担い、労働者は雇用され、経済的意思決定は分権化される)でありつつ、政治空間は民主的であるような体制ですね。

私はこのタイプの資本主義に言及する際に、「能力主義(メリトクラティック)」と「リベラル(自由主義)」という用語を使用していますが、これは説明が必要ですね。この用語は、ジョン・ロールズに由来しています。ロールズの言う「能力主義的平等」とは、市民の間に法的な線引を行わないことです(私は「法的」を強調しています)。貴族や聖職者のような人しか特定の高い地位に就けなかったり、奴隷やカーストが存在するような世界でないことを意味する用語ですね。単なる「法の下での平等」のことです。この意味において、全ての近代社会は「能力主義(メリトクラティック)」です。私たちは日常会話で、「能力主義(メリトクラシー)」を「誰もが自らに『値する』ものを得ている」という非常に積極的な意味で使っていますが、それとは大きく異なる用語として私は使用しています。ロールズによるなら、〔能力主義的〕平等の次の〔達成〕水準が、「リベラル」です。「リベラル」な社会は、人間の人生における可能性に影響を与える「相続された優位性」の制限を試みることになります。故に、相続税や公教育が実施されます。

現代の西洋社会は、この2タイプ間の領域〔能力主義的平等が達成され、リベラル社会は未完成の領域〕に点在しています。その内の一部は、社会的機能が限定されている社会です――市民は、法的平等のみで満足し、相続や民間営利教育が盛んな社会ですね――アメリカはこの種の社会に近いでしょう。ヨーロッパは、機会の平等と社会的流動性を重視しているので、ロールズが言う「リベラル」資本主義に近い社会ですね。

政治的資本主義とは、上で定義した資本主義〔「経済基盤(インフラストラクチャー)」が資本主義的〕でありつつ、政治制度は民主的でないものです。私が『資本主義だけ残った』で定義したように、この政治的資本主義は、3つの特徴を持っています。「経済的成長を最優先させている有能で効率的な官僚機構」「法の支配の欠如」「国家の自主性1 」です。効率的な官僚機構(原則としては法律に従わなければならない)と、法の支配の欠如から導かれる裁量的な意思決定の必然性。この2つの相克から、私たちは、〔政治的資本主義に〕腐敗を見ます。このように、政治的資本主義において、腐敗は内在的、あるいは固有の特徴であり、常態化している、と私は主張しています。

最後に、政治的資本主義は、「国家の自主性」の維持を図ります。つまり、国家は、特定の金持ちの利益を体現するための単なる器には絶対になりません。トロツキーの言葉を借りて別の言い方をするなら、資本家階級のための「ベルトコンベア」に絶対にならないわけです。(「リベラル資本主義」では、国家は往々にして資本家階級のための「ベルトコンベア」です。)

3.あなたによれば、リベラル資本主義が金権政治になってしまうのを回避するには、不平等の問題に取り組まねばならない、とのことです。グローバリゼーションによって競争力が求められている渦中、これは可能なのでしょうか?

経済学者の多くが、グローバリゼーションについて非常に間違った見解を抱いてきました。彼らは、グローバリゼーションは全ての人にとってウィンウィンであると単純化した主張を繰り広げたのです。でも、そうではなかったことが、今やハッキリ可視化されています。これを、歴史的なアナロジー(類似性)で示してみましょう。第一次産業革命は、苦痛を伴ったプロセスでした。産業革命は、農民からの収奪(18世紀イギリスからスターリンのソビエト連邦まで、常に行われました)、自給自足で生活する都市プロレタリアートの創出、そして多くの人々の貧困化と浮浪化をもらたしました。産業革命はグローバリゼーションを伴って、このプロセスを進行させ、地球上の大部分の地域を植民地化し、奴隷貿易を行い、最終的に「効率性の悪い」人々の職(例えば、イギリスとの競争によって「壊滅した」インドの織物職人)を奪っていきました。

では、今日の技術革命とグローバリゼーションは、なぜ過去の歴史に見られたような悪影響を及ぼしていないのでしょう? 私たちは歴史から逃れ、「歴史の終わり」にいるわけでありません。全てが調和した世界に生きているわけでもありません。実際、テクノロジーの変化によって居場所を奪われた人たちは存在しています(ルーティン・ワークに従事していた労働者です)。彼らは、同じことをもっと安くできる地球上の反対側の労働者に仕事を奪われたのです。今日の敗者達ですね。彼らの多くは、過去のグローバリゼーションにおける農民や奴隷のような絶対的意味での喪失者ではないでしょう。それでも、相対的な意味では喪失を被っています。彼らの経済的地位は、自国内でも、グローバルな見地からでも、悪化しています。

最初のグローバリゼーションとの違いですが、今回のグローバリゼーションのコストは、世界規模で見れば主に西欧の中産階級が負担していることです。19世紀だと、コストは、西洋の都市プロレタリアートと植民地化された国家が負担していました。

4.あなたのフレームワークは、現在の中国と米国の緊張関係を説明できますか?

2つの点で説明可能だと考えています。まず、中国はその驚異的な経済的成功によって、資本主義と民主主義の切り離しが可能だとハッキリと示したことです。『資本主義だけ残った』の中でも触れていますが、歴史的に見て、特定の時期に最も経済的に成功した国は、他国から模倣され、また成功国も自身のモデルを海外に「輸出」する傾向があります。中国はこれまで「輸出の分野」では目立たない存在でした。おそらくですが、歴史的な理由や、中国の政治的資本主義は他国に簡単に移植できない中国特有の特徴を多く含んでいる、といった理由からだったのでしょう。しかし、今やこの状況は変わりつつあり、中国がイデオロギーの領域でかなり積極的な政策を取っていることがわかります。

米国において民主主義が危機に陥っているのを見れば、中国が今やイデオロギーで自信を抱いているのがわかるでしょう。このように、米中の競争は初めて、たとえ資本主義同士であったとしても、イデオロギー的な優劣で張り合う様相を持つに至りました。むろん、これは米ソの競争とは異なっています。

このイデオロギー的な競争は、大国間競争の要素も含んでいます。地政学的な競争ですね。これは『資本主義だけ残った』ではあまり扱っていませんが…。ただ、この地政学的な競争は、イデオロギー的な基盤を考慮しないと理解でないと私は思っています。実際、ナポレオン戦争から今日まで、全ての競争には、イデオロギー的な部分と、純粋に政治的もしくは軍事的な部分がありました。中国とアメリカについても同じことが言えますね。

5.「リベラル(自由主義)モデル」が権威主義的になり、政治的資本主義になりつつあるのではありませんか?

その可能性は十分にあります。私たちは今、奇妙な隘路に立っています。評論家、社会学者、経済学者のほとんどが「ポピュリズム」について論じています。しかし、実際に起こっているのは〔富裕層を優遇する〕「金権政治化」なのです。例えば、トランプです。彼は「右翼ポピュリスト」と呼ばれています。しかし、トランプの政策を見てみると、規制緩和、減税、私立学校制度、私利私欲のための国家の利用、株式市場の高騰など、金持ちが望むものを一貫して提供してきています。共和党主流派である金持ちをターゲットにした政策ですね。社会学者の中には、トランプのポピュリズム的な言説に感情的に反応するあまり、この経済的事実を見落としている人がいます。

さらに、トランプは企業を経営するように国家を統治している、と私は論じてきました。人々は、トランプを「こいつはアメリカ憲法やその類いの知識に無知じゃないのか」とバカにしますが、これはまったくの勘違いです。トランプは、企業と国家を区別していないんです。これは、多くの分野に既に広がっている新自由主義的な経済学が、今や国家をも掌握しようとする過程にあることを示す最良のリトマス試験紙ですね。

6.あなたは「リベラル資本主義」や「政治的資本主義」に代わる理論的な選択肢として、「人民による資本主義」と「平等資本主義」の2つを挙げていますね。これは本当に実現可能なのでしょうか? そして、望ましいものなのでしょうか?

実現可能性について、絶対にありえないと悲観はしていません。「人民による資本主義」とは、資本の所有権が、もっと分散・拡散された資本主義――例えば、労働者が会社を共有しているとか、小口投資家を特別に税制上優遇することによってもたらされる資本主義ですね(〔代替案といっても〕資本主義であることに変わりはありません!)。こういったシステム下だと、ロボット工学やテクノロジーがさらに発展し、総所得に占める資本の割合が増加したとしても、今日のように個人間の不平等の拡大に必ずしも即座に転嫁されなくなります。

これは多くの人にとって想像するのは困難でしょう。私たちは皆、財産を保有することが金持ちである、との世界観を当然視するよう何世紀にもかけて飼いならされてきましたから。しかし、今この瞬間、私たちがほぼ同じ量の財産(似たような価値のマンションや、同程度の額の株式)を所有していると想像してみてください。そうすれば、利益率や住宅価格が上昇しても、不平等は拡大せずに縮小するでしょう。簡単にすぐに実現できるとは言いませんが、この目標を思い描くことができれば、たしかに、私たちは小さな一歩を踏み出せるでしょう。

〔訳注:本サイトの『資本主義だけ残った』に関するエントリは以下となっている。
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』:ブルガリア語版出版記念インタビュー」(2020年12月26日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』ギリシャ語版出版記念インタビュー」(2021年1月16日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』の著者が明かす四つの重要な裏テーマ」(2019年9月24日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』よくある批判への回答:アリッサ・バティストーニの書評について」(2021年5月14日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』世界の芸術家の役割」(2021年2月8日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』 いくつかのマルクス主義的論点:ロマリック・ゴダンの書評への返答」(2020年10月4日)

  1. 訳注:「国家の自主性(autonomy of the state)」は、「個人の自主性(autonomy of the individual)」を捩ったミラノヴィッチの造語で、国家が個人より優先されているような社会のこと。 []

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